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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
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因縁のはじまり …10


 その日の夜更け、モナは王子を迎えに現場へ駆けつけたアストゥール・ハウエル卿につきそわれて、ヴィダリア侯爵邸へ帰り着いた。


 目を泣きはらし、足元がふらつくほど疲れはてている様子の彼女を見て、父候爵や乳母のシャフレ夫人は、あえてその日のうちに何があったのかを問いつめようとはしなかった。


 『ポワンの宵の花亭』のそとでローレリアン王子を待ち受けていたアストゥールは、見なれない黒い軍服を着ており、同じ制服で身を固めた部下を数名つれていた。どの男も、まだ若くて精悍せいかんな顔つきをしている、立派な青年だった。


 王子の無事を確かめるなり、アストゥールは深く首を垂れながら言った。


「申し訳ございません、我が王子。かような時に、お役に立ちませず」


 ローレリアンは、王子の顔で答えた。


「あせるな、アストゥール。いくらあなたが優秀な男であっても、わずか数か月で新設の部隊を実働に耐える状態にできるとは、だれも思っていない」


 隻眼せきがんの騎士は、かしこまった。


「つぎの機会には、必ずや」


「たよりにしている。たのむぞ」


 そんなやりとりをアストゥールと交わしたあと、ローレリアンは護衛の青年士官たちをひき連れて街へ消えていった。


 市民の姿に身をやつした彼の護衛は、いつのまにか小集団と呼べる人数に増えていた。


 みなローレリアンを『我が王子』としたい、命運を共にする誓いを立てている男達であるらしい。彼らを束ねる桂冠騎士のアレンが王子とともに街へ下ったと聞きつけ、いずれも遅れを取るまいと、自身の判断でここへ駆けつけてきたのだ。


 「きっと、俺はこのあと、なぜ自分たちにも声をかけてくれなかったのだと連中から詰め寄られて、あげくに、袋だたきにされますよ」と言いながら、アレンは笑っていた。


 自室にもどり、化粧を落として身を清め、夜着に着替えたモナは、月明かりが差し込む窓辺にすわって考えた。


 ローレリアンは王国の未来を担う王子で、その責務を立派にはたそうと日々努力している人だ。周囲の人間も、そんなローレリアンに期待を寄せて、盛り立てようとしている。それをモナは、今日初めて真近で目撃した。


 国境の街で神学生として生活していたころのローレリアンは、うちに何か熱いものを秘めてはいても、ごく普通の青年だった。嬉しければ笑ったし、憂鬱な時は暗い顔。自分が情けないとか言いながら、泣いたりもしていた。


 けれど今は、そういう普通の顔を見せられる時があるのだろうか。彼の感情を受け止めてくれる人が、いるのだろうか。


 モナを侯爵邸まで送り届けてくれたアストゥールは、道行きの最中に、現在自分は王子直属の親衛部隊を立ち上げる準備に追われていると話してくれた。今日のように微妙な成り行きになりそうな任務を安心して任せられる、えりすぐりの者を集めた精鋭部隊だ。


 泣き疲れた身体を冷たい窓ガラスにおしつけて、こもった熱をなだめようと試みる。モナのため息は、いまだに覚めない興奮の余韻を帯びているのだ。今日は本当に、いろいろなことが起こった日だった。


 なかでも情けないのは、『ポワンの宵の花亭』でローレリアンに助けてもらったこと。彼があの店へ駆けつけてくれなければ、もっとたくさんの死者が出たにちがいないと思う。


 ローレリアンからは、「侯爵家の姫君としての自分の立場を自覚して行動するように」と、叱られてしまった。


 まったく、そのとおり。


 もう自分だって、無邪気な子供ではない。もっと大人になって、物事の裏の裏まで考えられるようにならなければ。


 リンフェンダウルがフィオーラの部屋に押し入ってきたとき、自分は呑気に、恋の行方のことを考えていた。結婚さえ望まなければ、ローレリアンの心をとらえることができるだろうかと。


 ローレリアンが王子の責務に心を砕き、一人でも多くの人を助けたいと望んで行動しているときに、自分は馬鹿げたことを考えていたのだ。色ボケといってもいいくらいに、馬鹿げたことを。


 それがとても、恥ずかしかった。


 いつのまにか、ローレリアンが遠い人になってしまったように思える。


 彼は大国の王子で、自分は取るに足らない馬鹿な小娘。


 せめて、彼の足をひっぱるような失敗だけは、しないようにしなくては。


 周囲から王子の妃最有力候補だなどと噂されて、自分はすこし、いい気になっていたのかもしれない。このままの自分では、ローレリアンを影から支える女友達でさえいられないという予感がある。


 彼を真実愛するならば、彼をまつだけの受け身の女でいてはだめなのだ。


 彼の真摯しんしな瞳は、つねに前を、広大な世界を見ている。


 そんな彼を愛そうとするなら、必要な時に、こちらから手をさしだせる女にならなくては。


 彼の背中をつねに見つめて、その背中を抱きしめる。そして、そのままあなたは前を見ていていいのだと、わたしはわたしで、ちゃんとあなたの後をついていくから、ふりむく必要はないのだと、言い切れるだけの強さをもたなければ。


 そうは思うけれど、その先を、どうすればいいのかがわからないのだ。


 よく考えて行動しなければ、また失敗をしそうだ。


 けれども、考えれば考えるほど、先へふみだす勇気はしぼんでいく。


 するとまたモナのすみれ色の瞳は、新しい涙で濡れていくのだった。



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