因縁のはじまり … 2
大急ぎで王宮から街へ降りたローレリアン王子と護衛の士官二人は、日が暮れてから間もないうちに、歓楽街へたどり着いた。
馬を預り所に預け、こっちですと案内するシムスのあとについて、一行は目抜き通りの人ごみを通り抜けていく。
意外にも、シムスは役に立つ男だった。
麦わら色の髪と琥珀色の瞳を持つ若手近衛士官の彼は、歓楽街の女たちのことを、よく知っていたのだ。そこそこ二枚目の顔と明るい性格のせいで、彼はどこの店にいっても女たちから大歓迎されるのだという。
要するに、遊びなれているのだ。
その事実を知った上司のアレンは、無愛想に拍車がかかったような仏頂面だった。
彼はローレリアン王子に仕えたいがために士官学校で勉強と鍛錬に明け暮れていたから、青春期の一番大切な時期に、まったく遊んでいないのである。
いまだって、まだ18歳なのだから、彼は青春期にあると言っていい。
けれども、今度は彼の任務が、遊ぶことを許さない。
責任ある仕事を任され、十数人の部下を持ち、毎日忙しくすごしていることは、アレンの誇りである。
しかし、「あの店のミロちゃんは、歌がうまいんですよ~」などと浮かれている副官を見ていると、なんとなく面白くないアレンなのである。
しかも、いつもアレンが心配してやっているローレリアンまでが、なんだか失礼なのだ。変装用の伊達眼鏡を鼻の上でずらして、小馬鹿にしたような視線でアレンを見てくる。
「アレン、そのふてくされた顔を、なんとかしろ。我々は、歓楽街に遊びに来た若者なんだぞ。若者は若者らしく、この浮かれた街の雰囲気を楽しまなければ、怪しまれるだろう」
アレンは、ふんと、鼻を鳴らした。
「リアンだって、こんな場所に来るのは初めてじゃないのか。
おまえが育った学問都市のアミテージには、こういった雰囲気の街はなかっただろう」
それぞれの店が灯す明かりが乱反射して煌めく大通りを見渡しながら、ローレリアンは言う。大通りは夏の夜を楽しもうとする人々で、おおにぎわいだった。
「歓楽街はなかったが、娼婦はどこの街にでもいるさ」
「へー、まるで経験があるみたいな言い草だな」
ローレリアンは、はたと、立ち止まった。
「アレン。いちおう確認しておくが、わたしは童貞ではないぞ」
「はいっ?」
立ち止まったローレリアンの背中にぶつかりそうになったアレンは、あわてて後ずさる。
その、あっけにとられた青年士官の顔を見て、ローレリアンは、にやりと笑った。
「一国の王子が、22の歳まで、その手のことを知らずにいるわけがないだろう。
わたしの初体験は悲惨だぞ。
16のとき、大叔父の命を受けた者に連れていかれたどこぞの貴族の別邸で、待ち構えていたその道のベテランの女に、手取り足取りされてだな。
それでも、いたしてしまえるところが、男の悲しい性というもので」
「~~~~~~!」
赤くなって開いた口を閉じられずにいるアレンは、とても国一番の剣士には見えなかった。
ローレリアンはやれやれと肩をすくめ、かたわらのシムスに目をやった。王子と同じ年の青年士官も、あきれた顔をしていた。
小声で、ローレリアンは言う。
「シムス、御苦労だがな。次の公休日がきたら、こいつを適当な店へ連れていってやれ。
純朴な田舎青年が尻込みしたりせずにすむように、店は吟味するんだぞ」
「はいっ、了解です!」
完全に任務を忘れた護衛隊長は、わめきまくった。
「なんだなんだ、おまえらは、二人で勝手に納得しやがって!
だいたい、リアン! きさまは、聖職者だろうが!
汝、姦淫することなかれとか、いわねーのかよっ!」
「アレン、娼婦はローザニアの神教聖典が成立したとされる時代より、もっと古い時代から存在する職業だ。
聖典は結婚を神聖なるものとして位置付けているが、娼婦の存在には言及していない。社会の秩序を維持していくためには、ある程度の必要悪を認める度量も必要だってことさ。
もっとも、人身売買は恥ずべき行為だと思うから、わたしも何とかしたいとは考えている。
労働には正統なる対価を。
それが、わたしの目指している国の在り方でね」
「ああああっ、おまえと話していると、時々俺は、頭がおかしくなるような気がする!」
「まあまあ、隊長、落ち着いてください。ほら、目的の店に着きましたよ」
シムスがさし示した店は、立派な作りの旅館に見えた。
この店が娼館であることを示すのは、重厚な鋳物で作られた『ポワンの宵の花亭』という看板だけである。
この界隈で店名に『花』をつけて名乗るのは、その手の店ですよという隠語のようなものなのだ。
「さて、どのようにして店に入りますかね?」
シムスの質問に、ローレリアンはあっさりと答えた。
「正面から、堂々と」
「はいはい。では、まいりましょう」
ものなれた副長は、さっさと店の正面の階段を登っていく。
ローレリアンは後ろを歩くアレンに言った。
「ここからは、思うぞんぶん、無愛想な顔をしていていいぞ。
わたしは王子にもどる。
おまえは『王子殿下の影』でも『氷鉄のアレン』でも、なんでもいいから、それらしくふるまえ」




