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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第二章
8/78

王子殿下とお茶を … 2

「おはようございます」


「おはよう」


 銀の盆を手にもって王子殿下の居室へ通じる廊下へ入るとき、ラッティはいつもその場で、殿下をお守りする近衛隊士に挨拶をする。廊下で宵晩に立つ隊士はかなりの下っ端だが、おのれの分をわきまえているラッティは、丁寧な態度を崩さない。


 ローレリアン王子の居室は、王族が住まわれる区画の端のほうにある。


 奥の宮の東翼と呼ばれるその一角は、本来ならば前々国王の嫁に行きそこねた娘という肩書をもつ老婆とか、病気がちで頭の弱い甥といったような、王宮外に宮をもてない王族が、ひっそりと暮らす場所である。


 ローレリアン王子が王都へもどった当初、宮廷の官吏たちは王子のことを、宮廷外で育った庶出子としてあなどっていた。まさか、わずか3年で父国王から輔弼の王子として頼りにされ、兄王太子よりも玉座に近い男として国中から畏怖のこもったまなざしで仰ぎ見られる人になるとは、夢にも思っていなかったのである。


 人々の王子を見る目が変わると、あわてたのは王子に東翼の部屋をあてがった侍従たちだった。


 しかし、侍従長から何度となく、もっと中央に近い便利で格式のある部屋へ移るようにと勧められたにもかかわらず、ローレリアン王子は「奥まっていて静かな今の部屋が好きだ」といって、まったく取りあおうともしなかった。


 現在、宮廷の奥向きを預かる人々は、さまざまな意味で怯えている。


 原因は、王子殿下だけではない。


 王妃に先立たれてから20年ものあいだ独身をつらぬいてきた国王は、ローレリアン王子の母親である寵妃のエレーナ姫が手元にもどると、まるで長年連れそった夫婦のような態度で彼女を迎え入れた。もちろん、閨房の営みもあるという。


 王子殿下と母君の御寵妃を軽くあつかったむくいが、いつか我が身にかえってくるのではないかと、怯える官吏の数は年々増える一方なのである。


 廊下の入り口で近衛隊士に挨拶をすませたラッティは、どんどん奥へと進んでいく。


 さきほどとは打って変わって、この一帯には、すでに活動をはじめた人の気配が満ちていた。


 執務室や接見室の窓は、王子の秘書官によって、すでにあけられている。あたりには六月のさわやかな風が、そよそよと吹いていた。


 王子殿下の秘書官には、順番でまわってくる当直当番をこなす義務がある。王子殿下が夜遅くにされたお仕事の結果として、朝一番で各所へ配られる文書などは、夜の間に整えられるのだ。そのほかにも、夜間の急使に備える意味もある。


 昔は、よほどのことがない限り、王宮への夜の使者は国王や大臣が目覚める時間まで待たされるのが慣例だった。


 その慣例がまた、王子殿下のお気に召さなかったのだ。


 時代は変わり、人々は夜も起きて活動している。そういう時代の夜の急使には、夜を徹して走ってきただけの、重大な意味があるのだと。


 先を急ぐラッティは、その夜の仕事を任されている秘書官とも廊下ですれちがった。


「おはようございます」


「おはよう、ラッティ」


 相手は眠そうだった。きっと、夜通し、書類つくりにいそしんでいたのだろう。


 奥の宮の東翼は、窓の下がレヴァ川をながめおろす急斜面という、正真正銘の奥まった一角である。そのため、このあたりのお部屋に住まわれている王族は、庭園の散歩を楽しもうと思うと、広大な王宮の建物の中を、かなり歩いて移動しなければならなかった。


 奥の宮で、ひっそりと暮らす王族には、老人や体が不自由な方も多い。そうした方々の無聊をお慰めするために、奥の宮の廊下の内側には小さな中庭がしつらえてあった。


 もともとその中庭には花壇やささやかな噴水などがあったのだが、ローレリアン王子が東翼の主となってから、それらはすべて撤去され、地面はプレブナンの街の一般的な石畳と同じ素材の敷石で舗装されてしまった。


 いま、その中庭では、王子殿下の護衛任務につく近衛連隊に所属する小隊の早朝訓練が行われている。


 一定の距離をとって並んだ近衛隊士が、士官の号令に合わせて剣術の型の練習をしている姿は、じつに見事だ。


 突きや払いなどの決め技がくりだされるたびに、「えい!」「やあ!」といった気合いの声が聞こえてくるのも勇ましい。


 ラッティは、その光景を横目でながめながら、さらに先を急いだ。


 夜明けとともに、ローレリアン王子の住まわれる東翼は、活動を開始する。あと少ししたら大勢の事務官が出勤してきて、この廊下には忙しそうな人が、とぎれることなく行き交うようになるのだ。


 この活気に満ちあふれた職場が、ラッティは大好きだった。


 貴族の生活につきものの、頽廃しきった気怠い雰囲気など、ここには微塵もない。


 あるのはただ、国家のために働こうと決意した男たちの気概が醸す、厳しい空気だけである。


 東翼の主、ローレリアン王子の口癖は『王族は、国家のしもべとして国のために働くべく、運命づけられた人間であるにすぎない』だった。


 この言葉のせいで、王子のまわりには、王子を慕う人が集まる。


 聖王と呼ばれた初代ローザニア国王パルシバルは、みずからを『神々の御意志により選ばれし神聖なる統治者』と称した。国の頂点に立つ王を神格化し、人々の神々に対する恐れの気持ちまでも、国を支配するための力のひとつとして利用したのだ。


 ある意味、ローレリアン王子の考え方は、初代聖王の宣言を全否定している。


 自分は選ばれたわけではなく、たまたま王族に生まれただけの、ただの人間だと宣言しているのだから。


 王子に言わせると、『わたしが神官の法衣を脱がないのは、王族の一員として大きな力を手にしても、この身は万物の命をつかさどる大いなる神々の意志のもとに生かされている、一個の人間にすぎなことを忘れないため』なのだ。


 それらの言葉のすべては、王子の行動によって、誠の心であると証明される。


 勤勉な王子は夜明けとともに起きだして、一日の活動の前に静かに祈ってすごす時をもつ。その祈りには、ローザニア王国の民の末永い幸福への願いがこめられている。


 今も昔も、王族の暮らしぶりに対する庶民の関心は高い。


 噂は噂を呼び、近頃街の人々は、ローレリアン王子を、こうあだ名する。




  『ローザニアの聖王子』




 このあだ名には、敬意と揶揄が入り混じっている。


 王子殿下のお考えは立派だが、そこに若者特有の理想に溺れた甘さがあるのも事実だ。


 国というよりは巨大な経済活動圏と化したローザニアは、まるで勝手に動きまわる怪物。富める者と貧しい者の格差は、もはや崩せない断崖絶壁そのものだ。虐げられた者達のなかには、暴力をもってこの断崖絶壁を突き崩そうともくろむ、過激な行動に走る一派まで出てきている。


 人間の欲望という名の混沌のなかで混乱しきっている現在の王国を、はたしてこの王子は、どのように導くのか。


 口先だけでなく、本当に彼は、この国を変えられるのか。


 聖王子という異名には、そんな国民の期待と不安が、こめられているのだ。


「おはようございます!」


 やっと王子殿下の私室にたどり着いたラッティは、背筋をぴんとのばして、ドアをたたいた。


「入りなさい」


 ドアのむこうからは、王子の声。


 許可を得てドアを開けたラッティは、部屋の中へ入る。


 そこにおいでになるのは、王子殿下お一人である。


 王子と侍従たちの3年にわたる長い戦いは、ほぼ王子側の勝利で決着していた。いまでは「睡眠をとるという、もっとも人として無防備な行為の最中である王子殿下を、お一人にすることだけはできません」という侍従の主張のみが、生き残った過去の習慣だ。


 夜通し寝室で王子殿下を見守る宿直役は、その場に刺客が入りこんだとき、自分の命を盾にしてでも眠る殿下に警告を発する役目を帯びている。


 しかし、王子殿下の目が覚めれば、そのような役目の者も必要なくなる。今現在、宿直の侍従は、王子殿下がお目覚めになれば、うやうやしい一礼とともに寝室から退出することになっている。


 ラッティは部屋の奥にすすみ、王子殿下がいつも簡単な朝食をめしあがるために使っているテーブルに、銀の盆を置いた。


 すでにローレリアン王子は室内着へのお召し替えをすませられ、窓辺の椅子でくつろいでおいでだった。朝のお祈りもすんだ様子で、寝室の隅に置かれた小さな祭壇の扉は閉じられている。


 ベッドの寝具は見苦しくない程度にかたづけられ、その上には軽くたたんだ夜着が置かれていた。


 お目覚めになられた王子殿下は、そこまでの身支度を、お一人で済ませられるのだ。


 どれもこれも、いつもと同じ光景だ。


 それを見て、ラッティはほっとする。


 昨夜はベッドで寝てくださったのだなと。


 時々王子殿下は、徹夜仕事をなさるのだ。


 お休みになった形跡のないベッドを見ると、ラッテイは心配のあまり一日を憂鬱な気分ですごすはめになる。


 とりあえず安堵したので、てきぱきと元気よく、ラッティは動きまわる。


 まずは、鏡台に置かれた洗面道具を、寝室の奥にある衣装室へ運びこむ。


 ここには殿下の身支度のお手伝いをする侍従がつねに控えていて、王子が使った道具を洗ったり、剃刀の手入れをしたりといった、裏方の用をはたしてくれる。


 道具の受け渡しをしながら、ラッティは侍従と目で会話をする。


 ――今日の御召し物は?


 ――ちょっと、まっていてください。


 王子の寝室へもどったラッティは、熱いお茶をカップに注ぎながら、なにくわぬ顔でたずねた。


「リアンさま、本日のご予定は?」


 もちろん、王子の日程は、ほとんどの場合事前に決まっている。


 けれども、この王子は、普通の王子ではないのだ。日程はしばしば、王子の気まぐれで変更になった。


 読んでいた小冊子から顔をあげたローレリアン王子は、ふふっと笑った。


「そうだな。昼ごろ、ちょっと街へでかけようかと思うんだが」


「では、法衣ではなく、地味めの上着をご用意いたしますね」


「そうしてくれ」


「どうぞ、朝食をお召しあがりください」


 王子が席に着き無事に食事が始まったのをみとどけると、ラッティはまた動きまわる。


 衣装室の侍従に今日の御仕度の内容を伝え、近衛隊の待機所にも走っていく。


「おはようございます!」


 大きな声であいさつをしながら待機所へ入っていったら、そこにはアレン・デュカレット卿と数名の部下がいた。


 王国一の剣の使い手の称号である桂冠騎士の名を得ると、その騎士には名誉だけでなく、地位まで授けられることになっている。


 士官学校を卒業したばかりのアレンに与えられたのは、ローレリアン王子付き護衛小隊の隊長の地位だった。


 王族の護衛任務には、通常、三個小隊が交代でつくことになっている。


 一勤務は、二泊三日。一隊が王宮に泊まりこむときには、もう一隊が王宮の側にある近衛連隊の練兵場で訓練、最後の一隊が休暇となる。王宮へ詰めている72時間のあいだは、交代で仮眠を取りながらの激務になるので、このような勤務体制になっているのだ。


「王子殿下はお昼ごろ、街へおでかけになるそうです」とラッティが告げると、濃緑色の軍服の襟元を広げて朝の鍛錬で吹き出た汗をぬぐっていたアレン・デュカレット卿は、チクショウとばかりに、手にもっていた布を投げ捨てた。


「あんにゃろう! 気まぐれで予定を変えられる、こっちの苦労なんぞ、ちっともわかっちゃいやがらねえ!」


 まあまあと、部下たちが、アレンをなだめにかかる。


 ラッティは、昔の旅の仲間のなかで一番変わったのは、アレン兄ちゃんだよなあと思う。


 陽気な少年の面影はなりをひそめ、外見は背が高くてしなやかな筋肉をもつ、強そうで無愛想な武人になった。


 そのうえ武芸一辺倒ではなく、頭の中には三年におよぶ士官学校生活のあいだに蓄えられた豊富な知識が詰まっているし、性格は冷静で、決断力も抜群だ。しかも静かな表情の奥には、ゆるぎない正義感と、まだ若さに滾る熱い血ももっている。


 アレンが隊長に就任した当初、部下たちは年下の上司の存在に、かなり戸惑っていた。軍隊における階級は絶対だが、士官学校を卒業したばかりの青年に、上司面されるのも面白くなかったのである。


 しかし、アレンは不言実行を信条とする、実直な人間だった。


 小細工は一切なしで、部下には体当たりで接したのだ。


 アレンが隊長に就任してから、わずか3か月の期間で、彼の小隊は王子付きの小隊のなかで、もっとも剣術の腕が優れている小隊となった。もともと近衛隊士は優れた資質を持つ選ばれた人間ばかりだし、その彼らに国一番の剣士が、もてるすべての力を注いで指導にあたったのだから、当然と言えば当然である。


 厳しい鍛錬のなかで「おまえの持ち味は敏捷さだから、この手を覚えるといい」とか、「剣を返すときに肘を張る癖をぬけば、もっと素早くいい位置に剣を構えなおせる」などといった的確な助言をもらい、部下が己の成長を実感できるようになれば、自然と敬意も生まれる。


 しかも、「挑戦なら、いつでも受けてやるぞ」と宣言され、「今日は俺が」と意気込んで毎日アレンにいどみ続けた部下たちは、いまだに連敗記録を更新中なのだ。


 それにアレンが部下から尊敬を集める理由は、剣だけにあるわけではなかった。


「俺たちの使命は、命に代えても王子殿下をお守りすることだ。古臭い騎士道に固執する、くだらない矜持の持ち合わせなど、俺にはない。使える物は何でも使うから、おまえたちもそのつもりでいろ」


 そう宣言した桂冠騎士は、射撃の名手でもあったのだ。


 アレンは自分の小隊が練兵場での訓練勤務にあたっているときに、さまざまな態勢からの射撃の方法や、王子をお守りする際、小隊にどのような陣形を取らせるかなどを、熱心に研究した。


 その過程においては部下にも忌憚のない意見を言わせたもので、アレンの小隊の隊員たちの結束力もまた、王子付きの部隊のなかでは一番だと言われるようになった。


「おい、短銃を出せ。朝のうちに殿下の外出先での担当部署の組み分けをするから、他の連中も集めろ」


 無茶ばかり言う友人に対する怒りをおさめたアレンは、たちまち冷静な護衛隊長の顔にもどった。


 部下たちは命令にしたがい、機敏に動きだす。


 武器棚のカギが開けられ、テーブルの上に並べられるのは最新式の短銃だ。この短銃の点火システムは軍事機密に類するあつかいになっているので、普段から護衛隊士達が持ち歩くことはない。


「うひゃあ、怖い!」


 黒光りする危険な武器をまのあたりにしたラッティは、首を縮めて退散を決めこむことにした。


 王子をお守りしたい気持ちは自分にだってあるけれど、お小姓の武器はあくまでも、たくましい生活力と如才ない人あしらいの能力だよなと思う、ラッティなのだった。



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