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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 …15

 ラドモラス学派の学者であるレオニシュ医師と再会して、心のなかでは泣き笑い状態で踊りだしそうなアレンだったが、鍛え抜かれた『氷鉄のアレン』の鉄壁の無表情は崩れなかった。


 馬から飛び降り、細かい事情は歩きながら話しましょうと、レオニシュ医師を王宮のなかへいざなう。


 昼過ぎからアレンを待っていたというレオニシュ医師は、興奮気味でよくしゃべった。


「いやあ、まいった。俺はモナ嬢ちゃんが手紙に書いてよこした診療所とやらが心配で、10年ぶりに王都へ出てきたんだ。運営が軌道に乗るまで、何か月か手伝ってやろうと思ってさ。

 そうしたら道中で、プレブナンの街がずいぶん燃えちまったとか、その大火事を消して救援活動をしているのはローザニアの聖王子ローレリアン殿下だとかいう話を、聞くじゃねえか!

 こりゃあいったい、どういうこった? びっくらこいたなんてもんじゃねえぞ!」


 預かった診療鞄を小脇に抱えて、レオニシュ医師を早く早くとせかしながら、アレンは答える。


「先生は、新聞を読まれないんですか? ここ一年くらいは、リアンの名前や発言が新聞に載っていない日なんて、ありませんでしたよ?」


「ありゃあ、金持ちが読むもんだからな」


「仮にも先生は、学者の端くれでしょう! アミテージにだって、王都からとどく新聞を共同購入しているインテリの集まりとか、学問所の先生方御用達のカフェとか、あるはずなのに!」


「俺は生物学者だからさ。学術論文の雑誌は借金してでも買うが、中央の政治がどうなっているかなんてことは、知ったこっちゃねえよ! だいたい、政治なんてもんは、お貴族様が勝手に進めちまうもんだ。庶民が文句をたれても、どうにもならんわい」


「はあ、そうですか」


「おい、アレン! まだ着かねえのか! 王宮ってところは、なんでこんなに広いんだ!」


「知りませんよ! ここが無駄に広いってのは、俺も疑問に思っていましたけどね!」


 あきれたことにレオニシュ医師は、ヴィダリア侯爵家の屋敷を訪ねてみたらモナが不在だったもので、モナから手紙で伝え聞いていた『アレンは近衛連隊の士官さんになりました。士官学校での成績がたいそうよかったり、剣術大会で優勝したりしたもので、王家の方々を直接護衛する部隊に配属されたの。あの、アレンがですよ? 信じられます?』という言葉をたよりに、直接王宮へやってきたのだった。


 学者馬鹿は、怖いもの知らずだ。南西門の前に不動で立つ近衛兵にむかって、「すいませんが、近衛連隊所属のアレン・デュカレットという男に会いたいんですが。わたしはレオニシュという医者で、彼の古い友人です」とやったらしい。


 普通なら門前払いだが、レオニシュ医師は「わたしとアレンが知り合ったのは東の学問都市アミテージでして、そこでアレン少年はアストゥール・ハウエル卿の見習いの小僧をしておりましてな。いやあ、いまじゃ近衛連隊の士官さんだというから驚きます。あいつは、おさまりの悪いくせ毛に、どんぐり眼の、可愛い坊やだったんですがねえ。いや、勇敢ではあったのですよ? 大人の剣士三人と、一人で互角にやりあったりしてましたしねえ」と、かつてのアレン少年の武勇伝を、べらべらしゃべってくれたのだ。そこで、これはおそらく『王子殿下の影』の知人だろうということになり、門衛の詰所で待たせてもらえたのである。


 もっとも、待たせてもらえたのが門衛の詰所だったというところが、この話を笑い話にしてしまいかねない愉快な点である。おそらく門衛たちは、帰城したアレン・デュカレット卿が「こんな男は知らない」と答えたら、即刻レオニシュ医師をたたき出すつもりでいたにちがいない。


 ぜいぜいと息を切らせながら、レオニシュが言う。


「しっかし、アレンよ」


「なんですか」


「あの門番は、なんで口をきかないんだ? 俺が一生懸命話しかけるのに、正面をにらんだまま直立不動だぜ。結局、詰所からやってきた他の兵隊さんが、お前が帰ってくるまで詰所で待っていたらいいと、言ってくれたんだ」


「先生、王宮の門番は、しゃべらないものなのです」


「なんでだ?」


「それが格式ってもんなんですよっ!」


「ああ、めんどくせえ! おい、アレン! まだ王子様の御寝所には着かねえのか!」


「あと少しですよ。ほら、しゃっきり歩いて下さい!」


「そうかそうか、やれ急げ! 早くリアンのやつを診てやらにゃあならん!」


 掛け声とともに、レオニシュ医師の足取りが速くなる。


 こんな時に不謹慎だと思いながら、アレンは笑みをもらした。


 レオニシュ医師が王宮の門番へ無茶な突撃をかけたのも、かつての愛弟子ローレリアンのことが、心配だったからなのだろうとわかったからだ。


 どんな学者馬鹿でも、王宮へ誰かをたずねていくには、それなりの紹介者を間に挟まなければならないことくらいは知っているはずだ。その紹介者になるはずの侯爵令嬢の帰宅が待てないほど、レオニシュ医師は焦っていたのだ。


「先生。あらかじめ、言っておきますが」


「わかっとるよ。おまえさんは俺に、王子殿下を診察するなら自分の命を懸ける覚悟がいるぞと、言いたいんだろう」


「はい。それどころか、先生の親類縁者にまで迷惑がかかるかもしれません。リアンはもう、ただの神学生じゃないんです。この国の王子なのですから。

 俺はさきほど、それが理由で先生のお弟子さんに追い返されたんです」


 レオニシュ医師は目をすがめて、前方をにらんだ。


「なるほど。リーチャ・ペルトに会ったのか」


「はい」


「あいつは最後まで王都で研究を続けることに、こだわっとったからなあ。何度か、地方都市に逃げろと、忠告はしたんだが。頑固で正義感が強くて、融通がきかんやつだった。誠実さなんて、権力を前にすれば、何の役にも立たないというのにな」


 そこでレオニッシュ医師は、目の前に出現した階段を見てうなる。


「うおおっ! また階段か!」


「黒の宮は王宮の東端で丘の最上部にありますからね。これが最後の階段です。頑張ってください。手を引きましょうか?」


「馬鹿にするな! 俺はまだ、老人じゃないぞ!」


 そういいながら、レオニシュ医師はさらに息を切らせて手すりにすがるようにして階段を登り、アレンをはらはらさせた。レオニシュの息切れの具合は心臓発作でも起こしそうなくらいに激しくて、階段を登りきったところで少し休まなければならないほどだったのだ。


 しばらくかかって、やっとしゃべれるようになったレオニシュ医師は言った。


「いいさ、しょぼい親父の命ひとつくらい、賭けてやってもいい。

 アミテージの診療所は、数か月は帰らんつもりだったから、弟子に預けてきたしな。

 家族や親類縁者も、俺にはおらん。

 可愛がっていた弟子のリアンが、俺にとっては息子みたいなもんだ」


「学者仲間のほうは、よろしいんですか」


「仲間はとっくに中央から追い出されて、野にくだっとる。

 ペルトにも、おまえが警告したようなものだから、それでいいだろう」


 階段を登りきった場所は王宮のもっとも古い建物への入り口部分で、ちょっとした広場のようになっている。そこからは、城下の街が見下ろせた。


 暗い街並みの中を、無数の明かりが移動している。


 王子の病平癒を祈る鐘の音も、あちらでひとつ、こちらでひとつと、絶え間なく鳴っている。


 街には、祈りが満ちようとしているのだ。


 その気配を体全体で感じ取ろうとして、レオニシュは息を吸う。


「なあ、アレン。

 リアンは、俺のところへふらりとやってきたときから、いつも何かに突き動かされているような、不思議な子供だった。

 いつかとんでもないことをやらかしそうで、俺はやつのことが心配でな。

 あいつは、世界を変えたがっていた。

 権力に媚びなければ、世の中のための学問すら自由にできない世界を憎んでいたよ。

 先生は腹が立たないんですかと、よくたずねられた。

 まあ落ち着けと、あいつをなだめながら、俺は嬉しかった。

 まっすぐな瞳を俺にむけてくるあいつに、いろいろなことを教えてやれて、俺は誇らしかったんだ。

 俺の命くらい、あいつになら、くれてやるさ」


 ローレリアン王子が死ねば、ローザニア王国のこれからは、ますます混迷した世界となる。その世界には、学問の自由など、ありはしないだろう。


 レオニシュの決心には、息子がわりの青年への親心だけではない、もっと複雑な思いが絡んでいるのだ。


 リアン、おまえはまだ死んでは駄目なんだと、アレンは強く思った。


 おまえは、国中の人々の願いを背負って生きる、王子なのだからと。


 ふたたび先を急いで、まもなくアレンとレオニシュ医師は黒の宮の中心部にあたる回廊に達した。


 そこには控室として解放されていた部屋からあふれ出た人が、いっぱいいた。


 集まっている人々が、いつも黒の宮で働いている人間だけでないことは、服装の多様さを見ればすぐにわかった。華やかな宮廷服をまとっているのは、王国の重臣である貴族達。裾を引く長い衣の者は、聖職者達だ。この連中は、みな王子の臨終に立ち会おうとしている人々なのだ。


 アレンはこっそりと、集まっている男たちの顔を盗み見た。


 どの男も悲しそうな表情ではあるが、その気持ちはどこまで本物なのだろうかと思ってしまう。


「アレン、こっちだ」


 王子の居室に通じる廊下の入り口で、カール・メルケン首席秘書官が手招きをしている。案内されるまま、アレンとレオニシュ医師は侍従の待機所である小部屋へ入っていった。


 秘書官は飛びつかんばかりの勢いでアレンの肩を抱いた。


「よくもどった! そちらが医師殿か。まさかご本人が来てくださるとは」


 メルケン秘書官も、ラドモラス学派の医師が王子の生死にかかわることを拒む可能性を予測していたのだろう。アレンは神々への感謝を、いまさらながら噛みしめた。


「細かい説明はのちほど。殿下のご様子は?」


「よくない。まだ、時々濁った意識が、はっきりされることはあるが。枕元に大神官猊下を呼んでほしいと望まれたのは、殿下御自身なのだ」


「罪の告白をしなければ、死ねないと? あいつらしくて、腹が立ちますね」


「まったくだ」


 アレンと会話をかわしながら、メルケン秘書官は侍従たちにレオニシュ医師の身なりを整えさせた。


 白髪が目立つぼさぼさの髪に櫛が入れられ、まにあわせとばかりに古びた上着が誰かからの仮着に取り換えられる。他の者が足元にかがみこんで靴の汚れを落としているあいだに、開いたシャツの襟元が整えられて幅広のタイが結ばれた。


「うへえ、タイを結ぶのなんて10年ぶりだ。こんなに窮屈だったかねえ」と、レオニシュ医師がぼやいている。


「我慢してください、先生。王子殿下の寝所から、つまみ出されたくないでしょう」


「さあ、急いでください。こちらです」


 秘書官の先導を受けながら、アレンとレオニシュ医師は小部屋から出て、さらに奥へと進んでいった。


 先に知らせが走っていたらしく、寝室の前室にあたる王子の居間には王宮に仕える侍医達が勢ぞろいして待ち構えていた。彼らの顔には、得体のしれないやつを王子のそばには近づけるものかという、意気込みがみなぎっている。レオニシュが本当に医者かどうか、取り調べをしようというのだ。


 アレンは舌打ちしそうになった。事と次第によっては、部下を呼んでこの連中を拘束してしまおうかとさえ思う。いまは、一刻を争う場面だというのに。


 ところが、侍医団の責任者であるシジェム医師は、レオニシュ医師の顔を見るなり大声をあげた。


「レニー! 貴殿、いままでどこに雲隠れしておったのだ!」


 驚いたのはレオニシュ医師も同様で、大声が重なる。


「アンク・シジェム! おまえさん、老けたなあ……!」


 興奮しきったシジェム医師はレオニシュ医師の肩をばしばしたたき、「老けたのは、あんたも一緒だ!」とわめきながら、アレンに満面の笑みをむける。


「さすがは王子殿下の信任篤いデュカレット卿ですな! まさか、10年前の事件いらい消息を絶たれておられたラドモラス博士ご本人を、プレブナン30万の民のなかから探しだしておいでになるとは!」


 アレンは絶句して目を見開いた。


 レオニシュ医師は愉快そうに笑った。


「ああ、アレン坊やは、俺のフルネームを知らんのだ。俺は、レオニシュ・ポール・ペルデュヴァトール・グラピール・ラドモラス。学士院から除名処分にされて王都から追い出される前までは、この長ったらしい名前に『博士』もくっついとった。あらためて、よろしくな」

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