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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 …10

 しかし、(はかりごと)が思うようにすすまないのは、世の常である。


 ヴィダリア侯爵家の三男、モナの異母兄であるロワール・イトリット卿は、第一師団の幕僚の一員だった。まだ歳が若いので肩書は下っ端だが、出身家系が名門であるうえ腕が立ち頭も切れるので、将来を嘱望されている男である。


 その優秀なる将校ロワールは、所属する部隊に出動命令が出ているというのに、いまだ王宮の中にいた。


 彼はべつに拘束されているわけではない。


 だが、どうしても王宮から外には出られなかったのだ。


 当初、彼は上司である第一師団参謀長のダドフィー卿と共に、ここへやって来た。さる高貴なお方を、彼らの軍の司令官としてお迎えするためである。


 ところが、その司令官閣下は体調不良を理由に、寝室からのおでましを拒絶なされた。


 お迎えに参上した第一師団の幹部達にしれみれば、この拒絶は晴天の霹靂であった。国王陛下のお膝元である王都プレブナンをお守りする役目は、王国建国当初から、王太子が担うものと定められてきたのだ。


 いま、まさに王都は危機的状況にある。


 それなのに将来至高の座に登るはずの王太子殿下から、御出座を拒否されようとは。


 言葉をつくして、ダドフィー卿は王太子を説得しようとした。「殿下は後方で、どんと構えていてくださるだけでよろしいのです」とか、「なんなら天幕の中にベッドをしつらえて、お休みになられていてもかまいません」と言って。


 しかし、寝間着姿のままベッドにもぐりこんだ王太子は、布団の下で震えながら、「いやじゃ、いやじゃ」と、くりかえすばかりだった。30歳の大人がである。


 馬鹿げたやり取りに、すっかり嫌気がさしたダドフィー卿は、部下に対応を任せて本隊へもどってしまった。


 任されたロワールと彼の副官にとっては、困惑の事態である。


 この駄々っ子を、どううすれば王宮から引っぱりだせるというのだろうか?


 いつも王太子の側近くに仕えている侍従たちですら、殿下の御衣裳を手にして、ベッドのまわりでうろたえるだけである。


 いっそ力づくでと思い、王太子の肩に「ご無礼をば!」と手をかけてみたところ、暴漢にでも襲われたかのような悲鳴をあげられてしまう始末。


 悲鳴をあげつづける寝間着姿の王太子を担いで王宮の渡り廊下を歩いていく度胸の持ち合わせは、ロワールにはない。王族に危害を加えることは死罪に相当する罪であるし、第一、そんな馬鹿げたことを実行すれば、ロワールの武人としての矜持も傷つく。


 それからしばらくたったあと、どうせ無駄だと思いながら、ロワールは再度、説得の言葉を口にした。


「王太子殿下、なにをそんなに恐れておいでになるのですか? よろしければ、わたくしにお話し下さい。どなたかに、殿下のお気持ちをお伝えせよというのでしたら、そのお使いもいたしましょう」


 布団の中の意気地なしは、涙ながらに訴えた。


「どいつもこいつも、わたしのことなど、馬鹿にしきっておるくせに」


 よくおわかりですねとは言えず、ロワールは型どおりに答えた。


「そんなことはございません」


 お約束の返事をもらって、勇気を得た王太子は大声をあげる。


「軍隊の指揮など、弟に任せておけばよい! あれは目立ちたがり屋ゆえ、喜んでやるであろう! あれは、わたしから王位を奪うつもりなのだ! それなら、なんでも、あれがやればよいのだ!」


「王太子殿下。弟君は、ただいま国王陛下より謹慎の命を賜っておいでですから、おでましになりたくても、おできにならないのです」


 そうでなければ真っ先に街へ飛び出して、事態への対処にあたろうとなさる方だ、あの方は。たとえそれによって、自分が不利益をこうむろうとも。


 悲壮な気持ちでロワールは、王太子をたしなめたつもりだった。しかし、王太子は他人の心を思いやれるような度量の持ち主ではない。ロワールの言葉は、表面の意味だけしか王太子に伝わらなかった。


「ならば、わたしは弟の身代わりか! 弟は、わたしに、面倒な責任をおしつけようというのだな! ただでさえ、わたしは国民から嫌われているというのに! このうえ、大火の対応の責任者など押し付けられたら、馬鹿よ、無能よと、さらに嘲笑を浴びるではないか!」


 そう叫ぶと布団の中で、王太子は「うわーっ!」と泣き伏した。


 ロワールは彼の副官と顔を見あわせた。つくづく、この人は、自分のことしか考えられない人なのだなと。


 だが、こまった事態である。王太子を外へ連れ出すためには、なにをどうしたらいいのか、さっぱりわからない。言葉での説得は、不可能に思える。


 それに、みなは王太子を馬鹿だ無能だというけれど、本人は本人なりに、自分の立場を理解しているじゃないかと思う。


 国民から、さらに嘲笑を浴びるというあたりは、自意識過剰だと思うが。これ以上、だれがどのように、王太子を笑うというのだ。国民はとっくに、王太子への期待などなくしている。


 しかし、自分は捨て駒だという判断は、じつにまっとうな状況把握である。王太子を第一師団の司令官として担ぎ出す決定は、あくまでも、軍部の権限を抑制するために王権を象徴するお飾りが必要だから、なされた決定だ。


 飾りは、なにがあろうとも、ただの飾りだ。飾りが何もしないのは、あたりまえではないか。王太子が出動した軍の後ろでボーっとしていても、文句をいう者などいない。王宮の外でも思う存分、なまけていたらよかろうに。


 ロワールは意地悪く考えつづけた。いくら高貴なお生まれの方であろうと、こんな男を尊敬などできるものかと、舌打ちをしながら。






     **   **






 ところが、飾りには飾りなりの、役目があったのだ。


 とりあえず王国軍第一師団は王都の大火災に対処すべく、立派な隊列を組んで師団本部から街へ出た。


 出るには出たが、そこで立ち往生してしまったのである。


 アルメタリア将軍は、まず彼の軍をレヴァ川の東岸へ渡河させようとした。レヴァ川には橋がないのだから、軍隊を対岸に渡らせるためには舟がいる。


 ところが、渡し舟を接収しようとすると、それは民間人の財産権を侵害する行為となるから、軍部だけの判断では実行できない。王権を代行する人物に「よきにはからえ」と言ってもらわなければ、第一師団は燃えている東岸の街へ、たどりつくことすらできなかったのだ。


 渡し場に集結した軍団は、その場に立ちつくして対岸の火事をながめた。


 やっと軍が出てきたぞと、彼らの行動を見守ろうとした市民も、渡し場の周辺で放心している。


 時は刻一刻と過ぎてゆく。


 対岸の火事は燃え広がる一方で、いまや天を焦がさんばかりの勢いだ。あまりに大きくなった炎は上空に気流を作り、うごめく空気は風となり、ごうごうと人々の耳をゆする音を発している。


 市民の一人が叫んだ。


「むこう岸を見ろ! 火から逃げてきた連中が、こちらの岸に渡りたがって舟をよこせと手を振っている!」


「火が背後に迫ってるんだ!」


「おい、渡し船の船頭さんたち! 船を出してやれ!」


「あいつらは命からがら逃げてきたんだぞ! 助けてやれよ!」


 火事場見物に集まった市民のあいだに、興奮はまたたくまに広まっていった。


 だが、渡し舟の船頭たちは、おびえて震えるだけだった。日がな一日、川の両岸の往復をくりかえす彼らは、渡し舟を所有する親方に雇われている肉体労働者にすぎない。勝手に対岸の連中を助けに行って舟を壊したり失ったりすれば、罰則として大きな借金を背負わされたあげく、たちまち明日から路頭に迷ってしまう。


 対岸からは炎の気流に乗って、「おーい、おーい!」「助けてくれー!」と、泣き叫ぶ人々の声が届く。その声は、市民の興奮をさらにあおった。


 不穏な空気が、船着き場の周辺に満ちる。


 アルメタリア将軍は歯噛みした。


 王命を無視して、行動を起こすべきだろうか。ここで行動を起こした結果、それが吉と出るか凶と出るか、将軍には先が読めない。それこそ、バリオス三世の胸の内ひとつだろう。よくやったと認められれば、それは手柄。勝手な行動と批判されれば、将軍を更迭するよい口実を国王へ与えることになってしまう。


 彼の軍を取り囲んでいる市民の興奮は高まるばかり。


 興奮は権力への恐れを退ける。市民の叫び声は、「臆病者!」「腰抜け!」「それでも軍隊か!」といった、将軍への批判へ変わりつつある。


 立派な軍馬にまたがり、風格たっぷりの堂々たる体躯を対岸の火事の炎に照らしだされながら、将軍は恨みのこもった目で丘の上にそびえる王宮を見あげた。


 憤りが、口をついて出る。


「とんだ貧乏くじにあたってしまった。王太子はいったい、何をしているのだ!」


 その悲壮な叫びに、答える者は誰もいなかった。

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