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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
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因縁のはじまり … 4

 そのころ、モナと王都一の美女とうたわれる高級娼婦のフィオーラは、重い沈黙を返上して、ふたたび楽しい会話を始めていた。


「わたしには苦しんでいる花街の女の人たち全員を救うほどの力はとてもないけれど、年季があけたあと春を売る生活から離れたいと思っている女性何人かにだけなら、手を貸してあげることができるかもしれないわ」と切り出したモナは、フィオーラに冷たいクリームを売りにするカフェの女店主を、何人か募りたいという話をしたのである。


「『ポワンの宵の花亭』くらいの大店おおだなに勤めた経験がある女性なら、読み書きも計算もできるし、社会経験も豊富だし、男の嫉妬のかわし方も心得ているしね」


 そこまで話して、モナは顔をしかめる。


「女の商売が繁盛するとねえ、必ずといっていいほど、同業者の男から嫉妬を買うのよ。

 仕事がらみの男の嫉妬って、とっても醜いわ。

 わたし、夜道や人気のない場所で、乱暴されそうになったこともあるのよ。一発殴れば、女はひるむとでも思ったんじゃないの?

 もちろん、返り討ちにしてやったけど」


 フィオーラは大喜びで笑った。


「さすがは、モナだわ。相手の男性がどんな目にあったか、眼に浮かぶようよ」


「あら、ちょっと刃物をつきつけて、出るところへ出ようじゃないのって、脅しつけただけだわよ。

 それでねえ、その手の男の人って、どいつもこいつも逃げるときに、お約束みたいに『覚えてろよ!』って言うのよねぇ」


「ちょっと、モナ。

 どいつもこいつもって、そんなに何度も、危ない目にあっているの?」


 声を立てて笑っていたモナは、しまったとあわてて、口をおさえた。


 あきれたフィオーラが、モナをたしなめる。


「あなたは、あなたに護衛をつけるお兄様や、あなたの行動があまりに突飛だからと心配なさる王子殿下を、うるさがっていらっしゃるけれど。

 でも、めんどうくさいという理由で、侯爵家の護衛をまいてしまったりするあなたにも、問題はあると思うわ。

 もうすこし、御自分の立場を自覚なさらないと。

 あなたは国家の要職に就かれているヴィダリア侯爵様のご令嬢で、王子殿下の妃候補とされるお姫様なのでしょう?

 いままで、あなたに狼藉ろうぜきを働いた男たちが、お父様の政敵や、あなたを王子殿下の妃候補から追い落としたい人がよこした刺客でなかったのは、単に幸運だったからではなくて?

 そういう人たちは物陰から、あなたを銃で撃ったりするのよ?」


 だってと、モナはふくれる。


「銃で狙われたら、護衛がいっしょにいたって、意味がないでしょ。

 むしろ、わたしを逃がそうとして、死ぬ人が出たりするから。

 そういうの、嫌なのよ!」


「まさか、そういう目にあったことが、すでにあるというの?」


 黙りこんだモナは、ソファーの上で身を固くして、床をにらんでいる。


「ああ、モナ。ごめんなさいね。

 あなたの気持ちも考えずに、さも、わかったようなことを言ったりして」


 ソファーへ席をうつして、フィオーラはかたくななモナの身体を自分のほうへ抱きよせて思った。


 このお姫さまは、自分が思っているほど、世間知らずではないのかもしれないと。


 何度もまばたきをして、目じりにたまった涙をこぼすまいとしているモナは、きっと過去に体験した出来事を思い出しているのだろう。


 逃れられないしがらみにからみ取られて、娼婦になるしかなかった自分を、かなり不幸だとフィオーラは思っていたけれど。


 本当は、生きることが辛くない人間なんか、一人もいないのかもしれない。


 そっとフィオーラが滑らかな黒髪をなでていたら、モナの身体のこわばりは、すこしずつ解けていった。


 暗がりを見つめていたモナが、悲しげにつぶやく。


「ねえ、フィオーラ。

 どうして人は、争わずにはいられないのかしらね?

 家族を愛するのと同じ気持ちで、隣人を愛せるようになれればいいのに。


 そう思うと、わたしは、家の中でじっとしていることができなくなるの。

 わたしのような立場の女は、家の中でおとなしくしておくべきなのかもしれない。

 そのほうが、周囲の人には、迷惑をかけずにすむもの。


 でも、わたしは知っているのよ。

 プレブナンの下町には、助けを必要としている人が、いっぱいいるの。

 その人たちを、すこしだけでも助けてあげる方法があるのも知ってる。

 それに、わたしは侯爵家のお姫さまで、ある程度お金も動かせるし、いろいろな知識もあるわ。

 その力を使えば、普通の人にはできないことが、できるのも知ってる。


 だから……、ね。


 知っているのに、何もしないでいることは、わたしにはできないの」


 ――なんて素直で、可愛らしい人なのだろう……!


 フィオーラは腕の中のお姫さまを、強く抱きしめた。


 きっと彼女は、心から彼女を思いやる大人たちから、愛と導きをたっぷり受け取って育った人なのだ。


 彼女の家族や友人が、苦笑しながら彼女を見守る気持ちが、わかったような気がする。


 そしてモナは、その人たちから自分が受け取ったものを、また誰かに渡さずにはいられないのだろう。


 そうやって愛情の絆をつないでいけば、人はみんな幸せになれるのに、愚かな人間は、争うばかり。


 かすかに空気が動き、娼婦の部屋の枕辺を照らす、ほの暗い明かりがゆらぐ。


 フィオーラは顔をあげた。


 扉の外に、複数の人の足音が聞こえた。


 その足音は、フィオーラの部屋の前で止まる。


「フィオーラ。わたしだよ。

 ちょっと、ドアを開けてもかまわないかね」


 『ポワンの宵の花亭』の主が、ドアのむこうから低い声でたずねてきた。


 娼婦の部屋は、いつでも他人の閨房だ。店の主は、それを心得ているから、来客中の娼婦の部屋へ入るときには、とても気を使っている。


 モナがフィオーラの腕の中から身をはなす。


 彼女の横顔には軽い緊張があった。


 左手は、いつでもスカートをたくし上げられる位置へ移動する。


 街へ出るときモナのスカートの下には、いつも細身の剣がかくされている。


 その秘密を、フィオーラは知っていた。


 目で、モナに「いいかしら?」とたずねてから、フィオーラはドアの外にむかって言う。


「どうぞ、お入りになって」


「では、入るよ」


 開いたドアのむこうから足早に室内へ入ってきたのは、店の主ではなく背の高い軍人だった。彼の服装は裕福な階級の平民のものだったが、一目で軍人だとわかるほど、彼の行動そのものには警戒心が満ちていたのだ。


「アレン!」


 モナが見知った青年の名を呼ぶ。


 ひととおり室内の検分をすませてから、青年は、にやりと笑った。


「こんばんは、モナさま」


 そして、部屋の外へ呼びかける。


「どうぞ、殿下」


 呼びかけに応じて室内へ入ってきた人は、不満そうな顔を青年士官にむけた。


「いちいち、大げさだ」


 青年士官は、しれっと答えた。


「検分もしていない袋小路めいた場所へ殿下をおつれする勇気は、俺にはありません。

 これをするなとお命じになるならば、もう殿下のお供はお断りです」


「いまさら、つまらない労力を使う気はないさ。どうせ何を命じたところで、おまえは、わたしの言うことになど、したがいはしないんだ」


「俺の忠誠心を信じていただけないとは、心外ですね」


 フィオーラはソファーの上で固まってしまった。


 殿下と呼ばれた若い男は、淡い金色の髪と水色の瞳の持ち主だった。すこし憂いをふくんだ表情を宿した彼の顔は怖いくらいに整っており、姿勢のよい立ち姿には威厳が満ちている。


 そういう男の噂を、フィオーラは嫌になるほど、モナから聞かされていたのだ。


 恐れおののいて固まってしまったフィオーラのとなりで、モナは勢いよく立ちあがった。


「ちょっと、どういうことなの!?

 王子殿下が、こんなところに現れるなんて、ありえないわ!

 アレン。あなた、どうしてリアンを止めないのよ!」


 つめよられた青年士官は、天を仰ぐ。神々よ、どうぞ、あわれな王子を助けてやってくださいと。


 案の定、モナはアレンのそばから離れ、つぎはローレリアン王子へと迫っていく。


 すみれ色の瞳がきらきら輝いて、怒ったモナの横顔は、やけにきれいだなあと、アレンは思った。王宮からここへ直行してきた彼女は、娘らしくて綺麗な形に髪を結っていたし、化粧もしていた。もうおたがいに、子供ではないのだ。


 両の足で床をしっかりとふみしめ、モナは人差し指で王子の胸を突いた。


「だいたい、あなたの横暴が、ことの発端なのよ?

 王子の権力でわたしの行動をしばろうとするから、わたしは反発するんだわ!

 わたしだって、自分の立場くらい自覚してるの!

 必要な情報を集めたり、お友達との仕事の打ち合わせをすませれば、しばらくはおとなしくしているつもりだったわよ!

 なのに、どうして――」


「黙って、モナ」


 自分の胸に突きつけられたモナの手を、王子は強く握りしめた。


「きみは、本当に自分の立場を自覚しているのか?

 なぜ、王子のわたしが、ここへきみを迎えに来たと思っている?


 今夜、ここには宰相の命令を受けて、憲兵隊総監リンフェンダウル男爵が率いる一軍がおしよせる。きみがもたらした情報のおかげで、革命派の集会が今夜もあると、発覚したからね。

 そんな場所に、きみの兄上や、わたしの腹心の部下を、単独で来させるわけにはいかないだろう。

 もし、現場の乱戦に、彼らが巻き込まれてみろ。

 場合によっては、ヴィダリア侯爵の政敵に攻撃の口実を与えるかもしれないし、わたしはわたしで、腹心の部下を失う。


 きみの父上は内務省の長官で、わたしに政治の中枢の動向を逐一ちくいち知らせてくれる最大の協力者の一人だ。

 わたしをこの国の最高権力者にしたくない連中は、きみの父上を追い落とすチャンスも、虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。

 きみは、そういう立場にいる女性なんだ。


 きみの存在は、すでに国の未来にかかわる存在なんだよ。

 名門侯爵家の姫君として生まれ育つとは、そういうことなんだ。

 だから、護衛を街中へ置き去りにしたり、一人で危険な場所へ出入りしたりしないでくれ。

 きみの身におよぶ危険は、きみだけの問題ではすまない」


 最初の勢いはどこへやらで、モナはローレリアンに手を握られたまま、うなだれた。


「ごめんなさい。

 わたし……、かっとなって、そこまで深くは考えてなかった……。

 わたしの行動が、国の未来に、かかわるなんて……。」


 アレンがローレリアンをたしなめる。


「その言いぐさは、公平ではないな。

 リアンはここへ冷静な判断力に定評があるリドリー・ブロンフ卿を派遣しようとしたけれど、宰相とやりあって、しくじったんですよ。その後始末を、しなくちゃならなくなったわけで。

 無関係な人間が銃撃戦に巻き込まれるなんて、悲劇は避けたいでしょう?


 それに、リアンに行動を起こさせたのは、まちがいなくモナさまなんだ。

 モナさまがここにいなけりゃ、リアンは行動を起こさなかった。

 なにしろ、こいつは王子殿下ですからね。

 なにもなさないうちに自分が死んだら、ローザニア王国のお先は真っ暗だって判断する程度の、自制心は持ち合わせてます」


 硬直が解けたフィオーラは、ソファーの上で優雅に身体をしならせて、嫣然えんぜんと微笑んだ。


「つまり、殿下の自制心は、モナさまのために、吹き飛んだというわけですのね?」


 アレンも笑って答えた。


「そのとおりですよ。

 俺はモナさまに感謝しますけどね。

 殿下はきっと、ここに来なければ、無関係な人を銃撃戦に巻き込んだのは自分だとして、もんもんと悩むに決まってるんです。

 こいつは陰気になると、際限がなくて。

 そばに仕えている俺たちは、たまりませんよ」


「アレン、おまえ――」


 怒ったローレリアンが文句を言おうと身構えた瞬間、階下でなにかが壊れる大きな音がした。その音のあとに、大勢の足音と男たちの怒声が響き渡る。


「はじまってしまったか!」


「そのようですね」


 シムスが廊下にいた『ポワンの宵の花亭』の主を部屋の中へおしこみながら言う。


「自分が扉の前に立ちます」


「そうしてくれ。

 ここは下手に出歩かないほうがいい。まさかリンフェンダウルの部下も、出会う人間すべてを、無差別に撃ったりはしないだろう。

 わたしといっしょにいる限り、この部屋の中の人間は安全であるはずだ」


「そうであるといいんですがね」


 それだけ返し、シムスは部屋のドアを閉じた。


 すでに階下では、何発か発砲の音がしている。


 腋の下のホルダーから、銃を抜き取って点検をする。ポケットの弾薬ケースから紙薬莢と雷管もいくつか取出し、いつでも手にとれる状態にして、シムスはぼやいた。


「リンフェンダウルが乗り込んでくる前に退散したかったけれど、やっぱり世の中つーのは、そんなに甘くはなかったな。

 がんばれ、俺。

 王国の未来は、なにがなんでも、守らなくちゃなんねーんだからな」

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