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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第八章
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森の朝 … 2

 王都プレブナンの南には、広大な森が広がっている。丘陵地の固い岩盤の上に自然が気の遠くなるような歳月をかけて作りあげた豊かな森だ。


 レヴァ川はローザニア王国を繁栄に導いてきた大平原を東西に横切って流れる大河だが、王都の周辺でだけは、丘陵地の固い地盤を迂回する形で、南から北へと流れを変えている。その丘陵地の終わる場所が王宮の丘であり、丘をまわりこんだ川は、また西へと流れゆくのである。


 大きな森は天然の貯水池でもあり、森の滋味をふんだんに集めてレヴァ川に流れこむ無数の支流は、さらに下流の平野部に広がる農地の実りの元ともなっている。おまけに森の地下には建材となる石が無尽蔵にあるし、木々もまた、さまざまな用途に利用される。王都プレブナンの都市としての発展の歴史は、この森の存在ぬきには語れないのである。


 そのうえ、森は王都の住人の憩いの場でもある。


 もっとも、その日暮らしの庶民にとっては、森での娯楽は特別な行事あつかいの非日常だ。年に一度、森の神を祭る秋の祭日に、森の中で金持ちや貴族が振舞う酒を目当てに、気の合う仲間と森へ入るのを市民たちは楽しみにしている。


 貴族たちは、それぞれの財力に見合った狩猟小屋を森に構えている。体面を重んじる彼らは、年に何度か開かれる王室主催の狩猟会の時に、小屋での催しを競う習慣をもっているのだ。


 大きすぎたり、華美だったりする狩猟小屋は、かえって物笑いの種になる。


 王室が狩猟会を開くのは、ローザニア王国の黎明期に武人が国政を預かっていたころの習慣を、今に残しているからなのだ。彼らの先祖たちは野山で馬を駆ったり弓を放ったりする訓練を兼ねて、狩猟を楽しんでいたのである。そのあたりの趣旨をはきちがえて狩猟小屋を豪勢に飾り立てたりすると、あいつは物を知らない田舎者だと、うしろ指をさされてしまう羽目になるのだ。


 うっそうとした森のなかの小道を馬に乗って走り、落ち葉の下の湿り気から立ちのぼる森独特の匂いを含んだ空気を堪能したローレリアン王子一行も、あらかじめ準備を頼んでおいた貴族の狩猟小屋に、いまたどり着いたところだった。


 王子は病後はじめての外出だ。身体ならしを兼ねた遠乗りで無理はさせられない。そう判断した側近たちが、手ごろな場所にある貴族の狩猟小屋を休憩所として借りる手配をしてくれたのだと、ローレリアンは説明されていた。


 ひさしぶりに吸った王宮の外の空気はさわやかな秋の気配に満ちており、ローレリアンは機嫌がよかった。彼だって、息抜きはしたいのだ。ただ、自分でそれを段取りするのは面倒くさいだけで。


「これは素晴らしい小邸宅だな。部屋数は5、6個といったところか。

 おそらく、ローザニア王国建国当時に建てられたものだろう。

 窓が全体に小さくて、数も少ない。今はどの窓にも跳ね上げ式のガラス窓がはめ込まれているが、建築当時は板ガラスなどというものは存在しなかったから、窓には木戸がついていたはずだ。

 力学を考慮したというよりは、経験に頼る部分のほうが大きかった当時の建築技術で造られたこの手の古い建物は、どれも壁が極端に厚い。建物の内部は、かなり薄暗いと思うぞ」


 木立の陰にひっそりと建つ小さなヴィラを見あげて、ローレリアン王子はひとくさり知識を語る。彼が学んだ雑多な学問のなかには建築学も含まれているので、古い建物を見ると、つい、いつの時代の何様式であるかなどを分析したくなってしまうのだ。


「この狩猟小屋は、パトリック殿の持ち物か」


 王子にたずねられたラカン公爵パトリック・アンブランテは、「いいえ」と答えた。


「わたくしの狩猟小屋は、来週行われる国王陛下御生誕50年記念式典のさいに庶民へ開放する予定でして。いまはその準備に追われております。ですから、王子殿下のご休憩所にふさわしい格式の狩猟小屋を持つ知り合いから、こちらを借り受けました」


 ローレリアンは森の緑をながめるふりをして、こっそり、ため息をついた。


 王子の外出は、いつだって大事だ。側近たちが計画してくれた『気分転換のちょっとした遠乗り』には、王子にふさわしいお話し相手のお供まで手配されていた。それがラカン公爵である。


 どうあがいても王子殿下と血縁関係になることは難しそうなので、一番の友人ということで我慢しておきましょうというのが、近頃のラカン公爵の言い分だ。また殿下に倒れられては困るので、当分のあいだわたくしも王都へ滞在して殿下が無茶をなされぬよう監視いたしますぞ、とも言われている。経済関係の問題を相談する相手として彼以上に頼もしい存在はないので、理由はどうであれありがたく思っておこうと、ローレリアンは考えているのだが。


 護衛隊を率いるアレンの合図で、数名の騎馬近衛兵が周辺の警戒に散る。


 配置完了の合図が呼子笛の音で交わされ、それを確認してから一行は馬から降りた。


 狩猟小屋の客となれるのは、王子と同行者のラカン公爵、そして騎士身分にあり王子と同席することを許されている護衛隊長のアレンだけである。あとの者は、野外で休憩だ。


 重そうな古い扉についている旧式のノッカーをアレンが鳴らし、出てきた老人に案内を請う。


 彼らがつれて行かれたのは、この狩猟小屋が建っている小さな崖の下の渓流を眺め下ろすバルコニーに通じる二階の部屋だった。


 興味深く、ローレリアンは部屋の内部をながめまわした。


 正面の壁面には暖炉がしつらえてあり、暖炉を中心に団らんのための椅子が並べてある。おそらくここはバルコニーと部屋を自由に行き来できるようにして、狩猟小屋に訪れた客をもてなすための部屋なのだろう。


 予想していた通り、部屋の中は薄暗かった。穴倉のなかのような建物の内部は、秋になるとすでに冷えるらしく、暖炉には小さな熾火が燃えている。


 ふたつあるバルコニーへの出入り口は、分厚い壁の外側にガラス戸をつけることで、体裁を整えてある。


 そのガラス戸が、ふいに開いた。


 外の世界とつながった部屋のなかに、清流のせせらぎの音が満ちる。


 そして、一陣の秋の風と共にバルコニーから部屋のなかへ入ってきたのは、ひとりの若い女性だった。


 彼女が身にまとっている乗馬服には見覚えがあった。胸元に繊細なレースを重ねた、優美で目新しいデザインのもの。


 ローレリアンは思わず、うめきそうになった。


 相手は、彼が一番会いたかったくせに、会えなかった女性なのだ。


 彼女を間近にしてしまったら、自分の弱い自制心など、簡単に吹き飛んでしまいそうだと思っていたから。


 彼女は鮮やかな身のこなしで淑女の礼をこなし、涼やかな声で言う。


「ようこそおいでくださいました、王子殿下。我が家の粗末な森の家へお出ましいただく名誉をちょうだいし、恐悦至極に存じます。

 本来ならばヴィダリア侯爵家当主みずからがお出迎えをし、殿下をおもてなしするべきところでございますが、なにぶん大きな国家行事の開催が来週に迫っておりますもので、当主は多忙をきわめております。代わりまして、当主の娘であるわたくしが名代を務めますことを、どうぞお許しくださいませ」


 挨拶を受けた男たちは、一瞬、言葉を失った。


 目の前にいる淑女は、あくまでも若くて可憐な姫君である。清麗とは、彼女のためにある言葉だと思える。彼女の口元に浮かんだ微笑には、まだ愛くるしい少女の面影が残っているのだから。


 それなのに、彼女は男たちを圧倒する。


 薄暗い空間で、わずかな光をはじき、深い色をなす瞳に宿る力で。


 真っ先に紫の瞳の呪縛から逃れたのは、ローレリアンだった。


 彼はこの場から、今すぐ逃れたいと思っていたからだ。


 しかし、絞り出すようにして彼の口から発せられた言葉は、情けなくも親友への恨み言だった。


「アレン、謀ったな……!」


 はっと我にかえったアレンが、ぼそりと答える。


「悪いな。俺はモナさまとも、親しい友人なんだ」


「パトリック殿も、こいつの共謀者か」


 問われたラカン公爵は、似合っていない口髭をひねりながら笑った。


「わたくしは見届け役を引き受けないかと、メルケン首席秘書官から誘われたのです。おもしろそうですから、快諾いたしました次第で」


「くそっ! カールまで! いったい、なにを見届けようというのだ!?」


 声を荒げた若い王子を、公爵は兄の態度でたしなめる。


「殿下の恋の行方に決まっておりますでしょう。

 来週には殿下のお妃候補とされる姫君たちが、我が国へおいでになるのですぞ。その前に、殿下の本当のお気持ちを確かめたいと側近たちが思っていることを、お責めになってはいけませんな。

 みな、ローレリアン様となら、共に死んでもよいとまで思ってくれている者たちなのです」


 アレンが言葉を継ぐ。


「俺にも、ひとこと言わせてくれ。

 おまえには、逃げまわらないで、モナ様と向き合う責任があると思う。

 国家のために他国の王女と結婚するにしても、その理由を、納得できるようにモナ様へ話すべきだ」


 武人らしい粗野な態度でアレンはモナの右手をつかみ、ローレリアンの目の前に手のひらをかえして見せた。


「モナ様のこの手の傷は、おまえが死にかけていたとき、懸命になって薬を探してくれたから、ついたものなんだ。

 おまえがどういう結論を出すにしても、モナ様から逃げまわることだけは、許さないからな。

 誠意をつくせ。

 俺が言いたいのは、それだけだ」


 モナはアレンの手から自分の手を奪い返そうとして、もがきながら叫んだ。


「アレン、リアンを責めないで! リアンは王子としての重責を担うだけで、もう十分苦しんでるんだから!」


 ほら見ろと、アレンは軽蔑のまなざしをローレリアンにむけた。


 こんなにいちずに自分を想ってくれる女性から、逃げてばかりの男など、許せるものではない。


「そら、モナ様の傷をよく見せてもらえよ!

 それで、反省するんだな!

 言っとくが、モナ様が負った傷は、手の傷だけじゃないぞ!

 おまえが何度も切りつけて放置した心の傷は、もっとひどいんだからな!」


 アレンはそう言い放つとモナの手をローレリアンの手の中に押しこみ、ラカン公爵とともに、さっさと部屋から出ていってしまう。


 モナの手を握りながら、ローレリアンはその場に、呆然と立ちつくした。

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