5.最後のお仕事は笑顔が大事 【後】
今回は影視点での独白記になります。
お前から心を奪って生まれて、どれくらいの年月が過ぎただろうか。神様や仏様から影としての生を与えられて、何の意味があっただろうか。一体オレは、何をどうすれば良かったのだろうか。目を開けても閉じても広がる深い闇の中で、オレは考えてみた。
もうオレの記憶はほとんど消えかかっているけど、最初の記憶ぐらいは思い出せる。狭くて暗い部屋の中でオレは泣いていたんだ。父親に怒られ、責められ、殴られて、悲しくなった。
悲しい。それが、幼いお前が最初に抱いた感情だった。しばらくすると、その悲しさは日に日に深いものとなり、いつしかオレは泣かなくなった。その代わりに、今度は父親に、周りの子どもに、先生に、母親に深い憎しみを抱くようになっていた。
どうして、こんな所に産み落としたんだ。
どうして、誰も助けてくれないんだ。
どうして、誰も見てくれないんだ。
怒りや憎しみだけがオレを取り巻いて、なかなか放してくれない。感情は時として荒波のように怒りが押し寄せてきたり、引き潮のように悲しみがやってくる。
なぁ、コウ。お前にはこの二つの感情しかなかったんだよ。だから、お前は笑わなかったんだ。何も嬉しいことや楽しいことなんて無かったからな。父親に愛されたり、友達と遊んだり、先生に誉められることもなく、ただ自分以外の存在がとてつもなく怖くて、憎くて仕方がない。
そういう人間なんだ、お前って。
そして、オレは悲哀や憎悪が巡るままに、お前とは離れた場所で泣き叫ぶ。口から出る言葉は全て哀愁の漂うものばかりだ。
「悲しい」「悔しい」「苦しい」「さみしい」「憎い」「いやだ」。何度この言葉を叫んだことだろう。お前はいつだって泣いていたし、怒っていたんだよ。お前には現れないだけで、本当はちゃんと感情があったんだ。だけど、お前は泣けなかったんだよな。
一体それがどれほど辛いことなのか。心のままに泣いてしまうオレには分からないが、お前はずっと闘い続けてきた。父親に罵声を浴びさせられようとも、先生に見限られようとも、友達に裏切られようとも、涙も出せずに泣いていたんだろう。お前も苦労してきたんだな。
お前と対面して、初めて分かった。オレはこいつの心で、こいつはオレの本体だって。それから、お前が今まで笑わなかったり泣かなかった分だけ、オレがやらなくちゃならないということも。だからオレは、いつもお前に会うたびに笑ったり、怒ったりしたんだ。
なぁ、コウ。お前にはまだ伝えられなかったことが一杯あるけど、お前ならきっと探してくれるよな。少し前に「どうして最期に笑うのか」って不思議がっていたけど、あれはまだ疑問に思っているか。お前のことだから、多分まだ答えを探しているだろうな。その答えに辿り着くには、お前にはもう少し時間がかかるだろう。
それと、お前は少ししてから人間は複雑で面倒だと言ったけど、そんな言葉で一括りにできるほど簡単なものじゃないんだぜ。大体は合っているけど。だから、お前かなりいい線いってると思う。
あぁ。あのままお前と一緒にいられたら。仕事で未知の人間に触れて不思議そうにするお前にアドバイスしたり、茶化したり、笑ってあげたりしたかった。そして、欲を言ってしまえば、お前の笑う顔が見たかったな。だけど、こうでもしなかったらお前は消えてしまうんだ。少しだけ寂しいけど、仕方がない。
もうお前の顔は見えないし、お前の声は届かなくなってしまったけど、最期に見えたあの白い影にオレを託させてくれ。随分と勝手だけど、そのぐらいは許してくれよな。
ほら。こんな暗い場所にも小さな光はあるんだ。どことなく、お前の白い影と似ているけど。この心細くてか弱い光を、オレはそっと抱きしめてみる。せめて、この小さな光がオレをお前の影まで届けてくれるように、祈りながら。
どうか、お前とお前の新しい心に、晴れやかな道が続いていますように。




