王都炎上 … 3
国王の説教を聞きに行くと言いながら、ローレリアン王子がたどり着いた場所は王宮の中にある聖堂だった。
ローザニア王国は神々に祝福された聖王パルシバルによって開かれた国とされているので、王家と宗教のかかわりは、かなり深い。王族が王都プレブナン大神殿の大神官長に就任する例も多く、現在の大神官長も前国王の従兄にあたる老人であった。
王宮の中の聖堂は、いわばプレブナン大神殿の分院にあたる建物で、ここでは国家的な宗教行事とともに、日常の礼拝も行われる。もちろん、王族も安息日の礼拝には、必ず出席しなければならないことになっている。
先触れを走らせておいたので、ローレリアンは聖堂の入り口で、ここの管理責任者であるマーリン神官長に出迎えられた。先方も黒の聖衣をまとっている。腰の帯の色は薄桃色で、神官位は二位。つまり、神官としては王子の上役にあたる人物である。
しかし、神官長からしてみれば、目の前の相手は王子殿下。総白髪の頭を深々と垂れて、あいさつの口上をのべる。
「ようこそおいで下さいました、王子殿下。祈りの場に貴きお方のおみ足をたびたびお運びいただき、神々もさぞや、ご満足なされておられることでございましょう。聖なる祈りの場を預かる我々も、嬉しくてなりません。世間が騒がしくなりますと、人々は万物に宿る神々の存在のありがたさを忘れがちになりますゆえ」
ローレリアンは腹の少し上あたりで両手を組み、聖職者の作法で返礼をかえした。
「そのお言葉は、わたしへのお叱りと受け止めておきましょう。近頃のわたしは、祈るよりも、俗世のしがらみのあしらいにばかり忙しい」
「殿下のご身分と責務を考えれば、当然のことでございます。折に触れ、こうしてこちらへおみ足をお運びくださるだけで、十分、神々はお喜びであると存じます。下々への立派な範となっておりますゆえ。
ところで、本日はどのようなご用むきでございましょうか」
「神官長には煩わしいことこのうえないであろうが、昨夜、わたしは殺生の場に立ち会いました。亡くなった者のほとんどは政治犯とされる者や小さな罪を犯した者達だったが、わたしには彼らの罪が死に値するとは思えない。これも、わたしの力不足ゆえ。せめて死者のために祈りたいと思い、こちらへまいりました」
「死せる者は世に満ちる霊の力と融合し、世界を生かす存在となりましょう。御心を、あまりお痛めになりませぬよう。どうぞ、奥へお進みください。殿下の祈りを妨げる者は誰もおりません。心ゆくまで、神々との対話をなさいますように」
神官長に導かれて、ローレリアンと護衛騎士二人は祭壇の前へ進んだ。
王宮の聖堂の成り立ちは古く、伽藍の装飾のすべては煤と埃で黒ずんでいた。細い窓から差し込む光は弱々しい。数百年前の建物はすべてが石でできているため、壁が厚く、大きな窓は作れなかったのだ。天井のドームも石組みだけで作りあげられており、その石の重みを支える力学的な曲線で構成された、独特の美を放っている。
正面の祭壇には、絶えることなく火を灯す無数の蝋燭の明かり。
祈祷台に両の手を乗せ、王子は身をかがめる。
深い懺悔の礼が神々にささげられ、口元で祈りが唱えられる。
懺悔の祈りは、神々との対話。ほかの誰にも、聞かせるものではない。
いったいローレリアンは、なにを神々に告白しているのか。
祈祷台からやや後ろの位置で跪拝の姿勢を取りながら、アレンは切ない思いで王子の横顔を見守った。
この国を守るためなら、神々との約束だって破棄する。死後煉獄へ落ちようとも、決して後悔はしない。
その誓いは、誰よりも優しいこの男を、苦しめているにちがいないのだ。
しかし、危うい状況にあるローザニアを、救える男は彼しかいない。
どうか、神々よ。万物に宿り、すべての命を生かす、霊力である神々よ。
我が王子、ローレリアンに多大なるご加護を。
神々の守りがなければ、この男の心は死んでしまいます!
アレンがそう思った瞬間だった。
聖堂の入り口の扉が開き、あたりに人の気配が押し寄せてくる。
ローレリアンの祈りを妨げる者は、誰もいないのではなかったのか?
アレンの側で同じように跪拝していたイグナーツが小声で言う。
「国王陛下です。宰相閣下も随行されています」
ローレリアンの閉じられていた目が開き、横顔にも生気がもどった。
「祈りの場にふみこむとは、陛下もずいぶんとご立腹のようだ。いつまで待っても、わたしが御前へ参上しないもので、しびれを切らされたのだろう」
アレンがぶつぶつと愚痴る。
「お祈りより先に陛下のところへ行かないからですよ。ますますお怒りを買ったんじゃないですか?」
「酒を飲んで憂さ晴らしなんて、兄上は毎晩じゃないか。なんでわたしだけが、お叱りを受けるのだ? こうしてきちんと、みずから反省もしているのに」
「反省のつもりのお祈りだったんですか?!」
「まあ、いわゆるアピールのパフォーマンスだな。なんでもわかりやすく説明しようとすることは大切だ」
「またリアンの屁理屈がはじまった……」
「ローレリアン!」
アレンのつぶやきの言葉尻に、国王の大きな呼び声が重なった。
優雅な衣擦れの音とともに、ローレリアンは礼拝の姿勢を解いて立ちあがり、背後へ振りむく。
そのしぐさを見て、なるほど、パフォーマンスだなと、アレンは思った。
重い聖衣を華麗にさばいて聖職者が立ちあがる姿には一種の様式美がある。その様式とは、歴代の神官たちが研究に研究を重ねて編みだしたものなのだろう。その証拠に、いまのローレリアンは、立っているだけで神々しい気配を放っている。大きな声では言えないが、豪奢な衣装をまとい、大勢の随行者をひきつれている国王のほうが、位負けしてしまいそうな雰囲気である。
その空気は、国王も感じている様子だ。聖堂へ入ってきたときには、かくしきれない怒りの感情を帯びた顔をしていたのに、王子の前へたどりついた今は、王子が持つ気配に驚いて鼻白んでいる。
古色蒼然とした聖堂の高い天井と石壁に反射して鳴り響いていた人々の足音が、ぴたりと止まる。
あたりに静寂がもどるのを待ち構えていたかのように、ローレリアンが口を開いた。
「おはようございます、国王陛下」
おだやかな微笑とともにくりだされた王子の挨拶は、ますます国王を驚かせた。ローレリアンの軽い礼は、あくまでも父親への敬意の会釈だったし、呼びかけにこそ尊称の『陛下』を使っていたが、その口調には今までのような遠い距離感がまったくなかったのだ。




