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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第二章
7/78

王子殿下とお茶を … 1

 ローザニアの王都プレブナンの王宮は、街の中心部を大きく蛇行して流れるレヴァ川のほとりの丘の上にある。


 王宮の川側は建築物を建てるには傾斜が強すぎる斜面となっており、古い時代にはその斜面が城を守る天然の防御帯として利用されていた。この斜面を駆け登ろうとした敵は、上から石や煮えたぎった湯などをあびせかけられ、ことごとく撃退されたというわけである。


 もっとも、ここ100年のあいだ、ローザニアは首都へ他国の侵入を許していない。小競り合いの戦争は数限りなくあったが、国を疲弊させるほどの大きな戦がなかったおかげで、いまのローザニア王国は豊かな繁栄の中にあるのだ。


 王宮がある丘を取り囲む城壁の内側には、壮麗な宮殿のほかに、さまざまな公官庁の建物と、いくつかの神殿、それに貴族の屋敷が建ちならんでいる。


 古い時代の都市城壁の内部の広さは、中央集権化が進んだ今の時代の国家の首都としては、とうに手狭になっているのだ。なにしろ大国ローザニアの公官庁で働く人の数は、王都プレブナンだけでも、5000人を超えている。


 結果として、古い城壁の内側は国の政治中枢機能を維持するための街となり、城壁の外側には、商業地区や庶民の街が広がるようになったわけである。


 現在の王都の人口は公称30万人だが、働き口を求めて下町へ流れ込んでくる貧しい人々の数は増加の一途をたどっている。城壁外の街は外へ外へと日ごとに成長しつづけており、街の外縁はこれからも、無限にふくらむのではないかとさえ言われていた。






     **   **   **






 6月の早朝、王宮の奥深くに位置する王族の居住区で小姓として働くラッティ少年は、夜明けの光に輝く窓からのながめを見て、感嘆のため息をついていた。


 彼がこの王宮で、プレブナンが最も美しい季節とされる6月をむかえるのは、これで3度目となる。


 何度見ても王都の6月はすばらしかった。


 街のそこかしこに植えられたマイカの木の枝には白い花がびっしりとついており、その光景を高い位置にある王宮の窓からながめおろすと、まるで街全体が白い霞でおおわれたように見えるのだ。


「さて、急がなくちゃ」


 深呼吸で感動を胸におさめ、ラッティは先を急ぐ。


 奥の廊下に人影はない。


 やたらと高い天井からは、ラッティの足音だけがこだまとして返ってくる。


 夜明けの直後なんて時間は、貴族たちにとっては、真夜中も同然なのだ。


 王都が大きな街になったせいで、旧市街を守る城壁の門は、昔のように日暮れとともに閉じられることがなくなった。そんなことをしていたら官庁街と商業地区が分断されて、街全体の経済活動に支障をきたすからである。


 城門が夜も開かれるようになると、帰宅の心配をしなくてもよくなった人々は、夜の街へくりだして長い一日を楽しむようになった。


 太陽の動きとともに目覚めたり眠ったりしていた原始的な生活の時代は、都市の発展とともに終わったのだ。


 夜の楽しみを覚えた人々は、昼間の仕事がすんでから、観劇や音楽会、居酒屋での会合などにでかけ、夜中まで忙しくすごす。


 とくに社交が生活の大切な部分をしめている貴族は、夜が遅くなりがちだ。いまでは貴族の昼食会は、午後4時ごろに開かれるのが常識。だから、早朝の王宮も、いまだ寝静まったままなのである。


 静かな廊下を歩くラッティの手には、銀の盆がある。


 盆の上にのっているのは、パンと、ゆで卵と、新鮮な野菜で作った料理がひと品。それに、熱いお茶と、バターが少々。


 これはラッティがお仕えするローザニアの第二王子ローレリアンさまの朝食だ。


 ラッテイは王宮の使用人として召し抱えられてから、しばらくのあいだは国王陛下の寵妃エレーナ姫にお仕えしていた。エレーナさまはとてもお優しい方で、宮廷作法の何たるかは、すべてこの方に教えていただいた。


 ラッティがやっと、だいたいの仕事や作法を覚えたころだったと思う。エレーナ姫のところへ、宮廷の奥向きを取り仕切る侍従長がやってきた。


 彼は来るなり、エレーナ姫に訴えた。


「ローレリアン王子殿下は、侍従たちが懸命にお仕えするのに、すべてがお気に召さない様子です。

 最近では怒りっぽくなられて、口をきいて下さらないこともしばしば。

 なにをお怒りなのか、みなさっぱり心当たりがございませんので、こまりはてております」


 侍従長の訴えを聞いたエレーナ姫は、笑って答えた。


「きっとそうなると、思っておりましたわ。

 侍従長、試しにこの子をつれていって、王子の身の回りの世話を任せてごらんなさい。

 他の者は、この子がすることの邪魔をしてはいけませんよ」


 かくしてラッティは、ローレリアン王子殿下のお気に入りの小姓として、お側へ仕えることになったのである。


 真相は、なんということもなかった。


 王子はただ、侍従たちの過剰な仕事ぶりに、うんざりしていただけなのだ。


 彼らは宮廷の慣例にしたがって、一生懸命王子殿下のお世話をしようとしたのである。


 たとえば朝の御仕度などは、王子殿下が目を覚まされると、夜どうし部屋のすみに控えていた宿直の侍従が「殿下がお目覚めでございます」と触れてまわるところからはじまる。


 すると、別室に控えていた御仕度係がぞろぞろと寝室へ入場してきて、まずは靴係の侍従がベッドの足元へ室内履きをそろえて置き、つぎに寝間着をお脱がせする係が前に進み出る。その次は、下着を着せかける係が、ガウンを着せかける係が、洗面道具をさしだす係が、おひげをあたる係が、髪を整えさせていただく係が……。


 かなりの時間が経過したあと、上着を着せかけてもらって、時計係からネジを巻きおえた懐中時計を受け取るころには、王子殿下はすっかり不機嫌というわけである。


 ローレリアン王子自身も、これでは居心地が悪すぎるので、何度となく侍従長を呼びつけては改善を要求した。すべてにおいて、無駄が多すぎると。


 しかし、あわれなお育ちの王子殿下に誇りをとりもどしていただき、宮廷で快適にすごす方法を御伝授申し上げるのも自分の役目と真剣に思い込んでいた侍従長は、ただひたすら「すべて宮廷の習慣でございます。殿下には、慣れていただくしかございません」と答えたのだった。


 賢いラッティは王子殿下にお仕えするようになると、殿下と侍従たちの間に横たわる、ありとあらゆる物事に対する認識の食い違いに驚くはめになった。


 とにかく、毎日が苦難の連続だったのだ。「王子をよろしくたのみますね」とおっしゃるエレーナさまに、「どうぞお任せください」と約束してしまったことですら、後悔してしまったほどである。


 王子殿下に毎朝一個の卵と少々の野菜を召し上がっていただくためにだって、ラッティは大粒の涙を、これでもかというほど流さなければならなかった。


 ラッティがお側に仕えるようになったばかりのころ、毎食10人分の食事を目の前に出されて、王子殿下はたいそうお怒りだったのだ。


 今日の食べ物にすら、こまっている民が我が国には大勢いるというのに、この無駄と贅沢にまみれた食事の支度について、侍従たちはどう考えているのかと。


 侍従たちには、侍従たちの言い分があった。


 王子殿下に、お好みのものを御不自由なく召しあがっていただけるように、とどこおりなく仕度を整えるのが、我らの役目でございます。その時、なにを召しあがりたいかは、体調や御気分にもよりましょう。それに、殿下がお召しあがりにならなかった料理は、貧民を救う慈善事業の一環として街角でふるまわれております、粥の中へ入れられますので。けして無駄になど、しておりませんと。


 しかし、庶民の暮らしをよく知るローレリアン王子は、それを聞いて、なお怒ってしまわれた。


 救貧院で配る粥とは、ひどい代物なのだ。あちこちで回収された残飯を、元が何の食べ物だったのかわからないほどドロドロに煮込んで作る粥は、薄くて、臭くて、味もおかしい。


 ところが、そんな粥でも命をつなぐ糧にはなるので、粥がふるまわれる時間帯の救貧院の周囲には、飢えた人々が群れ集うのだ。


 あんなものを食べていて、明日のために働こうという意欲など起こるはずもない。


 宮廷でまかなわれる、この豪華な食事をわざわざ無価値な粥に替えて、多額の金を空中にただよう泡のごとく消し去ってしまうくらいなら、最初から、その金で貧しい人々に仕事を与えればよいではないか。


 無駄に大きくなった王都には、道端につもる馬糞をかたづけたり、下水道にたまる汚泥を掃除したりするような、行政主導でなすべき仕事がいくらでもあるだろう。


 たとえ汚れる大変な仕事であろうとも、その仕事は人の尊厳を守る、大切な仕事なのだ。仕事で得た小銭で買うパンを食べるほうが、ただで配られる粥を食べるより、生きる意味を実感させてくれる。


 動物の餌と大差ない粥を道端で配り、自分はこんなものを食べてしか生きられないのかと貧しい人々を絶望させることは、慈善でもなんでもないのだ!


 そのように叱られた侍従たちは、戸惑うだけだった。


 毎日つつがなく、高貴な人のお世話をする。


 それが侍従の仕事であり、変わらないことこそが、彼らの誇りだったのだ。


 その後、びくびくしながらも古くからのしきたりを変えようとしない侍従たちに怒った王子殿下は、とうとうお食事をなさらなくなってしまわれた。


 パンと水だけでも人は生きていけることを、立派な教育を受けた馬鹿どもに、教えてやろうというのである。


 しかし、ラッティには、精力的に働く大人の男の体が、パンと水だけの食事に長く耐えられるとは思えなかった。


 そばで見ているとローレリアン王子は、朝から晩まで休むことなく、大変な集中力を持って仕事をつづけている。


 休むべき時には休み、疲れを癒すために滋養のある食べ物を召しあがっていただかなければ、いつかは倒れてしまわれるのではないかと、ラッティは本気で心配しつづけた。


 殿下と呼ばれる身分になっても、ローレリアンはラッティにとって、「大好きなリアン兄ちゃん」なのだ。辺境都市の下町で犯罪に手を染め、転落人生に陥る寸前だった自分に、新しい未来をくれた人である。


 王子殿下と侍従たちの無言の戦いが3週間目に突入すると、ついに耐えきれなくなったラッティは、泣きながら王子に懇願した。


「お願いです、殿下。

 ぼくが責任をもって、殿下のお食事の手配をさせていただきます。普段のお食事はなるべく質素にいたしますし、量にも気をつけます。

 ですから、どうか、もう少しだけ、ほんのちょっとでいいですから、まともなお食事をなさってください。

 侍従の方々も、お願いです。

 貧しい人々の暮らしぶりを憂える王子殿下の優しいお気持ちに、どうか、よりそってさしあげてください」


 心から王子の健康を気遣う少年の涙は、かたくなな大人たちの心を動かした。


 その日から、ローレリアン王子のお食事に関するすべての決定権は、お小姓のラッティが握ることになった。


 もっとも、後日、泣かせてしまって悪かったと謝ってきた王子殿下にむかって、ラッティはけろりと、言い放ったのだが。


「ほんと、大人のプライドって、めんどうくさいですよねっ!

 まっ、いいじゃないですか。

 これでまた一つ、リアンさまの身の回りの問題がかたづきましたから。

 ぼくは、自分の仕事が《涙ぽろり》でやりやすくなるなら、いくらでも泣いて見せますよ。

 涙なんて、タダです。お安いもんじゃありませんか」


 したたかな詐欺師ラッティ少年の本質は、王宮に仕える優雅な小姓になっても変わっていなかったのである。舌先三寸で大人を手玉に取る彼の才覚は、その後もおおいに王子殿下の助けとなったのは言うまでもない。



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