王子殿下とお茶を … 3
そんなわけで、ローレリアン王子とアレン・デュカレット卿は、その日のお昼すぎ、王都の繁華街を優雅に散歩していた。
彼らが歩いているフィールミンティア街の周辺は、商業地区の中でもひときわ賑わっている区画である。道の両側には石造りの立派な建物が並び、その建物の一階や地下は、ほとんどが商店になっている。
「この界隈は、まだ新しい街でね。
ほら、見てみたまえよ。
たとえば、あの建物の間口の広さだ。
あの広さが実現できるようになったのは、じつは、ここ10年ほどのことなのさ。
その秘密は、鉄の精錬技術の進歩にあるんだ。強さだけでなく、しなやかさまで合わせ持った鉄鋼を作る技術が開発されたおかげで、建物の天井には長い梁を入れられるようになった。だから、あれだけの間口を持った建物を、強度をそこねずに作れるようになったのさ。
鉄は、これからの技術の発展の可能性を、大きく膨らませる素材だよ」
アレンを相手に建築技術と製鉄法の話をはじめたローレリアンは、瞳を輝かせて、ご機嫌だった。
そういえば、こいつは昔から、ものつくりの話が好きだったなと、アレンは思った。有名な建築学の権威の私塾に出入りしながら、大きな橋の設計図を引いたりして、喜んでいたっけと。
それなのに、いまじゃ王宮の中で報告書の山にうもれ、陰険な貴族たちとの陰謀合戦を主な仕事としているのだから、気の毒になってしまう。
あたりを見まわしたあと、アレンは商店の窓に映る、自分とローレリアンの姿を見つめた。
アレンは、格子にはめこまれた板ガラスに映る、自分たちの姿を確認するのが好きだ。そこには自分達だけでなく、自分たちの背後にいる怪しげな人物の姿も映りこむからである。
もっとも、ショウウインドウをのぞきこむアレンの姿は、あくまでもウインドウの中身を検分する、ちょっとだけ裕福な若者といった感じだ。街をお忍びで散歩するために、ローレリアンとアレンは、貴族ではない街の金持ちの男たちがよく着ている、濃い色合いのフロックコートを身につけていたのだ。
最近、王都の商業地区では、このフロックコートが、もっともスタンダードな服装となっている。
一昔前までは、商売や工場経営などに成功した成金の平民は、みなこぞって貴族の生活や服装をまねようとしたものだった。けれども最近になって裕福な平民の数が増えてきたら、彼らは彼らでひとつの社会階層をつくって、そのなかで人付き合いをするようになったのだ。
毎日を忙しく働いてすごす商業地区の住民にとって、装飾過剰な貴族の服装は、手入れが大変なだけで邪魔な存在なのだろう。勤勉な彼らの生活様式には、上等な生地で丁寧に仕立てたシンプルな服こそが、日常生活にもっともふさわしい服装として受け入れられたのである。
ローレリアンが目指すのは、そういった裕福な平民が多く集まる、フィールミンティア街にあるカフェの一軒だった。
カフェはもともと東国渡りの珍しいスパイスを入れたお茶を飲ませる店だったが、いまでは裕福な平民の社交場となっている。おたがいを自分の屋敷へ招待し合って、お茶会や晩さん会で交友を温める貴族の社交界から完全に締め出されている彼らは、彼ら自身にふさわしい交友の場を求めて、街のカフェに集まるようになったのだ。
酒が入らない昼間のカフェに社交の場を求めたのも、いかにも彼ららしい選択である。勤勉を美徳とする働き者の彼らは、一杯のお茶とともにカフェで友人や同業者たちから情報を仕入れ、最近庶民のあいだでまで読まれるようになった新聞を読み、また仕事へともどっていく。
現在、王都には、200を超えるカフェがあると言われている。そこでは、毎日、この国の経済を動かしている人々が、お茶を飲み、情報を交換しあっているのだ。
なかでもフィールミンティア街にあるカフェの『ふくろう亭』は、活気あふれる店だった。
ローザニアの神教によると、ふくろうは知恵の女神サガスのお使いとされている。大きく見開いた両の目で、すべてを見透かす知恵を持つと。
その名を店名に掲げた『ふくろう亭』の主人は、哲学者としても有名な学者だった。その店主の人柄が表れたせいで、『ふくろう亭』は王都のカフェのなかでも、もっとも置いてある新聞や本の数が多くて、内容も吟味されたものばかりだという評判なのだ。自然と集まってくる客も、新進気鋭の学者、新聞の記事を書いている論客の名士、作家や出版会社の社員といった、情報を発信する側の人間が多いのである。
ローレリアンはためらうことなく、この店の中へ入っていった。
店のつくりは開放的で、おもての通りに面した部分には、ガラス窓がたくさん並んでいる。この店も、最新式の建築技術の恩恵を受けている建物なのだ。
外の気候がさわやかな今の時期は掃きだし窓がすべて解放されていて、店の内部には表の通りの賑わいが、そのまま入りこんできていた。
「やあ、リアン。しばらく顔を見なかったが、元気かい?」
奥のテーブルで談笑していたグループが、ローレリアンの姿を見つけて声をかけてきた。
アレンは緊張を顔に出さないように気をつけながら、その連中を観察した。
全員が同じような、地味な色合いのフロックコートを着ている。年のころは20代から、せいぜい30代の前半くらいまで。外見は、害のないインテリといったところか。
挨拶として片手をあげたローレリアンは、その連中へ近づいていった。
「ひさしぶりだね。ここしばらく、わたしは父の仕事の旅行につきあっていたもので、王都にはいなかったのさ。
こっちの連れは、クローネくんだ。取引先の御子息で、いま我が家に滞在中なんだ」
「やあ、どうぞよろしく」
同じテーブルについていた青年たちが、つぎつぎにアレンへ握手の手をさしだしてきた。
握手をする瞬間、なんとなく値踏みの目で見られているような感じがするのは、アレンの気のせいではない。
青年たちは、いかにも他人のお下がりをもらって着ているようなアレンの身に合わない上着を見て、心の中で「田舎者だな」という判定を下している。
アレンは、内心でほくそ笑んだ。
彼はもともと田舎出身だから、田舎者であるという演技は得意だ。というよりは、演技をする必要が、まったくないのだが。
やぼったくて大きすぎる上着も、腋の下のホルダーに短銃をかくし持つためには、かえって都合がいい。
だからアレンは、ローレリアンのお忍びの行動を護衛するときには、田舎商人の息子を演じることが一番多い。
ゆったりとした動作で知り合いのとなりにすわるローレリアンも、やや鈍そうな雰囲気を、そこかしこからにじませていた。
目立ちすぎる秀麗な容姿の印象を薄めるためにかけている眼鏡が微妙な位置へとずり落ちて、頭はいいが切れ者とは言い難い金持ちの息子という役柄が、ぴたりとはまりこんでいる。
仲間たちとローレリアンは、のんびりと会話する。
「へえ、リアンのお父上は、流通関係の会社を経営なさっておいでになるのだったな」
「そうだよ。いい加減に会社の後を継ぐ覚悟を決めろと、父からは旅行のあいだじゅう、説教されてしまった」
「それは災難だったね」
「のんびり者のわたしには、会社の経営など向いていないと思うんだ。ところが父ときたら、せっかくここまで自分が大きくした会社を、息子のおまえは見捨てるのかと、大憤慨だ」
「とりあえず、後を継ぐようなふりをしておけばいいじゃないか。きみの代になったら、実際の経営は、社内の優秀な人間に任せてしまえばいい」
「腐った根性をたたき直してやるという父親から尻をたたかれているわたしに、ついてくる人間など、いるだろうかね?」
「きみに必要なのは経営の知識より、社員にだまされて会社を乗っ取られないようにする、法律の知識かもしれないな」
彼らの会話を聞いて、アレンは思わず漏れそうになる苦笑を、こらえなければならなかった。
ローレリアンは、たいした役者だ。
一代で財を成した裕福な父親は、息子の教育には失敗したらしいと、誰もが信じてしまう見事な演技である。
このカフェには、二種類のお客が集まるのだ。
表側の明るい場所に位置するテーブルにすわっているのは、本物のインテリ。
奥側の薄暗くて読書や勉強にあまりむいていない席にすわっているのは、有名人が集まる『ふくろう亭』の常連を気取りたいだけの、似非インテリである。
しばらくローレリアンと友人たちは、王都の最近の流行についての話題で盛り上がった。
王子のもとへ上がってくる報告書には、街の様子の報告もあったから、この話題にローレリアンがついていくのは、苦もないことだった。
にぎやかに、ビヨレ公園の乗馬コースに出没する美女の話だの、つい最近市場に出まわりはじめたイストニア産の工業製品の話などがつづく。昔は海の向こうの遠い国だったイストニアは、今ではローザニアの重要な商売相手なのである。
「まさか、あの広大な内海を三日で渡れる日がこようとは、むかしの人々は、夢にも思わなかっただろうなあ」
「蒸気機関と自動織機の普及のおかげで、大きくて丈夫な帆布を、難なく織れるようになったからね。
内海を渡る船は、いまじゃスピード合戦に夢中だ。ローザニアから今年最初の新茶をイストニアに一番に運び入れると、ご祝儀相場でもって、20倍の値がつくそうだから」
「それだけじゃない。その一番茶を運んだ快速艇を所有している船舶会社には、他の仕事も殺到するそうだ」
「なるほどねえ、宣伝効果か」
「ラカンの港にずらりと並ぶ、貿易船の船列は、それは見事なものさ」
「へえ、リアンは今回の旅行で、ラカンへ行ったのかい?」
「ああ。父の商売の話は、船とはまったく関係がないものだったけれどね」
「なんの商売をしにいったんだ?」
「石炭の販路拡大だよ。ラカンでは最近、製鉄業が盛んなんだ。いろいろな加工製品のもとになる棒鉄を最新型の高炉で作りまくっている。その高炉に火を入れるためには、良質の石炭がたくさん必要なんだ。
それにラカン公爵は、近年小型化が著しい蒸気機関を、鉄の荷車に乗せて工場内で使っている」
「なんだ、それは? よく意味がわからない」
「馬が必要ない馬車といえばいいかな?
蒸気機関を動力にして、自走する荷車だよ。荷車自体が重たいから鉄のレールの上しか走れないんだが、ものすごい馬力を持っているから、重い棒鉄の運搬なんかに威力を発揮している」
「へえ、そりゃあすごいなあ」
「将来は、内海を渡る船にも、蒸気機関が積まれるんじゃないかな? ラカン公爵は、鋼鉄製の船を作ろうとしているらしいし」
「すごいなあ。ラカン公爵は、貴族にしては珍しい、先見性に富んだ企業家だね」
「公爵のように柔軟な思考を持った人物が、中央政界に打って出てくれればいいのに」
「思考停滞を起こした枢密院の議員連中には、問題山積みの今のローザニアを、どうこうする力はないからなあ」
「結局は御老体に鞭うった宰相カルミゲン公爵が、その場しのぎの政策をひねり出して、苦境をなんとかしのいで、おしまいなんだ」
「我が国の将来は、これからどういう方向へ進むっていうのかね」
「低収入にあえいでいる末端の庶民は、ひどい暮らしぶりだし」
「農民は地主の貴族に搾取され、工場労働者は企業家に搾取される」
「なにをえらそうに。
その搾取した金で遊び暮らしているのが、君じゃないか」
「いや、これはやられた!」
優雅な似非インテリ仲間が、どっと笑い声をあげる。
アレンは冷や冷やしながら、ローレリアンと友人たちの会話を聞いていた。
これは立派な政府批判だ。
宰相派の息がかかった憲兵などに聞かれたら、その場で逮捕されかねない会話である。
その会話の内容を聞きとがめたのか、笑い声がうるさかったのか。店の表側のテーブルで静かに話していたグループの中から、一人の男が抜けだして、こちらへやってきた。
アレンの背筋に、ぴんと何かが走る。
相手の男は、一見物静かな雰囲気だった。
古めのデザインの黒いフロックコートを着ており、痩せた体と、やや病的なうるんだ瞳の持ち主だ。年齢は30歳くらい。髪の色と瞳の色はローザニアで最も平凡な茶色で、大勢の人の中に紛れ込んだら、その中に溶け込んでしまって見つけられなくなるだろうといった外見である。
けれど、この男は危険だ。
国一番の剣士の警戒心が、びりびりとアレンの体中に、警戒せよと警告を発している。