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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …18

 焼け跡の視察で大火の犠牲になった人々の遺体を直接目にし、ローレリアンはひどい疲労と徒労感にさいなまれた。東岸の焼け残った街の中にある『花の女神フローラ』の神殿へもどったころには、口を開くのも嫌なくらいに自分の身体が重く感じられたほどだ。


 花の女神フローラの神殿は下町にふさわしい質素な作りの神殿だったが、6月のマイカの花の季節にあわせて行われる花祭りを楽しみしている庶民のために、露店市を立てる大きな前庭を持つ神殿だった。この広場が、大火の対策本部を置いたり、怪我人を集めて手当てをしたりするには、なにかと都合の良い場所だったのだ。


 花の季節にはたくさんの露店が並ぶ広い神殿の前庭には、大勢の人が集まっていた。


 その多くは石畳にうずくまり、なにかにじっと耐えている。ほとんどの人が、怪我ややけどを負って手当てを待っている人や、その家族なのだ。


 うめき声とすすり泣きに満ちた広場の空気は、痛々しい気配に支配されている。火事の消火にはローザニアの国運がかかっていたから、怪我人の手当ては後回しにされており、医師も医療器材も不足したままだ。現場の責任者は、先ほどの雨で怪我人が濡れないように、軍隊がここに持ち込んでいた天幕用の布をかけてまわってやるのが精いっぱいだったと訴える。


 広場の中を馬で進みながら、ローレリアンは陰気に考えつづけた。


 早く、この怪我人たちを、なんとかしてやらなければ。国王陛下にお願いして、王都の西岸で開業している医者に、招集をかけてもらおうか。彼らは金のない患者は診ない、たいそうお偉い名医殿ばかりなのだが……。


 どうするのが、一番良いのだろう?


 これから自分は、生きている人々と死んだ人々を、同時に救う方法を考えなければならない。


 どちらも、とんでもなく困難なことだ。


 怪我人の手当てをして食事を提供し、あたりの治安が乱れないように警備体制を整え、焼けてしまった街の復興への筋道をつける。


 市民の遺体は敬意をもって埋葬しなければならないが、季節を考えれば、ぐずぐずもしていられない。腐りはじめた遺体は蛆の餌となり、水を汚し、生きている人々の生活環境を脅かすだろう。


 何から手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。


 また昨夜のように、口角から唾を飛ばして激論を戦わせる人々の相手をしなければならないのだろうか。いまの疲れきった頭では、こみいった話を聞くのは不可能に思える。


 ああ、また耳鳴りが聞こえる……。


 頭も、痛い。


「殿下! 浮橋を渡した船着き場からの報告です!」


 馬に近づいてきた伝令の声を聴いて、ローレリアンは頭をふった。遠のきかけた自分の意識を、現実へ呼びもどすために。


「ただいま西岸から、医療物資を多量にたずさえた女性の一軍が到着いたしました。この女性たちを率いているのは、『すみれの瞳の姫君』として名高い、ヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラ様だということです」


 ローレリアンは、いきなり目覚めた自分の意識に驚いた。大声で、伝令にたずねてしまう。おのれの年齢にふさわしい、青年のくだけた口調で。


「『すみれの瞳の姫君』だって?!」


 一兵卒である伝令は、大真面目で王子殿下に答えた。


「はい。ヴィダリア侯爵令嬢は、市民のあいだで、けっこうな人気者なのです。『踊る神官』という読み物の主人公として、若い娘たちはみな令嬢にあこがれておりますし」


 王子の側近たちは、おおいにあわてた。


 『踊る神官』は、建国節の大舞踏会において、ヴィダリア侯爵令嬢といっしょにダンスを披露した王子殿下を政治的に揶揄する目的で、反政府主義者たちが面白おかしく事実をゆがめて書いた物語である。しかし、その小冊子は本来の目的などどこへやらで、王子と姫君の恋愛にあこがれる庶民の楽しい読み物として王都で大流行してしまった。そのことを、ローレリアン王子が快く思っていないのは明らかなのだ。


 この馬鹿な伝令をどうしてくれようかと、一同が思った瞬間、広場の入り口のほうがにぎやかになった。大勢の女性が列をなして、広場へ入ってきたからだ。


 その先頭を歩いていた若い女は、馬上にある王子殿下を見つけると、迷うことなくかけよってきた。


 彼女の第一声は、「ご機嫌うるわしゅう、王子殿下!」であった。


 紺色の質素なドレスのスカートをちょっとつまみ、軽い会釈とともに。


 ローレリアンはといえば、馬上であっけにとられたまま、言葉を出せずにいる。それをいいことに、彼女はとうとうと話しはじめた。あくまでも、にこやかに。


「謹慎命令はどうしたなどと、無粋なことはおっしゃらないでくださいましね。ちゃんと父からは、東岸の火がおさまったら、わたしの思うとおりに行動してよいと、許可をもらっておりますから。文句なら、父侯爵へどうぞ!

 わたくしにしたがってきてくださった女性は、王宮の侍女たちや、わたくしの行動に賛同してくださった貴族の奥方様や令嬢方ですの。活動に必要な機材は、じゅうぶんに準備してまいりました。わたくしたち女は、女にしかできない方法で、殿下のお手伝いをしたいのです。

 病院を作る場所は、この神殿の前でよろしいでしょうか。見たところ、怪我人はここへ集められているようですし。

 そうそう、病院を開設する費用に関しては、殿下の母君さまから多大なご援助をいただきました。のちほど、お礼を申し上げてくださいましね」


 馬を並べていた護衛隊長のイグナーツが、王子の法衣を軽くひく。小声で「殿下、なにかお答えになりませんと……」と、ささやきながら。


 ローレリアンは、命令文書を棒読みするような口調で言った。


「よろしい。病院の開設を許可する」


 しゃべりながら、自問自答だ。


 わたしは、なにを言っているのだろう? もっと、気の利いたことを言えばいいのに。きみの行動力に感激したとか、感謝しているとか、期待しているとか。いくらでも言いようはあるじゃないか! だが、頭の芯がしびれて……。うっかり口を開いたら、きみの顔を見られて嬉しいなどと、とんでもないことを口走ってしまいそうだ。


 突然、ローレリアンを見あげていたモナが、「まーっ!」と、あきれた調子の大声をあげる。


「アストゥール!」


「ははっ! なんでございましょう、姫さま」


 呼びつけられた隻眼の騎士は集団の後方にいたが、馬から飛び降りて姫君にかけよった。


 姫君は、ひどく怒っておいでになる。


「ちょっと、あなたがそばについていながら、いったいどういうことなの?! この場で一番の病人は、王子殿下じゃないの! 疲れきって、ひどいお顔だわよ!」


「いや、その……。昨夜はさすがに、お休みになる時間がとれなくて、ですな」


「それなら、いますぐ、お休みになっていただきなさい!」


「しかし、それは」


「しかしも、クソもないでしょっ!」


「ク、クソ……?!」


 姫君とは知己の仲である隻眼の将軍は、両手で頭を抱えて絶句した。


 いちおうは、国王陛下の御寵妃さまの名代としてこの場へやってきたので、威厳ある態度を心掛けていたモナなのだが。悲しいことに、怒ったら一瞬にして、化けの皮がはがれてしまったようである。


 ローレリアンの前に、にゅっと2本の指がつきだされた。


「2時間ですわよ、王子殿下。いますぐ2時間きっちり、寝てください!」


 思わずローレリアンは、うろたえてしまう。


「いや、いま寝るわけには……」


 腰に手をあて、えらそうに胸をそらしたモナは、周囲の者たちに宣言する。


「みなさま、よろしいですわよね? あと日暮れまでにしなければならないことといえば、西岸の住人の方々の帰宅のお見送りと、大火で被災された方々への夕食の炊き出しの支度くらいのものですわ。ここに集まった怪我人の世話は、わたくしどもで引き受けますしね。王子殿下を囲んでの明日の予定の打ち合わせは、夜になってからでも十分間に合うはずです。殿下には、いますぐ、お休みいただきますからね!」


 言われてみれば、そのとおり。大事にとらわれ小事を見失うとは、まさにこのことである。


 令嬢から指摘を受けた男たちは、「そうです」「そのとおりです」と口々に言いながら、ローレリアンを馬から降ろし、天幕の中へひっぱっていった。


 天幕の中では王子殿下のお世話をしようと、小姓のラッティ少年が待ち構えていた。やる気にみなぎった少年に逆らうのもバカバカしいと思ったローレリアンは、されるがままに上着をぬがされ、疲れを和らげるための甘ったるい果実酒を飲まされ、そのあと野営用の簡易寝台の上へ押し倒された。


 心配事が多すぎて絶対に眠れないと思ったのに、横になってすぐに眠気は訪れた。


 不思議だった。


 そして、夢うつつで考えて、わかったことがひとつある。


 自分はモナの元気な顔を見て、安心したのだと。


 ―― 生者と死者の世話を同時進行でしなければならないと、わたしは途方に暮れていたけれども。


 彼女がここへ来てくれたのならば、怪我人の手当てや大火で住む場所や財産を失った人々に食事をふるまう手配などといった、いますぐ急いでやらなければならない生者の世話は、安心して任せてしまえる。おそらく彼女は、頭でっかちの役人や世間知らずの貴族の男たちより、よほどうまく、その役目をこなしてくれるだろう。長期的に考えなければならない問題は、あとでゆっくり計画すればよい。


 ならば、わたしは明日から、いま急いでやらなければならない死者の世話に専念しよう。一刻も早く遺体の埋葬を行い、疫病の流行を未然にふせがなければ、ローザニアはまた新たな国難に襲われてしまう。


 重荷をわけもってくれる彼女の存在を感じられたおかげで、ローレリアンはやっと、心を穏やかにできたのだ。


 いつだったか、モナと交わした会話が、鮮やかにローレリアンの脳裏へよみがえった。


 ―― 貴方は、貴方にしかできないことやって。わたしは、わたしにしかできないことを、一生懸命やるから。


 モナのことを思うと、閉じた目の奥に、おだやかな光を感じた。その光はローレリアンを包みこみ、優しくこわばった彼の身体をほぐしてくれる。


 遠のく意識のなかで、思い出は美しく輝いている。


 そうだった。彼女とたがいの目を見つめあい、その言葉をかわした時、わたしは、とても幸せだったのだ……。


 そのあとローレリアンのもとへ訪れたのは、安らかな眠りだった。


 心が安らぐその眠りは時間こそ短かかったけれども、彼の気力を十分に回復させてくれたのだった。

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