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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …11

 東岸の火事をまえに沈黙せざるをえなくなった王国軍第一師団とは対照的に、ローレリアン王子が精力的に動く黒の宮は、人の出入りが激しく、とても騒々しかった。とくに王子のまわりでは、さまざまな方面からあがってくる報告が次々に叫ばれている。


 報告を聞くたびに、人々は興奮したり、嘆息したりする。レヴァ川東岸の火災は拡大しつづけ、もたらされる報告によって、人々の悲観的な気分はあおられるいっぽうなのだ。


 東岸の火災の様子にまじって、その報告は王子のもとへもたらされた。担当者は王子のそばにより、声をひそめて申し上げる。ローレリアン王子の側近達は、その担当者からの報告は各所へ放ってある間諜からの報告であると心得ているので、小声の会話の邪魔をしないように、あたりはしばし静まり返った。


「殿下。王太子の宮へもぐりこませている密偵からの報告です。王太子殿下はいまだ、王宮内におられます。おびえて寝所から出ないとのことです」


 ローレリアン王子は眉間にしわを寄せた。首席秘書官が呼ばれる。


「カール、第一師団の動きについて、その後の報告はどうなっている?」


「西岸の船着き場にて待機中の報告が最後です。その後、動きはありません」


「くそったれ! 動きがないんじゃなくて、動けないんだよっ!」


 ローレリアンは、いつもの優雅な王子殿下らしからぬ口調で悪態をつき、壁の地図をたたいた。側近たちは何事かと緊張しながら、王子に注目する。


 固く目を閉じ、歯を食いしばる。そうしていなければローレリアンは、意気地のない兄を、ののしり倒してしまいそうだった。しかし、ここで彼は取り乱すわけにはいかない。『ローザニアの聖王子』は、どんな状況にあっても沈着冷静で指導者にふさわしい態度でいなければならないのだ。


 落ち着けと自分に言い聞かせながら、ゆっくりと目を開く。


「ラッティ!」


 疲れている黒の宮の人々に飲み物を配っていた王子の小姓は、「はい」と答えて姿勢を正した。


「聖衣を準備してくれ。ここにいたのでは、らちがあかない。聖堂に鎮火を願う御祈祷にいく。それが三位の神官位をいただいている王族のわたしに、もっともふさわしい行動だ」


 首席秘書官が、不敵に笑って問いかけた。


「はて、聖堂で、もろもろの指揮をとられますか?」


 王子は憮然と答えた。


「馬鹿を言うな。聖堂は神聖なる祈りの場所だぞ。だが、聖堂へむかう道すがら、目的地が変わるかもしれんな。だから、カール。おまえもついてくるがいい」


「かしこまりました」


 丁寧に一礼した首席秘書官は、一連の情報を記した壁の張り紙を、すべてはがして運ぶように指示を始める。


 廊下では王子の護衛隊を指揮するイグナーツ・ボルン卿が、部下に整列の号令をかけていた。護衛隊の装備は銃を担った実戦仕様で、とても王宮内の移動のための支度ではない。


 五分後、ローレリアン王子は黒の宮から出ていった。


 王命により黒の宮の出入り口を封鎖していた憲兵隊のリドリー・ブロンフ卿は、とっくにローレリアン王子を宮の中へおしとどめておく意欲などなくしていた。聖衣とともに犯しがたい高貴な雰囲気をまとわれた王子殿下に、「わたしは聖堂へ祈祷をしにいく。じゃまだては許さぬ」と申し渡された瞬間、「ならば、わたくしもお供いたします」とだけ答えた。


 王子のあとにしたがう秘書官、事務官、護衛官の行列は、王子の宮の引っ越しであるかのような物々しさだったが、それを見てもブロンフ卿は表情一つ変えなかった。


 我が命運は、ローレリアン王子殿下とともにあり。


 ブロンフ卿もここで、そう決意をしたのである。






     **   **






 王太子惑乱の知らせは、当然、議論の声かまびすしい会議の間にももたらされた。しかもそれは、王国軍第一師団西岸の渡し場にて立ち往生の知らせと、同時にとどいたのである。


 議場は騒然となった。


 国王は頭を抱えてうなり、老宰相は怒り心頭のていで席をけって立ちあがる。


 宰相はしゃがれる声で言い放った。


「みなのもの、うろたえるでない! 心配せずとも、いまこの老いぼれめが現場へでむいて、軍を動かしてくる! 王都大火の責任も、わしが引退の土産に、我が墓場へともち去ってやるわっ!」


「おまちください、宰相閣下!」


「伯父上、無茶ですぞ!」


 長年にわたって宰相の下で働き、政府の要職について美味しい思いをしてきた親族たちが、いっせいに老人へ取りすがった。


 一族の頭首に引退されるのはかまわないが、引責辞任されては困るのだ。彼らには、まだこれから長い人生がある。こんな形でカルミゲン公爵の時代が終われば、反宰相派の連中は大喜びで、宰相の一族全員に連座で責任を取らせようとするだろう。


 しかし、怒りに我を忘れた宰相は聞く耳をもたない。長年にわたって、おのれを殺して守ってきたローザニア王国の首都が燃えている。しかも、その対応が宰相の孫である王太子の臆病風のせいで完全停止してしまったのだ。これが、怒らずにいられようか。老いから生じる短気も手伝って、宰相の頭では血がたぎる。彼の一生分の苦労が、大火の炎とともに灰塵に帰すように思えるのだ。


「はなせ、馬鹿者ども! あのように(うつ)けた跡取りを国王陛下にさしあげたのが、我が娘かと思うと、情けなさで胸が張り裂けるわっ! 孫の不始末は、わしの不始末も同然じゃ! 王太子も現場へひきずっていき、大火の炎で焼き殺してくれる! それが、ローザニア王国宰相としての、わしの最後の役目じゃ! 後顧の憂いは、すべて断ち切ってくれようぞ!」


「ご乱心だ!」


「医者を呼べ!」


「宰相閣下、お気を確かに!」


 もう会議どころの騒ぎではない。


 国王を筆頭に、政府の高官達は、ぼうぜんと宰相一族の混乱ぶりをながめている。


 そこへ、新たな人物の登場である。


 自分の側近をひきつれて会議の間に入ってきたローレリアン王子は、騒ぎを一目見るなり顔を強張らせて、あたりに一喝した。


「王都の大火災が延焼を続けているさなかに、臣らはここで、何を騒いでいるのだ!」


 王子の涼しい声はよく通る。一瞬にして会議の間は静寂に包まれた。


「王子殿下」


 真っ先にヴィダリア侯爵が立ちあがり、王族への臣従の礼を取る。我にかえった高官達も、いっせいにそのあとへしたがった。


 王子はすその長い聖衣を着ていた。黒づくめの聖職者の衣装は、これ以上ないくらいに王子の高貴な雰囲気を引き立てている。


「王子殿下、じつは……」


 事情を説明しようとしたヴィダリア侯爵は、黙っていなさいと、王子から力強い瞳の力で命じられた。


 一同を見まわして、王子は静かに口を開く。


「わたしは謹慎中の身ゆえ、せめて聖堂で神々へ王国への加護を願う祈祷でもと思い、ひっそりと宮から出てきたが。その道行きで、事態の推移を聞いてしまえば、のんきに祈祷などしていられようはずもない」


 王子は、父国王のほうへむきなおった。


「父上。わたしへの謹慎の命は、お解き下さいますように。さらに、重ねてお願い申し上げます。どうぞ、このわたしへ、こたびの事態への対処を、お命じ下さい」


「ローレリアン、そなた……」


 父と息子は、しばし見つめあう。


 父はおののいた。息子の瞳は、柔らかく笑っていたのだ。


 そのおだやかな色の瞳を長くは見ていられず、国王は目をそらしていった。


「余は、王都大火の対策指揮などで、いままさに始まらんとしている国を導く王子としてのそなたの経歴に、汚点を残したくない。その身に危険がおよぶことも、してほしくないのだ。だが……!」


 うつむき震える国王は、その姿で、ふがいない兄が引き起こした苦渋の事態の後始末を、弟にさせなければならなくなった辛さを語っている。


 息子はその父へ、わかっていますよと、伝えたいのだ。


「父上、申し上げたはずです。わたしは、このローザニアの王子です。国のためとあらば、命も捧げる覚悟。危険なことはいたしませんという、お約束もできかねますと」


 国王の視線が泳ぐ。


 いまだ迷いの中にある国王は、ローレリアン王子のうしろへ、リドリー・ブロンフ卿の姿を認めた。


 ブロンフ卿は、深々と首を垂れた。


「申し訳ございません。聖衣をまとわれた高貴なるお方に聖堂へ祈祷に行くと言われれば、どうしても宮へお留めすることもかないませず」


 国王は、顔をゆがめて苦笑した。


「よい。どうせ、我が息子は、二人とも余の思う通りにはならぬのだ。

 ローレリアン。これがそなたにとっては、国王から全権を委任される王子としての初仕事になる。すべて、そなたが思うとおりに、やってみるがよい」


「ありがとうございます」


 一礼した王子は、自分の首席補佐官へ「ここへ残り、現場と御前会議の仲立ち役をするように」と命じた。そして、聖なる衣の裾を華麗にさばき、出口へとむかう。


 ブロンフ卿が、そのあとを追う。


「殿下、お待ちください。ここまで、わたくしを巻き込まれたのです。どうか、この先の御供も、お許しください。不肖リドリー・ブロンフ、殿下の手足となって粉骨砕身おつかえ申し上げると、神々へ誓いますゆえ!」


 会議の間に集まっていた高官達が、どっと笑った。また、ローレリアン王子に心酔して、忠誠を誓う者が出たと。


 しかし、和やかな雰囲気を楽しめたのは、ほんのしばらくの間だけだった。


 東岸の街の火は、勢いがいっこうに衰えない。そのうえ、渡し場で立ち往生している第一師団にむけて、とうとう怒った市民が投石を始めたとの知らせが届いたのである。

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