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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
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因縁のはじまり … 8

本文中に血が流れる描写があります。苦手な方はご注意ください。


 煮え切らない態度で、のらりくらりと言い訳を重ね、部屋の中の人物が誰なのかを明かそうともしないシムスに腹を立て、とうとう憲兵総監リンフェンダウル男爵は『ポワンの宵の花亭』で一番立派な部屋のドアを蹴破った。


 蹴破る必要など欠片もなかったのだが、いらだちが最高潮に達していたので、そうせずにはいられなかったのである。


 ひさしぶりに、やりたい放題できると大喜びで乗り込んだ『ポワンの宵の花亭』で、リンフェンダウルは盛大な肩透かしを食らったのだ。店に客はほどんどおらず、一階の奥の部屋で呑気に酒を飲んでいた反政府活動家たちからは、抵抗らしい抵抗もなかった。すでにリーダーのジャン・リュミネを除く全員を、逮捕拘束している。半数は死体だったが。


 捕り物劇に巻き込まれて死んだ一般人は、店の従業員の二人だけだった。いずれも、盗品売買にかかわっていたり、下っ端の麻薬密売人だったりして、憲兵隊に捕まったらただではすまない人間だったので、逃げようとして撃たれたのだ。


 本来ならば、迅速に進んでいる任務遂行の具合を喜ぶべきところなのだが、リンフェンダウルは怒り狂っていた。彼は今夜、この場所で、血沸き肉躍る体験をするはずだったのだ。王都一の高級娼館で、金や権力を持った男たちがねやをあばかれ羞恥にまみれて裸で逃げ惑う姿を嘲笑あざわらい、彼は至福の時をすごすはずだった。


 それが、なぜ、何もない!


 彼はもともと、あまり機転がきく男ではない。あくまでも宰相の命令に忠実で、汚れ仕事も嫌がらずにやってきたから、いまの地位まで登りつめた男である。


 いらだちが最高潮に達していた彼の視界は、極端に狭まっていた。


 そのとき、感情にまかせて蹴破ったドアのむこうに、今夜の捕獲目標最重要人物であるジャン・リュミネを発見したのである。見失ったかと焦っていた、彼の獲物だ。


 自分勝手な怒りの感情と、ついに見つけたという歓喜の感情がないまぜになり、リンフェンダウルは迷うことなく、狭窄した視界の中心にむけて手にした銃の引き金を引いた。


 もともと、この時代の銃の命中精度は、それほど高くはない。至近距離の相手を撃つときには、銃を腰に構えてまっすぐに撃てと兵士に教えるほどである。そのほうが、あわてて狙いを定めるより、よく的に当たるのだ。とりあえず体のどこかに弾が命中すれば、相手の行動力をそぐことができる。


 それに、嗜虐趣味をもつリンフェンダウルがリュミネを撃った真の目的は、獲物が苦しむ様子を見たいという、純粋な欲望を果たすためである。今夜の捕り物劇が思うような展開にならなかったせいで、欲求不満は溜まりに溜まっている。ジャン・リュミネを捕獲したあかつきには、とことんまでいたぶってやるつもりだったのだ。


 リンフェンダウルの凶暴な性格をよく知っていたアレンは、ジャン・リュミネには目もくれず、ローレリアンに飛びついて凶弾の射線から遠ざけた。


「やめろ、リンフェンダウル!」


「殿下、お下がりください!」


 ふたりが叫ぶと同時に、銃声がとどろき、女が悲鳴をあげる。


 悲鳴はフィオーラのものだった。


 彼女は目の前の出来事に感情を翻弄ほんろうされて、何度も、何度も、絶叫した。


「どうして! どうしてなの! リジィ! いやああ――――っ!」


 リンフェンダウルの凶弾を浴びたのは、ジャン・リュミネではなく、彼の前に飛び出した情婦のリジィだった。しかも、彼女は血にまみれながら、リンフェンダウルの行く手に立ちふさがる。彼女の腹からは致命傷にふさわしい量の血が噴き出していたが、それでもリンフェンダウルへとむかっていくのだ。


「逃げて……、ジャン。 はやく……!」


「このアマ!」


 先込め式の銃は、一度撃ってしまうと、次の弾を込めるまでは玩具も同然だ。兵士の銃には白兵戦用の銃剣も取り付けられるが、より実戦むきの剣を持ち歩く士官の銃には、そんなものはついていない。


 リンフェンダウルは迷うことなく銃を投げ捨て、腰の剣帯から剣を抜いた。その剣で、目の前の女に切りつけ、後につづく部下へ命じる。


「なにをしている、早く獲物を撃て! 逃がすでない! 殺してかまわん!」


 断末魔の叫びとともに血だまりの中に倒れこむ女を飛びのいてよけながら、リンフェンダウルのそばにしたがっていた副官と下士官は、とまどいの声をあげた。


「しかし、総監閣下。あちらの方からのご命令は――?」


 その隙に、ジャン・リュミネはバルコニーへ突進し、後ろ手に縛られた肩で窓を破って外へと脱出する。


 リンフェンダウルは眼を血走らせてわめいた。


「追え! あいつを、追え! 殺せ! 逃がすな! 殺してしまえ!」


 娼婦の血にまみれた剣をふりまわすものだから、あちこちに赤い滴が飛ぶ。


 そのしずくの一滴が、ローレリアン王子の頬を濡らした。


 王族の顔に、死人の血を塗りつけたのである。これ以上の不敬があろうか。驚愕のあまり震えながら、リンフェンダウルの副官は上司に取りすがった。


「総監閣下。どうか、お気を静めてください。御前ごぜんでございます」


「御前だと……?!」


 正気に返ったリンフェンダウルは、壁際に王子の姿を認めて慄然りつぜんとした。


 頬に飛んだ血の滴をぬぐいもせずに、王子はリンフェンダウルのほうへやって来る。その水色の瞳は極寒の地の湖のように冷たく凍りつき、整った顔は彫刻のように動かない。


 薄暗がりに、王子の声は朗々と響き渡った。その声はまさに、聖堂の中に響く聖職者の声である。人が犯すおろかな罪を追及する、裁きの声だ。


「すでに拘束されていた者を、なぜ撃ったのだ。リンフェンダウル男爵」


 リンフェンダウルは一瞬、言葉をなくした。


 月明かりが、王子の顔を半分だけ照らしている。


 光の反対側には深い影が落ち、そのかげりは美しく若い王子を、この世の者とは思えない様子に見せるのだ。


「王子殿下がこちらへお出ましとは存じませず、ご無礼もうしあげ――」


「わたしの問いに答えよ、リンフェンダウル」


 ローレリアン王子の前にひざまずき、首を垂れたリンフェンダウルは唇を噛んだ。宰相の権力を後ろ盾に持ち、長年にわたり怖いものは何もないと言い放ってきた彼の前に、とつじょとして現れたのが、この王子である。


 そして、ここ最近、憲兵隊への出動要請があると、わざとリンフェンダウルの影響力が強くおよぶ部隊を外して命令を出してくるのも、この王子。


 またかと、リンフェンダウルは屈辱の思いを噛みしめる。


 おそらく、今夜の出動命令には宰相が絡んでいるため、自分の思惑通りに事を進められなかった王子は、ここへ直接出向いてきたのだろう。聖職者のローレリアン王子は、殺生を極端に嫌うという噂を聞いている。だから、残虐な行為を好むリンフェンダウルは、うとまれるのだ。


 リンフェンダウルにしてみれば、聖人めいた王子の態度が歯がゆくてならない。不穏分子は徹底的に排除すべきなのだ。それが、結局は国を守ることになると、彼は信じている。


 だが、王子の態度を苦々しく思っても、リンフェンダウルには、どうすることもできないのだ。時の権力者の座はまもなく、この王子へ移ろうとしている。


 その現実は、王子の自信ともなっているのだろう。リンフェンダウルの弁明は、はるかな高みからの叱責で、容赦なく封じられていく。


「宰相閣下からのご命令で、やつらは殺してもかまわぬと――」


「被疑者を尋問する機会を、わざわざ逃す命令は、宰相も出してはおらぬはず」


「しかし――」


「そのうえ、貴殿はここで、反政府活動とは無関係な者も撃っている」


「その者達は犯罪者で、抵抗したので――」


 王子は足元の娼婦の遺体を見下ろした。


「では、この女は、何をした」


「ジャン・リュミネを逃がそうと――」


「貴殿がいきなり撃たなければ、この女は死なずに済んだし、ジャン・リュミネも逃げられはしなかったはず。そうではないか、リンフェンダウル」


 言い逃れはできないと悟り、リンフェンダウルは逆に居直った。自分を今の地位から追い落とそうとするならば、たとえ相手が王子であろうと、一矢報いてやるつもりである。とにかく、少しでも深い傷を負わせてやると、自分勝手な男は牙をむく。


「王子殿下、お言葉ですが。今宵摘発の舞台となる店に、よもや王子殿下がおいでになっていらっしゃるとは、誰が想像できますでしょうか?

 わたくしは、この店に入るとき、決死の覚悟でございました。

 軍人の決死の覚悟など、聖職者であらせられる殿下には、お分かりいただけないのかもしれませんが。

 決死の覚悟とは、生きるか死ぬかの、極限の覚悟でございます。

 その覚悟で飛びこんだ場所で、敵に出会えば立ちむかう。

 当然とは、思われませぬか」


「一軍の指揮をとる者に、わたしが求めるのは、勇気と冷静な判断である。

 わたしの警告によって客がほとんどいなくなっていたこの店で、貴殿はどのような抵抗にあったというのか。判断の根拠を示せ」


「わたくしの判断を狂わせた原因は、まさしく殿下の驚くべき行動でございます。

 大勢の人の中から短い時間で、わたくしは反政府活動家どもを逃がすことなく、探し出さねばならないと考えておりました。ですから、抵抗するものは撃てと、部下に命じたのです。

 しかし、殿下はこの店の客の大半を、あらかじめ逃がしておしまいになった。肩透かしをくった我々は、あわててしまったのでございますよ」


「そなたの詭弁きべんは、もう聞きたくない」


「さて、わたくしのげんが詭弁かどうかは、どなたがご判断くださるのか。

 そのお裁きの場では、わたくしにも言うべきことがあると申し上げておきましょう。

 王子殿下は、国王陛下の勅命による憲兵隊の行動を、作戦開始前に外部へもらしてしまわれたのですからな!」


 それだけ言い放つと、リンフェンダウルは部下を引き連れて部屋から出ていった。


「外の見張りは、どうしたのだ! 街の警備兵にも連絡を取れ! まだ反政府活動家のネズミは、そのへんにいるはずだ! 何としても、やつを捕らえよ!」


 開け放たれたドアのむこうで、リンフェンダウルの怒声が遠ざかっていく。


 ローレリアンは深く、息をついだ。


 王子としての気迫を求められる場面に遭遇すると、いまだに緊張で胸がつぶれそうになる。この感覚には永遠に慣れることはないだろうと思う、ローレリアンである。

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