建国節の祝賀 … 3
建国節の御前試合は、その季節の昼間の行事の最後を飾る催し物だった。
その夜、王宮で開催される舞踏会は、国をあげての大舞踏会になる。この舞踏会が終わると、各種の報告のために王都へ上ってきていた地方領主たちも、領地へ帰っていくのだ。
舞踏会の会場は、きらびやかな装いで着飾った人々でいっぱいだった。
しかも、その場の空気には、人いきれと脂粉の香りが充満している。
天井を見あげれば、目もくらむシャンデリアの照明。
その照明のむこうからは、天井画に描かれた神話の神々が、集まった人々を見下ろしている。
宴はまだ始まってから間もなかったが、御前試合の優勝者として大勢の人間に囲まれて話しかけられ続けていたアレンは、すでにうんざりしはじめていた。
衣食住に不自由していない貴族たちは、普段の生活に退屈しきっており、劇的な出来事が大好きだ。
勲章を授与されるとき、衆目の前でローレリアン王子と友情の抱擁をやってのけたアレン・デュカレット卿は、彼らの好奇心の絶好の獲物だったのである。
アレンは、そんな連中の質問に対して、「王子殿下の個人的なご事情にかかわる質問には、いっさい、お答えできません」と冷たく返答しつづけた。
幸いなことに彼のまわりには、士官学校の同級生たちがいつもいた。彼らは、このあと王国の軍の士官として、各地へ旅立っていく。その門出を祝う意味で、この舞踏会へ招待されていたのである。
栄えある王立士官学校の卒業生として、同級生たちは舞踏会の雰囲気を、おおいに楽しんでいた。
その同級生たちは、アレンの代わりに、いくらでもしゃべってくれる。
「どうか、この男の無愛想ぶりを、許してやってください」
「この男は、不言実行が信条で、めったに感情をあらわにしないのです」
「ついたあだ名が、『氷鉄のアレン』ですよ」
「その名の通り、冷たく固い男です。我々がいくら友誼を結ぼうと誘っても、そっけないことこのうえない」
「おまえの誘いは、悪事への誘いばかりではないか」
「酒場で結ぶ友情も、士官学校の同期生にとっては大切な関係ですよ。将来一軍を率いる立場になったとき、将官同士がお互いのことをよく知っていれば、勝機につながる作戦も立てやすいというものです」
「大きく出たな! 貴公、将来は将軍になるか!」
「あたりまえだ! その気概がなくて、士官候補生になど志願するものか!」
晴れがましい席で卒業を祝ってもらい、同級生たちは浮かれまくっている。
知らないということは、幸せなことでもあるのだなと、アレンは思った。
きっと、新任士官として任地へ赴いた彼らは、そこで現実の厳しさを知るのだろう。
平民出身の下士官や兵士たちは、ただ頭でっかちなだけのエリートになんか、従いはしない。
圧倒的多数の兵士たちが求めているのは、自分たちに命令を下すだけの器量を持つ人間である。
軍人として、優れているかどうか。
求められているのはそれだけで、指揮官の身分など、伯爵の息子だろうが、男爵の弟だろうが、どうでもいい問題なのだ。
人垣のむこうが、ざわめいた。
「どうぞ、王子殿下のために道をお開け下さい」
式部官の先触れとともに、あわてた人々が後ずさり、腰を折る。
アレンも騎士の作法にのっとって、首を垂れた。
頭の上から、涼しげな声が言う。
「人気者だな、アレン・デュカレット卿は。
ここまでたどり着くために、わたしは何度も、道を開けてほしいと、周りの者に頼まなければならなかったよ」
この場でしゃべってもよいのは、王族に話しかけられているアレンだけである。アレンは緊張して、言葉を返した。
「お呼びくだされば、わたくしのほうから、御前へまいります」
ローレリアンは、楽しそうに笑った。
「顔をあげろ、アレン。
きみは、今夜の宴の主役の一人じゃないか。
その、ぶっちょう顔は何だ?
もっと楽しそうにしたらどうなんだ」
王子の親しげな態度を受けて、アレンはつい、気をゆるめる。
「俺は、もとから、こういう顔なのです」
「本当は、もっと陽気な男だと、知っているのはわたしだけなのか?
それもまた、楽しくて結構な話だが。
しかし、公式の場で無愛想なのはいただけないな。
もっと場の雰囲気を楽しむがいい。
そうだな、すこし、いっしょに会場を歩こうか。
わたしと親しい者達に、新任の護衛官を紹介しておきたいし」
「はい、お供いたします」
かたずをのんで王子殿下とアレンの様子を見守っていた貴族たちや士官学校の同級生たちは、いっせいに羨望のため息をついた。
今日、国一番の剣士の称号を得た青年には、出世の道が約束されたのだ。王子殿下みずからが青年を友人として認め、それを公言して歩こうというのだから。
人垣から離れて歩きだした二人は、じつに見事な組み合わせだった。
威厳に満ちたローレリアン王子は、いつもの黒い法衣に茜色の大綬と王子の身分をあらわす銀の星章をつけている。
つき従う桂冠騎士のアレンは、士官候補生の礼装姿だ。純白に濃紺と金のブレードで飾りを施した礼服を身にまとい背筋を伸ばして歩く青年の姿には、これから背負う任務の重さへの覚悟と気負いが満ちていた。
もちろん、彼の左胸には、勝利をあらわす月桂樹の冠を意匠した新しい勲章が輝いている。
彼らとすれちがう時、貴族の令嬢は、みな小さな悲鳴をあげた。
建国節の王都に集う適齢期の貴族の令嬢たちは、自分と身分が釣り合う結婚相手を探しているのである。王子殿下のお気に入りの青年士官などは、結婚相手としては極上の部類だ。
当然、アレンには熱い視線が注がれた。
ローレリアンは、それを見て、愉快だと笑った。
「すごいな、アレン。 令嬢たちが君を見る目ときたら」
青年騎士は、しらけた顔で答えた。
「あの者達は、あなたを見ているのです。王子殿下」
「そんなわけがあるか。
なんなら試しに、そのへんにいる令嬢へ声をかけてみるがいい。
踊ってくださいとお願いすれば、みな二つ返事で承諾するぞ」
「ダンスなど、興味がありません。
それより、殿下こそ、他の者にお声をおかけにならなくてよろしいのですか」
「ダンスが嫌いとは、武骨なやつだな。
ほら、聞いてみろ。
この曲は、いま王都で売れっ子の作曲家、ムーランの新曲だ。
聞いているだけで、足がステップを踏みそうになるではないか」
やけに機嫌がいいローレリアンは、音楽にあわせて人差し指を振った。
あきれてアレンは言う。
「楽しそうですね、殿下」
「楽しいさ。わたしは、舞踏会が大好きでね」
アレンは驚いて、あたりを見まわした。
アレンと出会ったばかりのころのローレリアンは、富を独占している貴族たちのことを、あまりよくは思っていなかったはずなのだが。
絢爛豪華な大広間には、喧騒が満ちている。
中央には、音楽にあわせて華麗にくるくると舞う男女の群れ。
ご婦人方のドレスは様々な色で、それが一斉にうごめくと、見ているこっちは目がまわりそうになる。
なにしろ貴族たちにとっては、この建国節の舞踏会は大舞台なのだ。
着飾って集まり、子弟の結婚相手を探したり、領地経営にまつわる産業の関係者に顔つなぎをしたり、政治の根回しをしたり。
踊る男女の集団が、アレンには化け物じみて見えた。
あの貴婦人が身につけている衣装一式分の金があれば、今年の冬に流行した悪性の感冒で親を失った子供たちを、何人救ってやれるだろうか?
水不足であえいでいる南東地方の民のために、何本の井戸を掘ることができる?
くっそー、二重三重に首に巻いた宝石なんぞを、キラキラさせやがって!
そんなことを考えたせいで、アレンは不機嫌になった。
表情をゆがめて、陰気に言い放つ。
「舞踏会がお好きなら、俺のことなど放っておいて、殿下も踊っておいでになればいいのです」
胸元の護符に手を当て、お祈りのしぐさをしながら、唇のはしでローレリアンは笑う。
「馬鹿を言うな。
踊る神官など、滑稽なだけだ。
それに、わたしが特定の女性と、踊ってみろ。
たちまちその女性は、妃候補だなどと騒ぎ立てられて、日常の生活もままならなくなるぞ」
「…………」
思わず、言葉を失うアレンである。
確かに、その通りかもしれない。
才能豊かな、第二王子。
兄の王太子をしのいで、この国の未来を変える人間になるのではないかと、国中から期待されている青年。
それが、目の前の、この男だ。
歩みを止めたローレリアンは、じっとアレンを見ていた。
彼の水色の瞳には、深い憂慮がたたえられている。
アレンの胸は、切迫感につまった。
ローレリアンの瞳から、目が離せない。
まるで、底が知れない深淵を、のぞきこんでしまったかのような気持ちになる。
王子は低い声で言った。
「貴族たちの舞踏会は、社交の名を借りた謀議の場所だ。
彼らは集まって踊りながら、この場で、ローザニアの未来を動かしてしまう。
議会は茶番。
国民の意志など、彼らには関係がない。
ならば、この謀議の場所を、わたしも利用してやるだけのことだ。
なにか相談事が生じたら、相手へ簡単に声をかけられるだろう?
だから、わたしは、舞踏会が好きなのさ。
この人ごみの中で歩きながら話をすれば、秘密はぜったいに守られる。
わたしのうしろを歩いている『王子殿下の影』に逆らって、わたしと密談中の者に近より、話を立ち聞きするのは不可能だ。
だから、アレン。
きみも言いたいことがあるのなら、いまここで言ってしまえばいい。
聞いているのは、『王子殿下の影』だけだ」
背中に視線を感じて、アレンは振り返った。
そこには、近衛騎士の正装で身を飾った、アストゥールが立っていた。
濃緑色の上着に、金ボタンと金のブレード。
胸には、ずらりと、武勲を示す勲章が並んでいる。
そして、腰には立派な剣。
この会場で佩剣を許されている人間は、ごくわずかだ。
そのうえ、アストゥールが担っている役割は、王子の護衛だけではないらしい。
王子殿下からの「ちょっといっしょに、歩きましょうか」というお誘いには、じつは恐ろしい意味があったのだ。
ローレリアン王子は聖職者の衣と優しげな微笑をかくれ蓑にして、貴族たちのもとへ国王からの困った要求を運んでくる、恐怖の使者なのだった。
「アレン」
ローレリアンは、静かにいった。
「きみがこれから足を踏み入れようとしているのは、こういう醜い世界だ。
本当に、いいのか。
何もかも承知の上で、まだ、わたしの友人でいてくれるのか」
浮かれ騒ぎの喧騒が、アレンのまわりから引いていく。
彼とローレリアンのあいだには、重い沈黙があった。
たがいの瞳を見つめあい、二人は未来について考えていた。
いつかは、実現したい夢だ。
ローザニアを、すべての人が幸せだと実感できる国に変える夢について。
アレンは、ため息をついた。
心からの、安堵のため息を。
だれも聞いていないというのなら、俺の本音を、俺の言葉で言ってやろう。
「よかったよ、リアン。おまえは、3年前と、ちっとも変ってないんだな」
「たったの3年で、人間がそんなに変わったりするものか」
「俺は、かなり変わったと、思うんだけどな」
「外見だけはな」
「ひどい言われようだな。
でも、あの時の誓いだけは、変わらないからな。
おまえの背中は、俺が守ってやる。
だからお前は安心して、前だけを見てろ」
ローレリアンは心底嬉しそうに、アレンの肩を抱いた。
そしてふたたび、歩きはじめる。
「それでは、わたし個人へ腹心の誓いを立ててくれている者達と、引き合わせよう」と言いながら。
何も知らなかった無邪気な少年のときに立てた誓いは、いまふたたび重い責任をともなって、アレンを縛った。
だが、これでいいのだと、アレンは思った。
彼はここで、人生をかけるにふさわしい大望を得た。
この誓いこそが、男子一生の本懐に、まちがいなかった。