王都炎上 … 4
とまどいもあらわに、国王は言った。
「なにが、『おはようございます』だ。もうまもなく、昼ではないか」
「はい、昨夜はいろいろと児戯に等しい失態をくりかえしてしまいましたので、深く自省しておりましたところ、このような時間になってしまいました」
「自省とな? 余が耳にした話では、そなたは宿酔で起きられぬということであったが」
「それも重大な反省点のひとつです。おのれの酒量の限界を知ることも、案外大切なことでした。しかし、わたしは俗人の楽しみを学ぶべき10代の時期を聖なる神々の家ですごしましたので、大人になった今ごろになって、あらためて子供の遊びを体験しては、はしゃいでしまうのです。お叱りは甘んじて受けますので、どうか寛大なるお心をもって、お許しいただきますように」
国王は口ごもる。ローレリアンを国境の町の神殿に預け、子供らしい体験をなにもさせてやらなかったのは、他ならぬ自分自身なのだ。いくらそれが息子の命を守るためだったとはいえ、酷なことをしたとも思っている。
いままで、息子と、そのことについて語るのは、あえて避けてきた。国王も人の子なのだ。家族から憎まれていることを、わざわざ確認などしたくはなかった。
しかし、いよいよその話題に触れなければならない時がきたのだ。
国王の勅命に反した行動をとった息子に対して感じていた怒りは、すでにしぼんでしまっていた。ついさっきまでは、人の上に立とうとする者が規範を乱す行動をとるなと、息子に厳しく当たるつもりでいたのだが。
「そなたは……、神殿に預けられたことを、いまだ怨みに思っているのか……?」
ローレリアンは静かに、だが、壮大な伽藍によく響く声で、父の問いに答えた。
「いいえ、父上」
その場に居合わせた者達が、いっせいに息をのむ。国王の近くにいる者は、みなローレリアン王子が過去に一度たりとも、国王のことを父と呼んだことがないのを知っていた。
当の国王は、ぼうぜんと息子の前に立ちつくしている。
王子は言った。
「こうして黒衣をまとい、神々におつかえする自分こそが、もっとも自分らしい自分だと思います。『ローザニアの聖王子』という異名を得たことは、いつか必ず、わたしの誇りとなるはずです。そうなるように、精一杯務めるつもりです。
ですから、父上のご命令を無視して、昨夜わたしが憲兵隊の行動の邪魔をしたことについては、いっさい謝罪はいたしません。
そもそも、謝罪とは犯した罪に対してなされるもの。わたしは、罪を犯したとは思っておりません。反政府活動摘発のためであろうと、無関係な国民が危険にさらされてはならないのです。そのことについては、今後も信念を曲げる気はございません」
すっかり王子を問い詰める気力を失った国王に代わり、宰相カルミゲン公爵が叱責の言葉を浴びせる。
「では、王子殿下は国王陛下からお受けになられた『一刻も早く出頭せよ』とのご命令を無視なさり、ここで神々と対面しながら、何を反省されたと言われるのですか。昨夜といい、今朝といい、国王陛下のご命令を、陛下のもっとも厚き信任を得ておいでになるはずの王子殿下がお破りになるようでは、周囲に示しがつきませぬ」
ローレリアンは宰相の叱責など気にもとめていない様子で答えた。
「過去の自分について、いろいろとです。
幸いにも、わたしは側近に恵まれておりますので。
昨日も、じつをいいますと、側近から叱られました。国王陛下にわたしの思うことを正しくお伝えできないのは、情を軽んじるからであると。
そして、彼らは失態の後始末を望んだわたしの行動をとがめもせず、気が済むようにせよと、黙ってつきあってくれました。
まさに、わたしは側につかえてくれている者達の情に、支えられて生きているのです。
その事実にあらためて気づいて、神々に感謝せずにはいられませんでした。
ですから、ここで神々へ自省と感謝の報告をしてから、父上のもとへうかがうつもりでおりました。
わたしの信念を貫くために側近がなしてくれたことに対して、いかに感謝しているかを、父上にも聞いていただきたかった。おそらく、わたしの今の気持ちを本当に理解してくださるのは、若くして王位へおつきになり、今日に至るまで32年ものあいだ至高の存在として周囲の者達に支えられ、守られておいでになられた、父上だけであろうと思います」
宰相へローレリアンは語りかける。
「カルミゲン公爵。我が父を、よくぞ長きにわたって助けてくれた。感謝申し上げる。
あなたの腹心の部下をわたしが嫌うのは、わたしが神々に仕える男であるがゆえの信念を曲げられないからだ。けして、公爵自身に対して、なにか含みがあるからではない。その件については、許してもらいたい」
王子から謝罪されているというのに、宰相はちっとも謝られている気分になれなかった。
ローレリアン王子の声は聖堂のなかに朗々と響き渡り、神々の意志をもって、宰相を叱責しているように聞こえるのだ。リンフェンダウルのような男を重用するおまえは、神々の教えを守らぬ愚か者であると。
表面では謝罪しているが、真の正義は我にありと、王子は暗に宣言したのだ。この宣言をしたいがために、王子は国王を長々と待たせてじらし、会見の場所が聖堂になるようにしむけたのかもしれないと宰相は思った。
空恐ろしかった。
ローレリアン王子は、さまざまな才能を持つ人間だが、もっとも秀でているのは、この人の感情を読みとり、あらゆる場所をおのれの劇場と化して、さりげなく相手の立ち位置を自分の支配下に置いてしまう才能なのではないだろうか。
この王子は、王国の実権を握ったとき、いったい何をなすのだろうかと。
国王が深いため息をつく。
「ローレリアン、そなたの気持ちは理解した。よくぞ、余の宰相に感謝の意を示してくれたとも思う。
しかし、国王の勅命を破るのは、やはり重罪なのだ。たとえそなたが王子であろうとも、なんのとがもなしというわけにはゆかぬ」
「はい。承知しております」
「そなたには、一週間の謹慎を命じる。みずからの宮より出ることはもちろん、人と会うこともあいならん。よいな?」
「寛大なるご処置に感謝いたします」
「そなたの宮の出口には、余の命をおびた憲兵を置く。
今度はいさかいにならぬよう、この役はそなた気に入りの、リドリー・ブロンフ卿へ命じるとしよう。あれは冷静な男ゆえ、そなたが懐柔に走っても、言うことは聞かぬだろう。
とにかく、そなたは油断がならぬ」
「油断がならぬとは、心外なお言葉です」
「心当たりがないとは言わせぬぞ。
王国の将来を担う王子が、危険にみずから飛びこむようなまねをしてはならぬと、忠告したはず。
余が昨夜はどれだけ、心配したと思っておるのだ。
その心配には、もちろん、父としての情も入っているのだぞ。
国王としての義務を抜きに言う。
たのむから、危険なことはしてくれるな」
ローレリアンは苦笑した。
「こればかりは、お約束いたしかねます。
わたしは、王子として生まれたからには我がローザニアのためにのみ生きると、心に決めておりますので」
「こまった息子だ。誇らしくはあるが」
最後に、どこか諦めたような雰囲気の笑みを残して、国王は聖堂から出ていった。もともとバリオス三世は文治の王として名高く、芸術や文学を愛し、静かな生活を好む人物である。争い事からは距離を置きたいと、考える人なのだ。
随行の者達が、ぞろぞろとあとにつづく。最後の一人が扉のむこうへ姿を消したのを確かめてから、王子は大きく息をついだ。
「やれやれ、なんとか事を荒立てずにすんだか」
昨夜の事件の後始末について、さまざまな方策を考えていたアレンは、肩透かしを食った気分だった。雨後の地面は固くなるということわざを、思い出していたくらいだ。なにしろ、いきなり、親子の和解を見せられたのだから。
ほっとするあまり、言葉も乱暴になる。
「なんだよ、その言いぐさは。おまえ、ついさっきまで愛国の精神と人の情について、熱く語っていたくせにさ!」
ローレリアンは、むっとして答えた。
「なんだもへったくれもあるか。
わたしは自分の身が可愛くて、国王や宰相へ謝ったわけではない。おまえやカールに尻ぬぐい役が回るのは悪いと思ったから、こんな芝居がかったまねをしたんだ」
「芝居にしちゃあ、嬉しそうだったな。親父さんから『誇らしい』なんて言われたら、そりゃあ嬉しいよなあ、息子としちゃあ」
「あれは、方便だ!
これからだって、嫌でも国王陛下とは仕事を続けていかなければならないのだからな。
それならば、わだかまりは自分の胸の内にしまっておこうと、思っただけだ!」
「父上にしか、わたしの気持ちはわからないって、甘えていたじゃないかぁ」
「うるさいっ!」
怒ってそっぽをむいたローレリアンは、乱暴な足運びで出口へむかって歩きはじめた。
彼の足元では、さばききれない長い衣のすそが、バサバサと音を立てている。
アレンが思っていた通り、聖職者の優雅な動きは訓練のたまものなのだ。優雅にふるまう目的を失うと、重い衣はやはり、あつかいにこまるものらしい。
それに、そっぽをむいた時のローレリアンのほほは、かすかに赤くなっていた。
アレンは笑いたいのを、懸命にこらえた。
父親から褒められて、嬉しくない息子はいない。
親子の情を知らずに育ったローレリアンが、けして埋められない孤独感に苦しんでいることは、アレンもよく知っている。でも、神々は、人に絶望を与え続けたりはしないのだ。どんな苦しみのなかにも、一筋の光明はある。
国を統べる立場を通して父と息子が情を交わしあえるというのならば、それもいいではないか。常人には想像もできない心の交流だけれども、それだって立派な愛の形だ。
王子として生きることで、ローレリアンは多くの苦しみを背負っているけれど、王子だからこそ凡人とは違う形で、受け取るものもあるのだと信じたかった。
アレンの忠誠心だって、そのひとつだ。
アレンが、いつもいつもローレリアンのことばかり考えているのは、友情だけが理由ではない。彼となら、大きなことをなしとげられると、信じているからだ。
―― だから、俺は、いまここにいる!
強い想いを胸に刻みながら聖堂の外へ出たら、真夏の太陽は頭上はるかで輝いていた。
くらむ目をしばたきながら、アレンは先任士官のイグナーツに頭を下げる。
「では、自分は総隊長殿のところへ出頭いたしますので」
中年らしく目じりにしわをよせて笑いながらイグナーツは答えた。
「4日間の休暇と割り切って、営倉暮らしを、せいぜい楽しむといい。あとで部下に、酒肴の差し入れをさせよう」
「ありがとうございます」
アレンとイグナーツは、おたがいに物のわかった顔でうなずきあった。
貴族の士官が入る営倉は、牢屋とはいえ、それほど居心地が悪い場所ではない。よほどの重罪を犯したのでなければ、差し入れも自由に受け取れる。営倉内に自前の家具や楽器を持ち込む強者もいるくらいだ。
桂冠騎士の称号を得て貴族の仲間入りをはたした時には、それで何を得るのだろうかと思ったアレンであった。しかし、こういう特権を享受できるのは悪くない。
ローレリアンも、国王から一週間の謹慎処分を食らった。守らなければならない主が黒の宮から出ないというのならば、アレンも安心だ。
4日間、酒と昼寝で、思う存分だらけてやる。
そう思いながら、アレンはイグナーツへ後を任せて、近衛護衛隊の本部へむかったのだった。