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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
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因縁のはじまり … 6


 階段を駆けあがって、リュミネと娼婦は廊下を走った。


 冷静になるために、リュミネは何度も深い呼吸をする。


 階下の激しい物音を聞くと、胸を乱打している心臓が縮みあがる。


 今、自分はいったい、どういう顔をしているのだろう。


 ――勇気の神オリス、俺に、力を!


 回廊をまわって、店の表側に面した立派な廊下へ入る。


 そこでリュミネは、また緊張した。


 リジィが走っていく先には、一人の若い男が立っている。彼の服装は街でよく見かける裕福な平民のそれだが、体格が立派だし、眼光が鋭すぎる。きな臭い男だ。






     **   **






 王子殿下がおいでになる部屋の扉の前に立ち、あたりを警戒していたシムスは驚いた。


 階下では大変な騒ぎが起こっており、その騒ぎが、いつ二階へ波及するかと思っていたのだが。


 一組の男女が、自分のほうにむかって、走ってくる。


 女は、まちがいなく、この店の娼婦だ。派手な赤い衣装を着て、素朴な顔に似合わない濃い化粧をしている。


 彼女が手をひいているのは、情夫といったところか。一夜限りの客を、娼婦がかばったりはしないだろうから。


 さえない容姿の男だ。


 年のころは三十をすこし超えたくらい。


 やせぎすで、疲れた顔をしている。


 情夫というよりは、ヒモかな。


 すがりついてくる情けない男の行動を、愛情があるからだと勘違いする娼婦はよくいる。


 だれだって、愛が欲しいんだよなぁ。だから俺も公休日には、歓楽街へ来ちゃうわけでさ。


 しかし、いまの俺は、お仕事中なんだぜ。


 心の中でぶつぶつやったあと、シムスは女の前に立ちふさがった。


「すまんが、ここから先には通せない」


 女は取り乱した様子で、シムスにすがりついた。


「どうして?

 わたしは仲良しのフィオーラに用があるのよ!

 下では憲兵が、銃を撃ちまくっているのよ!

 彼女のところへ行かせて!

 わたしのいい人を、憲兵に殺させたりしないで!」






     **   **






 ドアの外の騒ぎを耳にして、ローレリアン王子とアレンは顔を見あわせた。


 ローレリアンはソファーにすわるフィオーラにたずねる。


「ドアの外の女性は誰ですか」


「リジィです。さきほどお話しした、部屋を恋人に貸している娘です」


「では、いっしょにいるのは、ジャン・リュミネか!」


 これは思わぬ僥倖ぎょうこうだと、王子は笑う。ジャン・リュミネが、みずから我が手中へ落ちてきたのだ。


 彼は、この場で殺してしまうには惜しい情報源だ。


 しかし、せっかく捕まえてもリンフェンダウルの手に渡ったのでは、拷問されて、まともな情報など取れなくなるだろう。


 これも、神々のお導きか。


 王子がこのような場所へ出てくるなど愚かな行動だと恥じていたが、ジャン・リュミネを自分の手で捕縛ほばくできるというのならば、恥をかく程度の気まずさなど、帳消しにできる。


「アレン、いいか?」


 王子に絶対の忠誠を誓う青年士官は冷静な顔でうなずくと、ドアのわきに立ち、ふところから短銃を取り出して構えた。






     **   **






 これはこまった、どうしたものかと、女に取りすがられながらシムスが思った瞬間、彼が守っていた扉は内側から開いた。


 扉を開いたのは、部屋の主のフィオーラである。


「リジィ、大きな声で騒がないで。早く部屋の中へ、お入りなさい」


 すでに泣きはじめていたリジィは、わななきながら言う。


「あ……、ありがとう、フィオーラ。もう、わたし、どうしたらいいのか」


「泣くのは、あとにして。さあ、早く」


 国一番の美女ともてはやされる美しい娼婦は白い衣装に身を包んでおり、唇には優しい微笑を浮かべていた。その姿は廊下のほの暗い明かりに照らされて、心やさしき天女とはかくやという様子である。


 天女に誘われ、リジィは開かれた扉をくぐる。そのあとに続いて、ジャン・リュミネも部屋の中へ入った。


 その瞬間、早鐘の勢いで脈を打っていたリュミネの心臓は凍りついた。


「両手をあげて、ゆっくりと壁際まで下がれ」


 ドアのすぐわきの暗がりから、低い男の声がそう命じる。


 あたりの空気が冷え冷えとしているのは、まちがいなく、この男のせいだ。


 銃をまっすぐに構え、リュミネの急所に狙いを定めた男の眼は、薄暗い空間に浮かんで爛々と輝く夜行性の獣の瞳のように見えた。


「ど、どうして!?」


 悲鳴のように叫んだリジィにむかって、フィオーラは答えた。


「娼婦のさびしさにつけこむ卑劣な男を、わたくしが助けると思うの?

 リジィ、あなた、いい加減に目を覚ましなさい!」


 ゆるゆると自分の手をあげながら、リュミネは考えた。


 どうやら俺は、この部屋の主の女に憎まれているらしい。女を食い物にする男だと。俺は一度だって、この女に、何かを求めたことはないというのに。


 だが、最後くらいは、悪人らしくしてやってもいいか。なじみの娼婦とも、どうせ今夜限りだ。


 勢いよく一歩をふみだし、リュミネはリジィの首に腕をかけ、自分のほうへ引き倒した。


 拳銃を構えていた男が、一瞬、躊躇ちゅうちょする。


 なぜ、撃たない?


 なぜ、迷う?


 おまえは軍人じゃないのか?


 いかにもそれっぽい眼光で、俺を射殺しそうな勢いなのに。


 リュミネは叫ぶ。


「動くなよ! それ以上、俺に近よるな! 近よれば、この女の首を掻き切ってやる!」


 ペーパーナイフ一本でも、女を人質にとれば身を守る道具になった。


 リュミネは皮肉な笑みを唇の端に浮かべながら、ぐいぐいと部屋の奥へ進んでいった。


 廊下から、その様子を見ていた、シムスがわめいた。


「たいちょー! なにやってるんすか! らしくもない!」


 ドアのわきに立つアレンが怒鳴り返す。


「うるさい!

 殿下の前で、無益な殺生などしてみろ!

 聖職者の懺悔ざんげってのは、うざいんだぞ!

 何日も、何日も、暗ーい顔で、『神々よ、罪深きわたくしをお許しください』なんて、お祈りされるのは、まっぴらごめんだ!」


「殿下だと?」


 バルコニーへ通じる窓へむかおうとしていたリュミネは、歩みを止めた。


 月明かりが差しこむ、その窓辺には、一人の男が立っていた。


 彼の髪は淡い金色で、月の光を吸いこんだその髪は、まるで後光のように輝いて彼の整った顔を縁取っている。


「こんばんは、リュミネ殿」


 聞き覚えのある声が、リュミネに話しかけてくる。


「おまえは、リアン?

 クレール商会の、無気力な跡取り息子……?

 いや、ちがう。おまえは……」


 リュミネのもとへ、理解の波が、急激に押し寄せてきた。


 金色の髪と水色の瞳。


 どうして今まで、気がつかなかったのだろう。


 この男は――!


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