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5.最後のお仕事は笑顔が大事 【承】

 耳を澄ませると、何かの音が聞こえる。聞き慣れたような、聞き慣れないような音だ。聞き続けていると、それは継続的に聞こえるものだと分かった。まるで生前に散々聞いていた心臓の音のようだ。その音と被るように別の音も混ざり始める。


「……良か……った……元気に……生まれ……」

「し……りしろ……しぬ…………い!」

「みゃく………きのう……ていし……!」


 ノイズのように流れていく音が、そこでぶつりと途切れ、しばらくは静寂になる。その間も途切れることなく正体が分からない音は鳴り続けていたが、もう気にするほどでもなくなっていた。


「お……! ……に、やって……!」

「こいつ、なぐりやがった!」

「かーちゃんがいねぇくせに!」

「こっち見んなよ!」


 今度は子供たちの声が聞こえる。そして、鈍い音も聞こえた。その間にも音は鳴りやまなかったが、今までよりも少しだけ早い。声はだんだんと小さくなり、鈍い音だけが響く。やがて、その鈍い音も徐々に小さくなっていき、ぷつりと途絶えた。

 途絶えてからというものの、すぐに小さな声が聞こえてくる。どうやら、この声も徐々に大きくなって聞こえてくるようだ。しかし、今度は一人だけの声だ。


「誰もお前なんて望んじゃいなかったんだ……!」


 そんな声が、辺りに広がる。さらに、ずっと聞こえていた音も早くなり、鈍い音の以外に、今までとは異なる音が加わった。何かが床に落ちる音だ。それが鈍い音の後にぱたり、ぱたりと音を立てる。一体これは何の音だろう。


「お前なんて一生そこに居ろ!」


 その直後に子どもの声がして、何かが開く音がする。そして、何かが閉まる音がして、鈍い音が響く。この音は、何かを叩いている音だろうか。叩く音と同時に子どものすすり泣く声もする。音の正体を探っている内に、子どもの泣き声や叩く音と怒鳴り声は徐々に小さくなっていった。

「……お母さん」

 次に聞こえた声は、随分と弱々しい声だった。



「お前は勉強するよりも働け」

「母親の命を食い扶持にしてきたんだ。自分のことは自分で面倒を見ろ」

「その顔を向けるんじゃない!」

「寄生虫め……!」


 弱々しいが、感情のこもった声だ。もう叩く音や鈍い音はしないが、これまでに変わらず聞こえる音も細々としている。



「死んでくれればなぁ」



 誰かが溜息と共に洩らした声で、今まで聞こえていた音が一際大きな音を一度だけ立てた。




 それから、音は嘘のようにぱたりと鳴り止んだ。突然として訪れた静寂に、おれは堪らず勢いよく目を開ける。

 目を開けた先には、男性と数人の子どもたちと、女性がいた。目の前にいる人たちは口々に何かを言っている素振りをしていたが、おれの耳には何も音は聞こえてこない。さっきまでずっと聞こえていた音も聞こえなくなり、少し不安になったことからつい声を荒げてしまった。


「何だよ、なに言ってんだよ!?」


 おれがそう言ったところで、相手も聞こえないようで口を動かし続ける。おれは仕方がないから相手の目や口を見ていた。

 男性は怒りを、子どもたちは悲しみを、女性は何も言わず優しさを湛えた笑みを浮かべている。一体どうしてそんな顔をしているのだろう。何を伝えようとしているのだろう。おれが何をしたというのだろう。


「……分かんねぇよ。何も、分かんねぇ」


 男性が怒っていることや子どもが泣きそうな顔をしている理由も、女性が愛おしそうに見つめている理由も、その効果も分からずにただ見つめる。男性がおれの方を指し、子どもは自分の腕を押さえながら怯えた顔でおれを見る。女性が、両手を胸の前にあててみせた。

 女性の動きを見てから、おれは何気なく目線を下に向ける。そこには、おれの身体があった。何の変哲もない両手があれば、両足で立っている。これは、どういうことだろう。

 だって、おれはもう死んでいて、体さえ失った筈だ。それなのに、ちゃんと動く手が、足がある。胸の奥にある心臓も、しっかりと鼓動を刻んで動いている。

 これは、どういうことだろうか。混乱する頭で、目線を上に上げる。目線を挙げた先にいたのは、先程までいたはずの男性も子どもも女性の姿もなく、眩しい程の輝きを放つ光だった。

 眩しさに目を凝らしながら光を見つめると、光はやがて人の形になる。その姿におれはどこか懐かしさを感じた。


「……かあさん……?」


 あの光は、きっと母だ。顔も判別できないような光でしかないのにそうだと分かるのもおかしな話だが、何となく母だと分かる。記憶の中でいつもおぼろげでしかなかった母は、おれに話しかけるのでもなく、何かをするわけでもなくただそこにいる。


 どうして、や、なぜという言葉は出てこなかった。その代わりに、じわりと温かさが胸に沁みてくる。呼びかけようと必死で口を開くが、もう声は出ない。おれが必死で呼びかけるが、絞り出した声は宙に浮いて消えるだけだった。このもどかしさは、何にも例えられようがない。その苦しさに思わず胸を押さえて声を張り上げる。


「……か、あ……さ……ん……!!」


 母はそんなおれを見て、少しだけ笑ったように見えた。その笑みに何だか救われたような気がして、思わず手を伸ばす。すると、母はおれの伸ばした手をじっと見て、ゆっくりと首を振った。呆然とその様子を見つめて、母の言葉を待つ。声でも視線でも何でもいい。母に触れていたい。そう思った瞬間だった。



『いってらっしゃい、コウ』



 耳鳴りのように柔らかな声が頭の中で木霊する。これが、母の声であり、意思なのか。おれは、母からここへ来るなと言われたようだ。


 ひどいよ、母さん。おれは、物心ついたときからずっと母さんに会いたかったのに。父さんからおれが母を殺したと言われていたから、謝りたかったのに。

 謝罪も贖罪も何も出来ないでいるのに、母さんはこんなおれを許すのか。母さんを殺したおれを。そんな母さんの言いつけなんて、破れるわけないだろ。なぁ、母さん。



「……いって、きます」



 声なんて出るわけがないと思いつつも呟くと、おれの声は波紋が広がるように響き渡る。そのとき、また母が笑ったような気がした。







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