誰にも知られずにこの恋が終わっていく
ずっと好きだったんだ。愛おしくて愛おしくて仕方ない。
彼女を思えば鎖骨が軋んで、わけもわからず叫び出してしまいそうな衝動に駆られる。彼女が願えばなんだってしたくなる。美しい漆黒の瞳でじっとみつめられれば心臓なんて止まってしまうんじゃないか、なんて柄にもなく乙女チックなことを思ってしまう。それほどヤられていた。
――それなのに。
◇
朝、目が覚めると昨夜の甘いひとときが嘘のように虚しさだけが漂っていた。彼女がいた痕跡さえないかのようだ。昨夜のあの情事は一体何なんだ? 俺の幻想か? ――ありえるだけに恐ろしいな。
彼女がいないだけでこんなにも絶望できるのか、ととりあえず皮肉ってみるが、情けないこの感情がら逃れることもできない。それどころか終いには、この皮肉が慰めの効果くらいあればいいのに、なんて甘ったれた考えに逃げ込む始末だ。なんて残愚かな人間に成り下がっているんだろう。
イヤミなほどふかふかなベッドに顔を沈めた。この毒々しい部屋の装飾も気に入らないのでちょうどよかった。
「あー、もう。なんなんだよ…」
枕に埋れた顔から零れた情けない言葉は枕に吸い込まれてしまい、更にお粗末な有様だ。
もうそんなことどうでもいい、とでも言うかのように体を反転させて天井を眺めながら彼女の名を呟いた。それがまた情けない。情けなさすぎて泣けてくる。
◇
きっと彼女のことだ。次会ったときも何食わぬ顔で「笹木くん」と罪な可愛いあの声で俺の名を呼んで、爽やかに朝の挨拶をして仕事に取り掛かるんだ。まるで何事もなかったかのように。なんて酷い女なんだ。
そこまで愚かにも考えて、ため息を吐き捨てた。
情けない。
情けない、情けない、情けない。
好きだとあんなに囁いたのに。
愛してると囁けば蕩ける笑みを浮かべたのは貴女じゃないか。
柄にもなく緊張する、と情けない台詞を吐けばくすくすと弾んだ笑い声を洩らしたくせに。
あの幸福な時間が偽りだと言うのか?
確かに、愛してると囁いても「私も」とは言わなかった。
――でも。そんなのってないだろ?
好きだと言えばYesかNoが返ってくる学生時代とは違う。これが大人の恋? クソッタレ。そんな都合の良い恋愛あってたまるかよ。
そう毒づいたところで、彼女が微笑みを浮かべればそれが、それこそが、答えであり、正義だ。なんてことはない。それが大人の解答なんだ。YesでもNoでもない曖昧な吐息のような答えから導き出す。それがいつの間にか大人の恋愛のセオリーとなっていた。
それでも、そんな恋の駆け引きは、得意分野だったはずなのに、こんなにも翻弄されていることが憎々しい。それと同時に、変え難い幸福感を味わっている。それでプラマイゼロなんて言われたらやってらんねぇけど。それでも、やってられなかろうがなんだろうが結局は彼女の言葉に耳を傾ける。いつかその可愛い声で俺の下の名を呼び、堪らなく甘ったるい態度で愛を囁くその瞬間を望みながら。
――そんな瞬間、訪れることがないとしても。
◇
ベッドとテレビ、無駄に豪華な風呂以外に何もない毒々しい部屋の天井をぼんやりみつめながら、彼女への行き場のない、この持て余した感情を自分はどうしたいのかを無意識に考えていた。
もしかしたら、俺は持て余したこの気持ちが死んでいくことを静かに待っていたのかもしれない。誰にも知られずに、自分さえも忘れてしまうまで。
――それはもう祈りに近かった。