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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第五章
35/78

王都炎上 … 6

 その日の夕刻、国王から謹慎を命じられたローレリアンは、自分の宮でのんびりと書類の整理をしていた。人と会うこともあいならんとの命令なので、本日から7日後までの接見の予定はすべて取り消されており、ぽっかりと予定に穴が開いたのだ。


 黒の宮に訪れた客は接見の予定の取り消しにあい、最初は怒ったり落胆したりしていたが、秘書官たちから事情を聞かされて、最後には一様に笑った。


 いつも涼しい顔で膨大な量の公務をこなしていく超人めいた王子殿下にも、同じ年頃の若者たちと徒党を組んで街へくりだしたり、二日酔いになるほど酒を飲んだりするような人間臭い一面があるのかと、思われたのである。


 しかも、国王と王子の間に、どういうやり取りがあったのかについての噂も、刻一刻と広まりつつある。経済力で国の動向を動かすほどになった市民たちの口に、(ふた)をしておくのは不可能なのだ。銃撃戦になった昨夜の捕り物劇の顛末てんまつなどは、すでに街中の人間が知っている。


 宰相は、人心を読み、あらゆる場所を自分の劇場と化して、いつのまにか相手を自分の支配下に収めてしまう不思議な才能がローレリアンにはあると評した。しかし、彼の真の才能は、演技力にあるのではなかった。自分のイメージをいかに見せるかという、演出力こそが、彼の才能の本領であった。


 街の噂には尾ひれがついて、王子殿下が反政府活動家の前で正体を現した時の情景が、まるで見てきた事であるかのように語り広められていく。「あなたにとっては、悪魔かもしれませんよ」という王子の殺し文句は、それこそ流行語になりそうな勢いだ。


 外見は華麗そのもの。頭脳も秀逸。本気で怒ると怖くもあるが、仲間と酒盛りをして父国王から叱責される悪戯小僧いたずらこぞうでもある王子。


 そんな王子を、庶民は愛さずにはいられない。


 どんな失敗も、見方を変えれば次の成果につなげられる。そう考えるローレリアンが、わざと『ポワンの宵の花亭』の亭主や従業員に事件に関する口止めをしなかったとは、誰も考えつかなかった。


 もちろん、黒の宮の客に「父親から叱られてローレリアン王子は謹慎中」との情報を、おもしろおかしく流させたのも王子自身である。


 そして、夕暮れ時を迎えたいま、執務机のまえに立ち不要な書類を処分用の箱に放り込みながら、ローレリアンはカール・メルケンと、これからのことについて話していた。いまだに二日酔いの体調が尾を引いているせいで、王子のしぐさは、どこか気だるげだ。


 しかし、会話の内容は、めまぐるしく次の可能性を検討している王子の頭の中身を言葉に表したものである。メルケンは、つきることなくあふれ出る王子の言葉から、重要な命令を聞き逃さないように、せっせとメモをとりながら相手をしていた。


 王子は空中に焦点の定まらない眼をむけながら、つぎつぎに言う。


「街の間諜かんちょうに情報収集を怠るなと伝達をまわしておいてくれ」


「はい、かしこまりました」


「噂なんてものは、どう転ぶかわからないからな。うまく反政府活動は悪いことで、みんなで王子殿下を応援しましょうという方向へ、流れがさだまってくれればいいのだが」


「いまのところは、こちらの意図通りに、進んでいるように思いますが。噂にヴィダリア侯爵令嬢のことがあがってこないのも、ありがたいですな」


「おそらく彼女の友人のフィオーラが、その件についてだけはしゃべるなと、『ポワンの宵の花亭』の亭主に口止めしてくれたのだろう。

 モナは不思議な女性なんだ。なぜか、周囲の者の保護欲をそそる。いつだて危なっかしくて、放っておけない。しかし、こちらがハラハラしながら見守っているあいだに、とんでもないことをやりとげてしまう。じつに、おもしろい人だよ」


 ヴィダリア侯爵令嬢のことを語る王子殿下は、いつも優しく微笑んでいる。王子に近しい位置にいる者たちは、令嬢と王子の出会いから現在に至るまでのロマンスについて、だいたいの事情を知っていた。王子殿下の賢いお小姓であるラッティが、この人ならと思う人間を選んで、いきさつを語っていたからだ。年齢に似合わず処世術に長けた少年の人を見る目は確かで、事情を知っている者達は沈黙を守り、ただ密かに王子の恋の行方の心配をしている。どうせなら、王子自身にも幸せになってもらいたいと、側近たちはみな願っているのだ。


 だから、ローレリアンの笑顔を見たメルケンは、つい、言ってしまった。


「殿下。さしでがましいことを申し上げますが、ご結婚に関する方針について、今一度、お考えなおしになるおつもりはございませんか」


 大きな音と共に、書類が箱に投げ込まれた。


 メルケンは、しまったと、自分の失態を心の中でなじった。ついさっきまで笑っていたはずの王子の表情は硬く冷たく変化して、感情がいっさい読めなくなってしまっている。


「カール」


 呼び声も、(はがね)のように硬い。メルケンはかしこまって、王子の言葉を聞くしかなかった。


「結婚はしない。

 わたしの意志は、何度もあなたに伝えたはずだ。あなたも賛成してくれていたのではなかったのか。

 わたしは、この国の議会制度と税制を改めて、ローザニアを民の意志で動く国にしたいのだ。国王など誰でもよい。兄上がこの国の歴史に名を残す最後の王になるなら、それでもいいと思っているくらいだ。

 次代の王がぼんくらであることは、きっと神々の采配さいはいなのだろうよ。わたしがヴィクトリオ兄上の腹違いの弟として生まれたことにも、奇跡の采配を感じる。

 神々は、わたしに民の国を築けと、お命じなのだ。わたしが王になる必要はないし、ましてや、王家の血筋を残すための結婚など不要だ」


「しかし、殿下は誰よりも濃い王家の御血筋をつぐお方です。ローザニアの民が王家の存続を望めば、殿下には御子をなす義務も生じるかもしれません」


「血筋などが、何の意味を持つ? この国がいま必要としているのは、傾国の危機を乗り切る知恵をもち、人の力を集めることができる指導者だ。その力さえあれば、指導者の出自など、どうでもいい。わたしに子供がなければ、みな王家の血筋に頼る甘えを捨てるだろう。なんとか自分たちで国を動かしていく方策を考えようとしてくれるはずだ」


 これ以上、この場でこの話を続けても、王子を怒らせるだけなのはわかりきっていた。王子は愛する女性を、自分の宿命に巻き込みたくないのだ。その思いには、メルケンだって共感できる。しかし、カール・メルケンは、これからこの国を一人で背負っていかなければならない王子に、心の支えとなる家族をもつことまで、あきらめてほしくない。妻子を争いに巻き込まないための努力になら、自分だって喜んで協力するのにと思うのだ。


 複雑な胸中を冷静な表情の下にかくして、メルケンは声をひそめた。


「殿下、この話は、そうそう他人に聞かれてよい話ではありません。この場で、これ以上の議論は、やめておきましょう」


 王子はメルケンから視線を外し、陰気に黙りこんだ。


 ローレリアン王子が目指す理想とは、民の国である。その国に、王は必要ない。いても飾りで十分だ。ヴィクトリオ王太子が、最後の国王になるなら、それもまたよし。


 この考え方は、貴族の存在どころか、王家の存在そのものまでも否定する危険な思想だ。王子として生まれたというのに宮廷からは離れた場所で育ち、帝王学という名の洗脳にさらされなかったローレリアンだからこそ、はぐくめた思想である。とても人前で、おおっぴらに語れはしない。


 ローレリアンも、それは十分に承知している。いままで王宮以外の場所で、若手の側近を相手に、同様の話を冗談めかして語ったことは何度もある。しかし、その話に「自分は、この夢を実現可能だと思っている」という熱意を匂わせないように、細心の注意も払ってきた。ここまで具体的な内容を真剣に話し合ったことがあるのは、もっとも自分の身近にいて、知性と見識の深さを尊敬している首席秘書官、カール・メルケンその人だけである。


 親友のアレンにさえ理想について深く語らずにいるのは、ローレリアンが危険な思想の持ち主であると知れば、彼の負担になるかもしれないと思うからだ。


 忠実な護衛騎士の地位にある彼は、ローレリアンのためなら、なんでもしてくれるだろう。国王の勅命に逆らい、馬鹿げた酒盛りにつきあってくれたあげく、責任を取って営倉入りなど、象徴的な出来事だ。


 あの未来を信じる明るい瞳の持ち主が、鉄格子のはまった部屋にとらわれている姿など、考えるのも嫌だとローレリアンは思う。しかし、それはすでに現実となっている。


 アレンはローレリアンに、無条件の信頼をよせてくれている。『我が王子』ならば、必ずやローザニアを良い方向へ導けるはずだと。


 そんな彼から示される友情を感じ取ると、ローレリアンの乾ききった心にはうるおいがもたらされる。


 その瞬間、どんなに心がいやされることか……!


 皮肉な笑みが、ローレリアンの口元に浮かんだ。


 自分が本心をアレンに打ち明けられずにいるのは、きっと彼からの友情を失いたくないからなのだろうと、思い至ったのだ。


 だれも知るまい。


 ローザニアの未来を担う男として期待を寄せられている王子は、本当はこんなに弱い男なのだ。孤独におびえ、友人からの愛を乞う。みっともないくらいに、惨めな男だ。


 すっかり気落ちして窓辺に歩みよると、外の景色は夏の夕闇の中に沈もうとしているところだった。


 ローレリアン王子の執務室は王宮の奥の宮の東翼にあり、その窓の下は王都の中央を大きく蛇行して流れるレヴァ川に面した急斜面となっている。


 おかげで大きな窓にも、安心して近よれる。どんなに腕のいい射手でも、川のむこうから王子の執務室を狙撃するのは不可能なのだ。この時代の銃の有効射程距離は、まだ100モーブにすら達していない。レヴァ川は水運に利用される大きな川なのだ。


 王子の執務室からのながめはレヴァ川の東岸の街並みになる。その街並みは、王宮や商業地区がある西岸とはちがって、ごみごみとしており、けして美しいものではなかった。


 王都プレブナンの現在の人口は公称30万人だが、統計は正確でないうえ、下町の人口は毎日増えつづけていると言われている。経済の活性化は、よいことばかりを生むわけではない。経済活動圏が広がると、たくさん生産された物は国境を越えて流通するようになり、今まで村単位の経済活動で暮らしていた人々の生活を脅かすようになった。少しでも安い物が手に入るなら、人々は今まで使っていたものや食べていた物を、いとも簡単に捨てて、安い物へ乗り換えてしまう。それを作っていた作り手は仕事を失い、思いあぐねて都市部へと集まる。大きな都市になら、仕事があるかもしれないと。


 都市に仕事があるのは事実だ。ただ、どの仕事も、極端に賃金が安い。仕事を求めている人は毎日都市へやって来るのだから、雇い主側はいくらでも賃金を安くできるのだ。


 少ない収入であえぎながら暮らす人々は、街の中心部ではなく、外縁部の新しい街に住む。レヴァ川の東岸も、昔はのどかな風景の農地であった。それが、先代王の時代あたりから、しだいに街へと変わっていったのだ。王都に集まり、従来の街へ納まりきらなくなった人々があふれ出す形で、東岸の街は形作られていった。


 現在のレヴァ川の東岸は、小さな工場や臭いや騒音のせいで近隣から嫌われる食品加工場、石炭の集積場、船のドック、倉庫街など、街の機能を維持するためには欠かせないが、およそ文化的とは言えない施設が集まり、その施設で働く貧しい人々が肩を寄せ合って生きている場所である。


 ローレリアンは毎日、執務室の窓から東岸の街をながめては、その街に住んでいつも明日の心配をしている人々のことを想い、憂鬱になっていた。どうしたら、ローザニアの国民全員の暮らしを、もっとよくできるだろうか。彼はいつも、その答えを探している。


 そもそも東岸の街は、王国の首都機能をはたす西岸の街からは、川によって切り離された存在なのだ。


 プレブナンの真ん中を大きく蛇行して流れるレヴァ川は大陸を横切るようにして流れる大きな川だが、上流の気候が安定しているため、一年を通じて水量があまり変化しない。そのおかげで川を利用した水運が栄え、川のほとりに王国の首都がおかれたのである。


 帆に風をいっぱいはらんだ川舟がひっきりなしに行き交うレヴァ川の光景は、ローザニアの豊かさの象徴だと言われている。しかし、この川舟のマストの高さが、川に橋をかけられない原因のひとつになっている。従来の技術でも、建築に金と時間と膨大な労力さえついやすれば、なんとかレヴァ川に石橋を架けることは可能だ。ただ、王都の周辺に石橋をいくつも架けられてしまうと、背が高いマストをもつ川舟の通行が妨げられてしまうのである。


 王都の住民の生活利便性と経済や流通の円滑化を天秤にかけて比べてみたところ、より重かったのは経済と流通を支配している資本家達の利潤追求意欲だった。貧しい人々の「王都の西岸と東岸を自由に行き来できる橋が欲しい」という願いは、簡単に、金持ちの欲望によって踏みにじられてしまったというわけだ。結局、川の両岸を行き来する交通手段は、いまだに小さな渡し船に頼っているのが現状である。


 政治経済の中心部から分断された東岸の街は、西岸の街の豊かさからも取り残され、いつまでたっても貧しいままだった。農村を捨てて都会へ集まった人々は無秩序に工場や住宅を建て、その貧しい東岸の街を、どんどん大きくしていった。


 いちおう王都に建物を建てるときには、街を巻き込む大火事をおこさないように、建物の材料や建築法に一定の基準が定められている。しかし、明日をも知れない暮らしの人々に、約束事を守らせるのは至難の業だ。貧しい人々は、法令順守より、自分たちの生活を優先する。


 結果、住人が無秩序に建物を建て、好き勝手に増改築をくりかえした街であるプレブナンの東岸は、地図が存在しない街といわれるほど混沌とした街になった。


 いまでは、王都の治安を守る憲兵ですら、東岸の街の奥へ入っていくのを嫌がるほどである。迷路のような街の中で方向を見失うと、いつまでたっても目的地へたどり着けないし、犯罪の取り締まりをする憲兵は貧しい人々からは嫌われているので、路地の奥で道に迷っていると頭から汚水をあびせかけられたりしてしまう。もちろん、悪戯の犯人は付近の地理に詳しいから、気分よく腹いせをすませたあと、さっさと逃げてしまうわけだ。


 いままさに闇のなかへ沈もうとしている東岸の街を見下ろして、ローレリアンは深いため息をついた。


 この東岸の無秩序な街並みは、将来、王都の都市計画を考えようとするときの、大きな足かせになるだろうなと思うのだ。


 東岸の夜景は、暗い。


 貧しい人々はランプの明かりにすら事欠く暮らしをしているので、薄汚くごみごみとした街並みは闇に覆われると、まるでそこに存在しないかのように見えなくなってしまう。唯一、夜も明かりを灯し続ける川べりの港湾施設の輪郭だけが、川むこうの街の存在を感じさせる程度だ。


 その暗い風景の右奥に、赤く輝く点が一つだけあった。


 おやと、ローレリアンは窓ガラスに身をよせる。目を凝らしてみると、その赤く輝く点は、ちらちらと瞬く炎のように見えた。


「あれは、なんだろうな?」


 王子に問いかけられて、首席秘書官も窓辺へよってきた。


「鋳物工場の煙突の炎ではないでしょうか? 日が暮れたというのに、残業でしょうかね? 商売が繁盛しているというのならば、喜ばしいことですが」


「なるほど。炉で鉄を溶かしているとき、鋳物工場の煙突は火を噴くことがあるからな」


「はい」


「さて、今日は、わたしも早めに休む。あなたも、早じまいにしたらどうだ?」


 メルケンは慇懃に腰を折った。


「わたしは気楽な独り身です。どうせ家に帰っても待っている者などおりませんので、もうしばらく仕事をしております」


「勤勉なことだ」


「主に影響されまして」


 王子と首席秘書官は、たがいの顔を見て、にやりと笑った。


 自分は本当に、側近に恵まれていると思うローレリアン王子であった。

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