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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 … 8

 ローレリアン王子の容体が急変したその日、王子の護衛隊長アレン・デュカレット卿は黒の宮の近衛護衛隊待機所で夜を明かしたのち、王子の親衛部隊を束ねるアストゥール・ハウエル将軍のもとへ早朝から訪ねていった。


 アストゥールの部隊はいまだ編制中の新設部隊であるため、責任者の執務室は近衛師団本部の片隅に間借りの状態だった。アレンが本部の建物の入り口で当直の士官にアストゥール・ハウエル将軍の所在をたずねると、思っていたとおりアストゥールは官舎には帰宅しておらず、執務室に泊まっていた。


 入室の許可を得てアレンが執務室へ入っていくと、アストゥールは来客用のソファーに寝そべって、腕を組み、天井をにらんでいた。


 隻眼に気障な口髭を持つ伊達男の軍服はしわくちゃだった。おそらく一晩中、ソファーの上で転々と寝返りをくりかえしていたのだろう。ここにも、まんじりともせずに夜をすごした人間がいたようだと、アレンは苦笑した。


 アストゥールは寝そべったまま、アレンにたずねた。


「殿下のご容体はどうなのだ」


 アレンは陰気に答えた。


「重体です。一晩たっても高熱は下がりませんし、意識もあいまいです。エレーナさまがつきっきりで看病されていますが、このまま高熱がつづけば、いずれは体力が持たなくなるだろうと、医師団は言っています」


「なんてことだ!」と言いながら、アストゥールは身体を起こし、頭をかきむしる。


「やっと、ここまでたどり着いたのに! ローレリアンさまには、まだこれからやらなければならないことが、山ほどある! こんなところでお倒れになって、いいわけがないだろう! なんとかならんのか!」


「そのことなのですが」


 あくまでも冷静に、アレンは言う。


「以前、アミテージでアストゥールさまが深手を負って死にかけた時に、ローレリアンの師匠のレオニシュ医師が持ってきた薬を覚えておいでですか」


 アストゥールが目をむく。


「あれか!」


「はい。あの時のアストゥールさまの状況と、いまのローレリアンの状況は、よく似ています。たしか、傷の腐敗は目に見えないほど小さな生き物によって引き起こされる。あの薬は、その生き物を殺すのだと、説明を受けたように記憶しているのですが」


「たしかに、そのようなことを言っていたな」


「俺は、あの当時、考えなしのガキだったので、その学説を主張している学派の名前を覚えていないのです。アストゥールさまは、御記憶でしょうか」


「ラド……、ラドモラス? そんな感じの名だったか?」


 アレンの暗い目に、光が宿る。


「そうです! ラドモラス学派! 俺は、これからその学派に所属している学者を探し出して、あの薬を手に入れてきます。王都になら必ず一人や二人、ラドモラス学派の学者がいるにちがいありません」


「しかし、待て、アレン。あの薬は患者の命を助けることもあるが、あの薬自体が原因としか思えない急死を招くこともある危険な薬なのだと、レオニシュ先生は言っていなかったか? だから死にかけている患者にしか使わないし、患者本人か家族の同意が得られない場合も使わないと」


「そうですね」


「そうですねって、おまえ!」


 切羽つまり、うわずった声で、アレンは叫んだ。


「リアンは、いままさに死にかけてるんですよ! あいつを助けられる手立ては、もう他にはありません!」


「では、薬をさしあげたことが原因で、殿下が命を落とされた場合はどうするのだ! おまえは、そこまでちゃんと考えているのか!?」


 国一番の剣士の称号を持つ青年士官は、血の気が失せた顔をあげた。両手は固く握られ、かすかに震えている。


「王子殿下が落命されたときには、その場で俺も殉じて果てる覚悟です。その誓いは、近衛士官として王子のお側に仕える任務を拝命した時に、とっくに立てているのです。

 王子殿下の盾となっておのが身に銃弾を浴びたイグナーツ・ボルン卿が副官に託した死に際の言葉は、『王子は我が国の至宝。必ずお守りせよ』だったそうです。

 俺の覚悟だって、ボルン卿の覚悟と、なんら変わりありません」


 立ちあがったアストゥールは、アレンのそばに歩みより、肩に手を置いた。その手の位置がとても高かったので、つくづく思う。あのやんちゃ坊主が、立派な大人になりやがってと。


「おまえの覚悟はわかった。だが、その役目は俺にまかせろ。なにも、まだ若いおまえが武人としての名誉までけがされかねない危険な賭けの賭け代に、命を差し出すことはあるまい」


 アレンは首をふる。


「これは、若いからこそ、俺の役目だろうと思っています。アストゥールさまには、王子殿下が落命された場合に起こるであろう我が国の混乱に対処していただく役を担っていただかなければ。殿下の側近で軍の中枢部に食い込んでおいでになる方は、まだアストゥールさましかおられません。

 俺の身分は、近衛護衛隊の小隊長にすぎません。いろいろと悪目立ちしているせいで、名前だけは世間に売れていますがね」


 そこまで考えてかと、アストゥールは深いため息をついた。


「わかった。学者を探しだす手立ては考えているのか? ローレリアンさまの以前の口ぶりから察するに、ラドモラス学派はうさん臭い学説を立てる学派だと、学士院や宗教関係者からはうとまれている様子だが」


「これから考えます。俺には専門的な学問のことは、よくわかりませんので」


「モナさまなら、レオニシュ先生との親交も深いご様子だから、なにかご存知かもしれないが」


「アストゥールさま」


 アレンの真摯な瞳が、アストゥールをまっすぐに見る。


「モナさまを巻き込むことはできませんよ。あの方は、リアンの大切な想い人なのですから」


「そうだな」


 外見はずいぶんと変わったが、こいつの中身は、やはり田舎豪族の三男坊、実直なアレン少年だ。こいつに友情を誓われたローレリアンさまは幸運な方だよと、アストゥールは思った。


 願わくば、この若者たちの(あつ)き友情に免じて、王子の命を救ってくださいと、アストゥールは心の中で神々に祈る。


 しかし、その祈りは荒っぽくたたかれる扉の音で中断された。


 アストゥールの許可を得て執務室へ入ってきたのは、副官のランセニエ卿だった。手には一枚の紙を持っている。


 ランセニエ卿はアストゥールの執務室に王子の護衛隊長がいたことに驚いた様子だったが、すぐに冷静な表情にもどって綺麗な敬礼をしたあと、持っていた紙を上官へさしだした。


「閣下、不測の事態です。王子不予の機密情報は、すでに城下へ漏れています。これは本日朝市が開かれているトレール広場でばらまかれた号外新聞なのですが」


 受け取った紙を見下ろして、アストゥールはうなった。粗悪な紙に印刷された新聞の見出しには、『聖王子殿下危篤』とある。


 声を荒げて、アストゥールは副官に問う。


「いったい、どこから情報がもれたのだ!」


「わかりません。憲兵隊の治安担当者によりますと、その新聞の発行元になっている新聞社は実在しないということです。

 城下では、とんでもない騒ぎが起こっております。ローレリアン王子殿下が薨去(こうきょ)されるようなことになれば国債が暴落するとのうわさがまことしやかに流布し、市民が銀行や証券取引所に押しよせているのです。

 取り付け騒ぎが広がった場合、我が国の経済は破たんしかねませんので、財務省はこれから本日の証券取引停止命令を発するとのことです」


「王宮の内部、それもかなり奥に近い場所へ、革命派の密偵が入りこんでいるのか? 王子殿下の容体が急変したのは、昨夜のことだぞ」


「情報をもらしたのは、革命派とは限らないと思います。ローレリアン殿下に万一のことあらば、貴族に課税して国の財政難を乗り切る計画は、とん挫するはずですし」


「自分のことしか考えていない短絡的なやつなら、確かに情報を外部にもらしかねんな。その結果、我が国に何が起こるかなぞ、そいつは欠片も考えておらんのだ。貴族への課税など、その場しのぎの政策にすぎんというのに。これからもローザニアが大国でありつづけるためには、社会そのものを作り替えていかねばならん」


 現状の分析と対処法について討議しはじめたアストゥールと副官を見て、アレンはかすかに笑った。あとは、この人や黒の宮の連中に、任せておけばいいのだと思ったからだ。ローレリアンが集めた頭脳集団は、どんな時でも最善の結果を導き出す努力を続けようとするだろう。


 だから俺は、いま俺がやるべきことに、全力をつくせばいい。


 そう決意したアレンは、敬礼しながら辞去の口上を口にした。


「では、将軍閣下。わたくしは、これで」


 ふりむいたアストゥールは、切なさをにじませた目で愛弟子の青年士官を見た。


 事態が最悪の経過をたどった場合には、これが今生の別れになるかもしれない。


 おたがいにそれを理解している師弟は、惜別の情を視線で交わしあったのだった。

不予…王や王に近しい親族が病気になること

薨去…王子、王弟など、王につぐ身分の高貴な人が亡くなること

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