2.最初のお仕事 【起】
本当に日をおいての更新になってしまいました。暇つぶし程度にどうぞ。
下手な作り笑いも限界に近付いてきたころに、ようやく三次会から解放された。身体が疲れ切っていて、心なしか意識もぼんやりとしているようだ。視界に幕が張られたように見え辛く、何度も目を手で擦る。
僕の家は最終駅から二つ前の場所にあるため、あまり深夜の時間帯になると人は少なくなってくる。そのせいか、駅のプラットホームに出てから数メートル先の半袖の少年が気になった。
どうしてこんな真夜中に、しかも冬なのに半袖でこんなところにいるのだろう。少年は一見すると中学生ぐらいで、ぼんやりとした黒い瞳が印象的だ。少年の瞳はちらちらと何度見てもやはり虚ろな瞳をしている。
もしかして、諸々の事情で家に帰れない、またはホームレスじゃないだろうか。あるいはシンナーや覚醒剤などをしている危ない子かもしれない。それでも、この少年はどことなくあいつを連想させた。
大学時代に知り合ってからは行動を共にすることが多く、お互いに親友だと言っても過言ではないほどにまで仲良くなったあいつ。三年になってからは擦れ違いが重なり、ついには食堂で大喧嘩をしてしまってからは一度も会っていない、あいつ。
「き、きみ」
気が付いたら、僕はその少年に声をかけてしまっていた。本当に何も考えていなかったから、次の言葉に悩んだ。
「大丈夫?」
我ながら阿呆な言葉だと思う。こんな冬に半袖で、しかも冷え込む深夜の駅で当てもなく立っているこの少年はどう見ても大丈夫だとは言い難いものがあるだろう。
慌てて先ほどの言葉を言い繕う。
「こんな真冬の下で……そんな薄着で」
すると、少年は怪訝な顔をするよりも少しだけ驚いたように、目を大きく見開いた。それほど驚かれるような質問をしただろうか。とりあえず、僕は自分が着ていたコートを脱いで少年の肩にかけた。
「ほら、寒いだろ」
「え、と……ありがとう、ございます」
少年は怪訝な顔をして心の底から疑いの目を僕に向けた。たしかにいきなり他人からこんな親切をされると、僕自身も同じように怪訝な顔をしただろう。だが、少なくとも僕は真冬に半袖で歩き回ったりなどしない。だから、この行動は善意ある行動だと捉えてほしい。
「あー……その、今って何時、ですか?」
少年のまだ声変わりしていない声が、僕の耳に届いた。この少年は、見た目こそ随分と大人びて見えるが、案外まだ子供なようだ。敬語がたどたどしくて初々しい。
「十時半だね」
「心配かけちゃったみたいで……その、すみません……」
「あー、いやいや。僕が勝手にしちゃっただけだから」
「はぁ……」
少年はおよそ子供らしくない、何かに疲れたような笑い声を喉の奥から洩らした。こんな子供でも愛想笑いは出せるのか、と僕は感心する。
そうして、当時の僕と比較してみて思わず小さく笑ってしまった。きっとこの少年は、僕よりも中身の濃い人生を歩んできたのだろうな。でなければ、もう少し子供らしい表情があるはずだ。こんな風に乾いた笑いを出す、ということは既に何かいろいろと経験をしてきたのだろう。
少年とあいつが重なって見えるから、僕は余計に少年が心配になった。
「さて。僕は帰るけど、君はどうする?」
ずり落ちそうな黒縁眼鏡を指で押さえて元に戻す。その仕草をじっと見つめていた少年は、小さく唸り声を上げた。
「おれ、は……どうしよう……」
真剣に悩んでいるのか、少年は考え込む素振りを見せる。どうやら普通に家に帰ったのでは都合が悪いようだ。僕もこのままこの少年と別れるのは何だか妙に気が引けたから、とある提案を持ちかけるための確認をとってみる。
「家出?」
「えっと……そんなもんです。お金もないし……」
少年のそうやって考えている顔も、あいつと似ているものだから困った。結局、僕はあいつと雰囲気が似ているということでこの見知らぬ少年を自宅に招いてみることにしよう。
「あの、君が良ければなんだけど、僕の家に来る?」
「え」
「変な意味じゃないよ。ただ、未成年者がこんなところをウロウロしてたら危ないしね」
「……いえ、その、悪いです」
「まぁ無理にとは言わないけど……その格好だと、どこにいても寒いだろ」
「……あー、……はい」
「それじゃあ来なよ。明日は休みだしな」
「今日って」
「土曜日だよ。飲み会の帰りだから、僕ちょっとお酒臭いけど我慢してね」
「いえ、そんな」
「それじゃ、ぼちぼち行きますかー」
一見すると、僕の誘い方の方が犯罪臭がしそうだけど、僕はこの少年と話ができることが嬉しかったからあまり気にならなかった。
少しだけ歩くと大きな交差点に行き当たり、横断歩道の先には左右に分かれる曲がり角だ。今ではすっかりなじみの風景となってしまったが、入社した頃はこの道さえも目新しいものに見えていたな。
感慨に耽っていると、隣で遠慮がちに聞いてくる声がした。
「その……名前を聞いてもいいかな」
「え」
「あぁ、ごめん。僕から言うね。僕は井出 正広。君は?」
「……信楽 浩」
「そっか。よろしく、浩君」
どうにかぎこちなさを紛らわせるために笑いかけると、浩君は苦虫を噛み潰したような顔になり、小首を傾げた。僕が笑いかけてくる真理を計りかねてるようだ。そして、どうやら警戒心を抱いているのか、僕から少し距離を置いて隣を歩いている。
どうすればいいのか分からず、僕たちはほとんど会話をすることもなく歩く。本当は僕が大人の余裕とやらを見せなければならないのだろうが、生憎と僕はそれほどの根性は持ち合わせていない。そんな根性などいらないと思っていたことが、今となっては悔やまれる。
小さなころから中途半端だった。理想的に生きようとして、現実にはならないから勝手に拗ねて、一人でも生きていけると思っていた。そんなところに現れたのがあいつで、あいつと関わってしまったことによって、僕はより孤独が怖ろしくなったんだ。
離れていると怖いから、僕はあいつに寄生していた。それでも、一度大きな分岐点にさしかかってからは、僕も自分に自身という名の妄想を身に纏ってしまったがためにここまで落ちてしまった。もう、後には引き返せない。
そのことに気が付いたのが、つい最近だ。
ふと視界に入ったコンクリートに気が付いて、僕は顔を上げる。そこには、いつの間にかここ何十年も見慣れた古びた社宅が僕を待っていた。
ここが、僕の身の丈にあった場所なんだ。そんな諦めにも近い思いが、不意に湧き起ってきた。皮肉なものだ。あれほど若いころには「僕は偉くなって日本を支える」などと言っていたのが、今では会社の歯車として社会に貢献しているのだから。
自嘲にも似た笑みが少しだけ零れ、隣にいる少年は僕の方を振り返った。




