夏風に吹かれて … 4
野次馬たちからは、『夏風の間』の前庭にある木立のしたで、恋人同士の会話を交わしていると思われていたローレリアンとモナであったが。
しかし、この二人、実際のところは、あまり色恋沙汰とは関係がないことを話していたのである。
モナは、さっきからさかんに、商売へのアドバイスをローレリアンに求めていた。王子と呼ばれるようになってから三年の間、政治や経済だけでなく、国民の心理にまで探究心をもってかかわってきたローレリアンは、モナの絶好の相談相手だったのだ。
王子の後ろに立って周囲に警戒の神経を張り巡らせながら、アレンは、この二人、どうしようもねえなと、あきれていた。
モナの口調は、あいかわらず可愛いおねだり口調なのだが、会話の内容には色気がかけらも感じられない。
「ねえ、リアン。
クリームを凍らせる機械に国王陛下からの特許状をいただけたから、わたしはお店を、もう何軒か持とうかと、考えているのだけれど」
王子は、ふむと答える。
「自分で店を持つためには、かなりの資金がいるんじゃないのかい? いまは最初の店のもうけを、投資に回せる余裕だってないだろう? 経営そのものも、手間がかかるし。
だから、店を作ったり経営したりするのは他人にまかせて、きみは機械をその連中に貸し出して、売り上げの上前をはねればいい」
「それって、なんだか、ずるくない?」
「ずるくなんかないさ。機械は特許状を持った者にしか作れないんだ。その機械を借りてもうけようとする者達が、お礼をよこすのは、あたりまえの義務だろう」
「そうねえ。
お店をやってみないかと誘えそうな人には、何人か心当たりがあるし。
冷たいクリームを売りにする店だから、店主はお菓子にくわしい女性がいいと思うのよね。
それに、店の付加価値を高めるためには、王都ではなく、他の大きな街でお店を持つほうがいいわよね。たとえば、すごく景気がいいらしい、ラカンとか。
どこの街でも、このお菓子をあつかっているのはこの店だけで、ここでしか食べられないって状態にしておくのよ」
王子は目を丸くする。
「きみみたいに元気な女性が、まだほかにも、何人もいるっていうのかい? しかも、よその街へ行って商売を始めてもいいというほどの、勇ましい女性が」
モナは得意げに答えた。
「あら、リアンは女性ってみんな、か弱いものだと思っているの? 男性に頼らずに自立して生きていきたいと望んでいる女の人って、けっこういるわよ」
「ふーん」
「この素敵なブラウスも、そんな女友達にデザインしてもらったの」
「今までにない、変わったデザインだね」
「わかる?」
12段も重ねてあるブラウスのひだを、モナは嬉しそうになでる。
「こういう、今までにない発想をする人って、普通の人じゃないのよね」
「普通じゃないって、どういう女性のことをさして言うんだい?」
「花街の女性よ。
花街の女性は、男の人をその気にさせるのが商売でしょう?
売れっ子になるためには、他と同じじゃ、目立たないし。
だから、彼女たちは綺麗なものに目がきくし、それをどう使うかも、普通の発想じゃなくて、あっと驚くような方法を思いつくの」
「花街の女性って……!」
ローレリアンの顔色が変わったことなど気にも留めずに、モナは話しつづけた。
「今日はエレーナさまのおかげで、貴族の女性から、一般的な価値観の意見を集められたわ。
花街の女性からは、時代の最先端の意見を集めるの。
商売を考えるためには、情報集めが、なによりも大切だと思うのよ」
「モナ、モナ! たのむから、ちょっと黙っていてくれ」
放っておいたら、いくらでもしゃべりそうなモナを、ローレリアンはしぐさで黙らせた。
つまり、彼女の二の腕を、両手でつかんだのだ。
遠くの『夏風の間』から、その様子をながめていた貴婦人たちが悲鳴をあげる。
なにしろ、王子殿下が、侯爵令嬢を捕らえてはなさないという態勢に入ったのだ。つぎは抱擁か、それとも接吻かと、誰もが思った。
真剣な色の瞳で、ローレリアンはモナを見つめた。
「嘘をつかずに、わたしの質問に答えてもらいたい」
「ええ、いいわ」
「花街の女性とは、どこで知り合った?」
「花街でに、決まってるじゃない」
「花街へ行ったのか?」
「もちろん」
「モナ!」
ああとばかりに、ローレリアンは空を仰ぎ見た。木立の向こうに見える夏空は、青くて、まぶしい。眩暈がしそうなほどに。
「わたしは、このあいだ、きみの兄上に、たずねたんだ。
あなたの妹君は、ずいぶんといろいろ活動的にやっておいでになるようだけれども、彼女の身辺の安全には、もちろん侯爵家で注意を払っておいでになるのだろうねと。
彼は苦笑しながら、護衛は何人もつけておりますと答えた。
わたしは、どうにも、そのときの彼の苦笑が気になって……」
ローレリアンは、モナをゆすった。
「正直に言いたまえ! どうやって、花街へいったのか」
「さっきから、正直に話してるわ。
花街には、自分の足で歩いていきました。
護衛は、途中で巻いてやったわよ。
足手まといだから」
「足手まとい!?」
「そうよ。姫君がこんな場所へ出入りしてはいけませんとか、うるさいことを言いそうですもの。
だいたいね、リアン。
花街の女性は、たまたま貧しい家に生まれたとか、赤ん坊のころに親から花街へ売られてしまったとか、みんなやむにやまれぬ理由で、春を売っているのよ。
まさかあなた、花街の女性は人として劣るとか、けがらわしいとか、言いだすんじゃないでしょうね!」
「いや、わたしが言いたいのは」
「そうね。どんな境遇に生まれても、人の命の価値だけは、神々の前に平等ですものね。
命はひとりに、ひとつだけ。
替えはない。
そうでしょう? 神官の、ローレリアン王子殿下」
「そのとおり。人の命の価値に、貴賤はない」
「そうおっしゃるなら、ほうっておいてちょうだい!」
「ほうっておけるわけがないだろう。
きみは、わたしの大切な友人だ。
危険にみずから飛びこんでいくようなまねは、してもらいたくない。
それに、きみがひとりで花街へ出かけていったなんて話が、他人に知られてみろ。嫁のもらい手が、なくなってしまうじゃないか!
わたしは花街の女性に偏見など持たないけれど、世間一般の常識とは、そんなものだろう!」
ローレリアンはモナから、突き飛ばされた。彼女のすみれ色の瞳は、怒りで煌めいている。
「心配ご無用よ!
お嫁になんか、いかないもの!
だいたい、どこに嫁に行けっていうのよ!
リアン、あなた、知ってる?
世間では、わたしはあなたの、お妃さま最有力候補なんですってよ!
プレブナンの庶民の間では、『踊る神官』なんてパンフレットが、回し読みされているくらいなんだから」
「あれは!」
「あなたと恋仲だって噂されるなんて、光栄よ。
望むところだわよ。
おかげで、アミテージの布地仲買人のところには、刺しゅう入りの薄絹の注文が殺到しているんですって。
意図したとおりになって、わたしは最高に満足よ」
王子の勢いは落ちていく。
「わたしと恋仲だと噂されれば、きみの縁談にも、差し障りが出るということか。
将来有望な青年ほど、王家に対して遠慮してしまうだろうから。
浅はかだった。考えが足りなかったよ。舞踏会で、きみと踊ったりして」
うなだれた王子の前で、逆にモナは怒ってしまっている。興奮のあまり、眼に涙が浮かんでしまうほどに。
好きでたまらないローレリアンから、嫁入り先の心配をされたうえ、いっしょに踊ったのはまちがいだったと、謝罪されてしまったのだ。モナの恋心は、行き場を失ったようなものである。
それに、女心を理解しない堅物の王子にも、腹が立つ。
「お嫁になんか行かないから、関係ないって言ってるでしょ!
余計な心配は、ご無用よ!
わたしは、今までだって、これからだって、自分が正しいと信じることをするの。
花街へ行くのだって、やめないわよ。
花街の女の人たちの情報網は、すごいんだから。
こんなパンフレットが出まわっているわよと、『踊る神官』を見せて教えてくれたのも、花街の友達よ。
彼女が働いている店で時々、その手のパンフレットの編集打ち合わせがあるらしいわ。
どんな男性が出入りしても、けして怪しまれることなんかない。
花街って、そういうところですものね」
ローレリアンは思わず、自分の後ろに控えているアレンのほうへ視線を投げた。
アレンの表情にも、緊張が走っている。
「モナ」
真剣きわまりない様子で、ローレリアンは言った。
「その女友達とのつきあいは、金輪際やめてほしい」
「あなたに、わたしの交友関係を、どうこう言われたくないわ」
「そのパンフレットを作っている男たちは、現在の王朝を倒して、革命を起こそうともくろんでいる危険な連中だ」
モナの瞳から、興奮の気配が消える。
「なんですって?
それじゃあ、ますます、彼女からは情報をとらないといけないじゃないの」
「だめだ」
「リアン!」
「みずから危険に飛びこんでいくようなまねは、許さない」
モナは一歩、あとずさった。
ローレリアンの瞳には、強い光がある。
その光は、過去に何度となく、モナを立ちすくませた光だった。
女のくせに、これ以上、男の世界へ立ち入ろうとするなとモナを拒否するときに、男たちの目に宿る光である。
ふたたびふつふつと、モナの感情は、熱く沸きあがりだす。
「それは、命令なの?」
ローレリアンは冷たく答えた。
「ああ、命令だとも。
わたしの命令がきけないというのなら、きみの兄上なり父上なりに、命令する。
きみを侯爵家の屋敷から出すなとね」
「横暴だわ!」
「なんとでも言いたまえ。王子としてのわたしに、どの程度の力があるか、試してみたいのなら試してみるがいい」
かっとなったモナは、ローレリアンにむかって手を振りあげた。
最終的には、理屈より、感性を信じる彼女なのである。権力で自分をしたがわせようとする王子を、許せはしなかった。
しかし、彼女の手はあっけなく、ちがう男に捕まえられる。
冷静な表情の近衛士官は、モナの手をつかんで言った。
「モナ様。
人目のある場所で王子殿下の横面を張ったりなされては、こまります。
王子殿下には、王子殿下のお立場というものがあるのです」
「はなしなさいよ!」
力いっぱいもがいてモナは自分の手の自由をとりもどし、最初に近衛士官を、つぎに王子をにらみつけてから、踵を返した。
立ち去る彼女の後ろ姿を見送りながら、アレンは小さくひゅうと、口笛を吹いた。
「あいかわらず、すごいお姫さまだ」
ローレリアンは、何も答えない。
だが、王子殿下の影となったアレンには、このまま悶々と悩むだろう王子を、放置しておく気はなかった。
叱られることなど百も承知で、ずけずけと言い放つ。
「あのなあ、リアン。この場では、いちおう、モナ様の手をとめたけどな。人目がなかったら、とめやしなかったぞ。
一度、殴られでもしたほうがいいんだ。大馬鹿王子殿下は。
おまえ、モナ様にひどいことを言ったって、自覚はあるのか?
モナ様が好きなのは、おまえなんだぜ?
そのおまえから、将来有望な青年をつかまえて嫁に行けなんて言われたら、傷つくだろ。
おまえだって、モナ様のこと、好きなくせして。
いざとなれば自分の命をさしだせるほどだって、俺は知ってるんだからな。
それなのになんで、モナ様の想いを受けとめてやらないんだよ?
周囲だって、おまえとモナ様は、お似合いだって認めてる。
おまえさえ、その気になれば、国中が祝福してくれる恋人同士になれるのに」
ローレリアンは皮肉一杯の笑みを唇の端に浮かべながら、アレンに言った。
「それで?
彼女を、このどうしようもない義務だらけの、自由など欠片もない生活に縛りつけるのか? 彼女は大空を飛ぶ鳥のように、自由に生きている女性だというのに。
だいたい、彼女のためなら死んでもいいと思えたのは、わたしが何も持たない神学生だったからだ。
いまは、ちがう。
彼女か国か、どちらかを選ばなければならなくなったら、わたしはまちがいなく、国を選ぶ。
ローザニアの500万を超える民の命運と、一人の女性の幸福を、同じ天秤に、かけられるわけがないだろう。
わたしはモナに、何もしてやれない。
何の約束もできない。
だから彼女に、愛を乞うことはできない」
「リアン……」
アレンは親友の名を呼んだきり、黙りこんでしまった。
王子へかけてやるなぐさめの言葉など、なにも思いつけない。
いまの告白をモナに聞かせてやれば、モナは喜んでローレリアンへ、終生の愛を誓うだろう。彼女は人を愛することに、代償を求めるような女性ではない。
けれど、ローレリアンは、自分だけが幸せを得るような関係を望んではいない。
彼の願いは、ただ一つだ。
愛する女性には、幸せになってもらいたい。
ただ、それだけなのだ。
ローレリアンは執務へもどるべく、王宮の建物のほうへ歩きはじめた。
固い声が、アレンを呼ぶ。
「アレン」
「はい」
「モナが出入りしている娼館の名をつきとめろ。街中に潜ませているわたしの間諜を、すべて使っていい。必要なら、おまえも街にでろ。
一刻も早く、ジャン・リュミネを捕らえるんだ。
多少脅したくらいで、モナがおとなしくしているとは思えない。
彼女を危険にさらすな。
これは、わたしの唯一のわがままだ。
聞き届けてくれ」
「しょうちしました」
彼らが『夏風の間』を通り抜けるとき、その場に集まっていた貴婦人たちは、恐れおののいて王子殿下に臣従の礼を取った。
もうローレリアン王子の横顔には、やわらかな笑みなどなかった。
その後ろにしたがう桂冠騎士の横顔は、もっと硬質で冷たい。『氷鉄のアレン』とあだ名され、王子に絶対の忠誠を誓う廉正剛直な性質が、そのまま表れた横顔である。
青ざめたエレーナ姫が、ローレリアンのあとを廊下まで追ってきた。人目のないところで、彼女は真実を知ろうとしたのだ。つまらない噂の種を、無責任な貴族たちの間に、ばらまきたくなかったので。
「ローレリアン、モナシェイラ嬢と喧嘩でもなさったの?
彼女は、わたくしに暇乞いをするとき、涙ぐんでいましたよ」
母親らしく問いかけながら息子に追いすがろうとしたエレーナ姫は、行く手をアレンにはばまれた。
「どうか、エレーナさま。
我が王国の未来を担う、王子殿下の苦しい御胸中を、お察しください」
「ローレリアン!」
その場に立ちすくみ、廊下に一人取り残されたエレーナ姫は、悲しげに息子を呼んだ。
あわれな息子を不憫がる響きを母の声から感じとったローレリアンは、感情を押し殺すために拳を固くにぎり、王子の義務をはたしにもどるべく、さらに歩く速度を速めた。
王子の親友でもある護衛隊長は、黙ってそのあとに従った。




