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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第八章
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森の朝 … 4

 しばらく途方にくれて立っていたローレリアンは、モナに手をひかれて我にかえった。


「ねえ、リアン。とにかく、すわってお茶でもいかが? 今日は病後初めての、久しぶりの外出でしょう? 疲れていない?」


 優しい手が、ローレリアンを椅子にすわらせる。


「だいじょうぶ。ここはプレブナンから馬での散歩には、ちょうど良い距離だ。

 とてもいい狩猟小屋を、きみの家は持っていたんだね」


 そう答えたら、モナは嬉しそうに笑った。


「そうでしょう?

 わたしは子供のころ、この狩猟小屋が大好きだったの。よく泊まりがけで遊びに来ていたのよ。下の渓流では水遊びをしたし、野生のマイカの木に登って実を摘んだり、キノコを採りに行ったりしたわ。

 わたし、鳥撃ちの軽弓も上手なのよ。本当は大人の男の人たちにまじって猟銃を使った鹿狩りをしたかったけれど、さすがにそれは父から許してもらえなかったの。銃は簡単に人も殺せる危険な武器だからって」


「父君のご判断は正しいと思うよ。銃になど、ふれなくてもよい立場の人は、かかわらないほうがいい」


「そうね。銃が危険な武器だということだけは、今回、わたしも思い知ったわ」


 準備してあった茶器へ暖炉の熾火で温めてあった湯を注ぎながら、モナはなにかを考えている。


 おそらく、自分が銃撃されたときのことを思い出しているのだろう。


 そう思うと、ローレリアンは息苦しくなった。


 あの時の激痛の記憶には、モナの泣き顔がセットになって焼き付いている。


 記憶をたどろうとするだけで左肩の傷痕がうずき、胸の鼓動が速くなるのだ。


 モナは丁寧にポットを布で包み、砂時計を返して茶葉が広がる時間を測っている。


 視線を伏せた横顔が、とても綺麗だ。


 彼女の横顔には、彼女の思慮深さと、知性がにじみ出ているから。


 こんなに美しい人を、また泣かせることなど、できるわけがないではないか。


 ふと、彼女が顔をあげる。


 花のかんばせとは、このような顔を言うのだ。邪気のない、素直な心を映した顔だ。


 彼女は笑う。


「いやだ、リアン。わたしの顔に、なにかついてる?」


 笑われても、眼をそらすことができない。


 ますます鼓動は速まるばかりだ。


 彼女は、じっとローレリアンの瞳を見つめてきた。


 花弁のような、唇が動く。


「ねえ、リアンは、わたしのこと好き?」


 ローレリアンは表情をこわばらせた。


 どうして彼女は、「はい」か「いいえ」でしか答えられない問いかけをするのだ。


 答えられない。


 彼女に嘘はつきたくない。


 彼女がそばにやってくる。


 目の前に、ひざまずかれてしまった。


 彼女の手が、膝にのる。


 触れた場所から、しびれが走る。


 ローレリアンは動けなかった。


 モナのすみれ色の瞳は、じっとローレリアンを見ている。


「ごめんなさい。そんな、こまった顔をしないで。

 あなたを、こまらせるつもりで聞いたんじゃないの。

 ただ、わたしが伝えたかっただけなのよ。

 わたしは、あなたのことが好き。

 とても、好き。

 あなたがいなくなってしまったら、わたしも生きていられないと思うほど、あなたのことが好きだから」


「モナ……」


「ずっと、あなたのそばにいたいわ。

 苦しいことも、哀しいことも、いっしょに感じたい。

 もちろん、楽しいことも、嬉しいこともね」


「モナ」


「あなたの御妃様になりたいなんて言わない。

 ただ、そばにいることだけは、許してほしいの。

 ずっと友達でいろというなら、そうするから。

 だから、わたしを遠ざけようとしないで。おねがいよ」


「だめだ、モナ」


「どうして?」


「わたしが、きみのことを、ただの友人だと思っていられるとでも?」


「それは、どういう意味?」


「耐えられないんだ」


 ローレリアンは深くうなだれ、両手で目を覆った。これ以上、モナの美しい瞳を見ていられなかったのだ。


「わたしは臆病な男だから。

 きみを馬鹿げた権力闘争なんかに巻き込みたくない。

 きみを危険な目にあわせたくない。

 心配させるのすらいやだ。

 きみには、幸せになってもらいたい。

 いつもきみらしく、自由でいてもらいたい」


「ちょっと、まってよ!」


 モナは雄々しく立ちあがった。いつのまにやら、すわってうなだれているローレリアンを見下ろして、説教の態勢である。


「あなたってば、ちっともわかってないのね!

 わたしは勇気をふりしぼって、『わたしはあなたといっしょにいなくちゃ幸せになれません』って、大前提の宣言をしたのに。

 権力闘争に巻き込みたくありません、危険な目にもあわせたくありません、心配させるのすらいやですって?

 それって、結局、わたしに不幸になれって言っているのと、かわらないのよ!?」


 彼女のあまりの勢いに気おされて、ローレリアンは身を引いた。その上に、のしかかるようにして、モナは言い放つ。


「権力闘争が、どうしたですって? 喧嘩上等だわ! わたしが喧嘩に負けると思う? 喧嘩なんて、勝ってなんぼのものじゃないの!

 それに危険がどうのって、言った? ふんっ! 自分の身くらい、自分で守るしっ!

 あとは、心配させるから、どーとかって? あのねえ、あなたのことは、いまじゃ国中の人間が心配してるでしょう! いまさらそれに、わたしが加わったからって、つべこべ言わないでほしいわ!」


 大きな音を立てながら、モナは茶碗にお茶を注いだ。乱暴に扱うから、上等な陶磁器が壊れそうだ。


「ほらっ、お茶でも飲んで、頭を冷やしたらどう!?」


 差し出されたティーカップのなかのお茶には、たぷたぷと荒波が立っている。もちろん受け皿は、カップから飛び出したお茶で水びたしだ。こうなるとローレリアンも、むっとしてしまう。


「頭を冷やす必要があるのは、きみのほうじゃないか」


 受け取ったお茶を、ひとくち飲んで、さらに言う。


「モナ、苦いよ!」


 ふくれっ面のまま、モナはそっぽをむく。


「それはどうも、しつれいいたしました! 誰かさんが、わたしに論争をふっかけるものですから、砂時計の砂が落ちきったのを、見逃しましたのっ! 茶葉を蒸らしすぎましたわ! 新しいものにお取替えいたしましょうか、王子殿下!」


 なんと厭味ったらしい言い方だろうか。


 ローレリアンの感情も、怒りにのまれそうになった。


「これでけっこうだ!」


 ぬるくなった苦いお茶を飲み下し、深く息を吸う。


 ここで彼女のペースに巻き込まれてはいけない。とにかく、どうにかして落ち着かなければと。






     **     **






 部屋の入り口の扉に耳を押しつけていたアレンとラカン公爵は、眼を丸くして、たがいの顔を見あわせた。


「おい、どうする?」と、公爵が問う。


 アレンは頭を抱えてうなった。


「おかしい。どうして喧嘩になってるんだ……? モナ様は俺に、愛の告白をするからチャンスを作ってちょうだいと、かわいらしくおっしゃられたはずなのに」






     **     **






 数度の深呼吸をすませたローレリアンは、気を取り直して反論に転じようとした。


 言葉巧みに人を説得するのは、自分の得意技のひとつであったはずなのだ。聖王子の武器は、剣でも銃でもない。緻密な思考と鮮やかな弁舌だ。


「モナ。きみは、きみ自身の幸福について語るけれど、わたしの幸福については、どう考えているのだろう」


「あなたは、わたしといっしょにいると、嫌な気持ちになるの? わたしのこと、嫌いなの?」


「いや、そうではなくて! きみのことは、好きだが!」


「ほんと!?」


「あっ、くそっ!」


「もう聞いちゃった! 取り消しはできないわよ!」


「うううっ、どうしてきみが相手だと、まともに話が進まないんだ……!

 とにかく仕切りなおそう。

 順序立てて話すから、聞いてくれ。

 わたしは、きみが安全だと確信していないと、幸福にはなれない。

 ここまでは、いいね?」


「いいえ。納得できません」


「なんでだ」


「わたしが安全でないと、あなたは幸せになれないから、そばには来ないでほしい。対して、わたしは危険を冒してでも、あなたと一緒にいないと幸せになれない。

 これって、二律背反ってやつだわよね?

 これじゃあ、永遠にわたしたちは、双方満足できないままじゃないの。

 解決策は、ひとつしかないわよ」


「どうしろと?」


「あのね、わたしが剣術使いの、とんでもないお転婆姫に育っちゃったのは、きっと神々のお導きだと思うのよ。心配性のあなたを、安心させてあげるためなの。きっと、そういう定めだったのよ。だから、あなたが妥協して」


「そんなヘリクツがあるか! 危険というものは、備えていたって避けられないこともあるんだ!」


「ヘリクツ屋はあなたでしょ! 人間なんて、いつ死ぬか分からないのよ? わたしだって、明日には落馬でもして、打ち所が悪くて、死んじゃうかもしれないわ。今日が幸せだったら、それでいいじゃない!」


「それでも用心していれば、安全である確率は高くなるものだ」


「確率なんてクソくらえよ! 幸運ってものは、呼び込む努力をした人の所にだけ来るんだから! あなたみたいに最初からあきらめてたら駄目なの! わたしは絶対、あきらめたりしませんからね!」


「怒鳴るのはやめてくれ。きみに論理的な説明を試みるのは不可能だと、わたしに思わせたいのか?」


「ええ、感情的なお馬鹿さんと言っていただいて結構よ。だけど、わたしは負けないんだからっ! 『絶対に、あきらめない』 夢を実現するためには、結局、それが一番大事なのっ!」


 これではただの痴話喧嘩だ。ローレリアンは舌打ちして、立ちあがった。


「話にならない! わたしはこれで失礼する!」


「また逃げるの!?」


 行く手に立ちふさがろうとするモナを押しのけて、ローレリアンは出口へむかおうとした。


 だが、モナの肩に手をかけた瞬間、目の前で部屋の景色が大きくゆらいだ。


 自分の身に何が起こったのか分からず、ローレリアンは恐慌に襲われた。


 自分の意志とは関係なく前後不覚に陥るのは、何度体験しても嫌なものだ。死を覚悟した、あの日々を思い出す。今度こそ目が覚めずに終わるのだろうという恐怖を感じながら、闇に沈んでいくのは恐ろしい。


 ゆらぎはどんどん激しくなり、身体のあらゆる部分から力が奪われていく。


 突き放すはずだったモナの肩にしがみついた。


 いや、しがみついたつもりだった。


 けれど指にはまったく力が入らず、ローレリアンはモナに抱きとめられる格好となった。


 かすれゆく意識で最後に耳にしたのは、モナが誰かに助けを求める声だった。


 その次に感じたのは、闇と、静寂である。

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