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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …17

文中に遺体の描写があります。苦手な方はご注意ください。

 その日の午後。夏の日差しが西へ傾きだすと、ローレリアン王子が予言したとおり、王都プレブナンには半時ほどだったが強い雨が降った。


 夏の午後に特有の大粒の雨は王都のありとあらゆるものをずぶ濡れにしてしまい、東岸の街の劫火も雨があがるころには、あちこちで燻るだけの小さな残り火となった。


 男たちは歓声をあげながら、残り火を消しに走った。


 皮肉なことに、ここ最近で急激に大きくなった貧しい者達の街である王都の東岸には、ろくな下水道設備がなかった。おかげで大雨の水は地表にとどまり、ひどいぬかるみとなっている。焼け跡に飛びこんでいった男たちが燻る残り火を消そうと思うなら、燃えている火を道具で一突きして、そのぬかるみの中に沈めてしまえば事足りた。


 夏の通り雨は突然降りはじめ、終わるのも唐突だ。雨があがると、またあたりには陽光が満ちあふれ、濡れた土の匂いがそこかしこから立ちのぼる。今日はその匂いに、焦げ臭い異臭が混じってはいたが。


 雨宿りの場所から馬に乗って出ていったローレリアンは、かたわらをゆく護衛隊長のイグナーツ・ボルン卿と会話している。話題はもっぱら、王子に対する市民の態度が、急激に変わってきていることについて。


 馬上にいる王子殿下を見ると、市民達はみな大喜びするのだ。そのうえで首をたれ、胸の前でお祈りの形に手を組む。日々の暮らしのなかでなにか神々に感謝することができた時、だれもがちょっと、祈るしぐさで。


 イグナーツ卿は上機嫌である。


「あれは、殿下。みなが神々に、感謝しているのです。神々が我が国へ、素晴らしい王子を使わされてくれたと。

 それに、先ほどの雨です。殿下の予言は見事に的中いたしました。下々の者たちは、殿下のことを『先読みの王子』とか『奇跡を呼ぶ王子』とか、噂しているそうですぞ」


 ローレリアンは興奮気味の護衛隊長にむかって、たしなめるような口調になった。


「イグナーツ、おまえまで噂に踊らされるな」


「は、しかし……」


「雨は単なる気象現象で、いくつかの条件がそろったから、降るべくして降ったのだ。わたしはそのことを科学的に予測しただけで、予言などしていない。ましてや、奇跡だなどとは、とんでもない妄想だ。

 先読みの件だって、わたしは兵法のあたりまえの定石を、忠実に実行しただけだぞ? 大がかりな用兵には、まず補給の確保。基本中の基本ではないか」


「はあ、さようで」


 王子から叱責を受けて、一応は反省の態度を示しながらも、イグナーツは思った。


 この国には今まで、殿下が当たり前だと思っていることを当たり前に実行できる人間がいなかったのだ。貴族はみな自分が一番かわいいという態度だし、官僚は事なかれ主義で動きが鈍い。今回の大火だって、ローレリアン王子殿下が事態の対処にあたらなければ、どうなっていたことかと。


「アルメタリア将軍!」


 大声で王子から名前を呼ばれた偉丈夫の将軍が、馬をこちらへ進めてくる。イグナーツの眼から見ると、将軍の態度も、昨夜よりだいぶ、うやうやしくなっているように見えた。


「御用をうけたまわります、王子殿下」


「将軍の配下で手が空いている者全員を動員して、わたしの命令を現場に伝えてくれ。レヴァ川の浮橋は、明日の朝には撤去する。西岸から消火活動の応援に来てくれた男達には、最大限の王子からの謝意を伝えたあと、日が暮れるまでには帰宅してもらえ」


「もう浮橋を撤去なさいますか」


 王子は難しい顔でうなずいた。


「首都大火のせいで、我が国が負った経済損失は計り知れない。このうえレヴァ川の水上交通を何日も堰き止めてしまえば、物流の麻痺が水運以外にも影響するようになるだろう。そうなれば国家規模で経済活動が停滞してしまうからな」


 そこまで言って、王子は深いため息をつく。


「というのは、表向きの理由だ。市民から説明を求められたら、そう答えよ」


 王子の側近たちの表情は、一様に曇った。これから王子が言おうとしていることは、さらなる困難な事態への予測だろうと、優秀な側近たちには理解できている。


 王子は重い口を、ふたたび開いた。


「この大火の対応で一番難しいのは、火を消すことよりも、消火後の後始末だろうと、わたしは思っている。

 東岸の街は貧しい街だ。火事で焼け出された住人は、雨露をしのぐ場所や食べ物を求めて、あたりをさまよい歩く。浮橋をそのままにしておくと、そういう被災者が西岸に渡ってしまい、王都全体の治安が悪くなる。

 しかも、我々の足元を見てみるがいい」


 複数の騎馬が歩く道は、どろどろにぬかるんでおり、さきほどから彼らの馬は不機嫌に鼻を鳴らし続けていた。


 王子の口調は、深い憂いを帯びた。


「大火が起きたのが夏だったのは、よかったのか、悪かったのか……。

 夏という季節は、寒さの心配をする必要がない代わりに、ものが腐りやすい。

 いろいろなものが腐れば、街の廃墟で野営生活を強いられる人々の間に疫病が流行する危険性が高まるだろう。

 じつは、それが、わたしの一番の心配ごとなのだ」


 王子の未来予想が、よく当たることは、すでに実証されている。側近たちは青ざめた。自分たちは、そんな暗い未来予想が現実にならいように、戦わなければならないのだと。


 決意をこめた顔で力強くうなずき、王子は言葉をついだ。


「アルメタリア将軍」


「はっ!」


「船着き場の警備は第一師団の管轄とする。しばらくの間は、東岸へ物資を運びこむことを最優先にするとして、東岸の人間を西岸には渡らせないようにしてもらいたい。

 万が一、王都東岸で疫病が流行しても、西岸の街までは巻き込まないようにしなければ。

 いま王都全体が疫病におかされるような事態になれば、我が国はまちがいなく、国家存亡の危機におちいるだろう」


「わかりました。細心の注意をもって事に当たります」


「頼むぞ。くれぐれも市民には、我々の行動の真の目的が人の交流の遮断だとは気付かれるな。市民に本当の理由を感づかれたら、暴動が起こりかねないからな」


「おまかせください。では、御前より失礼いたします」


 一流の武人らしい威厳のある態度で敬礼をしたあと、馬首を大きく後方へ巡らせ、アルメタリア将軍は部下とともに集団から離れていった。


 王子を囲む大火対策本部の面々は、焼け野原と化した街並みの中を、さらに進んでいった。現状を正しく理解して、次の行動の計画を練るために。


 しばらく行くと、彼らのはるか前方で残り火をぬかるみに叩き落とす作業をしていた男たちが、驚きと恐怖に満ちた悲鳴をあげる瞬間に出会った。


 何事かと、一行は騒いでいる男たちのほうへ近づいていった。


 イグナーツの副官が、大声で事情をたずねる。


「何があったのだ? だれぞ、ローレリアン王子殿下の御前へ進み出て、騒ぎの理由を説明せよ!」


 男たちの中から年かさの男が進み出て、王子の前でかしこまった。


「王子殿下のお気持ちを煩わせるようなことではございません。どうもこの一角は、大火に襲われる前は袋小路だったらしく、燃え落ちた建物の残骸の下から、おびただしい数の死体が出てまいりましたので。おそらく、火に巻かれて追い詰められ、ここで力尽きた者たちでしょう」


 ローレリアンは、ひらりと馬から地面へ降り立った。あわてたのは、大火対策本部の幹部連中や王子の護衛たちである。


「おまちください、殿下!」


「炎に焼かれた遺体など、正視に耐えるものではございません!」


「殿下、その先はどうか!」


 側近たちは、なんとか王子の足を止めようと必死になって説得の言葉をくりだしたが、王子はその忠告に耳を貸そうとはしなかった。


 大きな建物の残骸をまわりこみ、瓦礫をまたぎ超えてその先へすすむと、集まっている男たちはすでに騒ぐのをやめており、帽子を取って深くうなだれていた。


 彼らの足元には、折り重なるようにして倒れている遺骸が無数にあった。


 どの遺体も、苦しんで死んだ証拠に、悲鳴の形に口を開いたままだ。


 ひどく焼け焦げた遺体の腕は、宙をつかむ形に硬直している。最後までこの者は、誰かに助けを求めたのだろうか。


 きっとこの焼野原には、このような遺体が、いたるところに転がっているのだろう。


 ローレリアンは、張り裂けるような胸の痛みを感じながら、劫火の中で息絶えた人々の遺体へ近づいていった。


 心のうちでは、自問がくりかえされる。


 どうして、苦しんで死ぬのは、いつも貧しい人々なのだろうか。


 王子として王都プレブナンに帰ってきてから3年のあいだに、もっと自分には、できることがあったのではないだろうか。


 もっともっと努力していれば、あるいは、この大火も防げたのか?


 あまりに自分の思考へ深く入りこみすぎたのか、ローレリアンの耳元では高音の耳鳴りが響く。


「殿下」


 イグナーツ卿が、よろめくローレリアンの肩に手を添えた。


「すまない。すこし、疲れているようだ」


「お疲れなのも当然です。昨夜は元から体調がすぐれなかったというのに、仮眠すら、お取りになっておられないのですから」


「寝ていないのは、おまえたちも同じだろう」


「我々は鍛えた身体が自慢の軍人です。凡人とは、わけがちがいます」


「ふふっ、わたしは凡人か」


「言葉のあやです。どうか、お許しを」


 ローレリアンの冗談を大真面目で受け取って、イグナーツは頭を下げる。自分の護衛隊長の生真面目さに、思わずローレリアンは苦笑した。


 そして、気を取り直して言う。


「みな、すまないが作業の手をとめて、わたしとともに祈ってくれ。無念の思いを抱いて亡くなったであろう、この者たちのために」


 首から下げた護符を手に取り、王子は神教の作法にしたがって死者の旅立ちを見送る祈りの文言を詠唱する。涙をこらえながら、心をこめて。


 聖職者としての王子殿下のお姿を目にして、居合わせた者たちは畏怖の念にかられた。


 目を閉じて祈る王子の姿は、神々しいまでの静けさに包まれている。


 ゆったりと風にそよぐ淡い金色の髪は、まるで天からの御使いを照らす後光のようだ。


 古語で紡がれていく祈りの文言は、学のない庶民には、さびしげな歌として聞こえる。そのおかげで人々の心には、王子の哀しみが率直に伝わった。


 王子とともに、祈りのしめくくりの聖句を唱えながら、人々は思った。


 ―― 我らの王子は、賢いだけでなく、慈悲深いお方なのだ。名さえ知れない市民の死を、こんなにも悼んでくださるとは……。


 ローレリアンの想いとは裏腹に、この場でも、またひとつ、人々の間で語り継がれる王子殿下の噂が生まれてしまった。


 王都大火のさいに生まれたローレリアン王子に関する噂は、このまま独り歩きを続け、のちの世の人々が『ローザニアの聖王子にまつわる伝説』として語り継ぐ、英雄伝の一部にまで育っていくことになる。

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