5.最後のお仕事は笑顔が大事 追記
春の陽気な日差しの中で、一人の死者を見送った。ありがとう、と死者から見慣れた笑顔を向けられ、おれは瞬きもせずにそれを見る。
仕事で出会う人が何人目になるとか数えるのは馬鹿らしいからもうやめた。だけど、出会った一人一人の生き方は記憶するように心がけている。静かに瞳を閉じて、少しばかり記憶の蓋を開けてみた。
何百人と人を殺しておきながらも神への祈りを日課とし、処刑台に立たされた人間。古いマンションの片隅で借金取りに追われ、身の寄せる場所もなく自ら楽園へと旅立つ人間。家族に囲まれながら、満足そうに息を引き取る人間。戦争に巻き込まれ、四肢を失いながらも懸命に生きた人間。財力の許す限り豪遊を繰り返し破滅した人間。火事が起こった家に取り残された子どもを救おうと、火の海へ身を投げた人間。愛する人と死を分かち合おうとした人間。
そして、さっきの仕事では、今では妖怪となってしまった猫の大切な女の子が死んだ。死因は老衰で、横たわっている女の子の傍らに、あの猫が名残惜しそうに居座っていた。それから少しだけその猫と話していたが、しばらくしてから猫の方から立ち去ってしまった。まったく、不思議な縁もあるものだ。
何をするでもなくぼんやりと立ち尽くしていると、不意に背後から声をかけられた。
「よぉ。調子はどうだぃ?」
「……影か」
振り返らずにそれだけを言うと、影は慣れた様子でおれに話しかけてくる。
「それなんだが、コウ。オレにはどうも自分が影ではないように思えるんだ」
「大丈夫。……お前はおれの影だよ」
「……そうか。コウがそう言うなら、そうなんだろうな」
ふと影の様子が気になって振り向くと、おれと同じ背格好をした真っ白な影が立ち尽くしていた。
「……なぁ、影」
「何だよ」
「死ぬ前の人間が笑う気持ちってどういうものか、分かるか?」
以前に影から聞かれた質問をしてみると、影は身体を上下に揺らしながらしばらくの間は口を開く素振りを見せないでいる。それから、徐に答えを出してきた。
「さぁな。複雑すぎて分かんねぇ」
「…………そうか」
その答えに、今度はおれが黙る番だった。もしかして以前の影なら、答えを教えてくれただろうか。そもそも、答えなんてものが用意されているのかどうかすら、おれには見当が付かない。それについても、影は何かを知っていたのだろうか。何だか生前よりもおれが死神として意識を持つようになってから、人に対して疑問が増えたような気がする。
どうして最期に満足そうに笑う人間がいるのか。最大の恐怖であるはずの死に対して、何故ああも受け入れることができる人間がいるのか。どうして死が決定した人間の身代りになろうとする存在がいるのだろうか。あの影と別れてから今まで考え続けてきたが、とうとう答えは分からずじまいだ。
この問いも、あの影の行方も、今ではおれにもこの影にも分からなくなってしまったな。
「……あ、そうだ。前は小さかったから分かんねぇことが多かったけど、一つだけ」
影はそう言って、人差し指を立ててみせる。芝居がかった影の動きに、おれは両腕を組んで影の回答を待ってみた。正直に言ってしまえば、あまり影に答えを期待していない。どうせくだらない答えでも出してくるのだろう。しかし、おれは影の回答に眼を剥くこととなった。
「人間は、わがままだ」
おれは、影の回答に少し驚いてから、思い切り声を上げて笑い飛ばす。別に面白いことは何もない。前に影がそうしてくれたから、それを真似ただけだ。だけど、影も骸骨の歯を鳴らすような笑い声をその場に響かせる。
影の笑い声に目を瞠ると、影は楽しそうにおれへ言ってのけた。
「なぁ、コウ。お前も、そう思うだろ?」
「……!」
まるで図星を突かれたかのようにぎくりとする。影から目を離せずにいると、影はそのまま話を続けた。
「人間は複雑なようで単純だ。それは己のエゴからくるもんだからな」
「…………影?」
「そのエゴは、時として人を助け、貶める」
「……おい、影」
「だから世界を平和にするには、人間がいなくなることが手っ取り早いよな」
「……おい、ちょっと待ってくれ、影ってば」
「まぁ、それが出来ないのも人間だろ? 結局は、みんなわがままなのさ」
「……やめろ!!」
咄嗟に声を荒げて影の言葉を遮ると、影は気にせず嬉しそうに笑ったんだ。
「なぁ、コウ。オレは、お前の影だよな?」
影が姿かたちを半回転させておれを見下ろす。それが何だかひどく恐ろしいもののように思えた。
「最期まで、ちゃあんと見といてやるよ」
その言葉に、おれは不思議と腑に落ちたような錯覚を起こす。あぁ、そうか。今になって分かった。影は影でも、こいつはあの影ではない。おれの心は、影はあの時にちゃんと死んだんだ。影はおれの前から姿を消し、常闇に捕われて牢に繋がれてしまった。
今おれの目の前にいるこいつは、死神として生まれたおれの、新しい影だ。あの時までにおれと関わってきた人たちと作り上げた心の結晶が、この影ということか。
それなら、ちゃんと向き合わないといけないよな。
「……分かってる。よろしくな、影」
おれはそう言って、真っ白い影に笑いかけてみせた。
なぁ、影。今度はおれが教える番になったよ。おれはちゃんと答えを見つけられるかな。
おれは、これから先に悩んだり困ったりしても、最後まで答えを探しだせるのかな。
本当のことを知るのは怖いし不安だけど、この影と一緒に探してみるよ。
だから、よかったらどうか聞いていって欲しいんだ。
臆病な死神が、自分の心へ答えられるように綴るこの物語を。
このお話で最後になります。最後までお付き合いして頂き、ありがとうございました!




