4.福利厚生は整っている 【後】
目を開けると、そこには闇しかなかった。見渡す限りの真っ暗闇で、オレの身体がここにあるのかどうかさえも分からない。ただ、数歩だけ離れた背後に、か細い光りがあるのが振り返らずとも分かった。その光は儚くて、綺麗なもんだ。
ふと眼を向かい側に向けると、奇妙な橋があった。ごてごての装飾が施された、大きな橋だ。オレがその橋に向っておもむろに足を向けると、背後の光もついてくる。心細そうにオレの後をついてくる光は、今にも消えてしまいそうだ。オレは背後の光を気にしながら、歩み続けた。
足元の暗闇が、背後からついてくる光の明るさにぼんやりと照らされる。どうやら足元には大きな光の川が流れているようだ。ごうごうという音が聞こえる。じっと耳を澄ましていると、何だか聞き覚えのある声のように聞こえた。
さて、あれは何の声だっただろうか。人間の声だっただろうか、それとも虫の声だっただろうか。今となっては何も分からない。ただ、その声はどこか懐かしくて、聞いているだけで安心した。
しばらくすると、りんと鈴の音のようなものがこの空間の中に混じる。その音に誘われるように顔を上げると、目の前には大きな門が聳え立っていた。いったい、オレはいつの間にこれほど大きな門の傍にまで来ていたのだろう。
門が厳かに開き、中から幾つもの真っ白な手が伸びてきた。背後からついてきた光は、ふわりと舞い上がり、その真っ白な掌に包まれる。ここには日差しなんてものはないはずなのに、どこか温かそうだと思った。
――ありがとう。
光が一際大きく光り、意味のある音を放ったような気がする。
だが、オレにはその音がどういう意味を持つのかすら見当もつかない。
分からないのに、オレは「どういたしまして」と答えていた。何でだろうな。
扉は大仰な音を立てて閉まり、辺りには暗闇だけが取り残された。その瞬間に、オレは身体を何かに掴まれ、引っ張られ、引き裂かれるような感覚がした。身体があるのかどうかも分からないのに、何故だかそんな感じがする。痛い、ということは分からなかったが、辛いと思った。
どうにも堪えられそうにない。早く、終わってくれ。
そう思った矢先に、遠くから、優しく温かな声が聞こえた。
声が聞こえて、少しだけ辛さが和らいだような気がする。
あぁ。あれは、母さんの声だ。兄の声だ。妹の声だ。
そしてあれは、あのとき助けてくれた人間の声だ。
「あぁ、よかった」
名前も知らない人間だったけど、助けてくれた恩は忘れなかったよ。
なぁ、ちったぁオレもあんたに恩返しが出来たかな。
あんたみてぇに、なれたかなぁ。
そうだと、いいな。
もうオレの目には暗闇しか見えないけれど、満足だよ。
今日まで生かしてくれて、ありがとな。




