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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …13

 わずかの時間で王宮がそびえる丘から駆け下りた軍勢は、うねる人の流れとなって目的地へ到着した。


 そこには不穏な空気が満ちていた。川むこうの街は赤々と燃え、その炎の明かりで船着き場の周辺は不気味に照らしだされている。炎が燃え盛る音は耳にうるさく、立ちのぼる熱気は気流を生み、東の空は渦巻く火の粉で地獄の夜空とはかくやと思わせる色をなしている。


 そして何より、民衆と軍隊が生む緊迫した空気が恐ろしい。近衛師団がさらにやって来たというので、市民から軍隊への投石はいったん止んでいたが、飛んできた石つぶてによって肉体よりも軍人としての誇りを傷つけられた兵士たちの形相は醜くゆがんでおり、銃口は市民へむけられている状態だった。


 第一師団の兵士たちが発砲許可を今か今かと待っている気配を感じ取ったローレリアンは、迷うことなく民衆と軍隊のあいだに自分の馬を走りこませた。


 間一髪だと、肝が冷える。


 ここで軍隊が発砲すれば、民衆は怒り狂うだろう。下手をすれば、それがきっかけとなって、現王朝を倒そうとする革命のさわぎに発展してしまいかねない。いつの時代でも政治体制の転覆とは、ささいな武力衝突から始まるものだ。


「グロリューズ! 商業地区自警消防団長、アントン・グロリューズはいるか!」


 大声で、目的の人物の名を叫ぶ。ここで四の五の演説をするつもりはない。ローレリアンの頭の中では、次々に取るべき行動の選択がはじまっていた。


 いきなり現場に乱入してきた近衛師団を率いる若い男に名前を呼びつけられて驚いた商業地区自警消防団長は、転がるようにして後方から走り出てきた。


 王子の親衛隊旗がはためく方向を計算して、わざと少し離れた場所へ馬をとめたアストゥールが声を振り立てて怒鳴る。


「こちらにおわすはローザニア王国第18代国王バリオス3世陛下の王子、ローレリアン殿下である! 心して殿下のご質問に答えよ!」


「は、ははぁーっ!」


 消防団長は代々街の顔役を務める古い家柄の出であったが、その家の格じたいは地方の豪族とあまり大差ないものだった。とても王族と直接謁見できるような立場にはなかったので、あまりの畏れ多さに、跪いて地面に額をこすり付けそうになるくらい頭を下げる。


 アストゥールの大音声に驚いたのは、消防団長だけではない。船着き場の前の広場を埋め尽くした兵士たちも市民も、驚きのあまりどよめいた。


 ローレリアン王子は、自身の肖像画を描かせない。噂には聞いていても、当の王子殿下がどのような外見の人物なのかは、まだそれほど世間に知られていなかった。いま目の前にいるこの青年が、名高い『ローザニアの聖王子』かと、誰もが思ったのだ。


 馬上にすらりと背を伸ばして居住まいを正す男。


 服装は黒づくめの神官の法衣。


 対岸の火事の火に照らしだされている、憂いに満ちた秀麗なる横顔。


 唯一の色を成す金の髪は、風になぶられ、ゆるやかにゆれている。まるで王子の美しい容貌を、後光で縁取るかのように。


 王子は凛としたよく通る声で言う。


「そうかしこまられては、話もできない。立ちなさい、グロリューズ」


 立てと命じられた消防団長は、おそるおそる地面から膝を離して、腰を低くしたまま王子の馬へと近づいた。


 前置きもなく、ローレリアンは消防団長にたずねる。


「最新型の消防用ポンプは、重すぎて渡し船へ乗せられなかったと聞くが」


「はい、さようでございます。蒸気機関は鉄と水と燃料の塊のようなもので重量がございますので、地面の上でも二頭の馬で曳かねばなりません」


「貨物用の川舟になら乗せることが可能か?」


「はい、貨物輸送用の甲板が広い平底船なら、なんとかなるかと」


「では、その船を準備させる。移送の段取りを頼むぞ」


「しかし、殿下。船舶会社からは船の貸与を拒否されております」


「船を壊されたり、火災の二次被害を受けることを恐れているのか。ならば、接収した船に損害が生じた際の補償を約束すればよかろう。ローザニア王国王子の名にかけて約束する。接収した船に損傷が生じた場合は、国がこれを補償する」


「殿下、それはまことでございますか」


「わたしは国王陛下より、今回の大火の対応については全権委任を受けている。わたしの約束は、国王陛下の約束である。心配はいらぬ」


 消防団長の口調には懇願の響きが加わった。


「御慈悲深き王子殿下! では、その補償の約束を、渡し舟の船頭たちにも与えてやってくださいませぬか! 対岸の船着き場には、火事から逃げてきたものの、大河の流れに行く手を阻まれている者が大勢おります! どうか、その者たちを救いに行かせてやってくださいませ! 哀れな船頭たちには、雇い主の持ち物である渡し舟を危険にさらせる権限がありません!」


 切なる願いを聞いた王子の声は、朗々とあたりに響き渡る。


「あいわかった。渡し舟の船頭たちには、これから軍隊や資材を対岸に運ぶ役目も果たしてもらわなければならない。大火へ対応する作業により渡し舟の船体に損傷が生じた場合も、補償を約束する」


 かつて権力者が、こんなに気前のいい約束をしてくれたことはない。消防団長の表情には、一瞬だったが、信じていいのだろうかという迷いが浮かんだ。


 その表情の変化を、王子は見逃さなかった。不敵に笑って宣言する。みなが固唾をのんで、このやり取りを見ているのだ。いまここで市民の協力を取り付けそこねれば、東岸の街は丸焼けだ。


「なあに、心配するな。万が一、舟の補償を財務省が渋るようなことあらば、王子のわたしが、みずから王宮の宝物庫をあばいて、父の宝冠の宝石を売りさばいてでも支払いをしてやる。民あってのローザニア王国ではないか。市民との約束を、わたしは何よりも優先する。船頭たちは安心して大火の対応のために、我が王国の母なる大河レヴァに舟を漕ぎ出すがいい!」


 消防団長と王子のやり取りに耳をすましていた人々が歓声をあげた。


 その歓声は、あっというまに耳をつんざく民衆の大歓声へとなり替わる。


 躍り上がって船着き場へ駆けていくのは、対岸の悲鳴を聞きながら動けずにいた船頭たちだ。


 「舟を出すぞ!」「王子殿下万歳!」「早く櫓を水に降ろせ!」と、人々は口々に叫ぶ。


 消防団長は興奮しきって、王子を見あげた。


「感謝申し上げます、王子殿下!」


 喜色にかがやく相手の顔を見て、ローレリアンはゆったりと微笑む。本当のところは心の中で、芝居がかった大台詞をつかえずにに言えてよかったと、冷や汗をかいていたのだが。


「グロリューズ。あなたは自警消防団の団長を20年も務めた熟達の専門家だ。その経験と知恵を存分に発揮して、わたしを助けてほしい」


「はい! しかし、殿下はなぜ、わたくしめの名と経歴を?」


「わたしは自分が書面に署名し、感謝をささげた人の名前を忘れたりはしない。あの表彰状が、わたしのもとへまわってきたのは、まったくの偶然だったがな。あなたとは初対面だという気がしない。頼りに思っているぞ、グロリューズ」


「はいっ、殿下!」


 消防団長は大感激である。プレブナン商業地区自警消防団長勤続20年の表彰状にサインをした時、バカ兄の仕事ぶりに激怒していたせいで、この男の名前を憶えていたから助かったと、ローレリアンがほくそ笑んでいたとは露知らず。


 そして、次に呼びつけられるのは、今回、あまりいい思いをしていない将軍閣下である。


「アルメタリア将軍!」


「はい。御前におります、王子殿下」


「聞いてのとおりだ。わたしは国王陛下より全権を委任された。これより王都大火対策本部を立ち上げる。第一師団には近衛師団とともに、我が指揮下へ入るよう命じる」


「ご命令、うけたまわりました」


 将軍はうやうやしく、王子殿下へむけて騎士の礼をするしかなかった。ローレリアン王子の名を呼ぶ市民の声は、いまや怒涛の大歓声となっている。


 あたりの騒ぎに負けないように、王子は張りのある声で次々に言った。


「各師団の工兵隊長を呼べ! グロリューズ、工兵隊長とともに東岸の地図を見て、どこへ防火帯を作るのが最良か検討を! 市民にも協力を頼み、斧、槌、のこぎりなどの工具を集められるだけ集めろ! 防火帯を作る手伝いをする男手を募れ!」


「ただちに」


「アルメタリア将軍。第一師団と近衛連隊の中隊長以上を集めて対策会議を開く。第一師団の指揮官達を、どのように任用するかの判断は将軍へ任せる」


「かしこまりました」


 ここで初めて、王子は馬から降りる。すると、たちまち王子は護衛の人垣に囲まれた。


 そのやりようは、まるで表舞台からの暗転退場だとアルメタリア将軍は思った。ほんの一瞬の登場で観衆にみずからの存在を鮮烈に印象付けて、過剰な露出はさけ、さっさと舞台裏へひっこむ。


 最小の労力で、これ以上ない効果を生んだようなものだ。謎めいた雰囲気を残しておけば、人々はより『ローザニアの聖王子』に注目する。好奇心に駆られた男たちは、喜んで王子に手を貸そうとするだろう。


 王子の指揮下に入るこれからの数日間、おのれの言動には細心の注意をはらわなければと、将軍は思った。


 この青年は侮れない。どうすれば自分をより魅力的に見せられるか、この若い王子はきちんと考え、計算ずくで行動している。彼に悪感情を持たれてしまえば、アルメタリア将軍の「中央政界で、これから人生に、もう一花咲かせよう」という野望は、単なる夢想として終わってしまうにちがいなかった。

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