王都炎上 … 9
御前会議の決定をはからずも聞くことになった憲兵隊第三機動部隊隊長リドリー・ブロンフ卿は、大急ぎで黒の宮までかけもどった。
彼の隊は国王の命令によって黒の宮の出口を封鎖している。そのおかげで、王都の東岸が大火事だというのに、ローレリアン王子は宮の外に出ることはおろか人と会うことすらできないもので、業を煮やしてブロンフ卿につめよったのである。「職務に忠実なのはけっこうだが、時と場合を考えろ!」と。
しかし、軍人が独自の判断で動けないのは自明の理。「いましばらくおまちを」と王子殿下に申し上げたブロンフ卿は、国王陛下の御下命を解いてもらうべく、あわてて会議の間へ走ったわけである。
黒の宮の出口までもどって、彼は驚いた。
一応は国王からの命令があるので、王子のもとへ集まった各所からの連絡役は、黒の宮の出口付近で待機している。その場は非常に騒がしく、イライラと歩きまわっている者、何かの書類をもってどこかへ走っていく者、廊下へもちだした机におおいかぶさるようにして必死に書き物をしている者など、多士済々の様相である。
その人ごみをかき分けて、ブロンフ卿は宮の奥へと急ぐ。
王子の執務室の周辺でも、騒ぎは同様であった。伝令が次々に飛び出していき、秘書官達は汗をかいて走りまわっている。
「失礼いたします! 憲兵隊第三機動部隊長リドリー・ブロンフ、ただいまもどりました!」
大声で帰着をつげると、10人ほどの人に取り囲まれて壁に貼った地図のまえに立っていたローレリアン王子は、ちょっと待っていろと、しぐさで応じた。王子のそばでは、一人の秘書官が必死になって王子の言葉を口述筆記している。
「季節は8月であり、いま各地の神殿の備蓄食料を放出しても、2か月後の収穫期には補充がかなうはずであります。こたびの事態は大変不幸なことではありますが、神々が我がローザニア王国をお見捨てになりはしないことを、民衆に知らしめるよい機会ともなりましょう。わたくしからの要請について、猊下には御英断を賜りますよう、お願いする次第でございます。 ―― 書けたか?」
「はい! これでよろしいでしょうか」
王子は受け取った手紙をすばやく読み、最後に自分の署名を書きくわえた。その手紙をもって、秘書官は執務室から駆け出ていく。手紙の相手に猊下と呼びかけているから、秘書官の行き先はプレブナン大神殿の大神官長のところだろう。
なんてことだと、ブロンフ卿は嘆息する。彼が、ついさっきまでいた会議の間では、政府の高官達が責任のなすりつけあいをしていた。そのあいだに王子の宮では、着々と大火への対応が進められていたのだ。
ブロンフ卿から御前会議での一連の決定を聞かされたローレリアン王子も、大きな嘆息をもらした。
「しかたがない」と王子は言う。
「わたしは、まだ表むき、国王陛下のもとで国政を学ぶ見習いの身なのだ。とりあえず、今回は裏方に徹するとしよう。だれが司令官であろうと、現場に第一師団が出動したのならば、それでよかろう」
黒の宮は、王宮の東端にある。ローレリアン王子の執務室の窓は、燃える東岸の街の火に照らされて赤く色づいていた。
その赤が、王子の暗い表情を闇に浮き立たせる。
きっと、いまこの王子の頭の中では、綺麗事だけではない深慮遠謀が張り巡らされているのだと、ブロンフ卿は思った。
ローレリアン王子には、失敗を単なる失敗に終わらせないだけの、しぶとさがある。つねに次の目標を考えて行動する、千変万化の推進力も。そして、混乱に惑わされず、落ち着いて決断する力強さも。
だから、この王子のまわりには、人が集まるのだ。
しばし考えたあと、王子は休むことなく、仕事へともどっていく。
「よし、状況整理だ。協力を取りつけた関係機関と人物のリストを作れ。できたら順次、それを国王陛下のもとへ届けるように。東岸へ直接送った伝令からの報告は、どうなっている」
ひょっとしたら自分は、歴史に残る瞬間に立ち会っているのかもしれないと、ブロンフ卿は思った。ローザニアの聖王子が国政の表舞台へ出ていく、その瞬間に。
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そのころ、王宮の北に位置する近衛師団の本部では、下っ端の兵士が二人で、ぼやきまくっていた。
彼らの任務は、罪を犯した兵士や士官が収監される営倉の警備である。ただでさえ、おもしろくない役目だというのに、今夜は格別いやな夜だった。王都の東岸の街が火事になったとかで街中の神殿の鐘が鳴り響き、近衛師団にも待機命令が下って、あたりには人気がまったくない。
人気がないということは、ちょっとのあいだ誰かに任務を代わってもらいたいという、願いもかなわない。街を焼きつくす大火事なんて、めったに見られるものではないのに、それを一目見ることもかなわず、兵士は営倉を見張らなければならないのだ。
そもそも、今夜の営倉の客は、始末にこまるお客だった。一介の兵士にとっては、国一番の剣士の称号である桂冠騎士の肩書を持つ、王子殿下の護衛隊長殿なんて、雲の上のお方である。
その若き桂冠騎士殿は、警鐘が鳴るやいなや、営倉内で暴れはじめたのだ。
「俺をここから出せ! ローレリアン王子殿下は民衆のためとあらば、平気で火の中に飛びこんでいくお方だ! 俺もお供する! ここから出せーっ!」と。
士官用の営倉は、それなりに居心地のよい部屋である。出入り口の堅固な木戸に鉄格子がはまっていることだけが、この部屋が牢屋である証明となるような場所だ。
その中で4日間の反省をするはずの隊長殿は、大暴れだった。ガンガン木戸を蹴るし、ありとあらゆる罵詈雑言をわめき散らす。
お願いですから静かにしてくださいと言いながら、うっかり木戸へ近づいた兵士の一人は、隊長殿から殴られた。近衛護衛隊総隊長のところへ特赦を頼みに行けと命じられて、断ったからである。今夜は交代要員がいないのだから、彼らはこの場所から離れられないというのに。
神殿の警鐘は、いつのまにか、鳴りやんでいた。
営倉の中の隊長殿も、いまでは扉を蹴るのをやめて、檻に閉じ込められた熊そのものといった態度で、部屋の中を歩きまわっている。
兵士二人は、「もう火事は消えたのかな」「つまらんなあ」と、ぼやきをくりかえした。
そこへ、靴音も高く、歩み寄ってくる者がいた。
にわかに兵士二人は緊張し、やって来る人物へ敬礼をおくる。
今夜は、とにかく、とんでもない夜である。桂冠騎士様には殴られるし、将官クラスのお偉方の訪問を受けてしまうし。
見張りの兵士に答礼を返し、まだ新しい黒い軍服を華麗に着こなした将軍は営倉の木戸の鉄格子から内部をのぞいた。
「おい、アレン」と、呼びかける。
営倉の内部で熊になりきっていた青年騎士は、たちまち人間にもどって木戸のそばまで吹っ飛んできた。
「アストゥール様! なぜ、こんなところへおいでになるのです! 街の火事は、どうなったのですか! 殿下はご無事ですか!」
隻眼の将軍閣下は、愛弟子である青年の血相を見て愉快そうに笑った。そして、つい笑ってしまった、おのれの不謹慎さに顔をしかめる。
「まだ、王都の東岸は燃えているがな。
けっきょく、ローレリアン様は黒の宮で足止めだ。国王陛下が、そうご決断なされた。この場でローレリアンさまを表に出せば、殿下の足をすくいたい輩に、攻撃材料を与えかねないからな。謹慎命令は、ちょうど良い口実になった」
「では、誰が現場の指揮を執っているのですか」
「アルメタリア将軍旗下の第一師団に出動命令が下った。なんと、王太子を司令官に担いでだ」
「はあっ? あの大バカ兄王子ですか?」
声がでかいぞと言いながら、アストゥールも笑う。
「アルメタリア伯は責任を王太子へ転嫁できるし、もともと失う物など何もない王太子は、責任を取らされても痛くも痒くもない。名判断だと思うがな」
アレンは盛大なため息をついた。
「では、今回は、ローレリアンの身辺に危険はないということですね」
「いちおうはな。忠義に厚い、おまえのことだ。殿下の身を案じて、今頃は大騒ぎだろうなと思って、こうして報告に来てやったのだ。せいぜい俺に感謝をしてもらおうか」
「感謝しますよ。ありがたくて、泣けそうだ。俺はてっきり、リアンから置いていかれてしまったのだと思って」
アストゥールは、バリバリと頭をかく。
「営倉にいるあいだくらいは、身体を休めておけ。出てきたら、死ぬほどこき使われるに決まっている。今だって、王子の宮で暇なのは俺くらいのものだ。俺の部下も、おまえの部下も、伝令に駆り出されて国中へ散ってしまったぞ」
「国中ですか」
「そうだ。国中だ」
無言で、師弟はたがいの眼を見つめあった。
いよいよ彼らの王子は、国政の表舞台へ出ていく。
俺たちは、王子のために、死力を尽くそう。それが結局は、国のためになるはずだ。
ふたりの瞳には、そんな固い決意がみなぎっていた。




