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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 … 9

 近衛師団本部の建物から出たアレンは、そのまま軍の施設のなかを歩き、護衛部隊に割り当てられている厩舎まで行った。


 厩舎のなかは、朝の日課として馬の世話をする厩務員の声や作業の音でざわついている。


 そのざわめきのなかを通り抜けて奥へ入っていくと、アレンの愛馬ガレット二世号の馬房の前には、アレンと同じ深緑の軍服を着た青年が立っていた。馬房の横木にもたれ、のんびりと鼻歌を歌っている青年は、見覚えのある麦わら色の髪を制帽の下からのぞかせている。足元にはチャップスを着用し、まさにこれから馬に乗ってどこかへ出かけようかという風情だ。


「ああ、おいでになりましたか」


 彼はアレンの姿を認めると、にこにこ笑いながら横木から離れた。


 アレンは無愛想に答える。


「おまえはこんなところで、なにをしている」


 青年は何食わぬ顔で、ガレット二世号の馬房の横木を外しにかかった。


「いやだなあ、隊長の御供をするに決まっているでしょう。頑固で無口な上官に仕えている副官の役目なんて、始終上官のあとについて歩いて口下手な上官のフォローをしてまわることだってぇのは、世間の常識じゃないですか。

 ささ、馬の準備は俺がしておきましたから、早くでかけましょう」


 すぐそばにいた馴染みの厩務員に自分の支度を手伝わせながら、アレンは副官の様子をうかがった。シムスは馬具をつけたガレット二世号と自分の愛馬デ・ビューテ号を、手際よく通路へひきだしにかかる。


 その作業の様子を見て、アレンは思った。


 自分の愛馬に美男子号(デ・ビューテ)と名付けるシムスのセンスにはあきれると。確かにデ・ビューテ号は尾花栗毛の美しい馬だが。


 近衛士官は自分の役職に誇りを持っている者ばかりで、それらしい外見を維持することに、みな熱心だ。シムスは下級貴族の次男坊なので、軍の俸給以外に、たいした収入もないはずだ。この美麗な馬、デ・ビューテ号を手に入れるためには、借金くらい抱えていそうである。


 まったく、男のプライドとは、厄介な代物だ。


 そう思いながら、アレンが最後の支度として手袋をはめていると、シムスはガレット二世号の鼻づらをなでながら言った。


「隊長。以前からお聞きしたいと思っていたのですが、どうして隊長の馬はガレット二世号という名なんですか? 青毛の立派な牡馬に甘ったるい菓子の名前は似合いませんよ」


 ふっと、アレンは笑う。


「そいつは俺が見習いだった時代に、ローレリアンさまから頂戴した馬だ。初代ガレットは焼き菓子の焦げ目みたいな模様が背に入っている、丈夫が取り柄の駄馬だったのさ。

 俺が士官学校入りを希望していると知った殿下が、初代ガレットを見て『この馬はいい馬だが、士官が乗る馬としては見劣りする』とおっしゃられ、御自分の馬を下さった。

 あのずんぐりむっくりを『いい馬』と言ってくださる殿下の思いやりには、思わず涙がでた。殿下は貧乏な俺の実家が、無理して俺の独り立ちのはなむけに馬を買ってくれたんだって、御承知だったからな。

 殿下は昔から、お優しい方だった」


 ガレット二世号をローレリアンからもらった時にでた涙には、もっと深い意味があったのだが、アレンは『殿下は昔から、お優しい方だった』のひとことに、すべてをたくしてしまった。


 ローレリアンとともに旅をした、あの長いようで短かった数十日間は、アレンにとって宝物のような思い出だ。だれにも頼らずに一人前の男として生きることの難しさや、喜びや、悲しみを、アレンはあの時、初めて知った。かけがえのない友達を、失いたくないと思う気持ちも。


 上官の切ない思いなど露知らぬシムスは、うらやましいと騒ぐ。


「うはー、やはり王子殿下から御下賜の馬でしたか。いい馬ですもんねー、こいつ」


「その当時、俺はローレリアンさまが王子だとは知らなかったがな。どこかの貴族の私生児だろうくらいに思っていた」


「お友達づきあいをなさっていたんですね?」


「ああ。あいつは、おもしろいやつだったぞ。神学生のくせに学問所を渡り歩いていたから、神学校にあいつを訪ねていっても、いつもいないんだ。学者崩れの街医者の弟子におさまって、師匠よりも偉そうに実験室を私物化してたりしてな。

 よく、数学を教えてもらった。あいつの教え方はわかりやすいんだが、不愉快な思いもいっぱいした。あいつときたら、一度教えたことを俺が忘れてしまうと、あの綺麗な顔を冷たく凍らせて、『どうしてこんなに簡単なことが覚えられない? きみの頭に数学的思考センスはないのか?』なんて言うんだ」


「ははは、いかにも頭のいい人が言いそうなことですね」


「そうだな。あいつは頭がいい。頭が良すぎるから、四六時中考えてる。

 神様といっしょに育ったから、いつも他人の幸せのことばかり気にしていたし。

 自分のことは、いつでも後回しなんだ。

 そういうところは、いまも変わらん。

 しかし、後回しにしつづけたあげく、自分が死にかけちゃあいかんよな……。

 あいつは……、頭がいいくせに……、馬鹿なんだ」


 瞼が熱くなるを感じて、アレンは表情を硬くした。厳しい士官学校生活を耐え抜いたおかげで、感情をコントロールする力には、絶対の自信があったのに。士官は部下の前で不安な顔などできない。ましてや、涙など。


「隊長」


 シムスはガレット二世号をなでながら言う。「泣かんでくださいよ」と。


「泣いてない」と、アレンはかすれる声で答え、そっぽをむいた。


「そうですか。なら、いーんです」といった陽気なアレンの副官は、仕切り直しに厩舎のなかに響き渡るほどの音を立てて自分の膝を打った。おかげで音に驚いた他の馬が、いなないたり脚踏みしたりで不穏になり、あちこちで厩務員が慌てている。


 しかし、シムスはお構いなしだった。この厩舎にいる馬はみな軍馬なのだから、この程度の音に驚くような調教しかできていない持ち主が悪いという態度である。その証拠に、隊長の馬も俺の馬も、落ち着き払っているじゃないかと。


「とにかく、でかけましょうや! 隊長は臨死の危機にある王子殿下をお救い申し上げる手立てに、何がしかの心当たりがおありだから、あえていま王子殿下のお側から離れようとなさっているのでしょう?」


 強引な気分転換法でさっさとあたりの空気を変えてしまうシムスのやりように、救われたと思いながらアレンはいう。


「まあな。だが、おまえは連れていかないぞ。俺の計画がうまくいくかどうかは、俺自身にもわからない。そんなあいまいな計画に、他人を巻き込むつもりはないんでな」


 シムスは、大声をあげた。


「そりゃないですよ! 俺ってば、うちの隊長がなんか思いついたみたいだから、あとはよろしくお願いしますって、スルヴェニール第二小隊長殿に挨拶してきちゃいましたよ? スルヴェニール第二小隊長殿は『おおそうか。アレンによろしく言っておけ』と、おっしゃってました。

 それに、なんですか、他人って! 熱烈に上官を敬愛している部下にむかって、そんなひどい言い草ってないでしょう!」


 わあわあ騒ぐシムスは、まるで子供の悪戯のように、ひょいひょいとアレンの手をよけて馬の手綱を渡してくれない。


「おい、シムス!」


 悪びれもせずに、シムスはしゃべりつづける。


「お願いですから、もうちょっと部下を信用してくださいよ。俺とスルヴェニール隊長のやり取りを聞いていた他の隊員たちも全員、アレン隊長の指揮下に入りたいと、申し出てるんですよ?」


「なんだと!?」


「そしたら、スルヴェニール第二小隊長が、『では、今回は俺たち第二小隊が留守番役ということにしよう。あとは全員行ってよし!』と、御許可くださいまして。第一、第三小隊は、総員騎乗にて王宮外門前で待機中です」


「全員か」


「全員です。俺たちは、ローレリアン王子殿下の護衛隊士なんですよ? みんな、たどり着く場所が天国だろうが地獄だろうが、とことんまで王子殿下にお供する覚悟なんです。

 断言しますけど、殿下が刺客に銃撃されたとき殿下のお側にいたのが俺だったら、俺だってイグナーツ・ボルン第一小隊長殿と同じことをしましたから。ローレリアン王子殿下なくして、我が国の未来はありません」


 アレンは唇を引き結んで、あたりを見まわした。確かに、厩舎の奥半分の馬房に馬の姿はまばらだ。


 自然と、おかしさがこみあげてきた。


「スルヴェニールめ。あいつの脳みそには筋肉がつまってるんだ。考えなしの、武闘派赤毛馬鹿男」


 真面目そのものだったシムスの顔も、ふたたび笑み崩れる。


「隊長ぉ。スルヴェニール卿は隊長の御同僚じゃありませんか。それに、むこうのほうが先任ですよ。その言い様は、あんまりです」


「うるさい! 馬鹿を馬鹿と言って、なにが悪い! 王子も、貴様らも、スルヴェニールも、全員大馬鹿だっ!」


 シムスの手からガレット二世号の手綱をうばいとり、アレンは厩舎の外にむかって歩きだした。


 あとを追いながら間の抜けた声でシムスはたずねる。


「あのー、我々はこれから、なにをすればよろしいんでしょうか?」


「人探しだ」


「はい。誰を探すので?」


「医者、いや、学者か?」


「はあ」


 レンガ造りの厩舎から外に出たら、涼しい風が体のまわりに押しよせてきた。日差しはまだ夏の日差しだが、空が高い。すでに朝の空気には、まもなくやって来る秋の気配があった。


 胸いっぱいに朝の空気を吸ってから、アレンは馬のたてがみをつかみ、(あぶみ)に足をかけた。馬と息をあわせて自分の身体を馬上に引き上げたら、ガレット二世号は甘えて鼻を鳴らした。天気の良い日に主人とでかけられるので機嫌が良いようだ。


 正直なところ、護衛隊士たちの申し出はありがたかった。アレンは自分一人でも、なんとかしてラドモラス学派の学者先生を探しだすつもりだったが、王都には人間が30万人もいるのだ。


 しかし、どうやって探すのかという方法論については、これで解決がついた。


 人海戦術で、しらみつぶしだ!


 馬上でふりむいて、アレンは壮麗な王宮を仰ぎ見た。


「俺がもどってくる前に死ぬなよ、リアン。地獄の入り口くらいまでなら、俺がちゃんと迎えに行ってやるからな」


 わたしは王子という肩書を持つ稀代の詐欺師だから死んだら地獄行きだというのは、ローレリアンがよく口にする冗談だった。


 だが、まだあの世へ行くのは早すぎる。


 この世の世界だって、あいつにとっては地獄のようなものだろうが、王子のためなら自分の命もいとわないという連中が山ほどいる現世のほうが、本物の地獄よりは、そうとう暮らしやすいはずだとアレンは思うのである。

チャップス : 馬に乗るときズボンのすそを覆う乗馬用具。馬と一体になるためには足による扶助がとても大切になるので、ひらひらしたズボンのすそは邪魔になる。ズボンのほうも汚れたり痛んだりするしね。形は、足首から先がないロングブーツを連想してもらうと、かなり近いかも。ローザニアの近衛士官はみなおしゃれさんなので、王宮内ではピカピカに磨いた短靴を履いています。

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