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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
22/78

因縁のはじまり … 3


 反政府活動家のジャン・リュミネは、日が暮れてあたりが暗くなったところを見計らって、裏口から『ポワンの宵の花亭』に入った。


 歓楽街の表通りに店を構える高級娼館では、裏口も立派な玄関あつかいだ。背徳行為にふける館へ出入りしているところを知り合いに目撃されたくない紳士は、世間にいっぱいいるのである。


 裏口から店に入ると、社交サロン風の造りになっている表の待合室を通らずに、一階に部屋をもつ娼婦のもとへ直行できる。


 王都でも名だたる美姫を寝所に侍らせたいのならば、表の待合室で金をばらまいて自分の羽振りのよさを証明しなければならないが、なじみの娼婦と気心知れた夜を過ごしたいのなら、裏口経由が便利である。一階に部屋を割り振られている娼婦は、容姿が平凡だったり、少々年増だったりするが、その気楽さを楽しみに通う常連客も多いのだ。


 裏口でなじみの案内係に小銭をわたし、懇意にしている娼婦の部屋へむかう。


 案内係の後ろを歩きながら、この娼館の内装は、最近台頭してきた平民成金連中の館とそっくりだなと、リュミネは思った。


 できるかぎり豪華に煌びやかに、という意図はわかるのだが、時代も題材もがちがう統一感のない絵を並べてかけていたり、柱や手すりの装飾に金箔を多用しすぎたりする悪趣味さからは、主の教養の程度が知れてしまう。


 主義や信条が、まったく感じられないのだ。


 廊下のそこかしこに飾られている美術品や骨董の類からは、金にあかしてそれらを集めた人間の、浅薄な虚栄心だけが伝わってくる。


 しばらく歩いて、いつもの部屋の前にたどり着く。


 案内係が立ち去るのをまってから、リュミネは静かにドアをたたいた。


「俺だ」


 短く名乗りを上げると、ドアが細く開く。


 相手の男は、かなり緊張しており、早く入れとリュミネに手振りで伝えてきた。


 男にひっぱりこまれるような形でリュミネが部屋へ入ると、そこに集まっていた十人足らずの仲間が、いっせいに詰め寄ってきた。


「どういうことだ、ジャン」


「今日を限りに、しばらく集会を見合わせるとは」


「官憲に、何か感づかれたのか」


「危険はあるのか」


 矢継ぎ早に発せられた問いは、かくしきれないあせりで、どれもうわずっている。


 リュミネはゆっくりと、部屋の中を見まわした。


 中央のテーブルには葡萄酒のグラスが並べられ、簡単な料理も取りよせてある。


 貴人を相手にする高級娼館の名にふさわしく、ここでは望めばどんな時間の過ごし方も可能なのだ。


 話題が豊富で教養高い美姫たちが褥の相手をしてくれるし、心ゆくまで楽しい酒の相手も務めてくれる。


 時には詩の韻文をたわむれに重ね、楽器を奏でて即興の音楽をつけたり、自分の裸体の絵を描かせたり、ついさっきまで劇場の桟敷でともに鑑賞していた演劇の批評に興じたりも。


 必ずしも男と床をともにしなくとも満足できる時間を提供できるのが、高級娼婦というものなのだ。


 だから、リュミネ達の集会は、いままで小規模な紳士の親睦集会として、店主から黙認されてきたのだが。


「だいじょうぶだ、落ち着け。

 ただ、この部屋の持ち主のリジィという女が、借金のせいで、この店から追い出されそうな雰囲気でな。

 ここは、なかなか居心地の良い集会所だったが、そろそろ潮時ということなんだろう」


「なんだ、そういうことか」


「あせって、そんをした」


 安堵した様子の仲間たちを、リュミネは苦々しい気持ちで観察した。


 この連中との付き合い自体も、そろそろ潮時なのかもしれないと思う。


 仲間たちのうちの何人かは、ローザニアの将来を語る青年達の集いが、しだいに宰相や政府を批判する地下出版物を発行する組織へ変わっていったことに怖気づいていた。


 だれよりも熱心に批判を口にしていたやつほど、自分の立場を気にしている。


 徒労感でリュミネの思考は、どうしても後ろむきになる。


 こいつらはみな、学生崩れや、中産階級出身のインテリばかりだ。言論に訴えて情報を得られない人々に危機感をもってもらおうとは考えても、みずからの手を血に汚してまでして、実力行使をしようと考える者はいない。


 期待倒れも、いいところだ。


 苦労して集めた仲間だったのに。


 こいつらは、理想論を唱えていれば、だれかがかわりに行動してくれるとでも思っていたのだろうかと。






     **   **   **







 『ポワンの宵の花亭』に正面から入っていったローレリアン王子一行は、まず社交サロン風のつくりになったロビーで足止めされた。


 この店は王都でも指折りの高級娼館である。初めてここへ訪れた客は、自分が金回りの良い上客であると証明しなければ、つぎの段階には進ませてもらえないのだ。


 こちらへどうぞと案内されたのは窓際のすみの席で、どうやら彼らは服装から、金持ちの平民の息子であるとクラス分けされたようだった。


 部屋の中央で優雅に奏でられている音楽を聞きながら、シムスが言う。


「うーん。楽団からも遠いし、女の子もよってこない。

 近衛士官の制服を着てこの手の店に来ると、もう少し上席に案内してもらえるんですがねえ。近衛隊には、けっこう大貴族の子弟がゴロゴロいたりしますから」


 ぼそりと、アレンが答える。


「軍服をくだらない目的に使うな」


「やだなあ、隊長は。野暮やぼなこと、言わないでくださいよ」


 周囲を観察していたローレリアンが、変装用の眼鏡を外しながら、うなずいた。


「なかなか、わかりやすいシステムになっているようじゃないか。

 明らかに貴族らしい派手ななりの客には、すぐに接客係の案内がつく。

 会社の経営者や羽振りの良い商売人風の年配の男には、とりあえず酌女がついて、しばらく酒や会話でもてなしたあと、格付けが決まって、ご案内だ。

 では、われわれ若造には?」


「ここのシステムを実体験してみたいところですが、今夜は時間がないですから、はしょりましょう」


 真面目な顔になったシムスは椅子から立ちあがり、すぐそばを通り抜けていこうとした男の召使に声をかけた。


 まるで宮廷に仕える従僕のような衣装を着た召使は、尊大な態度で立ち止まった。


 なにか飲み物でも欲しいのかね、若いの、といったところ。


 しかし、シムスから小さなカードを一枚受け取ったとたんに、召使の顔色が変わる。


 その顔色の変化を楽しんでいるシムスは、わざと怒ったような声で言った。


「いますぐ支配人なり店主なり、ある程度権限がある人物を、ここへ呼んでくるように」


「はい、ただいま!」


 シムスから命じられた召使は、その場からかけだし、わずか数分で立派な身なりの初老の男をつれてもどってきた。『ポワンの宵の花亭』の主である。


 主は震えあがっていた。シムスが召使にわたした小さなカードには、王家の紋章が刻印されていたのだ。


 そのカードを見て、急いでかけつけてきたら、どうだろう。


 窓際の椅子では、一人の青年が優雅な様子でくつろいでいた。


 その椅子の左右には、服装こそ普通の裕福な平民と同じようなものを身に着けているが、いかにも軍人ですといった雰囲気の、冷たくて無表情な顔をした男が二人立っている。


 店主のおびえは、ますますひどくなった。


 青年は、淡い金色の髪と水色の瞳の持ち主だったのだ。


 現在の王家で、その容姿をもっている青年といえば、一人しかいない。


 店主が目の前にかしこまると、青年はあでやかに笑う。


 なんと鮮烈な笑顔であろうかと、店主は思った。


 この方が、わがローザニア王国の未来をになうと噂される、ローレリアン王子殿下なのだ。


「こっ、このような場所へ、たつとき御方の、おみ、おみ足をお運びいただき……」


 震える声で店主が拝謁はいえつをたまわった感謝の口上を述べようとすると、王子はそっと人差し指を唇の前にたてた。


「わたしは、ここに来たことを、だれにも知られたくないのです。察していただけますね?」


 店主は平身低頭である。


「は、はい! もちろんでございます!」


「こちらに、わたしの大切な友人が来ているということなので、つれ帰りたいと思いましてね」


「ご友人さまですか」


「ええ、すみれ色の瞳の、若いご婦人です」


 恐れおののく店主の頭のなかで、ぴかりと、ひらめきの光がまたたいた。


 聖職者のくせに女性とダンスに興じる浅はかな男だとして、ローレリアン王子を非難する意図で書かれた反政府宣伝パンフレットの『踊る神官』は、いまでは王都の庶民のあいだで大流行中の読み物だった。王族の生活の様子など想像することすらできない街の住民にとって、王子と侯爵家の姫君の恋物語は、じつに楽しい読み物であったのだ。


「あっ、ああ――っ! はいっ、おいでになられておられます!」


 王子はすこし、こまったように笑った。


「彼女はとても楽しい友人なのですが、ときどき周囲を驚かせるような行動にでる人で。

 今夜も、こちらへいらっしゃるとうかがい、いよいよ直接、危ないことはしてくださるなと、お願いするつもりになったのです。

 彼女のもとへ、案内していただけますか」


「もちろんでございます。お望みは、なんなりとうけたまわります」


 店主はかしこまりつつも、御苦労はお察しいたしますよといった態度になった。


 それを見ると、心おだやかならぬローレリアン王子である。


 おそらく店主の頭の中では、『ポワンの宵の花亭』にモナが初めて訪れた日の騒ぎが、鮮やかに去来きょらいしているのだろう。それがどんな騒ぎだったかについての詳細をローレリアンはまったく知らないのだが、だいたい想像できてしまうあたりが、恐ろしいのである。


 椅子から立ちあがり、王子は店主の耳元でささやいた。


「ありがとう。

 お礼に、ひとつだけ、よいことを教えてあげましょう。

 今夜はもう、店にお客を入れるのは、おやめなさい。適当な言い訳をして、帰っていただける方には、帰っていただくのもよろしいでしょう。

 それが難しければ、一階にはお客を入れないことです。

 あなたは今日、お金をもらって、ある人の質問に答えましたね。

 その結果が、もうすぐここへ、やってきますから」


 主の声は、派手に裏返った。


「く、来るのですか! それも、今夜!?」


 王子は胸元で、聖なる印字を切って見せる。


「あなたが王宮へもたらした情報は、さる方を、たいそう怒らせてしまったのですよ。

 しかし、わたしは聖職者ですので。

 そのような騒ぎに無関係な人が巻き込まれるのを見るのは忍びない。

 わたしは、わたしの良心に従って、あなたに忠告するのです。

 それをどう受け止めるかについては、あなたにお任せいたします」


「感謝申し上げます! 感謝申し上げますとも!

 やはり王子殿下は噂に名高いとおり、わたくしたち国の民を、慈愛をもって導いて下さるお方なのでございますね!

 かつて、わたくしどものような、世間から卑しいと見下される職につく人間へ、あわれみをかけてくださる高貴なお方など、いらしたでしょうか!

 真実、感謝申し上げます!」


 感極まった『ポワンの宵の花亭』の主はひざまずき、王子の上着のすそを手にとって口づけた。


 かたわらに立つシムスが、冷え切った声で言う。


「お許しなく殿下に触れてはならん!」


 もう一人の護衛官『王子殿下の影』は、もっと冷たい。


 シムスの声におびえてあとずさり、上目づかいで王子の様子をうかがった主は、腰を抜かしそうになった。


 王子の背後に立つ近衛士官の手には、すでに短銃がにぎられていたのだ。その武器の先端は、まっすぐ主にむけられていた。


「アレン。ぶっそうなものを見せびらかすな」


 不快をあらわにする王子に、アレンは淡々と答える。


「これが、俺の役目です。王子殿下の身に危険がおよびそうになれば、相手がだれであろうと問答無用で撃ちます」


「その心意気は、ありがたいと思うがね。

 見てごらん。

 ほかの人たちを、驚かせてしまっているではないか」


 王子がぼやくそばから、あちこちで悲鳴やら、ガラスが割れる音やらが聞こえてくる。

 浮世の憂さを晴らしにきた高級娼館で、銃を持った人間に出会えば、だれだって驚くだろう。気の弱い者は、早々に出口を求めて逃げ出そうとしている。


 シムスがつぶやく。


「今夜の摘発は、失敗になりますかね?」


 アレンは鼻で笑った。


「嗜虐趣味をもつリンフェンダウルに、手柄を立てさせてやることはない。

 今夜の摘発が失敗したところで、殿下の高名に傷はつかん。殿下は武力行使に巻き込まれそうな下々の者に、同情をよせられただけなのだからな」


 ローレリアン王子は、唇の端をゆがめた。


「わたしがリンフェンダウルの邪魔をしたと、宣伝してどうする。

 おまえ、覚悟しておけよ。

 あとで、たっぷり説教だ」


「ご随意に。

 そもそも殿下がこの店の主に警告なさった段階で、かくしごとは不可能な状態になったのだと、反論してさしあげますよ。

 こっそりモナさまをここから連れ出すだけにしておけば、あとでとがめられても、モナさまを迎えに行ったのは王子ではないと、とぼけることもできたのに。

 喧嘩上等です。

 受けて立ちましょう」


 上司の言うことは正しいと、副官のシムスがうなずいている。


 それを見て、やや分が悪くなったなと思った王子は、とぼけにかかった。


「まあ、このあたりで、目指す目的は同じでも、宰相とわたしでは基本的な考え方がちがうのだと、表明しておくのも悪くはなかろう。

 それが、自分の失敗を発端として、やむなく動いた偶発的な行為の結果として生まれたものだというところは、気に入らないがね」


「たく、殿下は、あいかわらず理屈っぽい。

 さあ、早いところお転婆てんば姫さんを捕まえて、とっとと、ここから退散しましょう」


 王子と護衛官たちの会話を聞いて、『ポワンの宵の花亭』の主は床にへたりこんだまま、目を白黒させている。


 思わず苦笑いした王子は、主に言った。


「すまないね。

 王子と呼ばれるわたしだって、しょせんは、ただの人間なのだよ。側近の者は、よい喧嘩相手だし、失敗すれば叱られもする。

 だから、わたしのようなものに、ひざまずいたりしてはいけない。

 最大級の敬意は、本当に尊敬できる人と出会うときまで、あなたの心の中にしまっておきなさい」



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