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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
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王都炎上 … 8

 時を同じくして、東岸の街の火事を知らせる警鐘けいしょうを聞いた王宮では、大変な騒ぎが起こっていた。


 いつも御前会議が開かれる『会議の間』には明かりが煌々と灯され、次々に長官クラスの高官たちが集まってくる。


 東岸の火事は短時間で燃え広がっており、いまでは王宮の東側の窓が、すべて赤くきらめいて見えるほどだ。しかし、集まった高官たちは、かつてない惨事にうろたえるばかりだった。


「いったい、街の自警消防隊は何をしていたのだ? なぜ、こんなに火が燃え広がるまで、報告があがってこないのだ? 最初に警鐘を鳴らしたのは、プレブナン大神殿の鐘楼(しょうろう)にねずの番に立つ鐘楼守だそうではないか。対岸の火事に気づいたから、その者は鐘を鳴らしたと申しておるそうだが」


 国王の問いかけに、答える者はない。得られる情報は、あまりにも少なかったのである。


 疲れた顔の宰相が言う。


「調査に行ったものが、何人か帰ってきております。

 まず、自警消防隊の報告です。

 東岸の街には、旧式の手押し式消防ポンプしか配備されておらず、その装備ではボヤくらいにしか対処できないそうです。自警消防隊は街の住人が納める防災基金によって運営されておりますので、貧しい街にはそれなりの装備しか準備できなかったようです。

 応援を求められた西岸商業地区の消防隊は、渡し場の船着き場まで蒸気機関駆動の最新型ポンプを運んだそうですが、このポンプは重すぎて渡し船に乗せられませんでした」


 集まった高官たちの口から、一斉にどよめきがもれる。


 宰相は報告を続けた。


「ポンプが届かないとわかった時点で東岸の消防隊は有志の男手を集め、建物を壊して防火帯を作り、延焼を食い止めようとしました。しかし、東岸の建物には違反建築の木造が多く、燃える建物からは火の粉が上空高くまで舞ったのです。その火の粉が防火帯を超えてしまい、次々に新たな火の手があがりました。もう手のほどこしようがない状態です」


 国王はうなった。


「では、次に打つべき手はなんであるか?」


 高官たちは口々に意見を述べる。


「軍隊を投入して、新たな防火帯を作るのはいかがでございましょう」


「いや、東岸の建築物の状況を考えると、それも無意味かもしれぬぞ」


「けが人はどのくらい出ているのだろうか」


「そもそも、人間の避難はどのように誘導しているのだ?」


「あの街には、ろくな地図もないのだぞ?」


 喧々囂々(けんけんごうごう)の言いあいのさなか、国王のもとへ侍従が歩みよった。耳元で、用件がささやかれる。


「ただいま黒の宮に詰めている憲兵隊第3機動部隊隊長リドリー・ブロンフ卿が、ローレリアン王子殿下からの御伝言を国王陛下にお伝えしたいと、こちらへまいっておりますが」


「ローレリアンから? よい、ここへ通せ」


 許可を得て会議の間へ入ってきた憲兵隊の士官は、いかにも職務に忠実といった感じの、硬い表情をした男だった。彼は国王の前で姿勢を正して敬礼する。


「おそれながら、国王陛下にローレリアン王子殿下のお言葉をお伝え申し上げます。王子殿下は、おんみずから街へ降りて、状況把握のうえ対策本部を立ち上げ、その指揮をとらせていただきたいとお望みです。謹慎の命を解いていただければ、ただちに行動したいと、おおせですが」


 高官たちのあいだに、ふたたび、どよめきがわく。


「おお、殿下がおでましくださるか!」


「軍も民間も、王子殿下の命になら従います。対策の指揮をとるのに、これ以上の適任者はおられぬと」


「さすがは、英明なる我らが王子殿下!」


 口々に王子を()めちぎる自分の廷臣を見て、国王は鼻白んだ。彼らは明らかに、ローレリアン王子が面倒な責任を引き受けてくれると、喜んでいるのだ。


 会議の間に集まった顔ぶれの中には、ローレリアン王子を支持する重臣の顔もいくつかある。


 それとなく国王が視線を向けてみると、彼らは一様に渋い顔をしていた。つい先ほど会議の間に駆けこんできた内務省長官のヴィダリア侯爵などは、来るなりとんでもない話を聞かされてしまったと、露骨に顔をしかめている。


 彼はかつて『ローザニアの鷹』とまで呼ばれた賢臣だ。南三国の王女が戦争回避と講和のために、この男ならと見込んで親子ほども歳が離れていたヴィダリア侯爵に結婚を申し込んだ話は、いまでも彼の名聞をたたえる出来事として語り継がれている。


 この男に、若い息子に頼る情けない王だと思われるのは、やはり嫌だ。


 国王の胸に、そんな自尊心が芽生える。


 それに、国王だとて人の子の親なのだ。手のほどこしようがない大火への対応などという、責任ばかり重くて得るものが何もない任務を、大切な息子へ押しつけたくはない。


 あの息子は、優しすぎるのだ。目の前に苦しんでいる者がいれば、全力で助けようとしてしまうだろう。下手をすると、自分の身の危険もかえりみず、また大胆なことをやりそうだ。


 さまざまなことに思いを巡らせながら、国王は重い口を開いた。


「余がローレリアンに謹慎を命じたのは、彼に物事の順序を教えるためである。困ったことが起きたから以前の命令は取り消しにしてくれでは、示しがつかぬどころか、王の権威にかかわる。

 あらためて臣らに問う。

 我が王国には、首都の半分が燃えてしまいそうだという事態に対処すべく、率先して働こうとする才物はおらぬのか」


 会議の間はしんと、静まりかえった。


 国王は舌打ちしたい気分だった。


 情けなくて、泣けてきそうだ。彼の廷臣たちは、おのおの壁をにらんだり、卓上に視線を落としたりといった様子。国王と視線をあわせようとすらしないのだ。


 湧きあがる怒りをこらえて、国王は会議の間に響き渡る声で言い放った。


「では、王国軍第一師団アルメタリア将軍に命じる。そなたの軍を率いて、こたびの事態へ対処せよ」


 王都を守る第一師団の長を拝命するのは、軍人として最高の栄誉である。アルメタリア伯爵は南の大国オランタルとローザニアの属国である南三国の国境紛争などで功をなした軍人であり、年長けて将軍位を頂いてからも国軍の再編などで活躍した生粋の軍人だ。次は軍務省の長官職を拝命し、元帥となって国軍を牛耳る人物であろうと周囲は思っている。


 会議の間に集まった高官たちは、固唾(かたず)をのんで将軍と国王へ注目した。両者はよく、国軍の在り方をめぐって意見対立する間柄だったのである。軍の幹部には、ローザニア王国の民衆のあいだに鬱積(うっせき)している不満を他国との戦争で一掃しようとする主戦論を主張する者が多かった。穏健派(おんけんは)の国王は、軍部にとっては目の上のたんこぶのような存在なのだ。


 しかし、相手は仮にも国家の元首、国王である。


 いったいアルメタリア将軍は、何と答えるのか。国を動かす立場にある男たちは、興味しんしんで聞き耳を立てている。首都大火への対応責任が自分とは無関係になりそうだとなれば、政治的な駆け引きは面白い見世物であった。


 アルメタリア将軍は、立派な揉み上げとひげをもつ、いかめしい外見の男である。年のころはバリオス三世と同世代。そろそろ知命の年齢ではあるが、これからもう一仕事できるだろうという野心も持っている。


 目を閉じ、固く腕を組み、考えこんだ姿勢のまま将軍は口を開いた。


「わがローザニア王国軍第一師団の役目は王都の守備です。王都の非常事態に出動するのは当然と心得ますが、出動に際しては、ひとつ、言質(げんち)をちょうだいしたい」


「なにを求めるというのか」


「こたびの火災は、東岸の街の住民が起こしたものであり、その火災によって生じるであろう被害の責任は、軍には一切関係ありませぬ。あとで、我々の対処がまずかったなどと取りざたされるようでは、兵の士気にもかかわりますゆえ。そのむね確認が取れねば、わたくしは部隊へ出動を命じられません」


 国王は大声をあげた。


「そのような馬鹿げた保証を与えられるわけがなかろう! 行動の結果の責任を取らなくてもよい軍隊など、法治国家の軍隊にはあり得ぬ! 我が国は法すらまともに働かない、蛮国(ばんこく)に成り下がったのか!」


 国王が会議の場で声を荒げたのは、久しぶりだった。高官たちは、ざわざわと噂しあう。このところ国王は、何かと強気の発言をしがちだ。それはやはり優秀な次男を片腕に得て、宰相引退後の国政運営に自信が持てたからであろうと。


 しかし、叱責を浴びても、アルメタリア将軍は動じなかった。静かに目を開いて組んでいた腕を解き、椅子の上で姿勢を正す。


「命令あらば、身命をしてこれをはたす。それが法治国家の軍の在り方。国軍再編のおり、国王陛下は再三、その点にこだわられました。軍部独自の判断は許さぬと。

 ですから、非常事態に対処せよという命令のみでは、我々は動きようがございませんと申し上げているのです。せめて、具体的な行動目標をお示しいただきたい」


 ぐっと言葉につまる国王である。国王と宰相派の政府高官たちは、国軍再編と近代化を進めながら、軍の将官クラスの権限を大幅に削り取った。近代国家の軍隊が、現場の判断で勝手な作戦を推し進めるようなことがあってはならないからだ。


 そのおかげで、既得権を失った軍の上層部からは、かなりの反発もある。その反発が、こんなところで表面化してしまったわけである。


 将軍は、我々から決定権を取りあげて軍の行動に足かせをはめたのは国王自身ではないかと言っているのだ。だから、最終責任は国王と政策を決める政治家達が取るべきだと。


 国王は、次の自分の発言の方向性を必死で探った。ここで下手な発言をすれば、軍の幹部に国の政体自体を批判攻撃する口実を与えかねない。


 緊迫した空気が、会議の間に満ちる。


 ところが、その空気は、老人ののんびりとした発言で霧散した。


「いやいや、アルメタリア伯よ。そう、ものごとを、難しくするでない」


 こまった国王に助言を与え、御前会議を無難な方向へまとめていくのは、いつも宰相カルミゲン公爵の役目であった。その論法は、理詰めの正論、高圧的な威嚇、あらゆる人を煙に巻く放言と、なんでもありの多彩さである。


 今日の宰相は、のらりくらりで批判をかわす古狸であるようだ。にやりと笑い、なにげない口調で言う。


「ここでごちゃごちゃと揉めておると、どんどん街が燃えてしまうわい。早く、なんとかせねばの。

 要は、軍の行動に対して、最終責任を取ってくれる司令官がおればよいのであろう?」


「そうですな」


「では、総司令官を立てようではないか」


「は?」


 会議の間にいた高官たちは、虚を突かれて、ぼうぜんと宰相に注目した。宰相は、ひょうひょうと答える。


「王都防衛の最終責任者は、古来より王太子の役目とされておる。ヴィクトリオ王太子殿下におでましいただいて、後方のどこかに、座っておいていただきなされ。

 王太子の肩書は、立派な王権の象徴。現場に鎮座していただくだけで、第一師団の行動には王権の承認が与えられますぞ」


 一瞬の沈黙ののち、高官たちは、いっせいに失笑をかみ殺した。何人かは、失笑を封じるのに失敗し、ぷすりと唇のすきまから無様な音を発してしまう。


 宰相の提案は、詭弁(きべん)もはなはだしい。しかし、妙案であることも確かだ。まともな判断ひとつできない王太子でも、総司令官に任じられれば立派な王権の代表者。「よきにはからえ」と彼が言えば、それがアルメタリア将軍の判断に対する国家の承認となる。


 軍部へ最終権限は与えずにおきながら、とりあえず問題対処行動だけはとらせる。しかも、王国の将来をになうローレリアン王子は責任問題の矢面に立たせず、王宮の奥深くへ閉じ込めたまま温存しておこうというのだ。


 アルメタリア将軍は、いかめしい顔をかすかに赤らめ、「それで、よろしいですか」と国王に確認した。


 国王もまた驚きをかくせない顔で宰相を見たあと、陰気な口調で承認の意志を示す。


「よかろう。王太子ヴィクトリオに、王都大火の対策指揮を命じる。王国軍第一師団は王太子の命にしたがい、事態へ対処するように」


「御意にしたがいます」


 古風なマントをひるがえし、アルメタリア将軍は会議の間からでていく。


 その後ろ姿を、高官たちは、ざわめきながら見送った。


 時代の風はローレリアン王子にむかって吹いていると、彼らは嫌でも悟らざるを得ない。


 引退間近の宰相がローレリアン王子に有利な決定を下したのだ。自分のあとを継ぎ、これから国王を補佐していくのはローレリアン王子であると、国運を定めるまでに官位を極めた老臣は、いまここで宣言をした。そして、それに国王も承認を与えたのである。

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