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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 … 6

麻酔なしで銃創の処置をする描写があります。痛いのが苦手な方はご注意ください。

「いやあっ、リアン!」


 つぎにローレリアンの意識が現実へと浮上したのは、運びこまれた野営病院の天幕の下でモナの悲鳴を聞いた時だった。


 背中には外科処置用の固い診察台が触れており、身動きをすると左肩に激痛が走る。どうやら自分は仰向けに寝かされているらしい。


「いったい、何があったのよ! 何度も銃声が聞こえたわ!」


 モナが息を弾ませているアレンの胸ぐらに、つかみかかっている。アレンの深緑色の軍服は、おびただしい量の血で染まり黒く変色していた。自分は彼の肩に担がれて運ばれたのだ。親友の護衛隊長は、男一人を肩に担いで苦も無く走った。やっぱり彼と自分とでは身体の鍛え方がちがうのだと、妙に感心してしまう。


 アレンがモナに答えている。


「屋根の上に配置した衛兵のなかに刺客がまぎれこんでいたんです。屋根の上の衛兵は憲兵隊と第一師団の混成で、他の建物の屋根の上で同じ任務にあたっていた連中は、見かけない顔のそいつを、よその部隊のやつだろうと思い込んでいて見逃したのだと思います。

 どういう方法で持ち込んだのかはわからないが、やつは3丁の銃を持っていて、そのうち2丁の銃弾を連続して発射。3丁めの銃を構えようとしたところで、護衛隊に射殺されました。

 自分の逃げ道を確保するより、王子を狙撃するチャンスを3度も作ろうとしたあたり、捨て身覚悟の行動です。その命がけのやり口からして、犯人は王権打破を目論む革命派の闘士でしょう。庶民の間でローレリアンさまの人気が高まっているせいで、やつらは焦っているのだと思います」


「だからローレリアンを殺してしまおうだなんて、ひどい……!」


 軍医が二人の会話に割りこむ。


「殿下が浴びておいでになる血は? 銃弾が当たったのは肩だと聞いたが」


「殿下をお守りしようとした、護衛隊士の血だ。銃弾は約40モーブの距離から発射された。角度は――」


 軍医とアレンが話しているあいだに、複数の手がローレリアンの着衣をはいでいく。


 たのむから、もう少しそっとやってくれと思う。


 ちょっとのことで、ひどい痛みが起こって目がくらむ。


 背をのけぞらせて、浅い呼吸をくりかえして痛みを逃す。


 懸命に我慢するのに、どうしても歯を食いしばった口からうめき声がもれてしまう。


 まわりで物を集める音がする。人が忙しく動きまわる気配も。


「リアン、リアン! しっかりして! いま、傷の手当てをするから!」


 モナの声を聴いて目を開いたら、彼女はハサミを手にしてローレリアンの左肩を覆う袖を切り裂いていた。彼女は、この野営病院で看護人の手伝いもしているから。


 モナのすみれ色の瞳からは、滂沱(ぼうだ)の涙があふれ出ていた。ハサミを握る手も、震えているようだ。丁寧に扱われているハサミは、時々意味もなく止まり、カチカチと鳴る。


「アレン」


 やっとの思いで声を出して、ローレリアンは親友を呼ぶ。ひどいかすれ声だ。この程度のことで、情けない。


 アレンはすぐに傍へやってきて、ローレリアンの聞き取りにくい声を聴こうと口元に耳をよせてきた。


「イグナーツ……、は、どうした?」


 親友は暗い目を伏せる。


「だめだった。ついさっき……」


 ローレリアンはきつく目を閉じた。


 自分をかばって死んだ男のために、なにを言えばいいのだ。


 いまは、祈ることさえできない。


 あまりに、混乱していて。


 (まぶた)を閉じてとじこもる暗がりに、アレンの声が響く。


「すまん、リアン。この状況を俺がなんとかできたと、うぬぼれるつもりはないが。

 だが、俺がお前のそばから離れなければ、こんなことにはならなかった。どんな手段を使ってでも、お前のそばからは離れるべきじゃなかったんだ。

 俺がお前のそばにいれば、多少なりともイグナーツ卿の負担は減らしてやれただろうし、地上の警備を厚くするために高所警戒の任務を混成部隊にまかせるような無茶も、やめるよう進言できたはずだ」


 あいかわらずアレンは責任感が強くて誠実な男だった。彼を営倉から出してやらなかったのはローレリアンだというのに、彼自身は自分を責めているのだ。


 ローレリアンは恥ずかしさのあまり口を閉ざした。


 後悔にさいなまれる辛さで、身も心もねじ切れそうだ。


 この非常事態に『王子殿下の影』が不在では辛いなと周囲が感じていることに気づいていながら、アレンを営倉から出してやらなかったのは、ローレリアンのわがまま以外の何物でもない。


 全身がしびれる。


 心の中に繰り返し去来する思いで、鞭打たれているかのようだ。


 アレンに、自分の惨めな姿を見られたくなかったから。


 それだけの理由で、わたしはアレンを自分のそばから遠ざけた。


 その結果、現場の混乱はさらにひどくなり、イグナーツは死んだのだ。


 自分が撃たれたのは自業自得だ。いま、わが身に襲いかかってくる痛みは、まさに神々から下された天罰なのだろう。


 だが、イグナーツが死んだのは、わたしのせいだ。


 わたしは、王子なのに。


 国の民や、仕えてくれる者たちのことを一番に考えなければならない立場にあるのに。


 わかっていたくせに、わたしは決断に私情を交えた。


 自分可愛さに、最善の選択をしなかった。


 だから、イグナーツは死んだのだ。


 彼を殺したのは、わたしだ。


「殿下、ご無礼をお許しください。銃弾は貫通せず、いまだ御身のうちにございます。傷の深さを確かめたのち、刃物を使いまして銃弾を取りださねばなりません」


 軍医の説明を聞き、同意の証しとしてうなずく。


 アレンが処置台の右側にかがみこみ、ローレリアンの右手を強く握ったうえで、傷を負っていないほうの肩をおさえにかかった。左手や足は、看護人におさえられる。


「動くなよ」と忠告されて、腹が立つ。自分はかつて医者の助手だってしていたことがある何でも屋だ。王宮から出たことがない世間知らずの王族などと、いっしょにされたくはない。この手の傷の手当が、どんなものかはよく知っている。


「失礼いたします」


 強い酒の匂いが鼻をつき、傷口の周辺の血がぬぐわれる。傷が焼ける感覚の次に襲いかかってくるのは、細い器具で傷の内部を探られる生々しい痛みだ。


 意地でも動くものかと思うと、体中に力が入って息がつまる。


 つまった息から漏れ出るうめき声は、とても自分の声とは思えない獣じみた声だった。


 脂汗が噴きだして額がぬれた。


 その汗を優しく拭い取ってくれる手がある。


「リアン、がんばって」


 モナだ。


 彼女の声は、まだ震えている。


 馬鹿なわたしのために、彼女は泣いているから。


 傷口から器具が抜き取られ、ほんのしばらくの休憩となる。


 浅くあえぎながら、ローレリアンは言った。


「アレン」


「なんだ」


「モナを…、外に、出してくれ……」


 わずかな沈黙のあと、アレンが答えた。


「シムス、ヴィダリア侯爵令嬢を天幕の外へお連れしろ」


 すかさず「いやよ! わたしはここにいるわ!」とモナが応じるが、アレンは有無を言わさぬ命令口調で彼女を黙らせてしまった。


「モナ様がここにおいでになると、殿下はみっともなく騒げないんですよ! 男の沽券ってものを、わかってやってください! シムス、早くお連れしろ!」


 ざわざわと空気が動き、女性のすすり泣く気配が遠ざかっていく。


「これでいいか」とたずねられて、ローレリアンは目を閉じたまま、黙ってうなずいた。


 これで、いいのだ。


 罰は、わたしが一人で受けるべきもの。


 ともに彼女が悲しむことはない。


 もう二度と、彼女の涙は見たくない。


 わが身に下された天罰は、神々からの神託でもあるのだろう。


 わたしが、モナを妻にしたいなどと愚かな望みを持ったから、神々は警告してくださったのだ。


 わたしの妻となる女性の身には、つねにわたしと同様の危険がつきまとう。王権打破を狙う革命派などにとっては、王子妃も単なる政治目的の暗殺目標にすぎない。


 彼女が銃弾に倒れる可能性など、考えたくもない。


 わたしのそばにいては、危険なのだ。


 わたしは誰よりも、そのことを知っているはずだった。


 赤子のわたしが両親の存在すら知らされず、かくして育てられた原因は、わたしの存在を疎ましく思った者が、わたしを殺そうとしたからだ。


 寂しく悲しかった幼少期のことを、最近のわたしは忘れかけていた。


 王子の責務は重く、他のことなど考える余裕はなかったし、いつも優秀な側近たちに助けてもらっているおかげで、とりあえず日々の生活は充実していたから。


 愛する人に、わたしと同じような思いはさせられない。


 不安に満ちた日々を送らせるようなことは、とてもできない。


 彼女を王子妃にむかえたら、どんなに大切に彼女を守ったとしても、彼女は泣き続けることになるだろう。わたし自身は王子として危険から遠ざかることはできないし、国のためには命を懸けることだってある。


 もう夢見ることは、あきらめなければならない。


 彼女の人生と、わたしの人生は、交わるべきではないのだ。


 わたしが見る夢は、この国の未来の姿だけであるべきだ。


「殿下、しばしの御忍耐をお願い申し上げます」


 軍医の冷静な宣言とともに、生身を切り裂く激痛がローレリアンの肩にほとばしった。


 肩には大きな血管や大切な神経が通っている。銃創は丁寧にゆっくりと切り開かれ、痛みはこれでもかとばかりにローレリアンをさいなんだ。


 まさにこれは天罰と、聖職にある王子へ、信じこませるには十分なほどに。


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