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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 … 7

 驚くべきことに、ローレリアン王子が執務を休んだのは、狙撃を受けた当日の午後だけだった。その翌日の朝には左肩を布で包んで固定した痛々しい姿で焼跡の聖蹟へ出かけていき、大火の犠牲者を悼む野辺送りの祈祷も行っている。


 さすがに自分の足で歩いて7つの聖蹟をめぐるのは辛かったらしく、服装は略式の法衣に改められ、馬にまたがってはいたが。


 しかし、その馬上の姿が、また凛として素晴らしかった。


 どんな妨害にあおうとも、大火の犠牲となった者の魂を慰める儀式は必ずやり遂げようという決意が、王子の美しい横顔を神々しいまでに輝かせるのだ。風が吹くと、袖を通せず羽織っただけの上着の左裾と、儀式用の白い細帯がなびいて揺れる。王子の金の髪もだ。


 その王子が側近たちをしたがえて荒野を馬で進むさまは、まるで錦で彩られた聖人伝説の挿絵でも見ているような光景だった。


 王都の大火で住む家や財産を失った人々は、途方にくれながらも、王子の行動に勇気づけられた。


 王子は行く先々で歓声をもって迎えられ、負傷した左肩をかばいながら祈祷をしたり、慰めを求めている人に声をかけたりした。


 痛々しい王子の姿に心を痛めた人々は、焼け跡から焼け残ってまだ使えそうな家財道具を探しだす作業の手を止めて、7つの聖蹟をめぐる王子の野辺送りの道行きが少しでも楽になるようにと、瓦礫をどけて道を作った。王子は野辺送りの祈祷が終わる7日目まで毎日この道を巡りゆき、人々は聖蹟をつなぐ道を『王子の聖なる道』と名付けて、そのまま大切に残した。これがのちに、立派な環状道路となる。


 かなりの年月がたって、外国の賓客から王都の東岸の街の美しさをたたえられたとき、「あの街を作ったのは、わたしではなく街の住人なのだ」とローレリアンは答えた。自分は焼跡に7本の聖杖を立てただけである。あとはすべて国の民の力でなされたのだと、彼は誇らしげに語ったという。






     **   **






 7日に渡ってなされた野辺送りの祈祷が終わると、ローレリアン王子は王都大火対策本部を王宮内へ移し、花の女神フローラの神殿には直属の文官を配して現場での実務にあたらせることにした。


 表向きの理由は、これ以上『黒の宮』で預かっていた国王の輔弼業務を滞らせるのは難しいからということになっていたが、実際の理由は、もっと深刻なところにあった。


 肩の傷の回復が思わしくなかったのだ。


 王子を現場に置いておくと、どうしても仕事にとらわれて休んでくれないもので、とうとう業を煮やした側近たちは強制的に王子を王宮へつれもどし、寝所へ閉じ込めてしまったのである。


 王宮につれもどしてしまえば、王子の世話を焼きたい者は無数にいるし、宮廷のなかのことは王子よりも侍従たちのほうがよく知っている。ローレリアンがいくら仕事をしたいと訴えても、侍従たちは「殿下のお仕事のことは、私どもではよくわかりません」ととぼけ、王子に叱られようが拗ねられようが、素知らぬ顔で押し通した。


 そして、数日後。


 下っ端に言ったのでは埒があかないと、とうとうしびれを切らせたローレリアンは首席秘書官を呼び出した。いくつか気になっていた案件の行方がどうなっているのか、報告を聞きたかったのだ。


 ところが、呼び出しに応じて王子の寝所へやってきた首席秘書官カール・メルケンは、まだ32歳でしかないのに周囲から『親父殿』というあだ名をちょうだいする原因となった老け顔をこわばらせて、頑固親父そのものの態度で怒っていた。


 王子の寝所へ入ってくるなり、ベッドの上のローレリアンをにらみつけ、「で? わたくしにいったい、どういう申し開きを聞かせてくださるとおっしゃいますのか? あれほど、御身はかけがえのないものなのですから大切になさってくださいと、申し上げておりましたのに!」と、口髭をぷるぷる震わせて言い放つ。


 これはまずいと思ったローレリアンは、しおらしく「いや、心配をかけて悪かった。しばらくはおとなしく療養するから、あとのことはよろしく頼むと言いたかっただけだ」と謝った。これでは、どちらが主かわからないと思いながら。


 仕事中毒もたいがいになさいと、さんざん説教の言葉をならべたてたあと首席秘書官が退出してしまうと、王子の寝所には静寂が訪れた。どうせ休むなら静かに休みたいと、侍従は宿直役一人を残して控えの間に下がらせてしまっていたし、ラッティは母のところへ礼の言葉を伝える使いにやってしまったのだ。


 ローレリアンの体調を心配した母親のエレーナ姫は、毎日、自分の庭で育てている花や、田舎の神殿で覚えたレシピで焼かせた素朴な焼き菓子などを届けてくれる。


 微熱がつづいて食欲が失せているローレリアンにとって、この庶民的な焼き菓子は郷愁を誘う思い出の一品だった。暖かいミルクといっしょに焼き菓子を口にふくむと、菓子はすぐに柔らかくほどける。病気の子供に、この焼き菓子とミルクを与えるのは、ローザニアの家庭に古くから伝わる伝統的な家庭療法であり、子供時代のローレリアンも熱を出すと、神殿の宿舎の寮母からこの菓子をもらっていた。


 母親から受け取る愛情は、大人になってもやはり特別なものだ。いままでいろいろなことがあったが、生きているうちに母と再会できたことは、素直に嬉しいと思う。


 静かに横になっていると、傷を負っている左肩が、じくじくとうずいた。傷は(うみ)をもっており、しかも、その膿の性状は、大づかみでしかないローレリアンの医学知識に照らし合わせてみても、あまり良いものとは言えなかった。午前と午後と夜更け、日に三度も診察にやってくる宮廷医も、表情を曇らせたままだ。


 このまま傷の化膿がつづいて壊疽(えそ)を起こしたり、傷の毒が全身にまわって高熱が出たりしたら、自分は死ぬかもしれないなと思う。


 その漠然とした予感は、ローレリアンの心中に何の感慨も生まなかった。


 大火で焼けた東岸の街にいた時には、とにかく目の前にやらなければならないことがあったから、一生懸命取り組みもしたが。


 つくづく、損な性分だと思う。働いていなければ、生きているという実感が得られないのだ。他人から愛されるためには常に努力していなければならないと思い込んでいた、孤独な子供時代の淋しさに、いまだ自分はとらわれている。


 わたしは王子なのだ。いまでは、わたしを頼りに思い、共に国の未来を築きましょうと言ってくれる者だって周囲には大勢いる。けれど、わたしは、この飢えにも似た淋しさから逃れられない。


 こうして何もせずに寝ていると、自分が生きている意味がわからなくなってくる。わたし一人が死んだところで、この世界はなんら、変わらないのではないだろうかと。


 これ以上、苦しい思いをして、生き続ける必要はないのではないか。


 わたしには、宰相のように国家のためにだけ生きる、潔い生き方はできない。


 わたしは、本当は弱い意気地なしなんだ……。


 微熱がつづく体は重く、柔らかい敷布のなかに沈み込んでいってしまいそうだった。


 うとうとと、眠気ばかりが訪れる。


 もう、何もかもが、どうでもいいと思えた。


 すべてを投げ出して、ただひたすら眠っていたかった。






     **     **






 その日の夜、ローレリアン王子の熱は高熱となり黒の宮の内部は騒然となった。


 自分が死んでも世界はなんら変わらないと王子は思っていたが、すでにローザニアの聖王子ローレリアンは至誠をもって国を導こうとする優れた指導者になるであろうと、多くの人々から認められつつあったのだ。


 王子不予の知らせについては箝口令(かんこうれい)が敷かれ、王子のそばに仕える者や肉親は、眠れない夜をすごした。


 しかし、人事不省におちいったローレリアン自身は、その騒ぎを知る由もなかった。

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