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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
26/78

因縁のはじまり … 7

文章のつなぎ目が中途半端であるため、前のお話と始まりの3行がかぶります。

 金色の髪と水色の瞳。


 どうして今まで、気がつかなかったのだろう。


 この男は――!


 自分の愚かさに、無念の思いがわく。


 言論をゆさぶる活動を長年つづけてきて、その世界では名の知れた存在となってから、自分の思考にもおごりや油断によるゆがみが生じていたのだ。


 もっと澄んだ思考で考えていれば、疑いをもったはずだ。こんな容姿に生まれついた男が、世界に何人もいるわけがない。


 金色の髪、水色の瞳、整った顔立ち。落ち着いた表情、威厳ある態度、聖職者らしい、慈愛に満ちた微笑……!


「きさま、ローザニアの聖王子、ローレリアンか!」


 そう呼びかけたら、王子の表情に影がさした。その影に呼応して、窓の外の月が雲間にかくれ、部屋のなかも薄暗くなる。


 まるで王子に備わった魔力を見せられたような気分になり、リュミネは乾いた喉を鳴らした。


 低い声で、王子は言った。


「あなたにとっては、悪魔かもしれませんよ。

 民衆をあおって国家の秩序を乱そうとする者を、わたしは許さない。

 人を敵として憎み、策をろうしておとしいれる背徳者になろうとも、この国のためなら、わたしはなんでもする。

 王子として生きると決めた時に、わたしは神々と交わした『万人を愛する』という約束を破棄した。そのために、死後煉獄(れんごく)へ落ちようとも、けして後悔はしないと誓って」


「ちっ!」


 悔しさのあまり、リュミネの口元からは、舌打ちがもれた。


 相手が王子と知って気が遠くなったのか、彼の腕の中の娼婦は急に重くなり、いまにも床の上に崩れて倒れそうだ。


 ちゃんと立てと、女をゆすりあげた。


 なにをうろたえる。

 王子だって、しょせんはただの人間だ。

 それに俺は、長年肌をあわせてきた女を殺してしまうほど、ひどい悪人ではない。

 おまえだって、それがわかっていたから、恋人気取りでいたのだろうに!


 女がよろめき、そばの家具にあたる。


 いまいましいと思いながら倒れそうな女をもう一度ひきあげた瞬間、ペーパーナイフを握るリュミネの右手の甲に激痛が走った。


 目の前に飛び散ったのは、自分の血だ。生ぬるい液体とともに、ナイフも音をたてて床へ落ちていく。


「アレン!」


 鋭い女の声が、青年士官を呼ぶ。


 次の瞬間、飛びかかってきた青年士官によって、リュミネは床の上にねじ伏せられていた。


 床に押さえつけられた顔を横にむけると、視線の先には紺色の女物のドレスのすそと、血が滴る細身の剣があった。


 その剣を持つ女は、怒りに震えている。


「あんたって、なんてひどい男なの?

 リジィは、本当に、あんたのことを好きだったのよ?!

 あんたのためなら、身を滅ぼしてもいいと思うくらい、愛してたの!」


「ひどいな。この傷じゃ、もう右手ではペンを握れなくなるかもしれない」


 完全に、思考停止だ。リュミネは、声もなく笑いながら、自分の右手の心配だけをしていた。


 血は流れつづけ、痛みがひどい。


 なんて、女だ。一瞬のすきをついて、正確に狙った場所へ、剣をくりだしてくるなんて。


 おまけにこの女は、ヒステリーもちだ。


「なんなの、この男は! 笑ってるわよ! ほんとに、自分のことしか考えてないのね! その手、切り落としてやればよかった!」


 きーきーわめく女を、フィオーラと王子がなだめている。


「落ち着いて、モナ」


「ほら、剣をしまって」


「だって、リアン!」


 後ろ手に縛られて、リュミネは床にすわらせられた。


 それで、やっと女の姿が見られるようになる。


 すんすん鼻をすすりながら、女は剣についた血をぬぐい、鞘に納めた。貴族の跡取りの少年が持つような、細身の剣だ。柄と鞘の細工がとてもみごとで、由緒あるものであることが、ひと目でわかる。


 涙に濡れた眼が、ふたたびリュミネをにらんだ。


 なんと印象的な瞳であろうか。


 雲が風に流されているのか、窓から差し込む月の光は明るくなったり暗くなったりをくりかえしている。その光が当たるたびに、彼女の紫色の瞳は色味を変えた。


 なるほど、この女が、ローレリアン王子との恋仲を噂されているヴィダリア侯爵令嬢なのだ。少々変わり者であるとは聞いていたが、実物は噂以上にすごい。とくに、瞳にあふれる力は圧倒的だ。


 生気に満ちた彼女の瞳の力にあてられたのか、リュミネの耳元にも、現実の喧騒がもどってくる。


 銃声はいつのまにか止み、二階の廊下には男たちが走る荒っぽい音が響き渡っていた。


「くまなく探せ!

 首謀者のジャン・リュミネの死体がない!

 外に出ようとした者はみな殺すか、拘束するかしたのだ!

 やつはまだ、建物の中にいる!

 なんとしても、探し出せ!」


 足音にまじる怒鳴り声を聞いて、アレンと呼ばれた青年士官が肩をすくめた。


「あのドラ声は、リンフェンダウルだ」


 たのむから、その短銃を俺にむけるのはやめろと、リュミネは思った。なにかの拍子に、うっかり引き金を引かれたら、たまったものではない。


 この青年士官にも、まんまとだまされた。


 よくよく思い出せば、この青年士官とも街のカフェで会っている。


 あの時は、どんくさい田舎者だと思ったが、王子の護衛だったとは。


 とうとうドアの前で、男たちがやり取りを始めた。


「なんだ、おまえは!」


「はっ! 近衛護衛隊に所属しております、シムスであります!」


「近衛護衛隊だと? 上官は誰だ?」


「第二王子付き第三小隊長、アレン・デュカレット卿であります!」


「なんだ、なんだ、桂冠騎士殿は夜遊び中だったのか?

 こんな高級娼館にお出入りとは、たいした御出世ぶりだな。あの小僧、王子のお気に入りだからといって、いい気になりやがって」


「恐れながら、上官の名誉のために申し上げます。わたくしどもは、任務中であります」


 ドアの外のやり取りを聞いて、王子が馬鹿めと、額をおさえる。


「アレンの名誉など、どうでもよかろう!

 こいつの優雅な夜遊びということにしておけば、部屋の内部の改めを、逃れられたかもしれないのに!」


 青年士官の眉が、ピクリと動く。


「そりゃどうにも、ひどくないですか」


「ひどくなんか、ないぞ。

 それどころか、おまえにとっては名誉な噂になるさ。

 国一番の剣士アレン・デュカレット卿の夜遊びの相手は、国一番の美女フィオーラだとな」


 すこし離れた場所にすわっていた美女が、扇の影で艶やかに微笑む。


「噂ですませなくとも、よろしいですわよ。

 アレンさまなら、いつでもわたくし、大歓迎でお迎えいたします」


 モナが、そっぽをむく。男の人たちって、どうしてこうなの、といった顔で。


 そうこうするうちに、ドアの外のやり取りの風向きが怪しくなってきた。


「あー、ですから、わたくしどもは、任務中でして」


「護衛隊の任務とは、護衛であろう!

 誰の護衛をしているというのだ!

 とにかく、この娼館は、いまは我が指揮下にある!

 すべての部屋は、内部を改める!」


「ですからあ!」


 アレンが顔をしかめた。


「あいつには、難しい交渉事はまかせられないな」


「同感だ」


 うなずきながら、ローレリアンは傍らのモナに手をさしだした。


「リンフェンダウルが部屋にふみこんでくるとき、きみは顔を見られなければ、それに越したことはない。ちょっと、そこのカーテンの影にかくれておいで」


 そういった王子は、モナをフィオーラのベッドの上にあがらせて、みごとなビロードで作られた天蓋のカーテンを引いた。


 男に手を取られてベッドの上にあがるなど、本来ならば、これ以上なまめかしい行為はない。分厚いカーテンで視界をさえぎられたあと、モナは暗がりのなかでうずくまり、赤くなった。


 無数の男女が愛の営みをくりかえしてきたのであろう娼館のベッドからは、甘い匂いが立ち上ってくる。シーツや羽根布団は、やわらかく彼女の手足にあたった。


 結婚などしなくても、愛しい男を籠絡ろうらくする方法はあると、フィオーラは言った。


 それはまさしく、このベッドの上で営まれてきた愛の行為をさすのだろう。


 自分が女としてローレリアンを愛し、彼の疲れきった心を慰めようとするならば、やはり男女の愛の行為は無視できない。


 たがいを抱きしめあったり、口づけをかわしあったりすると、人は強い慰めや満足を感じられる。その満足を得ると男も女も、二世を誓う契りを求めずにいられなくなるものらしい。その過程は、熱く、狂おしく、激しいものであるとか。


 男の人を怖いと思っていたころには、耳年増の小間使いの少女から聞きかじったその話を信じる気にはなれなかったけれど。


 いまなら、理解できる。


 好きな人のことを考えると、心がうずくから。


 好きなのは、ローレリアンだけなのだ。


 他の誰にも、こんな気持ちは持てない。


 彼になら、何もかも許して、さらけ出してもいい。


 自分の身体を征服する男として、受け入れられる。


 暗がりに身をひそめながら、モナは自分の手で自分を抱きしめた。


 息を止めなければならないほど強く体を拘束すると、眩暈めまいがしそうな感覚にとらわれる。


 ローレリアンの腕に抱かれる感触を、思い出すのだ。



 ――刺客に殺されそうになったとき。

 ――衆目の面前で、王太子に迫られたとき。



 その体験は、いつだって極限の状態へ追い込まれているときに限られていたけれど。


 強いローレリアンの腕の力からは、モナへの想いだけが伝わってきた。


 それは、怖かったり恥ずかしかったりして、ひどく苦しい瞬間の出来事であったはずなのに、いま思い出すのは、ローレリアンの腕の感触だけだった。


 自分はつくづく、普通の貴族のお姫さまではないなと、モナは思った。


 好きな男に身も心も征服されたいと妄想するお姫さまなんて、聞いたことがない。


 みずからを拘束する腕の力をゆるめたら、ちりっとしたかすかな痛みが首筋に走った。


 そこに痛みの原因を作ったのは、フィオーラの口づけだ。


 口づけの感触を思い出すと、全身に、ぞくりとくる震えと熱がわく。


 この身を焼く熱さのつぎには、なにがあるというのだろう。


 続きを教えてくれるのが、ローレリアンであればいいのに。


 モナは唇をかんだ。


 王子の孤独を癒して慰めたいなんて、たいそうなことを、自分は願っていたけれど。


 でも、本当は、自分自身も幸せになりたいのだ。


 彼を、抱きしめて。


 やるせない思いに身をよじり、深くモナがうなだれた、その時だった。


 部屋のドアを蹴破る激しい音が、あたりにとどろいた。


 それと同時に、野太い男の蛮声が人の名を呼ぶ。


「きさまは、ジャン・リュミネ!」


「やめろ、リンフェンダウル!」


「殿下、お下がりください!」


 複数の声とともに聞こえたのは銃撃音と、女の悲鳴だ。


 そして、乱闘めいた足音と、ガラスが割れる音。


 モナは暗がりで息を殺し、身を固くした。いま下手に動けば、それこそローレリアンをこまらせるかもしれない。


 カーテンのすき間からは、部屋中に充満しているのだろう硝煙の臭いが、ゆるりと入りこんできていた。


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