聖王子の7本の杖 … 6
小さな神殿の神官長の部屋は、当然のことながら、こじんまりとした部屋だった。家具や調度も、丁寧な作りだが質素なものだ。
この部屋が王子に献上されると決まったとき、侍従たちは部屋の中身をそっくり、王族が使用するのにふさわしいものへと、入れ替えようとしたはずだ。その調度品の入れ替えが行われなかったのは、ローレリアン王子が侍従の行動を止めたからだろうということは、王子の人となりを知っている者になら誰にでも容易に想像ができた。
質素といっても、ここはひとつの神殿を預かる神官長の住まいだ。居心地自体は、それほど悪くない。むしろ実用的で落ち着いた部屋の雰囲気から贅沢に関心がない王子の人柄を感じて、モナはかなり嬉しくなった。あの人は、出会ったころと、ちっとも変っていないのだと。
ローレリアン王子は白いシャツに灰色のズボンという夏らしい部屋着姿で、部屋の奥に置かれた机に片肘をつき、壁に貼られた地図をぼんやり眺めていた。
卓上に置いた書き物用の小さなランプと、天井からつるされた照明用のランプ。そのふたつの光が、王子の疲れた顔に複雑な影を作っている。
「なんだか、そうしていらっしゃると、神学生だったころのあなたを思い出すわ」
思わず挨拶ぬきで話しかけたモナの声を聴いて、王子はぎょっとした様子でふりむいた。この部屋へ入る許可を求めて扉の外から声をかけたのはラッティだったから、王子はモナが自分をたずねてくるとは、夢にも思っていなかったのだろう。
「モナ、こんな夜更けに……」
そうたずねながら立ち上がったローレリアンは、言葉をつづけることができなかった。
いつもなら冴え冴えとした光をたたえている水色の瞳はうつろで、なにも見えていない様子だ。おそらく、立ちくらみでも起こしたのだろう。
モナは慌てて、ローレリアンにかけよった。倒れそうな身体を支えようとして、つかまるものを探していたローレリアンの手が、モナの肩をつかむ。
そのまま自分の身体をローレリアンのわきへ差し込んで、モナはすばやく彼の状態を確かめた。
「めまいがひどいのね?」
答えられないローレリアンは、苦しげにうなずいて口元をおさえる。
「吐き気もあるみたいだわ。リアン、あなた、もう何度か吐いたの?」
「いや……」
半泣きのラッティが、モナとは反対の側からローレリアンの身体を支える。
「吐くもなにも、リアンさまは欲しくないからとおっしゃられて、夕食を召し上がっていらっしゃいません!」
モナはローレリアンをベッドに連れていきながら、モンタン医師を呼んだ。
「先生、彼を診て! すこし、熱もあるみたいよ」
ベッドに倒れこみながら、ローレリアンが言う。
「医者だって? 医者は……、ダメだ」
むっとしたモナは言い返した。
「どうしてよ? こんなに具合が悪そうなのに」
「いまはまだ、ここから離れるわけにはいかない。大火の犠牲者の弔いが終わるまでは」
「ようするに、御殿医や軍医に診察をさせたら、王宮へ連れもどされてしまうってわかっているほど、具合が悪いのね」
「もう、大丈夫。なおったから」
「そんなひどい顔色で、なおったなんて言われても、信じられるわけないでしょ!」
むきになってローレリアンは、声を荒げた。
「一晩寝ればなおるから、放っておいてくれ! 明日もわたしは、聖杖を立てた場所へ、弔いの儀式をしに行かなければならないんだ!」
自分の大声が、頭の中に響いたらしい。ローレリアンは眉間にしわをよせて、ベッドの上で身体を丸めた。
横になっているときに、こういう姿勢を取ろうとする患者は、たいてい胃腸の症状や身体の中の痛みで苦しんでいるのだ。
モナは、泣きたくなった。
ローレリアンは誰が何と言おうと、もっとも王子らしい王子様だ。彼以上に、王子にふさわしい人なんて、どこにもいやしない。自分よりも、民衆のことが大事。いつも心配しているのは、国の未来。そのうちこの人は、本当に王国のために死んでしまうのではないだろうかとさえ思う。
なるべく陽気に、モナは言う。
「大丈夫よ、リアン。モンタン先生は、わたしが個人的に雇っているお医者さんなの。彼には、そうとう恩を売ってありますからね。わたしが黙っていなさいと言えば、秘密は必ず守ってくれるわ。あなたの優秀なお小姓は、ちゃんとあなたの意向をさっして、軍医のところじゃなくて、わたしのところへ相談に来てくれたのよ。ラッティが賢い子だってことは、あなたが一番よく知っているでしょう?」
ここまでいってやっと、ローレリアンは観念した様子になり、モンタン医師に脈を取らせてくれた。モンタン医師の問いかけに、ぽつり、ぽつりと答えるローレリアンを見守りながら、モナはやきもきしてしまった。
秘密は守るとローレリアンには約束してしまったけれど、それはいかにも、無理なことのように思える。野営病院に必要な薬を取りに行ったりしたら、王子の側近たちはすぐに王子の体調不良に気づいてしまうだろう。
王子の側近たちは、民を思う王子の気持ちによりそったりはしない。彼らにとっては、王子以上に大切な存在など、ありはしないのだから。
だから、ローレリアンは、苦しくても我慢してしまうのだ。たった一人で、すべてを押し殺して。
どうしたらいいのかは、モナにもよくわからない。
この国にとって、ローレリアンはいまや、かけがえのない人だ。でも、まだこの地からは離れられないという彼の気持ちも、よくわかるから。
「モナさま」
モナがぐるぐる悩んでいたら、診察を終えたモンタン医師が話しかけてきた。
「どうなの? 殿下のお体は、深刻な様子?」
元からあまり緊張感とは縁のない性格であるモンタン医師は、のんびりと答えた。
「大丈夫だと思いますよ。殿下の症状は、砂漠で道に迷った人や、海で遭難して漂流した人に、よく見られるものと同じだと思います。水と少量の塩を少しずつ摂っていただけば、一晩で回復されますよ」
モナは目を丸くした。
「砂漠? 漂流?」
「はい、あるいは断食とかね。昔は、そういう状況でしか見られないものでしたがねえ、水不足の病なんて。しかし、最近は増えているんですよ。製鉄所とか、鋳物工場とか、工場を動かす蒸気機関の窯焚き場で働く男たちなんかのあいだで。長時間、高温の場所で無理な労働をすると、汗が体の中の水と塩を奪い取ってしまうのです。汗って、しょっぱいでしょう?」
頭に上る血を感じながら、モナはわめいた。
「窯焚き場って、リアン! あなたったら水も飲まずに、あの神官様の重たい衣装を着て、いったいどれだけのあいだ炎天下を歩きまわっていたの!? 馬鹿じゃないの!? すこしは自分の身体をいたわってよ!」
ローレリアンは憮然として答えた。
「しかたがないだろう。7本の聖杖は、計画した位置に正確に立てなければならなかったんだ。しかも、距離を測る道具は自分の足だけだぞ。集中して事にあたらなければ、目的は達成されなかった」
すでに彼は、忠実なお小姓の手によって、上半身を積み上げた枕に預ける居心地の良い姿勢にしてもらっていた。お小姓はと言えば、モンタン医師に「殿下にさしあげるお水は、レモンを絞って香りと喉越しをよくした水でもよろしいですか?」などと、たずねている。
そのあと、少量の果汁を絞り落として香りをつけた水をもらって飲んだローレリアンは、生き返ったといわんばかりのため息をついた。
生真面目なモンタン医師は、王子に忠告する。
「水不足の病を甘く見てはいけませんよ、王子殿下。乾きというものは、最初は強く感じますが、体に変調をきたすほどひどくなると、無感覚におちいることも多いのです。そのまま水を飲まないでいると、意識がなくなったり、痙攣を起こしたりして、死に至ることもありますから。明日も炎天下の焼跡へ行かれるのでしたら、こまめに休憩をお取りになってください」
「わかった。気をつけよう」
ここでとうとう、モナの我慢は限界に達した。身振り手振りをまじえて、彼女らしいにぎやかな抗議の声をあげる。
「明日も焼跡に行くなんて、とんでもないわ! せめて、明日は休んでちょうだい! 野辺おくりの御祈祷なら、他の偉い神官様へ代理を頼んだらいいじゃないの!」
ローレリアンは怖い顔でモナをにらんだ。
「それはできないんだよ、モナ」
「どうしてよ! あなたがうまく誘導したせいで、市民は大火の犠牲者を自分たちの手で弔ってくれているわ。その筋道がつけられたのなら、もういいじゃないの!」
壁に貼られた地図を、ローレリアンは指さした。
「この地図を見てごらん。わたしは7本の聖杖を、意図的に自分が決めた位置に立てたんだ」
怒りで頬を赤らめながらモナは地図を見つめ、その上に記された7つの印を見て、あることに気がついた。
「この印、ぜんぶが、ひとつの円の上にあるの?」
ローレリアンがうなずいた。
「そうだ。大火の犠牲者を埋葬した場所には、将来慰霊碑を立てて、周囲を広場とする。その広場を大きな通りで結んで、街づくりの基礎となる環状道路にするつもりだ。環状道路からは放射状に、また道が延びる。東岸の街は、はじめから計画された道によって、近代的で美しい街へ生まれ変わるだろう」
モナは怒っていたことなど忘れて、地図にかけよった。
「すごいわ、リアン!」
指で、地図の上に書きこまれた、印をたどる。
「街が燃えてしまって、みんなが途方にくれているときに、あなたはこんなことまで考えていたのね」
ローレリアンの返事には、陰気な響きがあった。
「べつに、昨日今日の思いつきじゃない。この3年間、わたしは毎日、王宮の窓から東岸の街を見下ろして暮らしてきたんだ。あのごみごみとした下町を、なんとかしなければならないと、いつも考えていたのさ。
なんとかならないものかと方策を考えているあいだに、東岸の街は燃えてしまった。
焼失した街の復興について考え始めたら、わたしは自分が恐ろしくなった。心の中に、街が燃えたことを、ほっとしてながめている自分もいると、気がついてしまったからね。
焼け跡の上に新しい街を作るのは、古い街を壊して新しい街を作るより、はるかに楽なんだ。市民の感情も、操作しやすい。
わたしは、新しい街の下絵を描くために、市民の悲しみの気持ちを利用した。
市民は、灼熱の焼跡を自分の足で歩き、聖蹟をひとつひとつ記していった、いかにも聖王子の名にふさわしい、わたしの巧妙な演技に騙されている。
わたしは、その大芝居をやりとげるために、水も飲まず、休むこともせずに、ふらふらになって歩きつづけたんだ。市民は、そんなわたしの姿を見て、王子殿下は死者のために心から悲しんでおいでになると信じた」
モナはローレリアンのベッドに歩みより、彼の腰のわきあたりにすわった。すると、視線の高さが同じになる。ローレリアンは積み上げた枕に、もたれていたので。
そっと手をのばして、彼のほほにふれた。
「あなたは、もっと自分を誇ってもいいんじゃない? 市民のまえで演技したなんて言っているけれど、本当は自分の足で距離を測るのに必死だったから、他のことを考える余裕はなかったんでしょう?
それに、あなたは心から悲しんでる。明日も野辺おくりのお祈りをしに行きたいのは、街の人たちに演技を見せるためじゃない。ただあなたが、祈りたいからだわ。無念の思いで死んだ人たちの、魂を慰めるために」
「ちがうさ。わたしが死者の弔いを途中で辞めてしまったら、せっかくまとまった市民の気持ちが、またばらばらになってしまうから」
「つまりそれは、野辺おくりを最後まで市民といっしょにやりとげて、みんなが心にけじめをつけて次の目標を見つけられるように、してあげたいってことじゃないの」
「きみは、どうしても、わたしを立派な人間に仕立てあげたいんだな。わたしは大火の犠牲者を人柱にして新しい街を作ろうとしている、ひどい男だぞ」
「そういうあなたは、どうしても、自分を悪者にしたいのね」
まだなにか言いたげにしていたローレリアンは、視線を手元に落とした。誰が何と言おうと、わたしはあなたを立派な人だと思っているわよと、モナは輝く瞳で訴えてくるのだ。その瞳をのぞきこみながら、愚痴を言い続けられる男はいない。
最後にローレリアンの口から弱々しく語られたのは、本音の泣き言だった。
「わたしは……、どうしても、自分がしたことを忘れられないし、許せないんだ……」
「もう、ほんとに、しょうがない人ね。あなたは馬鹿正直で、優しすぎるのよ」
もう一方の手ものばして、モナはうつむくローレリアンの頭をつかまえた。優しくなでると、淡い金色の髪はモナの指のあいだで滑らかにすべった。
「あなたは、自分を許せない気持ちなのね。
でも、聴いてほしいの、リアン。
嘘には、人を傷つけることが目的の悪意の嘘と、人を傷つけないために言わなければならない愛にもとづく嘘の、二種類があるのよ。
あなたは確かに、嘘をついた。でも、その嘘は、多くの人の心を救って、生きる希望を抱かせるための、壮大な愛にもとづく嘘なの。
そんなすごい嘘をつけるのは、王子のあなただけなのよ。ほかの誰にも、できないことだわ。
国民に夢と希望をもってもらえるように、王子は何度でも、それこそ一生のあいだ、嘘をつき続けなければならないの。
それはこれからも、あなたががんばって、やらなければならないことなの。
優しいあなたは嘘をつくことで、つらい思いをするのでしょうけれど……」
疲れ切った様子のローレリアンは、モナに髪をなでられながら目を閉じてしまっていた。
もう半分、眠ってしまっているのかもしれない。彼の息遣いは、とても穏やかだ。
―― わたしが言いたかったこと、ちゃんと彼に伝わったのかしら?
そう思いながら、モナはそっと、ローレリアンの額に口づけた。
「おやすみなさい、リアン」
モンタン医師がラッティにむかって「二時間ごとに殿下を起こして、水をさしあげるように」と指示し終えるのを待って、モナは立ちあがる。
後ろ髪をひかれる思いだった。
どうせなら、自分で夜通し、彼の世話をしたかったのに。彼のためなら、もう一晩くらい眠らなくても平気だ。眠くなんか、なるはずがない。彼のそばにいて、彼の息遣いを感じているだけで、こんなにも気持ちが高揚するのだから。
でも、それは許されないこと。
彼は、この国の王子だから。
焼け落ちた街に聖蹟を記す儀式を行った夜に、王子が女と夜を過ごしたなどという噂が立てば、ローレリアンの苦労は水の泡になりかねない。
彼は気高い王子で、聖なる人。この国の至宝となる人。
そうなるべく、彼は懸命に努力している。
その努力を、けがすような真似はできない。
王子の部屋から外に出たモナは、扉の前に控えていたスルヴェニール卿へ言った。
「王子殿下はとてもお疲れのご様子だし、気持ちもふさいでおいでになるみたいよ」
赤毛の護衛隊長は、いつも自信に満ち溢れている強そうな顔をゆがめた。
「無理もないかと……。焼跡で嘆いている市民の姿は、それは哀れなものです。殿下はとてもお優しい方ですので、全身全霊を傾けて、彼らの悲しみを受けとめてしまわれる」
切ない様子のスルヴェニール卿を見て、モナは安堵した。
「あなたのように殿下のことをよくわかってくださる方が傍においでになれば、きっと殿下も心強いと思います。わたしがこんなことを言うのも変だけれど、スルヴェニール卿も皆さんも、どうぞローレリアン王子殿下を、お願いしますね」
その場にいあわせた者たちは、驚いた顔でモナを見た。
この侯爵令嬢は騎士身分のスルヴェニール卿にだけでなく、一兵士にすぎない護衛隊士や下級豪族出身の侍従にまで、王子殿下を頼むと、言ってくださるのだ。その口ぶりやしぐさには、信頼の気持ちがにじんでいる。
一同の感激ぶりを代表して、スルヴェニール卿が深く腰を折り、申し上げる。
「わたくしの身命にかえましてもと、お誓い申し上げます。我が姫君」
おなじように腰を折った男たちも、つぎつぎに「我が姫君」「我が姫君」と唱えた。
モナはあいまいな笑みとともにうなずいて、その場から離れた。
神殿から深夜の外へ出て、暗がりへ足をふみだす。
鬱々とモナは考えつづけた。
王子の護衛官や侍従たちがモナを「我が姫君」と呼ぶのは、「あなたは王子の恋人です」と認めてくれているからだ。
でも、本当はちがうのに。
ローレリアンが孤独に耐えて苦しんでいるとき、自分は傍にいることすらできない。
王子殿下の御妃になりたいなんて、まったく望んでいない。
―― ただ、わたしは、彼が苦しんでいるときに、傍にいてあげたいのよ!
望んでいるのは、それだけなのに。
よその国のお姫さまを御妃にむかえたら、ローレリアンはとても誠実な人だから、きっとその方を大切にするだろう。
でも、相手のお姫さまは、ちゃんとローレリアンを愛してくれるだろうか。
王子としての彼の苦しみを理解して、彼を慰めてくれるだろうか。
痛みを分かちあおうと、してくれるだろうか。
きっとそうはならないという確信が、モナの心に重くのしかかる。
ローレリアンは絶対に、相手のお姫さまの出身国との関係とか、王宮でのお姫さまの立場などに気を使って、自分の本心をお姫さまに打ち明けたりはしないだろう。
自分の妻にすら心を打ち明けられない生活を、一生続けなければならないのが王子の義務なのだろうか。
そんなの、ひどすぎる。
王子だって、ただの人間なのに。
本当は孤独に苦しむ、弱い人なのに。
天と地にあらせられる我が神々、あなた方はローレリアンを守ってはくださらないの?
彼は救いを求めて、いつも祈っているのに。
この世に愛が満ちるように、神々の教えにしたがって生きようとしているのに。
ランプをかかげて暗がりを照らしながら歩いていたモンタン医師は、看護人用の天幕が近づいてきたので、後ろへふりむいた。なにかというと気の利かない彼にだって、自分の雇い主の侯爵令嬢にランプを持たせたりしてはいけないと思う程度の常識はある。
その雇い主に、寝所へつきましたよと告げようとして、モンタン医師は驚いた。
「モ、モナさま……!」
植物の種から取った油を燃やすランプの炎は小さい。光を反射するものがほとんどない野外の暗闇では、その炎で作る明かりは、やっと足元が見える程度の頼りない光だ。
その光が闇にまぎれて途切れる間際に立って、モナは泣いていた。
暗がりの中にあると、モナのすみれ色の瞳は紫色の水晶のような深い色をたたえる。
頬を伝う涙は、宝石が生み出す澄みきった清水に見えた。
すっかりうろたえたモンタン医師は、痩せた身体をモナのほうへかしげて、しどろもどろで言った。
「心配しなくても大丈夫ですよ、モナさま! 殿下は明日の朝には、お元気になられますから! やぶ医者ではありますが、わたしの診断を信用してください! ええと、その、わたしがやぶ医者と呼ばれるのは、かなり口下手だからだと思うのです! こんなわたしでも、一生懸命、それなりにまともな医者として、なんとかやっていけているわけでして!」
「ありがとう、モンタン先生」
モナは泣きながら、笑った。
つんと痛む鼻をすすりながら、ぼたぼたたれる涙を手で拭い、男の人って、やっぱり想像力に乏しい生き物なんだわと。
モンタン医師は、モナが王子の体調を心配して泣いていると思っているのだ。自分の目に見えている、表面の出来事にしか考えがおよばないらしい。
ランプの光が吹き出たモンタン医師の汗を、きらきら輝かせている。
その一生懸命さが、愛しいと思えた。
自分より強くて大きな男の人をただ怖いと思っていたころには、こんな気持ちにはならなかったけれど。
本物の恋に胸を焦がして少女の時代と決別したおかげで、それぞれに自分が信じるものだけを見ている男たちを、モナはいまやっと理解できるようになったのだ。