王都炎上 … 1
8月の初旬、王都プレブナンの歓楽街で憲兵隊が銃撃をもって反政府活動の摘発行動を行った翌日、ローザニア王国第二王子ローレリアンは、王子と呼ばれるようになってから初めての朝寝坊をした。
早朝から何度も、「お目覚めになられましたら、すぐさま国王陛下の御前へおいでいただきたいと、王子殿下にお伝えください」との使者をもらっていたローレリアン王子付きの侍従は、夏空へ高く登っていく太陽を恨めしい気分でながめていた。
王子の宮では、とっくの昔に出勤してきた事務官達が忙しそうに動きまわっている。
そのなかから王子の筆頭秘書官カール・メルケンの姿を見つけだした侍従は、一縷の望みをかけて、彼にすがりついた。
「メルケン殿。無理なお願いであるのは重々承知なのだが、王子殿下へ、そろそろ寝所からお出ましいただくように、たのんでみてはもらえまいか」
書類の束を小脇に抱えたメルケンは、肩をすくめて答えた。
「今日は特別、殿下に急ぎで決裁していただかなければならない案件はないので。べつに、たまの朝寝坊くらい、よろしいのでは? 日頃、ローレリアン殿下は働きすぎですから」
侍従は苦り切っていた。
「お疲れでお休みだというのならば、何も問題はないのです。ただ、本日の朝寝坊の原因が、昨夜の夜遊びのせいであるというところが……。その件について、国王陛下が、いたくお怒りであるとのことで……」
「ほう、夜遊びですか」
「護衛隊の若い者達をひきつれて、歓楽街の居酒屋で深夜まで飲酒されたご様子なのです。小姓のラッティが、殿下は二日酔いですと、侍医を呼びに行きました」
はははと、首席秘書官は声を立てて笑った。
「結構なことではないか。まだ殿下はお若い。憂さ晴らしも必要なのでしょう。いままでがそもそも、優等生すぎたのです。やっと、のびのびと、やりたいことをなさるようになったというのならば、喜ばしいことですよ」
「そんな、のんきな……」
王子殿下のお怒りを買うことなく寝所へ入れる次なる人物を求めて、侍従はメルケン首席秘書官から離れていく。
その後ろ姿を見送りながら、メルケンはやれやれと肩をすくめた。
昨夜、王子が憲兵隊の行動の邪魔をしたことは、どうやら王宮内では公になっていないらしい。
それはそうだろうと、メルケンは思う。
王子がやったことは、勅命を発した国王への背信行為にまちがいない。
しかし、たいした反撃もないというのに街中で銃を乱射し、あげくのはてに王子がすでにとらえていた革命派の大物を逃がしてしまったのは、リンフェンダウルの大失態である。ことがすべて公になれば、作戦指揮官にリンフェンダウル男爵を指名した宰相の名誉までが、けがされてしまうだろう。
現実問題として、王子の行為は多くの人の命を救っている。命を救われただけでなく、名誉を守ってもらった者も大勢いるはずなのだ。なにしろ『ポワンの宵の花亭』は国一番の高級娼館だ。昨夜の客の中には、有力貴族の身内だの、大きな会社の経営者だのといった、名士も多かったことだろう。その者達は、ひそかに王子へ感謝しているはずだ。
しかし、そのあとに酒盛りとは……。
書類を抱えたまま、メルケンは近衛護衛隊の待機所へ行ってみた。
すると、そこには今朝方王子殿下の身辺警護当番任務が明けたはずのアレン・デュカレット卿と、彼の部下である第三小隊の面々が、まだ居座っていた。
それがどうにも、おかしな光景だった。
本日から当番任務に就く第一小隊の隊員に遠慮しているのだろう。彼らは部屋の隅に固まっていた。
その様子が、屍累々といった状態なのである。みな机に突っ伏していたり、椅子にへたりこんでいたりで、ひどい者は部屋の隅にうずくまり、壁に頭をおしつけて唸っている。
眉をひそめたメルケンは、アレンにたずねた。
「アレン隊長、ひょとしてこいつらは、二日酔いなのか?」
一人涼しい顔で報告書の作成をしていたアレンは、書類から顔をあげて答えた。
「まったく、情けない連中です。殿下が酒盛りを御所望だったので、勤務中の飲酒を大目に見たところ、この通りのていたらくで。始末書を書き終わるまで帰ってはならんと申し渡したところ、全員撃沈です」
「殿下が酒盛りを御所望されたのか?」
「はあ。いろいろと、晴らしたい憂さも、おありのようで。
シムスが陽気な男で助かりました。店選びから、料理と酒の手配、はては酔った仲間のしでかした不始末の清算から宴会の盛り上げまで、すべてやつ任せですよ」
「で、アレン隊長は始終冷静に、しらふですごしたわけか?」
「喉をうるおす程度には、飲みましたよ。しかし、俺まで酔ってしまうわけにはいかないでしょう。殿下は俺がいるから、『憂さを晴らしに行くぞ! わたしのおごりだ、全員ついてこい!』とか、言えたわけで」
「甘えてもらえて、嬉しそうだな」
「首席秘書官こそ、嬉しそうじゃないですか。シムスから、いろいろ聞きましたよ。『まわりの者に甘えろ』と殿下に忠告したのは俺だぞと、顔に書いてある」
にやにや笑いながら、メルケンは言う。
「知っているか? 王子殿下も本日は二日酔いだそうだ。さきほどラッティ坊やが、侍医を呼びに行った」
めったに笑うことがない『氷鉄のアレン』も、盛大な笑顔をみせる。
「それはよかった。たまには殿下にも、羽目を外すことが必要なんですよ。
昨夜も楽しそうでしたよ。レヴァ川に鋼鉄の橋を架けるなんて、夢みたいな話に夢中になっていたし。
意外と酒にも強いので驚きました。かなり飲んだはずなのに、最後まで理路整然としていましたからね。初代聖王パルシバル陛下も酒豪だったということですから、ローレリアンは容姿だけでなく、体質も聖王陛下から受け継いでいるのかもしれません」
「聖王パルシバル陛下の再来か……」
メルケンは遠い目で宙を見る。
「いよいよこれから、ローレリアンさまは、新しい伝説を築こうとなさるのだな」
手にしたペンを置き、アレンも深く考えこむ。
「それを成し遂げなければ、この国を救うことはできません。ローレリアンには、頑張ってもらうしかないのでしょう」




