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4.福利厚生は整っている 【起】

明けちゃってますね、おめでとうございます。気付けば一年が過ぎていて驚くばかりです。このシリーズはあと二つほどお話を考えております。よろしければお付き合いお願いします。

 見知らぬ人間のオスに助けられて、早や一年。あの当時のオレは捻くれ者でさぁ。母猫は幼い時分に失踪し、兄妹たちも次々と名も知らぬ場所へ連れて行かれましてね。兄妹たちは生きているのか、はたまた殺されたのかだなんて、一介の猫であるオレには知る由もありゃしませんよ。

 ただ、兄妹たちの中から一匹だけ残されて生きていくことを強いられたオレは、すべてがどうでもよくなっていた。目の前で兄妹たちが生け捕りにされてみてくだせぇ。そりゃあ目を覆いたくなるような有様で。

 それから気の赴くままにケンカを吹っ掛けていると、町内会のボスの地位に君臨していた。そりゃあ、最初のうちは心地よかった。だけどな。

 だけど、あの日あの時あの場所で助けてくれた人間の温もりが忘れられず、オレはボスという地位を蹴って、今こうしてその人間を探しているってワケで。

 恩返しがしたい。そう言うと、周りの猫たちからは怪訝な目で見られやしたよ。猫とは、本来は恩返しをする前に「恩」を忘れるもので。

「オレぁ、忘れたくねぇんです」

「そうか」

「旦那にも、忘れたくねぇ記憶だってござんしょ?」

「さぁな」

「……旦那ってばぁ、不思議なお方だ」

 都内から離れた薄暗い公園のベンチで、オレは隣に腰掛けている人間のオスのガキを見上げる。このガキは一般的に「死神」と呼ばれる存在のようで、先程からじっと遠くの砂場で遊ぶ子供たちの背中を虚ろな瞳で見つめ続けていた。

「ところで……旦那は、どいつの死神様なんです?」

 このガキに会ってから二度目の質問を投げかけてみる。だが、答えは最初と変わらない。

「答えられない」

「まーたそれですかぃ。ちったぁ別の答え方もしてくれねぇと」

「……すまない」

「地面から生えてきたお人の言葉がそれですかぃ」

「……」

「うんにゃ、そりゃ失礼ってもんでした」

「……別に」

 そう言うと、自称「死神」様は少しだけ眉間に皺をよせて、遠い目をする。まるで何を考えているのか、人間のことを熟知しているオレにも分からない顔だった。

 このガキとの出会いのきっかけは、ふとこの公園に立ち寄ってベンチに座ったときのことだ。不意に足元の土が不自然に盛り上がって人の形になったかと思うと、このガキが文字通り目を覚ました。

 人間が生まれるところなんざ見たことはねぇが、多分このガキは常識から外れた存在なんだと思う。人間でも動物でもねぇ。まるで不思議なガキだ。自然と口調が畏まっちまうのも無理ねぇよな、と自分の中で言い訳をする。

「それじゃ、そのマフラーや髪留めは何ですかぃ?」

「……宝物だ」

「へぇ。それじゃあ、あっしが悪戯すればこっぴどく叱られますかねぇ?」

「……お望みとあらば」

「おぉ、怖い怖い」

 目を丸くしてわざと怖がるかのように身を震わせると、ガキは悲しそうに眉根を下げて懐かしいように口の端を吊り上げた。

 恐らくだが、今までに何度か言われたことがあるのだろう。そりゃあ、こんな不思議な現れ方をすれば、他の人間は気味悪がるだろう。人間は自分の見たことのないものに関して、恐怖あるいは関心を抱く。このガキだって、一般とはかけ離れた位置から見ていたのだろう。他の人間も、このガキを同じ種とは認めていなかったのかもしれない。

 おっと、オレとしたことがいけねぇ。つい湿っぽくなっちまった。

「さて。オレの話は終いでさぁ。今度は旦那が話す番だ」

「お前が勝手に話しただけだろう」

「旦那ぁ。往生際が悪いですぜ?」

「……お前もつくづく変わった猫だな」

「誉め言葉として受け取っておきまさぁ」

 うんざりといった表情を浮かべるガキにそう返すと、ガキはオレに一瞥をし、一度だけ深い溜息を吐いて重い口を開く。

「……暇なら、聞いていって欲しい」

「さてはて。猫とは気まぐれなもんで。さっさと語ってくれなきゃ毛づくろいでも始めますぜ」

 これもわざとらしく欠伸をしてみせると、ガキは柔らかな微笑みを返してきた。およそ子供らしくない笑い方だ。

「もしかすると、お前にも関係するかもしれない。初仕事は、一人の人間の男が相手だった」

「仕事ってぇのは、……「死神」として、ですかぃ?」

「そういうことになるな」

 ふいとガキの視線がオレから逸らされ、再び遠くの砂場で遊んでいる子供へと向き直った。だが、その眼はどこか遠くのものを見つめ、あまりの眩しさに目を細めているようにも見える。

 公園にいる子どもたちの叫び声がふっと途切れ、木枯らしとオレの足元にある落ち葉が吹き飛ばされる音がその場に鳴り響いた。まるでオレとガキだけがこの空間に取り残されたような錯覚に陥る。この空間の中でもガキの声は、弱々しくもしっかりと耳に入ってきた。



「その男は、かつての親友と道を違えたことを後悔していた」

「そいつぁ、なして?」

「男と親友は真逆の人生を歩み、男は選択を間違えたと何度も言っていたな」

「…………」


 その声に、その雰囲気に、居住まいを正してガキの横顔を見つめる。



「きっかけは、些細な食い違いからだ。男は『しがないサラリーマン』の人生を送り、ある日の早朝に、道路で轢かれそうになった猫を助けるまで、生きていた」



 その言葉に、人間ではないが、はっとなった。



「実はこのマフラーはその男から貰ったもので、そのときもこのマフラーをしてたんだ」



 オレは黙ってそのマフラーとガキの眉根を下げた表情とを見比べてみる。



「最期は、その猫を助けて、笑ってた。もうすぐ死んじゃうのに」





 もしかして。





「そろそろ、その時期だ。その男が死んだのは」





 オレの恩人は。





「井出さんが笑った理由が少し分かった気がする。お前を守ったんだな」







 もう、この世にはいなかったのか。






 遠くから子供たちの叫び声や車が横断する音、夕暮れ時の喧しいカラスの声が耳に戻ってきた。

「おれや井出さんの存在は、人の間では単なる噂話程度にしかならない。だから、お前が覚えていてくれて、嬉しい」

「……そう、ですかぃ」

「他にも、死んだ兄に呼ばれた女の子や、伴侶と死に別れて自暴自棄になった男に、自らの身の上話や不幸をとうとうと周りに聞かせた女、好きだった女の子へ告白できずに足を掬われた男の子、獄中で壮絶な死を遂げた男と恋仲にあった同性、穏やかな死を迎えた老人も見送ってきた」

「…………」

 何だか中身の濃い人生経験をしてきたようだ。一つ一つを聞いてみたいが、もう出なければならない時間であることに気が付いた。公園にある時計に針が4を指している。

「旦那ぁ」

「……?」

「明日も、会えますかぃ?」

「……縁があれば、な」

「旦那のお話はどれも興味が惹かれるもんでさぁ。明日じっくりと聞かせてくだせぇ」

 人間がよくやるように頭を深々と垂れてみせると、頭上でふっと笑い声を洩らした声が聞こえた。ひょっとして、今のはこのガキの笑い声だったのだろうか。あまりにも小さな声だったから風の音かと思ってしまう。

 思わず顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべたガキの横顔がちらりと見える。

「旦那ぁ。いま、笑いやした?」

「風の音だ」

 間髪入れずに答えてくるガキに、オレも何だか笑いがこみあげてきて、鼻を鳴らした。

「……そういうことにしておきまさぁ」

「そういうことにしておいてくれ」

「旦那は食えねぇなぁ」

「食っても上手くないぞ」

「冗談ですって。本当に……不思議なお方だ」

 ひょいとベンチから飛び降り、くるりと振り返る。すると、もうガキの姿はどこにも見当たらなかった。そこには落ち葉が散乱としていて、まるで最初から何もなかったようだ。

 驚いて目を丸くしていると、枯葉がオレをあざ笑うかのようにくるくると足元で舞い上がる。そんな様子に苛立ってわざと落ち葉を蹴飛ばしてみると、枯葉は静かに地面へと舞い降りた。

「……ちくしょう」

 何だか胸にぽっかりと穴が開いたようだ。虚しい。

「……行くか」

 そんな気持ちを紛らわせようと、足を公園の外へと向ける。そろそろ、あの嬢ちゃんに会いに行く時間だ。嬢ちゃんに会えば、きっと今の気持ちなんて吹き飛ぶかもしれないが、何となく会うような気分でもない。

 嬢ちゃんも最近は気が滅入っているようで、あまり笑顔を見せてくれなくなった。嬢ちゃんの家庭環境を思えばそうなってしまうのも頷ける話だが、話を聞いているオレとしちゃ、少し辛いものがある。だからこそ、励ましという意味でも行かなければならない。

 どことなく重い足取りで今日は公園を出た。






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