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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 …14

 ローレリアンの命を救う最後の望みを失った痛手は、恋人のモナだけでなく、親友のアレンも打ちのめした。


 しかし、彼は王子の護衛小隊長のひとりであり、いまは三つの小隊を統率する立場の者が殉職して不在のときだ。その状況下にあって、二個小隊の指揮を任されている彼が、悲嘆にくれている暇はない。


 倒れたモナの世話を副官のシムスにたくしたあとは、デトリュス街の憲兵隊警ら詰所へもどり、街へ散っている部下へ憲兵隊の号鐘を利用した作戦終了の合図を流す。ぞくぞくと警ら詰所へもどってきた部下たちは、沈痛な面持ちで何も語らない上官の態度から、作戦行動の失敗を悟った。


 それでも集まった男たちはみな、王国への忠誠心と精鋭ぞろいの近衛部隊に所属していることを誇りとする軍人だった。動揺など欠片も見せずに整然と並んで仲間の集合を待ち、点呼の号令には毅然とした返事でもって答える。


 第一小隊の副官サルディの「第一、第三小隊総員整列いたしました!」の報告を受けて、アレンは憲兵隊警ら部との連携を手配してくれたリドリー・ブロンフ卿の部下へ謝意を伝え、隊列を組んで撤退する命令を出した。


 騎馬の隊列は整然と、王宮目指して進みでていった。


 列の先頭をゆきながら、アレンは無念の思いを噛みしめた。


 しかし、もうペルト医師を恨む気持ちはなくなっている。一時は激情のまま、彼を切り殺してしまおうと思ったのだが。


 人の世とは、どうしてこうも理不尽にできているのだろうか。


 きっと、オトリエール伯爵に何度も研究の妨害をされながらも最後まで王都に残って戦っていたペルト医師には、強い信念があったのだ。病気や怪我で人が死んでしまう原因を明らかにして、その脅威と闘う武器である薬を作りたいという。


 その信念がくじけるほど、彼は辛い思いをくりかえしてきた。


 その男に、自分の命だけでなく妻や子や親族や友人の命までかけて、王子を救えとは言えなかった。


 王子の命を救おうとしない代償として、彼は自分の命を捧げる覚悟だったのだ。


 これ以上、妻や子や親族や友人を、彼の不運に巻き込まないために。


 自分は、ローザニア王国に忠誠を誓う近衛士官としては、甘い判断基準で行動してしまったのかもしれない。国の守護を最優先任務とする軍人ならば、あの薬を着実に手に入れる方法を、まず考えるべきだったのだ。それこそ、ペルト医師の家で最初の破壊音を聞いたとき、ペルト医師の奥方を人質にとって強迫するくらいのことは、するべきだったのだろう。


 ローザニアの聖王子ローレリアンは、この国の宝だ。庶民の希望だ。


 国家のためには多少の犠牲を払ってでも、王子は守られなければならない。


 そこまで考えて、アレンは首をふった。


 きっと、ローレリアン自身は、そんなことを望んではいない。もし、あの薬のせいでローレリアンの死が早まり、ペルト医師の家族やラドモラス学派の学者たちが全国民から制裁を受けるようなことになりでもしたら、ローレリアンは死んでも死にきれなくて、毎夜化けて出て王宮内をさまよう幽霊にでもなってしまうだろう。


 ―― だから、俺はペルト医師を憎めない。すまない、リアン……。


 心の中でつぶやきながら夜空を見あげたら、月の光で照らされ、暗がりの中に巨大な影となって浮かぶ王宮の方向から、ゆっくりとした周期で鳴らされる鐘の音が聞こえた。


 アレンは陰気につぶやく。


「王宮聖堂の鐘の音だ。音の周期がやけに長い。まさか、弔鐘ではあるまいな」


 アレンのとなりで馬を進めていたサルディが答えた。


「あれは、高貴な方の病平癒を願う御祈祷の鐘です。わたしの祖父が言っておりました。前国王陛下がお亡くなりになる間際に王都中の聖堂の鐘が鳴って、市民全員が陛下の病平癒をお祈りしたと。

 実際は、高貴な方の死に対する心構えをうながす知らせだそうです。プレブナン大神殿の大神官長が、その方の死の床に訪れて告解をお聞きになる時に、鳴らされるとか」


 鐘の音の数は、たがいに呼応して、徐々に数を増していく。王都中の神殿が、市民に祈りを呼びかけようとしているのだ。


 大神官長が王宮へ呼ばれたということは、いよいよローレリアンの死は、まぢかに迫っているということだ。列をなして王宮への帰路をたどる護衛隊士たちは、うつむきこそしなかったが、みな悲壮な顔になった。


 夜はかなり更けており、いつもなら街は闇に閉ざされている時刻だった。


 しかし、ローレリアン王子のために鳴らされる病平癒の祈祷の鐘を聴いた街の人々は、自分のベッドから抜け出して、王宮がある方角の窓辺に明かりを灯してお祈りを始めた。


 護衛隊士たちがたどる道は、先へ行けば行くほど、明るくなっていった。


 そのうち彼らは、身支度を整えてランプを手にし、家の外へ出てくる市民と出会うようになった。


 鐘の音を聴きながら、打ちひしがれた様子で、人々は街へと歩きだしていく。


 女や子供は泣いていた。


 息子とおぼしき初老の男に手をひかれた老婆は、曲がった背中をさらに折り曲げて、叫んでいた。


「おお、神々よ! どうか、わたくしたちから、あの方を奪わないでください! あの方は神々の御使いとして、わたくしたちの元へつかわされた方ではないのですか!」


 人の流れは王宮がそびえる丘を目指していた。


 アレンが率いる護衛隊の列も、市民が持つランプの光に照らされて、ゆっくりと進んだ。


 人の波はあっというまに道を埋め尽くしてしまい、その流れには、騎馬隊の行軍も逆らえなかったのだ。


 やがてたどり着いた王宮前の広場は、ランプを手にした人でうめつくされていた。


 彼らはたがいに慰めの言葉をかけあい、小さな声で祈りの文言を唱えている。


 秩序はけして乱れておらず、護衛隊の騎馬の列はゆっくりとだったが道を譲られて、普段軍隊や臣下の貴族の馬車が出入りする王宮の南西門に着いた。


 南西門の門扉の前には近衛兵の詰所があり、つねに銃を担った衛兵が数名、直立不動で立っている。この衛兵は、めったなことではしゃべらないことで有名だ。一分の隙もない整った姿で毅然と立っている近衛兵は、王宮の堅固な守りの象徴なのだ。


 いつもなら入門のとき、その衛兵とは敬礼を交わしあうだけで終わる。


 しかし、その日は衛兵から、詰所へ注視せよという手信号をもらった。べつに周囲は声が届かないほど騒がしいわけでもないのに、手信号を送ってくるあたり、伝統と形式とは面倒なものだなとアレンは思った。


 馬上から衛兵詰所の方向へ目をむけると、そこには初老の男が立っていた。


 驚きのあまり、大声をあげてしまう。


「レオニシュ先生っ!」


 みすぼらしい流行おくれの上着を着ている風采のあがらない相手の男も、驚愕の顔で叫んだ。


「アレン・デュカレット! なんだ、その偉そうななりは?!」と。


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