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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
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因縁のはじまり … 5


 一階の娼婦の部屋で、酒を飲みながら仲間とつぎの反政府思想の宣伝パンフレットの内容について打ち合わせをしていた男たちは、破壊音と女の悲鳴を聞いて、いっせいに立ちあがった。


「なんの音だ、あれは!」


 仲間の内で、もっとも気の小さい男がドアに駆けつける。


 ドアを開けると、その男はなりふりかまわず廊下へ飛び出していった。


「兵隊だっ!」と、絶叫しながら。


 その声に、複数の銃声と悲鳴がかぶる。


 ジャン・リュミネと仲間たちは、緊迫した顔を見あわせた。


 このタイミングで仲間が撃たれるということは、警告しても逃げる者には発砲してよいという、許可が出ているのだろう。


 複数の男の物である重い足音が、入り乱れて近づいてくるのが聞こえる。


 ドアの外には、すでに退路はない。廊下に飛び出して自分だけ逃げようとした仲間は、兵隊を直に見ているのだ。


 リュミネは中庭に通じている窓を開け放った。


 窓から身を乗り出して上を見あげると、建物にぐるりと囲まれた狭い夜空には月が輝いていた。


 緊張のせいで頭に血がのぼるのか、首筋や耳のまわりが焼けるように熱い。


 必死に、考える。


 逃げられる可能性が残っているのはどこだ?


 おそらく、建物の出口は、すでにすべて封鎖されているはずだ。


 中庭に飛び出す。


 仲間もあとに続く。


 早くも兵士がリジィの部屋に!


 高圧的な声が、リュミネ達の足を止めようと叫ぶ。


「動くな!」


 動くなと言われて従えるものか。


 中庭を駆けぬけて、むかい側の部屋の窓ガラスを割った。


 中に腕を差しこんで鍵を開ける。


 リュミネが真っ暗な部屋に飛びこんだ瞬間、銃声がいくつもとどろき、背後でガラスが砕けて飛び散った。同時に、甲高い仲間の悲鳴が聞こえる。


 ――撃たれたのか!?


 迷ってなどいられない。


 動かなければ、自分も標的になってしまう。


 やつらが容赦なく発砲してくれたのは、リュミネにとっては、幸運なのかもしれなかった。先から弾を込めなければならない銃は、一回発砲してしまうと、次の弾を装てんしおわるまでの一、二分間は、飛び道具として役に立たなくなってしまう。


 鉄砲のことなど、どうでもいい。


 こんなことを考えている暇はない。


 逃げ場所として一番ふさわしいのはどこだ。


 兵隊の足音が!


 弾が出ない銃でも、先には銃剣という凶器がついている。追いつかれたら、自分の命はない。


 自分は新聞記者だ。ペンは剣よりも強しというが、これだけの暴力の前では、無力もはなはだしい。持っている武器はペーパーナイフ一本。護身の道具としては、お話にならないお粗末さだ。


 暗がりで家具につまづきながら、ドアへたどり着いた。


 同じ部屋に転がりこんだ仲間たちを呼ぶ。


 先に廊下へ仲間を出して、自分も後に続こうとする。


 われながら、ずるいやつだ。


 こちら側の廊下に兵隊がいるかどうかの確認役を、仲間に押しつけたのだから。


 廊下に出たリュミネは足をとめた。


 後ろをふかえりもせずに逃げ散る仲間の背中を、ながめながら。


 ひどく息があがっていて、胸が内側から心臓に連打されている。考えをまとめるためには、自分にむかって言い聞かせなければならなかった。


「落ち着け。落ち着くんだ、ジャン」


 すぐに中庭にいる兵士たちがこちらへ来ないのは、銃に弾をこめているからだろう。連中も、こちらが武装している可能性を、ちゃんと考えて行動しているのだ。


 残りの持ち時間は、一分か、二分。


 どうする?


 両手をあげて、投降するか?


 そうすれば、問答無用の射殺はまぬがれる。


 だが、待て。


 下っ端の仲間は抵抗しないかぎり、牢屋行きくらいですむ。だが、自分、ジャン・リュミネは、知識人が愛読することで有名なサンエット紙の論説委員だ。追及は政治犯としてだけでは終わらないだろう。


 宰相なら、これを機会に反政府活動家のつながりを明らかにして、あらゆる反政府運動を根絶やしにしようとする。リュミネを拷問して自白を強要するくらい、当然やるにちがいない。


 今、捕まるわけにはいかない。


 自分は、まだ目的をなにも果たしていない。


 大昔の手柄で先祖が得た地位をそのまま世襲して、何の疑問ももたずに民衆から搾取した金で遊び暮らす貴族たちを、リュミネは絶対に許さないと誓った。


 何代にもわたって積み重ねられた、やつらの膨大な罪には、天誅が下って当然だ。


 そうでなければ、貴族の理不尽のせいで死んでいった者達がうかばれない。


 何人もの人の顔が、リュミネの脳裏に現れては消える。


 両親、弟や妹、無邪気な友達、生真面目で働き者の村の人々……。


 20年前の飢饉の年、リュミネが生まれ育った村は全滅した。飢えて痩せ細った人々のあいだに、たちの悪い流行り病が出たのだ。


 ひとたまりもなかった。


 みんなが死んだ。


 その時、領主は王都にいた。


 領主は何もしなかった。


 ただ、自分たちが流行り病にかからないように、遠くへ逃げただけだ。


 怒りで、眼の奥が赤く燃える。


 自分は、まだ死ぬわけにはいかないのだ!


「ジャン!」


 女の声が自分を呼ぶ。


 娼館の帳場のほうから女が走ってくる。


 リュミネ達に自分の部屋を集会場として提供していた娼婦のリジィだ。


 『ポワンの宵の花亭』ほどの店にいる娼婦なら、それなりに教養があって、社会事情にも通じているはずだ。しかし、この女は頭が弱いんじゃないかと、リュミネは思っていた。


 何度か情を通じあい、娼婦らしからぬ控えめな性格が気に入って、「おまえみたいな女と田舎で所帯を持ちたい」と言ってみたところ、リジィはなんでもリュミネの言いなりになるようになった。


 金が必要だとなれば、いくらでも貢いでくるし、「集会が終わるまでは邪魔だから、どこかへ消えていろ」と命じれば、文句も言わずに部屋からでていく。


 おかげで彼女は借金まみれになった。


 しかし、リュミネは一度だって、彼女に借金を強要したことはない。ただ、情事のあとで請求書や督促の手紙を見ながら、ため息をついただけだ。


 リジィはリュミネのもとへたどりつくと、彼の手を取り、強くひっぱった。


「兵隊は憲兵よ。

 抵抗するものは誰であろうと射殺しろという命令が出てるみたい。台所の下働きの男が、窓から逃げようとして撃たれたわ。

 やつらは、花街の住人のことを虫けらだと思ってる。

 ここにいたら、あなたは殺されてしまう!」


「どこか、逃げ道はないか」


 リジィは、悲鳴や足音におびえながら、あたりを見まわした。


「外は無理。一階の道路に面したすべての部屋の窓には、娼婦の逃亡を防ぐための鉄格子がついているし」


 しばらく考えたリジィは、なにかを思いついたらしく、リュミネの手をひいて走りだした。


 ひとつの扉の前にたどりつく。


 そのなかは薄暗くて狭い使用人専用の階段だった。


 リュミネの手をひきながら階段を登り、リジィは言う。


「仲のいい売れっ子の部屋に、かくまってもらうわ。

 彼女の広い部屋になら、身をかくす場所が、いくらでもあるの。

 夜が明けるまで、そこにかくれていましょう」


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