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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第四章
20/78

因縁のはじまり … 1

 王都プレブナンの花街は、王宮がそびえる高台から離れた商業地区の外れあたりにあった。


 そのあたりは王都の不夜城と呼ばれる歓楽街で、広場や表通りには、大きな劇場や深夜まで営業している飲食店が建ち並んでいる。夜の客を自分の店へ招きよせるために、それぞれの店が軒先に煌々とランプの明かりを並べており、その輝きはガラスに反射して虹色にきらめき、目が眩みそうになるほどだった。


 歓楽街をいきかう人々は、それぞれに粋な夜の装いを凝らしいる。


 まばゆい明りの中をゆったりとそぞろ歩く人々には、明りがない夜など想像もつかないのだろうなとモナは思う。


 同じプレブナンに住んでいても、下町の住人はランプの油を買うことすらままならず、夜の闇に怯えながら暮らしているというのに。


 モナが窓から見下ろしているのは、歓楽街の表通りだ。道行く人々の服装は、どれも贅沢なものである。


 金回りのよい男たちが利用する娼館は目抜き通りにあって、建物の外観はまるで高級旅館のように見える。金持ちの男たちには、対面というものがあるからだ。


 本当の意味での花街は、表通りから幾筋も別れている細い路地や裏道に存在する。


 そのような道は、入り口から中をのぞいただけで見分けられる。


 いわゆる春を売る女たちが路上で客引きをしていたり、酔った男たちが徒党を組んで騒いでいたりするからだ。


 さすがのモナにも、その本物の花街へ入っていく勇気はなかった。


 それに、彼女が知りたかったのは高嶺の花として男たちから奉られ、けんを競う美姫たちのファッションセンスだ。


 普段から金持ちの男の相手しかしない高級娼婦たちは、男たちに貢がせた金で身を飾り、ときにはそれらの男たちの要望に応えて、いっしょに劇場へ出かけたり、高級レストランで食事を共にしたりする。


 貴族や平民でも裕福な階級に所属する女性は、そんな高級娼婦を軽蔑しきった目で見ていたが、彼女たちの装いには、いつも注目している。


 男を夢中にさせる高級娼婦たちの装いは、大胆で斬新なのだ。貴婦人たちの間の流行が、高級娼婦の装いの真似から始まるのは、よくあることだった。


 だからモナは、高級娼婦と懇意になりたいと願ったとき、迷うことなく歓楽街で一番立派な旅館に見える『ポワンの宵の花亭』に突撃をかけたのだ。


 もちろん、昼間にだったが。


 高級娼館に出入りしている男たちに恥などかかせたら、どんな報復をされるか、わかったものではない。


 高級娼館のロビーにいるところを一般の女性に見られただけで、侮辱を受けたと感じる男もいる。金や権力を持った男のプライドは、山のごとく高く、岩のごとく硬いのだから。


 そんなわけで、昼過ぎをねらって「この店で一番の人気をほこるご婦人と、お話しをさせていただきたいの」と、いかにも空気が読めていないとぼけた発言をしながら『ポワンの宵の花亭』に初めて訪ねて行った日、モナは店の用心棒によって外へつまみ出されそうになった。


 しかし、用心棒はモナをつまむことすらできなかった。


 彼女は、ひらり、ひらりと、用心棒の手をかわしつづけ、ひざの裏にちょいと蹴りを入れて大の男を転がして見せたり、かけのぼった階段を、手すり伝いに滑り降りて見せたりしたのである。


 初対面の相手に失礼があってはならないと、きちんとしたドレス姿で身を飾っていたにもかかわらずだ。


 その雄姿を見た娼館の女たちは大喜びした。


 彼女たちにとっては、男を手玉に取る女こそが、いい女の条件である。


 何の騒ぎだとロビーへ集まってきた女たちは、モナにやんやの喝采を贈った。


 そして、モナは望み通り、プレブナンの花街で一番の美女として名高いフィオーラと友達になったのだ。


「それで? あなたは王宮からご自宅へ帰る道の途中で、ここへよったと、おっしゃるの?」


 そのフィオーラに話しかけられて、モナは部屋の中のほうへ体の向きを変えた。


 目抜き通りに面した二階にあるこの部屋は、『ポワンの宵の花亭』で、もっとも豪華な部屋である。


 金と赤に彩られた部屋の中で、部屋の主のフィオーラは純白のドレスに身を包み、優雅なしぐさで茶器をあつかっている。


 その色の落差が、じつに美しいのだ。


 男女の駆け引きについては百戦錬磨の手管を持つはずのフィオーラが、可憐で清楚なお姫様のように見えるから恐れ入る。


 茶碗に注いだお茶をフィオーラから受け取って、モナは言った。


「そうよ。それに、このブラウスの出来栄えも、フィオーラに見せたかったし。

 やっぱりレースを引き立てて見せる方法を、あなたに相談したのは大正解だったわ。

 それはともかくとして、なにしろいろいろ悔しかったから、今夜のここの花代は、兄のロワールのつけにしてやったわ。

 兄様ったら、ひどい。

 リアンに、わたしの行動をばらすなんて!」


「あのね、モナ」


 フィオーラは苦笑する。


「あなたのお兄様も、王子殿下も、純粋にあなたのことを心配しておいでになるのではなくて?」


 モナは、つんと、そっぽをむく。


「余計なお世話だわ。

 人身売買なんかに手を染めた悪い街の顔役が幅をきかせている花街の奥まで行くならともかく、『ポワンの宵の花亭』で、お友達の貴方とお茶を飲むことの、どこが危ないっていうの?」


「危なくはないけれど、ここに出入りしていることが世間に知れたら、あなたの評判に傷がつくでしょう。

 まして、夜になってからも、ここにいるなんて駄目よ」


「あなたまで、リアンと同じことを言うの? 嫁のもらい手がなくなるとか」


「殿下がおっしゃることは、正しいわよ。

 街中のあらゆる場所へ着飾って出かけていって、お高くとまった貴婦人たちを悔しがらせてみたところで、わたくしが金銭を代償に男たちへ春を貢ぐ女である事実は変わらないの。

 いい機会だから、これを最後に、もうここには来ないことね」


「フィオーラ、それは、もうわたしと友達でいるのは、いやだってこと?」


「そんなわけないでしょ。あなたは、とても楽しいお友達だわよ」


「なら、もうここに来るななんて、言わないでちょうだい。

 リアンがお父さまに命令を出したら、しばらくはここに来られなくなるかもしれないけれど、ほとぼりが冷めたら、また一緒にお茶を飲みましょうよ」


「王子殿下から、お許しをいただけるかしら?」


「あの人は、とても厳しい人だけれど、理不尽なことはしないの。

 今度のことだって、反政府活動家がどうのという問題にけりがつけば、もういいよと言ってくれるはずなのよ。

 わたしの女としての評判なんて、元から大したものじゃないし」


 フィオーラは笑った。


「モナ、あなたはとても、王子殿下を信頼していらっしゃるのね」


 モナは赤くなって答える。


「わたし、男の人って、じつは苦手だったの。高いところから、わたしを見下ろしてくるし、声が大きいし、話し方や動作も乱暴だし」


「あらあら、うちの店の用心棒を軽くあしらった、あなたの口から出たとは思えない発言ね」


「だって、本当に、そう思っていたんですもの。

 剣術を習ったりしたのだって、そういう男の人たちに負けないようになれば、苦手意識を克服できるかしらと思ったからなのよ」


「強くなったら、気持ちは変わったの?」


 苦笑しながら、モナは首をふった。


「変わらないわ。でも、大人になったら、苦手の理由はわかったの。

 男の人たちは、わたしたち女を、対等な相手だとは思っていないから。

 いつだって、男より劣る存在だと思ってるのよね。

 それこそ、恋の駆け引きをしているときでさえよ。

 きみはぼくの女神だ、とか言いながら、男の人たちは、その言葉を言っている自分に酔っているんだわ」


 性に関する知識はあるけれど、実際の経験はないだろうモナに、この感覚は理解できないかもしれないなと思いながら、フィオーラは説明を試みた。


「それはモナ。男は征服する側の性を持つ生き物だからよ。

 女を征服しないと男は子孫を残せないのだから、そういう思考になるのは自然の摂理だと思うわ」


「征服……かあ。

 きっと、リアンは男と女の関係を、そういう風にはとらえていないと思うわ」


 遠くへ夢見るような視線を投げて、モナはつぶやく。


「あの人は、ちがうの。

 どんな人と向き合うときも、相手を一人の人間として見ている。

 だから、ローザニア王国の国民のすべてが幸せになれたらいいのになんて、壮大な夢を見てしまうんだわ」


 フィオーラは椅子にすわっているモナの背中に、背後から抱きついた。


「ローレリアン王子殿下のことを語っているときのあなたときたら、本当に幸せそうよね。

 うらやましくて、憎らしくなるわ。

 わたくしのように夜の世界で生きている女には、もうそんな純粋な恋はできないもの」


 自分の首にからまるフィオーラの赤味がかった金色の髪をいじりながら、モナはため息をつく。


「これはこれで、けっこう辛いのよ?

 リアンは国家のために、生涯独身をつらぬく決心をしているみたいだし。

 大好きな人に、将来有望な男を捕まえて、さっさと嫁に行けなんて、言われてごらんなさいよ。

 本気で泣けるから」


「それでも、うらやましいのよ。

 わたくしたち夜の女の望みなんて、年季が明ける時に、それなりに性格がよくて、それなりにお金持ちの、よいパトロンが見つかればいいな、程度ですもの」


 紅で彩られた艶やかな唇から、フィオーラは細くて長いため息をつく。


「本物の……、恋がしたいわ。

 あなたが無理をして、今夜こうして、わたくしをたずねてきてくれたのも、本物の恋をしているからでしょう?」


「そうね……」


 よせあったおたがいの身体からは、心地よいぬくもりが伝わってくる。そのぬくもりは立場がまったく違う二人の心を、わけへだてなく、優しくなだめてくれた。


 いつのまにか夏の日はとっぷりと暮れ、あたりは暗くなっていた。フィオーラに与えられている部屋は、男女が枕を並べて睦言をかわすための寝室なのだ。照明のランプは、それほど大きなものではない。


 フィオーラは暗がりのなかで、自分が抱きしめているモナのうなじを見つめた。


 なめらかで健康そうなうなじだ。


 まだ、男に口づけさえされたことがない、清らかなうなじ。


 暗い誘惑に駆られて、フィオーラはそっと、モナのうなじに口づけた。


 男女の営みの手管を知り尽くした、その官能的な唇で。


「……!」


 抱きしめた腕の中で、モナがびくりと身を縮めた。


 口づけのあとを指の腹で撫でながら、フィオーラは言う。


「ねえ、モナ。

 結婚なんかしなくても、愛しい人を籠絡する方法はあるわ。

 なんなら、教えてさしあげるけれど」


「ほ、方法って……」


「今夜の花代は、もういただいているから。

 わたくしは、あなたと、ひと晩ベッドですごしてもいいのよ」


「ひと晩!?

 夜通しここにいるなんて、む、む、む、無理よっ!

 リアンの命令がなくても、お父さまやお兄さまたちから盛大なお説教を食らったあげく、年単位で外出禁止にされてしまうわ!

 下手したら、長兄のお嫁さんにまで叱られちゃう!

 わたし、あの人、苦手なのよ!

 ヴィダリア侯爵家の女主人は自分だって威張り散らしているし、鼻持ちならないほどプライドが高くて、いつもわたしの顔を見ると、しょうがない人ねって感じで、露骨なため息をつくんだから!」


 モナの慌てぶりはすさまじかった。


 フィオーラの手を振り払いこそしなかったが、椅子から飛び上がるようにして立ちあがり、そそくさと壁際まで逃げてしまう。


 顔は、真っ赤である。


 寝室のほの暗い明かりの下でも、はっきりと確認できるほどに。


 フィオーラは大きな声で笑った。


「冗談よ、モナ。そんなに怯えないで。

 義理の仲の奥様に叱られるのが、嫌なのもわかったから」


「冗談って、……ひどいわ!」


「なんと言えばいいのか、あなたって、無防備すぎるのよ。ここがどういう場所なのか、もう少し自覚しておいたほうがいいわ」


「それは、わかったけれど」


「じゃあ、早々に本題の話をすませて、ご自宅へお帰りなさい。まだ今なら、ちょっと夜の散歩を楽しんできました程度で済む時間ですもの」


「そうする」


 すっかり意気消沈したモナは、ぼそぼそと口の中でしゃべった。


「知りたいのは、『踊る神官』みたいなパンフレットを発行している、男の人たちの集まりのことなんだけれど」


「リジィの想い人のことね」


「ここの女性の恋人なの?」


「ちがうわよ」


 フィオーラは、深いため息をついた。


「わたくしたち夜の女はね、みんな、本物の恋にあこがれているの。

 花街の女になったときから、そんな恋はもうできないのだと、あきらめなくてはならないのだけれど。

 なかには、あきらめがつかなくて、それっぽい雰囲気に騙されてしまう女もいるのよ。

 リジィの恋は、その典型。


 彼女が恋人だと信じている男は、彼女を利用しているだけだと思うわ。

 リジィの年季が明けたら、田舎に小さな家を買って所帯を持とうなんて、言っているらしいの。

 その言葉を信じて、彼女はせっせと男にお金を貢いだり、自分の部屋を集会所として貸してやったりしているのよ。


 でも、それもそろそろ、終わりになると思うわ。

 最初のうちは、リジィの部屋で集会がある夜にはリジィが店主に倍額の花代を払っていたもので、店主も集会を黙認していたのだけれど。

 ここの花代は、とても高額だから。

 リジィは借金がかさんで、破産寸前みたい。

 とうとう、たちの悪い高利貸しにまで手を出して、うちの店からは追い出されそうな雰囲気なのよ。


 夜の女の借金のかたになるのは、自分の身体だけ。

 きっとリジィは一晩に何人もの男と寝るような、ろくでもない売春宿へ売られるわ。

 そうなったら、恋人からも捨てられるでしょうね。


 けっきょく、行き着く先は野垂れ死に。

 それが、花街の女がたどる道なの。


 わたくし、若くて綺麗なうちに死にたいわ。

 年を取るのが怖いのよ。

 いつか、この店で働けなくなる時のことを考えると、どうしようもなく不安になるの」


「フィオーラ」


 悲しそうなモナの様子を見て、フィオーラは後悔した。


 モナは日々の生活に苦しんでいる人々のために何かをしようと考える、とても優しい人だけれども。


 でも、しょせんは彼女も、侯爵家のお姫さまなのだ。


 花街の女がたどる末路なんて、どうしようもない社会の底辺にある泥にまみれた人生の話なんか、モナに教えてやる必要はなかったのに。


 ひとこと、「知らない」とだけ、言えばよかったことなのに。


 どうして自分は、モナにリジィのかなわない恋の話など、してしまったのだろう。


 フィオーラは泣きたい気分で、そう思った。



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