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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第七章
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漆黒の御旗 … 4

 そして、翌日の昼前。肝心な時に営倉にとらわれて、王子殿下のおんため、もっとも働かなければならない時に働けなかった間の悪い男は、やっと許されて現場復帰を果たした。


 敬愛している直属の上官の現場復帰が嬉しくて、副官のシムスは宵番明けで眠いのを我慢して近衛師団本部まで上官を迎えに行った。しかし、営倉から出てきた上官の顔を見るなり、「やあ、むかえにきてくれたのか」と、ほめてもらえるだろうと思っていた自分の甘さを呪いたくなった。


 もともと彼の上官は、あまり笑わない男である。士官学校時代のあだ名は『氷鉄のアレン』という。最近は、なにかいいことがあったときに「にやり」程度には笑うようになってきたので、シムスは「名門貴族家系出身の同級生たちから、やっかみ半分でかなりいじめられたという話だから、隊長もご苦労なさったんだろうな。ちょっとは笑えるようになったみたいだから、よかった、よかった」と思っていた。


 ところがどうだ。


 ローレリアン王子付き近衛護衛隊第3小隊長アレン・デュカレット卿は、営倉から出てくるなり抑揚のない声で「王都大火の夜より時系列にしたがって、主な出来事を報告しろ。おまえの主観は入れず、事実だけを端的に述べろ」と命令する。冷たく固まった顔には表情らしい表情が見られず、まさに「氷」だの「鉄」だのといった、たとえがぴたりとくるから怖い。


 副官としては、「はっ、かしこまりました!」と敬礼して、命じられたとおりにするしかないではないか。本当は「隊長の馬『ガレット二世号』は昨日のうちに東岸へ渡らせておきましたので、船着き場までの足には馬車をご用意しました」「気が利くな、シムス」なんて、やり取りを期待していたのに。


 求めに応じて淡々と報告しつづけたおかげで、プレブナンの王宮がある丘をまわりこむようにして流れるレヴァ川を渡し舟で渡るころには、シムスの報告は前日の出来事にまでたどり着いていた。


「こまったことに、黒い御旗が王宮の掲揚台から降ろされたのを見て、市民が一目でもよいからローレリアン王子殿下のお姿を拝見しようと、渡し舟の船着き場に押しよせてしまいまして。馬車が先へ進めなかったものですから、王子殿下は馬車から降りて群衆のなかを歩かれたのです。その場に居合わせた第2小隊の連中は、肝が冷えまくって寿命が3年は縮んだと、ぼやいておりました」


 川風に吹かれながら渡し舟の客席に座り、腕を組んで真剣に考えこんでいた第3小隊長殿は、副官のシムスにたずねた。


「それで、イグナーツ・ボルン隊長代理が取られた対策は?」


「はい。まず、王子殿下の御旗は王子殿下が王宮から御出発なさるときに降ろすのではなく、王子殿下が東岸の王都大火対策本部に御到着なさり、神殿の鐘楼にもうひとつの御旗があがったのを確認してから降ろすことになりました。

 本来御座所を示す御旗は殿下とともに移動するものですが、殿下の身辺の安全を確保するためとして、アストゥール・ハウエル将軍が典礼院に直接掛け合ってくださいました。御旗を二流使用するなど異例のことですので典礼院はかなりごねたそうですが、最後は将軍の一喝で決まったとのことです」


「ハウエル将軍のか」


「そうです。ボルン隊長代理は現場が人手不足なのもあって、てんてこ舞いなさっておられますよ。とても王宮まで出向く暇はありませんし、なにかというとハウエル将軍に相談を持ちかけておいでになるみたいです。第2小隊長のスルヴェニール卿は『難しいことは俺にはわからん』で済ませておしまいになりますから、あてにならんのでしょう」


「ふん。先をつづけろ」


「それから、群衆が王子殿下のもとへ押しよせないよう、人が集まる場所での警備人員配置の見直しが行われました。主な変更点は――」


「それはいい。本部へ着いたら文書で確認する」


「わかりました。それから、我々の小隊の現状ですが」


「8割方の隊員がもどってきているのだろう?」


「はい」


「ならいい。おまえは一見軽そうな男だが、やることはちゃんとやる男だ。俺が不在の間の小隊の管理に関しては信用している」


「はいっ、隊長!」


 シムスは、ほめられて、満面に笑みを浮かべた。これがあるからアレン隊長の部下でいるのは面白いと思える。


 ぶすっとした隊長から、たまにほめられると、仲間たちは大喜びなのだ。隊長は裏表のない人だから、部下をほめるときは、いつでも本気だ。


 まったく、不思議な人だよなあと、シムスはいつも感心している。アレン隊長の部下は全員彼より年上なのに、誰もそのことを気にしていない。本人もだ。大事の前には、小事などどうでもよいという態度で、アレン隊長はいつでも堂々とされている。


 俺は考え事をするから、しばらく黙っていろと言われて、シムスは上官の横顔をながめやった。


 アレンは遠い目で、遠ざかっていく西岸の岸辺を見ている。


 その視線の先には、王宮がそびえる丘がある。


 もともと固い地盤が隆起したものであるらしい丘の上の城は、いまでは壮麗な宮殿になっている。聖王パルシバルが、かの地に城を築いた時には、水の確保に苦労したという話だ。今ではレヴァ川の水流を利用した22の水車で水をくみ上げ、丘の上から流す上水道が機能しているから、丘の斜面に建ち並ぶ貴族の館でも水には不自由しない。


 丘の上の宮殿の姿は、アレンにさまざまなことを考えさせた。


 ひょっとしたら彼の親友は、王となってあの宮殿の主になるのかもしれない、――などといったことを。


 それがローレリアンの望む未来の自分の姿であるとは、アレンにはとても思えなかった。


 ローレリアンは貧しい人々が苦しんでばかりいる今のローザニア王国を変えたいとは思っているが、人々の上に君臨したいとは夢にも思っていない。周囲から祭りあげられて否応なく王にならなければならなくなったら、彼はどうするのだろうか。


 自分が背負う業に愛する人を巻き込みたくないから一生独身でいようという決意も、王位を継がなければならないとなれば、貫き通せなくなるだろう。だが、自分の命とひきかえにしてもいいと思ったほどの恋をあきらめて、他の女性と結婚などできるものなのだろうか。


 自分の身に置き換えて考えてみても、それは無理だろうと思うアレンである。


 自分だったら、愛する女性の代わりに妻にした女など、とても愛せやしない。そういう気持ちは、どうしたって相手にも伝わってしまうから、夫婦ともに不幸になってしまうのは目に見えている。


 相手の女性に、この結婚は最初から政略結婚だと割り切って享楽的に人生を楽しめるような人を選べば、女性のほうは、それほど不幸にはならないのかもしれないが。


 しかし、そうなった場合、生真面目なローレリアンの不幸は倍増しになってしまうだろう。なにしろ彼は聖職者だ。愛人を作ったり贅沢を楽しんだりする妻を軽蔑しきってしまうだろうし、そういう女性と愛のない結婚をした自分のことを、神々の教えに背く背徳者であると感じて、一生苦しむに違いないのだ。


 だいたい、いまだって、やつはへこんでいるに決まっている。


 大火で焼けた街を再建し、被災した人々を助けるために、自分の二つ名である『ローザニアの聖王子』という名を神格化して利用したりして。


 馬鹿なあいつは、自分を信用していない。


 あいつほど国の民のことを心から思っている王子なんて、歴代の王族のなかにだっていやしないと思うのに。あいつ自身は、『わたしは国民をだましている』なんて罪の意識で、苦しんでいるのだ。


 国を導く立場にあって、嘘をつかない指導者なんて、過去にも未来にも、いるわけがないじゃないか。ある意味、こういう国を作るぞという指針の発表だって、失敗すれば壮大な嘘ってことになる。嘘と夢語りは、指導者にとって、甘く危険なカクテルだ。先を読み誤って悪酔いすれば、国中の人々を不幸におとしいれてしまう。


 その点、嘘をともなって実現する夢のあやうさを危険視して自分を責めるローレリアンは、まともな感覚の持ち主なのに。もっと自分をほめてやれよと、アレンは苦悩するローレリアンを見るたびに、いつも思ってしまう。


 だが、シムスの話では、今回はちょっとだけ様子が違うらしい。焼跡に聖杖を立てた晩、へこみまくっていたローレリアンのところにモナさまが訪ねてみえて、なにか言うかやるかして励ましてくれたようだ。


 王子殿下が翌朝にはすっかりお元気になられていたので、みなびっくりしたのですよ――、というシムスの報告には、さもありなんと思う。


 モナさまには、不思議な力があるのだ。


 へこんだ男に活力を取りもどさせる、謎の力。


 アレンにもうまく説明できないのだが、その力については自分でも体験立証済みだ。


 自分の淡い初恋の相手が王子殿下の想い人である事実は、アレンにとって生涯誰にもあかせない、心温まる思い出である。


 いっそのことモナさまが王子妃になってくだされば、ローレリアンの苦しみは、かなり軽くなるはずなのにと、アレンは思う。モナさまは国内の貴族の令嬢としては王子妃にもっともふさわしい方だろうと、国中の人々から思われている女性なのだし。実際、聡明だし、博識だし、誰にでも優しい。それに何より、ローレリアンを深く愛してくれている。


 しかし、おたがいのことを大切に思うあまり、あの二人はどちらも、最後の一歩を踏み出せないでいる。


 ローレリアンはモナさまの自由を奪いたくないし、モナさまはローレリアンの王子としての立場を悪くしたくない。


 どちらの気持ちもわかるから、アレンも身動きが取れない。立派な三すくみの構図が成立だ。三つの頂点をなすうちの誰かが、その構図を突き崩す行動をとらない限り、永遠に事態は変わらない。


 ひょっとして、最初に行動をおこさなければならないのは、見守る立場に立たされてる俺なのか? あの二人に行動を起こさせることができるのは、どちらとも親しい友人である、俺しかいないのではないだろうか。


 アレンがそう思った瞬間、渡し舟が桟橋に接岸し、大きく揺れた。


 あたりには渡し場の喧騒が満ちている。王都の西岸からは、ぞくぞくと救援物資が運び込まれているのだ。その仕訳と運び出しで、働く人々はみな走りまわっていた。


 アレンは鋭い目で、一帯を観察した。


 まずは、東岸の街の地理と人間の動きを記憶に刻み込まなければ。営倉の中で資料からわかる限りの情報は、調べつくしてきたが。おかげでアレンは、近衛師団本部の衛兵から嫌われてしまった。護衛部隊総隊長から許可を取り付けて、営倉へ次から次へと資料を運びこませたもので。


 渡し舟の縁をけり、アレンはしなやかな動作で桟橋に飛び移った。身体中の筋肉が、ひさしぶりに躍動する喜びの悲鳴をあげている。営倉の中では、筋力を落とさないための軽い運動くらいしかできなかった。腰の剣帯にかかる、剣の重みも心地よい。


「よし、いくぞ!」


「はいっ! 了解であります、隊長!」


 とにかく、俺はローレリアンを守らねばならない。それが王国の未来を守ることになるのだから。


 決意も新たに歩きだしたら、副官のシムスが嬉々として後についてきた。


 士官学校を出たおかげで、自分はいきなり士官に任命されて部下を持つ身になったが。最初から、シムスのように元気で頼りになる部下を持てたのは幸運だったなと、アレンは風を切って歩きながら思ったのだった。

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