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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …12

 ローレリアン王子は会議の間を後にして、王宮の西翼の出口へとむかった。


 いまは一刻を争うときだ。走りながら王子は聖衣の打ち合わせに手をかける。


 聖衣の下から重い衣のすそさばきをよくするために着用される白絹のローブは現れず、上着を脱ぎ捨てた王子は、普段愛用している詰襟(つめえり)の法衣姿となった。


「おそらく後で必要になるから、そいつは現場へ持ってきておいてくれ」


 はからずも放り投げられた聖衣を受け取ることになったリドリー・ブロンフ卿は苦笑した。やはり王子殿下は、最初から聖堂へなど行く気はなかったのだなと。


 壮麗なる宮殿の政治向きの表玄関にあたる西翼の前の広場には近衛連隊が列をなして待機している。


 階段下には、ローレリアン王子の馬。


 その馬に自分の馬の馬体をならべ、王子を待つアストゥール・ハウエル卿は、不穏な熱気をはらんだ夜空を見上げてつぶやいた。


「ああ、しまった。アレンのやつを営倉から出してやるのを忘れていた。

 あいつには『今回、殿下はおでましにならない』と伝えてやって、それっきりだ。

 結果的には嘘をついたようなものだから、あとで山ほど文句をつけられちまうぞ」


 アストゥールのかたわらにいた王子の護衛隊第二小隊の指揮官であるスルヴェニール卿は、軽く肩をすくめて答えた。


「いまさら、あいつを迎えに行ってやる暇はないですよ。

 どうせ、あいつの部下も、ハウエル将軍の部下も、今回は出番なしだろうということで伝令役に駆り出してしまいましたから、ここにはいないのです。

 デュカレット卿には悪いが、営倉から出してやるのは、こたびの成り行きに目処が立ってからということにいたしましょう」


「たく、俺はいい歳なんだぞ。やっと名誉ある将軍位をちょうだいして自分の部隊を持てる身分になったっていうのに、非常事態が起きたら、また殿下の護衛役に逆もどりで肉体労働だ。しかも不肖の弟子の、代理ときた」


 ぶつぶつ愚痴りつづけるアストゥールを見て、スルヴェニール卿は失笑する。


「不満そうなお口ぶりですが、顔が笑っておいでですぞ、将軍閣下。『王子殿下の影』の尊称を返上なさるおつもりなど、欠片もないようにお見受けいたします」


 馬上でふんぞり返ったアストゥールは、からりと笑った。


「まあ、ようするに、俺には現場のほうが性に合っているということだ。俺の部隊は、まだ実戦部隊の体裁をなしていないのでな。現場で俺のことを閣下なんて呼ぶんじゃないぞ、スルヴェニール」


「承知いたしました」


 笑いながらうなずいたスルヴェニール卿が、階段の上を仰いで表情を改める。


「殿下です」


「うむ」


 階段をかけおりてきたローレリアン王子は、護衛隊付きの従卒の手を借りて馬上の人となった。彼はあくまでも国王の輔弼(ほひつ)をつかさどる実務家の王子である。おまけに副業は、お祈りが仕事の聖職者。馬や剣の扱いが仕事である騎士達を感心させるような、はったりの利いた体の使い方はできない。


 しかし、そんなことはどうでもいいのだ。


 馬上の人となった王子は、すらりとした姿をまっすぐに起こし、冴え冴えとした光を宿す瞳で、彼にしたがう男たちを見渡した。


 兵士も将校も、みな王子に視線を注ぐ。


 その熱い視線には、我が王子への信頼がある。


 満足げに微笑んだローレリアン王子の表情はやがてひきしまり、声高に命令が発せられた。


「アストゥール!」


「はっ!」


「王国軍第一師団が立ち往生している渡し場まで襲歩(しゅうほ)にて進み、我々を先導せよ。事態は急を要している。騎乗していないものは、全力で走れ。

 みな、よく聞け。ローザニアの民は、死力を尽くして事に当たる軍隊こそ欲しているのだ。現場に駆けつけ、汗と熱意で、我こそは軍神マルスの申し子であると民に見せつけよ!」


 王子の右手が高々とかかげられ、「我がローザニアのために!」と男たちは大声をあわせて何度も叫んだ。


 そのシュプレヒコールを聞きながら、王子の護衛隊長達は馬の首をよせて打ち合わせをする。


 第一小隊長とローレリアン王子付き護衛部隊長代理を兼任するイグナーツ・ボルン卿は緊張ぎみだ。暗がりでわかりにくいが、顔色も悪いように見える。


「ハウエル将軍閣下がいてくださってよかった。わたしの指揮では、何日にも及ぶであろう殿下の御城下での活動を、完全にお守りできるかどうか心もとない。殿下がお出ましになるまでのごたごたのせいで、アレンの小隊は分解状態だし、やつもここにはおりません」


 隻眼の将軍は、もと王子付き護衛部隊長である。かつての部下であったボルン卿の肩をたたき、気合を込める。


「2個小隊で24時間の警護体制を敷くのは大変ではあるがな。憲兵隊のリドリー・ブロンフ卿の協力もあるから、なんとかなるだろう。

 大丈夫だ、イグナーツ。おまえなら任せられると思ったから、俺は護衛部隊から退いたんだ。いまさら指揮権を、おまえから返上させるつもりなどないぞ。

 それより、殿下は全速力でもって現場へ駆けつけるパフォーマンスを要求されている。

 先導を俺にお命じになられたのは、はったりが利く外見だからだろうさ」


 王子が先導役にアストゥールを選んだのは、背後の軍勢の様子を見ながら最速の進軍速度を定める難しい役を、経験豊富な彼なら問題なくはたせるだろうと踏んだからに他ならない。だが、アストゥールは指名によってあらわされた王子からの絶対の信頼を、冗談でぼかしておきたいのだ。戦場と大差ない混乱にみまわれた現場で、これから何日にもわたって王子を守らなければならない護衛隊長たちに、無駄な緊張をさせないために。


 イグナーツとスルヴェニールは、失笑をこぼした。


 胸を誇らしげにそらし、ぐいっと親指を立てて自分を指し示したアストゥールは、「俺様はいい男だからな」と言いたげな表情をしていた。実際、気障(きざ)(ひげ)隻眼(せきがん)を持つ中年騎士は、かなりの伊達男(だておとこ)ではあるのだが。


「まあ、ほどほどの全速力を心がけるから、殿下の馬のまわりを、おまえたちの部下の馬で遅れないように固めてくれ。現場の混乱に乗じて、えたいのしれないやつを殿下に近づけたりするなよ」


「承知しました」


「では、行くとするか」


 馬の首を返し、仲間がそれぞれの位置に着くのを待つあいだに、アストゥールは旗手から旗を受け取った。黒地に二頭の獅子。二つの強きものが仰ぎ見るのは、王家を象徴する一重咲きの薔薇と王冠。ローレリアン王子がアストゥールの新設部隊に下賜(かし)した隊旗である。


 のちに、この旗はローレリアン王子の御旗として、敵からも味方からも畏怖の念で仰ぎ見られるようになる。その王子旗の初披露は、まさにこの時であった。


 王宮の門の方向へ、まっすぐな視線をそそぎ、アストゥールは咆哮(ほうこう)した。


「全軍、この旗につづけ! いまこそ、我らが王子の御名を、世にとどろかせるのだ!」


 (とき)の声をあげた軍勢は、怒涛(どとう)のごとく動きはじめた。このさいの鬨の声は、王都の外れでも聞くことができるほど、大きなものだったという。

輔弼ほひつ → 王や皇帝を補佐すること。

襲歩しゅうほ → 馬の全速力。騎手は鞍から腰をうかせ、鐙のうえに立ってバランスを取る。かなり練習しないとできないものらしい。

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