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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第六章
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聖王子の7本の杖 … 5

 遠い未来のことはさておいて、話はローレリアンが7本の聖杖を大地に立てた日の夜へともどる。


 ランプを手にして40の天幕を順に見てまわったモナは、今夜は自分も少し長く寝かせてもらわなくちゃいけないなと考えていた。大火が起こった当日の夜と、東岸へ渡って土の上に寝かされていた人々を助けてまわった昨日の夜。その二晩を、彼女はほんの少しの仮眠を取っただけで、がむしゃらに働いてすごしていた。


 疲れたなあと思うと、あくびが出た。


 軽症者を集めた神殿から遠い天幕に寝ている人たちは、すでに寝静まっている。重傷者を集めた天幕では、軍の衛生兵が当直をしてくれているし、仕事がなによりも好きで仕事のことしか考えていないモンタン医師は、具合が悪い患者が出れば、いつでも起きだしてきて診てくれるので安心だ。


 野営病院で働く女性たちに割り振られた天幕へむかって、モナは歩いていった。


 その天幕のまえには、女性に悪さをしようという不埒者(ふらちもの)が近づけないように、兵士が一人、歩哨として立っている。


 モナが天幕へ近づいていくと、その兵士は誰かと話をしていた。


 近づいてくるランプの明かりに気づいた兵士は、話し相手にむかって言う。


「ああ、帰ってみえましたよ」


「モナさま!」


 モナが手に持つランプの光に照らされて、こちらをむいたのはラッティ少年だった。


 最初は誰かと思ってしまった。ラッティは宮廷の小姓のお仕着せではなく、ローレリアン王子の親衛隊の従卒の制服を着ていたのだ。賢い顔立ちをした少年は、黒い軍服を着ていると立派な見習い兵に見えた。


 モナは驚いて少年にたずねた。


「ラッティ、あなた、軍へ入隊したの?」


「ちがいますよ。優雅な宮廷生活は、なによりもぼくの性に合っています。だけど、ここで小姓の格好をしていたら、悪目立ちするでしょう? だから、従卒に化けたんです」


 モナは上目づかいで夜空を仰いだ。


「あんたは、大人をだますことにかけちゃ、天才的だったものね」


「人聞きが悪いことを言わないでください。いまのぼくは、ローレリアン王子殿下の優秀な小姓として、宮廷人からだって一目置かれている存在なんですから」


「あら、そう」


 ちっとも感心などしていない様子で、モナは笑った。モナにとってのラッティ少年は、いつもほっぺたに擦り傷を作っている、やんちゃ坊主でしかない。宮廷での彼の仕事ぶりなど、知りようがないのだから。


「で、今夜はわたしに、会いに来てくれたの? 懐かしい友達に会えて、わたしはとても嬉しいけれど」


 そうたずねられた少年は、表情をくもらせた。


「じつは、モナさまに相談に乗っていただけないかと思って」


「相談?」


「はい。こういう相談は、アレン隊長が一番適任なんですが、隊長はいま営倉においでになりますし」


「ええっ!? アレンたら、なにをやったの?」


「モナさまを迎えにいった王子殿下をお止めしなかった、責任を取らされたんですよ!」


「あら」


 ふたたび上目づかいで、夜空を見てしまうモナである。


 ぷっくりふくれた少年は、えらそうに宣言した。


「なんだかんだ言っても、アレン隊長は国一番の剣士の称号を持つ、立派な騎士様です。王子殿下を尊敬していらっしゃるし、部下も大切になさる、いい士官だと思います」


「そうね。それは認めるわ」


 おたがい大人になったものね……、などと、モナは感傷に浸ってしまう。


 ラッティは、口の中でつぶやく。


「アレン隊長が殿下のおそばにいないと、なんとなく、不安になるんですよね」


「そうでしょうね。いまじゃアレンが『王子殿下の影』と呼ばれているって話ですものね」


「ちがいますよ」


「なにがちがうの?」


「殿下はアレン隊長にしか、本音のお話しはなさらないんです。首席秘書官のメルケンさんにも、かなり率直な話はなさいますけれど、プライベートなことに関しては、一線を引いておいでになるようです」


「あなたには、どうなの?」


 少年は悲しそうにうつむいてしまった。


「ぼくは、殿下から……、まだ子供だと思われていますから……」


 モナは、ため息をついた。守らなければならない存在だと思っている子供に、本音を語る大人はいない。モナが想像していたとおり、ローレリアンの孤独は深いものであるようだった。


 ラッティは、さらに訴えた。


「殿下はかくしておいでになるようですが、体調がかなりお悪いように思うんです。ぼくにだって殿下がお望みなら、こっそり医師の手配をすることくらい、できるのに!」


「ちょっと、それ、なんなのよ! そういう大切なことは、一番に言わなくちゃダメじゃないの!」


 あわてたモナは、重傷者が収容されている天幕へむかって踵を返した。そこの入り口のわきに置かれた簡易寝台の上では、モンタン医師がいびきをかいて寝ているはずだった。






     **     **






 王子の御座所は神殿の最奥にある神官長の私室だった。大火が鎮火してから二晩目にあたる今夜は、やっと現場の混乱もおさまってきており、王子殿下をこれ以上野外に寝泊まりさせるなどとんでもないことであるとして、神官長が自分の部屋の献上を申し出ていたのである。


 小さな神殿の周囲には、王子殿下をお守りする護衛兵が何人も立っていた。今朝方、国中の貴族に対して発せられた「高貴なる者は愛国の義について、今一度かえりみよ」との一文から始まる国王の勅命は、領地経営にこまっている貴族に、かなり不満を抱かせる内容だった。護衛隊士はみんな王子の身に危険がおよぶのではないかとぴりぴりしており、鋭く険しい表情をしている。


 王子のお気に入りの小姓の案内を受けていなければ、とてもここへは近づけなかったわねと、モナが思うほどにだ。


 そして、驚いたことに「ぼくは宮廷人からも一目置かれる存在なんです!」というラッティの放言は、あながち嘘ではない様子だった。王子の護衛兵たちはみんな、ラッティの顔を見ると険しい表情をゆるめて笑ったし、神殿のなかにいた侍従や事務官たちも、「こんばんは」と、むこうから挨拶してくるのだ。


 それに、自分もまちがいなく侯爵家のお姫さまなのだと、モナは思った。


 挨拶をかわした相手はみな、町娘とそう変わらない質素な作りの紺色のドレスを着た若い女が黒髪に紫色の瞳の持ち主だと知ると、はっと表情を変えて、最上級の礼をする。南国生まれの母譲りであるモナの瞳の色は、プレブナンではあまり見かけない色だ。この瞳の色のせいで、宮廷人にはすぐに、モナがローザニア王国内務省長官ヴィダリア侯爵の令嬢であるとばれてしまう。


 こんなところで、お父さまに恥をかかせるわけにはいかないわ。


 そう思ったモナは、シャフレ夫人からたたきこまれた作法の通りに、あでやかな笑みを口元に浮かべて、視線で侍従たちに挨拶を返した。


 高貴な身分のお姫さまは、やたらとしゃべらないものなのだ。でも、真の貴婦人なら、末端で働く人にまで暖かい心配りをしているもの。そういう心掛けを忘れている女性は誰からも尊敬されないし、下の者から尊敬されていない女性には、大家の切り盛りなど出来はしない。


 下町の神殿は小さな建物だったから、モナたちはすぐに王子の御座所である小部屋のまえにたどり着いた。


 部屋のまえには、金ボタンが麗々しく並ぶ深緑の近衛士官の制服を着た男が、兵士をしたがえて立っていた。彼の短靴のかかとには、騎士階級の証しである金の拍車がついている。いかにも軍人らしく短く整えられた髪は赤毛で、モナはアレンから聞かされた頼もしい先輩士官の話を思い出した。


「こんばんは、スルヴェニール卿」


 モナのほうから挨拶をすると、相手は顔に喜色を浮かべた。


「ヴィダリア侯爵令嬢に我が名を記憶していただけているとは、光栄でございます。その名誉をお与えくださった姫君に、このスルヴェニール、心からの誠をつくさんとお誓い申し上げます」


 スルヴェニール卿の古風な物言いを聞いて、モナは笑ってしまった。


「スルヴェニールさま、騎士の誠は、あなたのレディにお誓いなさいな。やたらと安売りなさっては、価値が下がりますわよ」


 スルヴェニール卿は、冗談めかして答えた。


「やや、これは心外でございますな。わたくしは、民草を愛しむ心優しき御令嬢に敬意をいだき、あなたさまこそが、わたくしがお仕えするべきレディであると、思い定めておりますものを」


 暗に、王子の妃になる方はあなただと思っていますよと、ほのめかされたのだ。モナの笑顔はこわばった。彼女は昼間、アストゥールから、ローレリアン王子は他国から王女を妃に(めと)るかもしれないと聞かされたばかりだ。


 急に硬くなった空気を感じて、スルヴェニール卿が気まずそうな顔をする。


 ラッティが慌てて、大人たちの会話へ割り込んだ。


「スルヴェニール隊長。侯爵令嬢は野営病院のことで、王子殿下にご相談があるそうなのです。お連れの男性は、モンタンさま。医師でいらっしゃいます。ご令嬢の命を受けて野営病院で働いておいでの方です」


 スルヴェニール卿は、たちまち優秀な護衛官の職務にもどる。


「侯爵令嬢のお連れ様に対してご無礼とは存じますが、御身を改めさせていただきます」


 武器や怪しい薬品を持ちこんでいないか、モンタン医師は丁寧に調べられ、そのあとやっと、訪問者は王子がいる部屋へ入ることを許された。

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