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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …15

文中に同性愛に関する描写と残酷表現があります。苦手な方はご注意ください。

 そして、王都プレブナンに住まう数十万の民が劫火に怯え、戦ってすごした夜がいよいよ明ける。太陽はいつもと変わらずに暁光で街を照らしだし、その光はたちまちまぶしい夏の陽光へと変化していった。


 火と闘っている人々にとって、夜明けは待ち望んでいたもの。白日の下でなら、困難と闘う手段も増えるし、仕事の効率もあがる。


 だからきっと、この国で誰よりも不幸な気持ちで夜明けの光を見たのは自分にちがいないと、王太子付きの侍従長ソワイエ卿は思った。


 彼が王宮の窓からながめおろす川のむこうの街は、半分が黒焦げの焼野原と化し、まだ燃えている部分は渦巻く白煙黒煙に覆われている。煙の隙間からは、ちらちらと揺れる炎が見えた。


 その炎の行く手には、王都プレブナンの市民たちが夜通しかかって築き上げた防火帯が細長くのびている。


 こみあって建つ下町の建物を壊してつくった、その一筋の道は、希望へ続く道だった。


 とくに、この国の行く末を心配し、暗い気持ちで夜をすごした政府の高官達にとって、あの防火帯は奇跡の産物に見えていることだろう。


 しかし、ソワイエ卿にとっては、破滅への道に見える。あの道を作り上げたローレリアン王子は、彼の(あるじ)の最大のライバルなのだから。


 彼が長年仕えてきた王太子ヴィクトリオは、じつに平凡な男であった。


 平凡な男が王位を継がねばならない立場に置かれたことこそが、そもそもの不幸の始まりだったのだ。王太子の祖父である宰相カルミゲン公爵を筆頭とする周囲の者達は、やっきになってヴィクトリオへ王となるための素養を身につけさせようとした。


 だが、ヴィクトリオには周囲の期待にこたえられるだけの能力がなかった。


 周囲の期待は、ヴィクトリオの小さな器にはとても納まりきらず、パニックにおちいった彼は少年時代から、よく身体的不調を訴える人間となった。ひっきりなしに排泄をしたくなったり、めまいと冷や汗がおさまらなくなったり、顔の筋肉が痙攣したりするのが、日常となったのだ。


 大人になってからは、そこに過剰な飲酒の問題もくわわり、緊張がひどいときには気を失ったりするもので、とうとう彼には大切な公務は任せられないという評判が立った。普通の人々には、なぜヴィクトリオがささいなことで緊張状態におちいるのかが、さっぱり理解できなかったのだ。


 それでも、ヴィクトリオは大国ローザニアの王太子だった。王太子妃には海のむこうの大国イストニアから姫君が迎え入れられ、この妃が女児を生んだあと病がちになると、我こそは次の王太子の母になろうという女が、ひっきりなしに王太子の寝所へ入りこんだ。


 ヴィクトリオの情けを得て国母になりたい女たちはみな従順で、なんでもヴィクトリオの言いなりになる。寝所で女と同衾(どうきん)しているときだけが、ヴィクトリオが自信を取りもどせる時間となった。ヴィクトリオの女好きは彼の心の弱さの象徴であり、けして精力をもてあました若い男にありがちな性的衝動に支配されたものではない。


 ちなみに、ヴィクトリオのもう一つの趣味が狩猟であるのは、王族が公務ぬきで王宮からぬけだせる手段が、狩猟くらいしかないからである。だから、向上心をもって取り組んでいるわけもなく、ヴィクトリオの射撃の腕前は、いつまでたっても下手なままだった。おもちゃを蒐集する感覚で集めた銃のコレクションだけは、たいそう立派なものであったが。


 ソワイエ卿にとって、ときどき女をあてがって狩猟につれだしてやりさえすれば、ヴィクトリオはそれほど、あつかいにこまる主人ではなかった。幸いなことに、ヴィクトリオにあてがった女が身ごもることもなかったのだ。若いころから酒浸りだったヴィクトリオには、種がないのではないかという噂である。王太子妃が生んだ姫が精神異常を疑われているのも、もっぱら種が悪いからという評判だった。


 それらの悪評から目を背けて、ソワイエ卿は自分の役目を無難にこなしてきたつもりである。


 しかし、その安穏とした日々も、3年前のローレリアン王子の登場で終わってしまった。


 優秀な弟王子に自分の立場を脅かされて、ヴィクトリオの精神的な不安定さには拍車がかかった。しかも、いままで喜んで娘を王太子の寝所へさしだしていた貴族たちが、いっせいに、その役目を嫌がるようになる。どうせ娘をさしだすならば、将来有望なローレリアン王子へさしだしたいのが貴族たちの本音だった。


 感情をおさえきれずに泣きわめくヴィクトリオをなだめるのに辟易(へきえき)としながら、ソワイエ卿は勤めをはたしつづけた。辞表は何度となく提出している。侍従総長にも、宰相にも、国王にさえも、辞めさせてくれと直接懇願した。けれど、彼の後任者が見つからないという理由で、いつも話はそこで終わってしまっている。


 夕べも惨めな夜だった。


 国王から勅命を受けたというのに、ヴィクトリオは寝所にこもり泣きわめいて、王都大火対策の司令官への就任から逃れようとした。迎えに来た第一師団の幹部達からは、後方で寝ていてもかまわないとまで言われたのにだ。


 代わってローレリアン王子が城下へ降りたとの連絡がきたとき、王太子の寝所でヴィクトリオの説得をまかされて往生していた士官の顔は喜色に輝いた。その瞬間を、ソワイエ卿は忘れることができない。


 かの士官ロワール・イトリット卿は、「ローレリアン王子殿下がお出ましならば、もうこの場に用はない! おい、俺たちも城下へくだって本隊へ合流するぞ! こんなところでぐずぐずしていたら、手柄を立てそこねてしまうではないか!」と叫び、部下をひきつれ、あいさつもせずに、王太子の寝所から飛び出していったのだ。もう、ヴィクトリオに礼をつくすのすら、馬鹿馬鹿しいと思われてしまったのだろう。


 そのあとのヴィクトリオの狂乱ぶりは、思い出したくもない。引き裂かれた枕の中身の羽根がそこらじゅうに舞い散り、蹴られた小姓は悲鳴をあげ、ソワイエ卿にむかって投げらつけられた高価なガラスの水差しは粉々に砕けた。そのあいだじゅう、あたりに響き渡ったヴィクトリオの叫び声ときたら……。


 弟王子を呪う呪詛(じゅそ)の言葉があまりにも陰惨で、それを国王やローレリアン王子の息がかかった者に聞かれては大変だと、王太子の寝室のまわりから、あらゆる人を遠ざけなければならなかったほどなのだ。


 深いため息をついて、ソワイエ卿は窓から離れた。どんなに嫌でも、彼はこれから王太子を起こしに行かなければならない。きっと東岸の火事が落ち着いたら、ヴィクトリオには国王からの呼び出しがかかるだろう。その時までにベッドからひきずりだして、身なりを整えさせておかなければ。


 王太子の寝所に続く廊下へ入り、ソワイエ卿は最奥にある立派な扉の前に立った。


 夕べ人払いをしたせいで、あたりはしんと静まり返っている。


「失礼いたします」とことわり、扉を開く。


 そこはまだ、寝室の前室だ。気品あふれるつくりの高価な家具の間をぬけて、侍従長はヴィクトリオ王太子の寝室の扉の前に立った。


 その場で、ソワイエ卿は固まってしまった。


 背筋に冷たい汗がわく。


 扉のむこうからは、明らかに男女の痴態の声が聞こえてくるのだ。ことは佳境におよんでいるらしく、激しくベッドが(きし)む音や肉体を打ち合わせる羞恥(しゅうち)にまみれた音までもが、ソワイエ卿のところへ漏れ聞こえてくる。


 なんということであろうか。


 王太子は、彼が守るはずの街が今現在も大火に見舞われているというのに、寝所で色道にふけっているのだ。


 怒りで、ソワイエ卿の全身が震えた。


 もうこんな馬鹿に、仕えるのはまっぴらごめんだ!


 王宮の寝所で夜を徹して高貴なお方の枕辺を守る、宿直役の侍従は、いったいなにをしていたのか。国家の危機ともいえる夜に、国の跡継ぎが破廉恥(はれんち)な行為におよんでいると、どうして宿直役の者は、上役のもとへ報告に来なかったのだ?!


 そもそも最近では、ヴィクトリオ王太子の寝所に喜んではべろうとする女など、皆無に等しかった。定期的に淫楽(いんらく)にふける楽しみを提供してやらなければヴィクトリオの感情の不安定さが増すもので、侍従たちはいつも苦労して女をあてがってきた。


 いま、王太子の相手をしている女は誰だ?


 王太子はとうとう、王宮の侍女にまで手を付けたのだろうか?


 そうならないように、王太子の宮には、なるべく女を入れないようにしてきたのに。


 早朝廊下を磨きに来る、下働きの女でも捕まえたのだろうか?


 そんな女にまで手を出すようになったのでは、もう王太子の世話は我々の手に余る。この色情狂をおとなしくさせておくためには、どこかの塔にでも閉じ込めてしまわなければなるまい。


「ご無礼をば!」


 怒りに打ち震えながら、ひと声叫んで、ソワイエ卿は王太子の寝室の扉を開いた。


 部屋にふみこむなり、くすんだ青い男の性の臭いが鼻をつく。


 王太子の寝台の上には、異様な熱気。


 裸体でからみあう二人の人間の姿を見て、ソワイエ卿は絶句した。


「で、殿下――!」


 カーテンのすきまから差し込む夏の朝の光が、室内の光景をきらきらしく輝かせている。


 その光の中で情事にふけっていたのは、二人とも男であった。


 シーツのうえに縫いとめられるようにして艶めいた声をあげていた男が、正気に返った様子で、王太子の肩越しに侍従長を見る。


 彼は王太子に昨年から仕えるようになった若い侍従で、優しげな雰囲気を持つ男だった。ややくすみがかった金茶色の髪と鳶色の瞳の持ち主で、いつも眩しそうに眼を(すが)めている。そうすると表情にけぶるような色気が漂う美青年だ。主人から男色の相手を命じられれば、難なく女役をこなせそうな細腰の持ち主でもある。名を、ジョシュア・サンズという。


 ソワイエ卿の知っているジョシュア・サンズは、控えめで落ち着いた男だった。ヴィクトリオ王太子が癇癪(かんしゃく)をおこしても、あわてることなく冷静に対処してくれる。だからこそ彼を信頼して、昨夜の醜態(しゅうたい)のあとベッドで泣き続けるヴィクトリオの世話を、彼にまかせたのだが。


 驚愕(きょうがく)のあまり言葉を失った侍従長を見てジョシュアは笑った。


 情事の興奮に赤らんだ顔で、艶然と。


 そのほほ笑みに、ヴィクトリオの動物的な呼吸の音がかぶさる。


 ぬちゃぬちゃと口内の粘膜をむさぼる卑猥(ひわい)な響きがそこらにこぼれ、激しく身体を突き上げられたジョシュアは再び息を乱す。


 耳をふさぎたくなる男の嬌声(きょうせい)が、その口から生み出される。


 ――もう耐えられない!


 乱れる感情に翻弄(ほんろう)されたソワイエ卿の心の内で、なにかが切れた。


 熱い涙が自分の眼からこぼれ落ちているのが、他人事のように感じられた。


 衝動にかられるまま王太子のベッドにかけより、獣じみた行為に夢中になっているヴィクトリオの髪をつかんだ。


 腕に力がこもる。


 思いっきり、大馬鹿者の頭をゆすってやった。


 力むあまり奥歯を食いしばるから、絶叫する声が切れ切れになり、無様にゆがむ。


「あなたはっ、どこまで、―― 愚かなのだ! 国難にあって、国中の民が、涙と汗にっ、まみれているというのに! そのっ、苦しみを理解しようとしないどころか、自分のことしか、考えずにっ! あ、あろうことか、だっ、……男色になど走ってっ!」


「ひいっ、痛い! 痛いっ! 離せ、侍従長!」


「王都はまだ、燃えているのです! 燃えているんだ――――っ!」


 ぼたぼた涙を落としながら、ソワイエ卿は叫びつづけた。右手でヴィクトリオの髪を、左手でヴィクトリオの耳をつかみ、渾身(こんしん)の力でゆすりながら。


「ジョシュア、ジョシュア! 助けてくれ! 痛い、痛い、痛いっ!」


 ヴィクトリオが恐怖の叫びをあげる。実際、我を忘れたソワイエ卿は力の加減などしていなかったから、ソワイエ卿の爪がくいこんだヴィクトリオの耳介からは血が流れ出していた。


「ジョシュア、わたしを助けるのだ!」


 王太子の命令と同時に、銃声がとどろいた。


 ソワイエ卿の怒り狂った瞳の輝きは一瞬で消え失せ、力を失った重い身体がヴィクトリオ王太子に倒れかかった。


「ひいっ、ひぃ、ひ――っ!」


 意気地なしの王太子は、もうまともな言葉すら発せられない。


 ベッドに転がったソワイエ卿の頭には小さな穴が開いており、その穴からは鮮やかな色の血が噴き出していたのだ。


「ジョ、ジョ、ジョシュア……!」


 寝台のわきに立った若い侍従は、美しい裸体を惜しげもなく朝日にさらしながら、うやうやしく王太子へ臣下の礼をとる。


「王太子殿下、御命にしたがいました」


 そういう彼の右手には、短銃が握られている。臆病なヴィクトリオが、いつも護身用にベッドサイドのキャビネットのひきだしに忍ばせているものだ。


「ころっ……、殺したのか?」


「こうでもしなければ、御乱心の侍従長は、王太子殿下にお怪我を負わせそうでございましたので。それに、男色は生命の誕生につながらぬ背徳行為。かくれて行為におよぶのは誰でもやっていることですが、おおやけにされれば、神々の教えに逆らう異端者として追及されかねません。ましてや、いまの王太子殿下のお立場は、かなり微妙なところにございます。わたくしは殿下のおんため、わが身を捧げることにためらいなどございませんが、万人の理解を得ることは難しいでしょう」


 ガタガタ震えながら、ヴィクトリオはジョシュアにすがりついた。


「どうすればよい、ジョシュア。助けてくれ、ジョシュア」


「お気持ちを強くおもちください。どうか、わたくしが殿下にささげる忠誠心を信じていただきたい」


「信じる! そなたを信じるぞ! わたしの苦しみを真実理解して、心から慰めようとしてくれたのは、おまえだけだ!」


 王太子のたわけた言い様を聞きながら、ジョシュアは床に落ちていた衣を拾って、王太子へ着せかける。


「では、寝衣をお召しください。すぐに銃声を聞いた近衛兵が、ここへ駆けつけてまいりましょう。侍従長は夕べの騒ぎについて殿下をお(いさ)めしようとなさり、責任を取ると称して、この場で自害して果てたのです。命がけの忠言を受けて、ヴィクトリオ様はお心を打たれたと、そう国王陛下には申し上げればよろしいでしょう」


「そ、そうか。あいわかった」


 自分の身なりも急いで整えながら、ジョシュア・サンズは寝室の窓を開けた。部屋中に充満した男の性の臭いを少しでも弱めようと思っての行動だったが、窓を開けた瞬間、王太子の寝室の空気は煙の臭いでおおいつくされた。


 ジョシュアの耳に、侍従長の声がよみがえる。


 ―― 王都はまだ、燃えているのです!


 王太子の寝所の窓から、その光景を確認することはできないが。


 首都の半分を失う国難にあって、ローザニアは大きく変わるだろう。その時代の波を起こす力の一端を、今この瞬間、自分は手にしたのだ。王太子の宮に入りこんでから一年あまりの月日がたった。いままで虎視眈々(こしたんたん)と、権力者に取り入るすきをうかがってきたが。今がまさに、その機会にちがいない。


 煙くさい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んで、ジョシュア・サンズは空をにらんだ。


 背後では、寝室の扉が乱打されている。


 扉の外では近衛兵が、「王太子殿下、御無事でございますか!」と叫んでいた。

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