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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第三章
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夏風に吹かれて … 4

 野次馬たちからは、『夏風の間』の前庭にある木立のしたで、恋人同士の会話を交わしていると思われていたローレリアンとモナであったが。


 しかし、この二人、実際のところは、あまり色恋沙汰とは関係がないことを話していたのである。


 モナは、さっきからさかんに、商売へのアドバイスをローレリアンに求めていた。王子と呼ばれるようになってから三年の間、政治や経済だけでなく、国民の心理にまで探究心をもってかかわってきたローレリアンは、モナの絶好の相談相手だったのだ。


 王子の後ろに立って周囲に警戒の神経を張り巡らせながら、アレンは、この二人、どうしようもねえなと、あきれていた。


 モナの口調は、あいかわらず可愛いおねだり口調なのだが、会話の内容には色気がかけらも感じられない。


「ねえ、リアン。

 クリームを凍らせる機械に国王陛下からの特許状をいただけたから、わたしはお店を、もう何軒か持とうかと、考えているのだけれど」


 王子は、ふむと答える。


「自分で店を持つためには、かなりの資金がいるんじゃないのかい? いまは最初の店のもうけを、投資に回せる余裕だってないだろう? 経営そのものも、手間がかかるし。

 だから、店を作ったり経営したりするのは他人にまかせて、きみは機械をその連中に貸し出して、売り上げの上前をはねればいい」


「それって、なんだか、ずるくない?」


「ずるくなんかないさ。機械は特許状を持った者にしか作れないんだ。その機械を借りてもうけようとする者達が、お礼をよこすのは、あたりまえの義務だろう」


「そうねえ。

 お店をやってみないかと誘えそうな人には、何人か心当たりがあるし。

 冷たいクリームを売りにする店だから、店主はお菓子にくわしい女性がいいと思うのよね。

 それに、店の付加価値を高めるためには、王都ではなく、他の大きな街でお店を持つほうがいいわよね。たとえば、すごく景気がいいらしい、ラカンとか。

 どこの街でも、このお菓子をあつかっているのはこの店だけで、ここでしか食べられないって状態にしておくのよ」


 王子は目を丸くする。


「きみみたいに元気な女性が、まだほかにも、何人もいるっていうのかい? しかも、よその街へ行って商売を始めてもいいというほどの、勇ましい女性が」


 モナは得意げに答えた。


「あら、リアンは女性ってみんな、か弱いものだと思っているの? 男性に頼らずに自立して生きていきたいと望んでいる女の人って、けっこういるわよ」


「ふーん」


「この素敵なブラウスも、そんな女友達にデザインしてもらったの」


「今までにない、変わったデザインだね」


「わかる?」


 12段も重ねてあるブラウスのひだを、モナは嬉しそうになでる。


「こういう、今までにない発想をする人って、普通の人じゃないのよね」


「普通じゃないって、どういう女性のことをさして言うんだい?」


「花街の女性よ。

 花街の女性は、男の人をその気にさせるのが商売でしょう?

 売れっ子になるためには、他と同じじゃ、目立たないし。

 だから、彼女たちは綺麗なものに目がきくし、それをどう使うかも、普通の発想じゃなくて、あっと驚くような方法を思いつくの」


「花街の女性って……!」


 ローレリアンの顔色が変わったことなど気にも留めずに、モナは話しつづけた。


「今日はエレーナさまのおかげで、貴族の女性から、一般的な価値観の意見を集められたわ。

 花街の女性からは、時代の最先端の意見を集めるの。

 商売を考えるためには、情報集めが、なによりも大切だと思うのよ」


「モナ、モナ! たのむから、ちょっと黙っていてくれ」


 放っておいたら、いくらでもしゃべりそうなモナを、ローレリアンはしぐさで黙らせた。


 つまり、彼女の二の腕を、両手でつかんだのだ。


 遠くの『夏風の間』から、その様子をながめていた貴婦人たちが悲鳴をあげる。


 なにしろ、王子殿下が、侯爵令嬢を捕らえてはなさないという態勢に入ったのだ。つぎは抱擁か、それとも接吻かと、誰もが思った。


 真剣な色の瞳で、ローレリアンはモナを見つめた。


「嘘をつかずに、わたしの質問に答えてもらいたい」


「ええ、いいわ」


「花街の女性とは、どこで知り合った?」


「花街でに、決まってるじゃない」


「花街へ行ったのか?」


「もちろん」


「モナ!」


 ああとばかりに、ローレリアンは空を仰ぎ見た。木立の向こうに見える夏空は、青くて、まぶしい。眩暈がしそうなほどに。


「わたしは、このあいだ、きみの兄上に、たずねたんだ。

 あなたの妹君は、ずいぶんといろいろ活動的にやっておいでになるようだけれども、彼女の身辺の安全には、もちろん侯爵家で注意を払っておいでになるのだろうねと。

 彼は苦笑しながら、護衛は何人もつけておりますと答えた。

 わたしは、どうにも、そのときの彼の苦笑が気になって……」


 ローレリアンは、モナをゆすった。


「正直に言いたまえ! どうやって、花街へいったのか」


「さっきから、正直に話してるわ。

 花街には、自分の足で歩いていきました。

 護衛は、途中で巻いてやったわよ。

 足手まといだから」


「足手まとい!?」


「そうよ。姫君がこんな場所へ出入りしてはいけませんとか、うるさいことを言いそうですもの。

 だいたいね、リアン。

 花街の女性は、たまたま貧しい家に生まれたとか、赤ん坊のころに親から花街へ売られてしまったとか、みんなやむにやまれぬ理由で、春を売っているのよ。

 まさかあなた、花街の女性は人として劣るとか、けがらわしいとか、言いだすんじゃないでしょうね!」


「いや、わたしが言いたいのは」


「そうね。どんな境遇に生まれても、人の命の価値だけは、神々の前に平等ですものね。

 命はひとりに、ひとつだけ。

 替えはない。

 そうでしょう? 神官の、ローレリアン王子殿下」


「そのとおり。人の命の価値に、貴賤はない」


「そうおっしゃるなら、ほうっておいてちょうだい!」


「ほうっておけるわけがないだろう。

 きみは、わたしの大切な友人だ。

 危険にみずから飛びこんでいくようなまねは、してもらいたくない。

 それに、きみがひとりで花街へ出かけていったなんて話が、他人に知られてみろ。嫁のもらい手が、なくなってしまうじゃないか!

 わたしは花街の女性に偏見など持たないけれど、世間一般の常識とは、そんなものだろう!」


 ローレリアンはモナから、突き飛ばされた。彼女のすみれ色の瞳は、怒りで煌めいている。


「心配ご無用よ!

 お嫁になんか、いかないもの!

 だいたい、どこに嫁に行けっていうのよ!

 リアン、あなた、知ってる?

 世間では、わたしはあなたの、お妃さま最有力候補なんですってよ!

 プレブナンの庶民の間では、『踊る神官』なんてパンフレットが、回し読みされているくらいなんだから」


「あれは!」


「あなたと恋仲だって噂されるなんて、光栄よ。

 望むところだわよ。

 おかげで、アミテージの布地仲買人のところには、刺しゅう入りの薄絹の注文が殺到しているんですって。

 意図したとおりになって、わたしは最高に満足よ」


 王子の勢いは落ちていく。


「わたしと恋仲だと噂されれば、きみの縁談にも、差し障りが出るということか。

 将来有望な青年ほど、王家に対して遠慮してしまうだろうから。

 浅はかだった。考えが足りなかったよ。舞踏会で、きみと踊ったりして」


 うなだれた王子の前で、逆にモナは怒ってしまっている。興奮のあまり、眼に涙が浮かんでしまうほどに。


 好きでたまらないローレリアンから、嫁入り先の心配をされたうえ、いっしょに踊ったのはまちがいだったと、謝罪されてしまったのだ。モナの恋心は、行き場を失ったようなものである。


 それに、女心を理解しない堅物の王子にも、腹が立つ。


「お嫁になんか行かないから、関係ないって言ってるでしょ!

 余計な心配は、ご無用よ!

 わたしは、今までだって、これからだって、自分が正しいと信じることをするの。

 花街へ行くのだって、やめないわよ。

 花街の女の人たちの情報網は、すごいんだから。

 こんなパンフレットが出まわっているわよと、『踊る神官』を見せて教えてくれたのも、花街の友達よ。

 彼女が働いている店で時々、その手のパンフレットの編集打ち合わせがあるらしいわ。

 どんな男性が出入りしても、けして怪しまれることなんかない。

 花街って、そういうところですものね」


 ローレリアンは思わず、自分の後ろに控えているアレンのほうへ視線を投げた。


 アレンの表情にも、緊張が走っている。


「モナ」


 真剣きわまりない様子で、ローレリアンは言った。


「その女友達とのつきあいは、金輪際やめてほしい」


「あなたに、わたしの交友関係を、どうこう言われたくないわ」


「そのパンフレットを作っている男たちは、現在の王朝を倒して、革命を起こそうともくろんでいる危険な連中だ」


 モナの瞳から、興奮の気配が消える。


「なんですって?

 それじゃあ、ますます、彼女からは情報をとらないといけないじゃないの」


「だめだ」


「リアン!」


「みずから危険に飛びこんでいくようなまねは、許さない」


 モナは一歩、あとずさった。


 ローレリアンの瞳には、強い光がある。


 その光は、過去に何度となく、モナを立ちすくませた光だった。


 女のくせに、これ以上、男の世界へ立ち入ろうとするなとモナを拒否するときに、男たちの目に宿る光である。


 ふたたびふつふつと、モナの感情は、熱く沸きあがりだす。


「それは、命令なの?」


 ローレリアンは冷たく答えた。


「ああ、命令だとも。

 わたしの命令がきけないというのなら、きみの兄上なり父上なりに、命令する。

 きみを侯爵家の屋敷から出すなとね」


「横暴だわ!」


「なんとでも言いたまえ。王子としてのわたしに、どの程度の力があるか、試してみたいのなら試してみるがいい」


 かっとなったモナは、ローレリアンにむかって手を振りあげた。


 最終的には、理屈より、感性を信じる彼女なのである。権力で自分をしたがわせようとする王子を、許せはしなかった。


 しかし、彼女の手はあっけなく、ちがう男に捕まえられる。


 冷静な表情の近衛士官は、モナの手をつかんで言った。


「モナ様。

 人目のある場所で王子殿下の横面を張ったりなされては、こまります。

 王子殿下には、王子殿下のお立場というものがあるのです」


「はなしなさいよ!」


 力いっぱいもがいてモナは自分の手の自由をとりもどし、最初に近衛士官を、つぎに王子をにらみつけてから、きびすを返した。


 立ち去る彼女の後ろ姿を見送りながら、アレンは小さくひゅうと、口笛を吹いた。


「あいかわらず、すごいお姫さまだ」


 ローレリアンは、何も答えない。


 だが、王子殿下の影となったアレンには、このまま悶々と悩むだろう王子を、放置しておく気はなかった。


 叱られることなど百も承知で、ずけずけと言い放つ。


「あのなあ、リアン。この場では、いちおう、モナ様の手をとめたけどな。人目がなかったら、とめやしなかったぞ。

 一度、殴られでもしたほうがいいんだ。大馬鹿王子殿下は。

 おまえ、モナ様にひどいことを言ったって、自覚はあるのか?

 モナ様が好きなのは、おまえなんだぜ?

 そのおまえから、将来有望な青年をつかまえて嫁に行けなんて言われたら、傷つくだろ。

 おまえだって、モナ様のこと、好きなくせして。

 いざとなれば自分の命をさしだせるほどだって、俺は知ってるんだからな。

 それなのになんで、モナ様の想いを受けとめてやらないんだよ?

 周囲だって、おまえとモナ様は、お似合いだって認めてる。

 おまえさえ、その気になれば、国中が祝福してくれる恋人同士になれるのに」


 ローレリアンは皮肉一杯の笑みを唇の端に浮かべながら、アレンに言った。


「それで?

 彼女を、このどうしようもない義務だらけの、自由など欠片もない生活に縛りつけるのか? 彼女は大空を飛ぶ鳥のように、自由に生きている女性だというのに。

 だいたい、彼女のためなら死んでもいいと思えたのは、わたしが何も持たない神学生だったからだ。

 いまは、ちがう。

 彼女か国か、どちらかを選ばなければならなくなったら、わたしはまちがいなく、国を選ぶ。

 ローザニアの500万を超える民の命運と、一人の女性の幸福を、同じ天秤に、かけられるわけがないだろう。

 わたしはモナに、何もしてやれない。

 何の約束もできない。

 だから彼女に、愛を乞うことはできない」


「リアン……」


 アレンは親友の名を呼んだきり、黙りこんでしまった。


 王子へかけてやるなぐさめの言葉など、なにも思いつけない。


 いまの告白をモナに聞かせてやれば、モナは喜んでローレリアンへ、終生の愛を誓うだろう。彼女は人を愛することに、代償を求めるような女性ではない。


 けれど、ローレリアンは、自分だけが幸せを得るような関係を望んではいない。


 彼の願いは、ただ一つだ。


 愛する女性には、幸せになってもらいたい。


 ただ、それだけなのだ。


 ローレリアンは執務へもどるべく、王宮の建物のほうへ歩きはじめた。


 固い声が、アレンを呼ぶ。


「アレン」


「はい」


「モナが出入りしている娼館の名をつきとめろ。街中に潜ませているわたしの間諜かんちょうを、すべて使っていい。必要なら、おまえも街にでろ。

 一刻も早く、ジャン・リュミネを捕らえるんだ。

 多少脅したくらいで、モナがおとなしくしているとは思えない。

 彼女を危険にさらすな。

 これは、わたしの唯一のわがままだ。

 聞き届けてくれ」


「しょうちしました」


 彼らが『夏風の間』を通り抜けるとき、その場に集まっていた貴婦人たちは、恐れおののいて王子殿下に臣従の礼を取った。


 もうローレリアン王子の横顔には、やわらかな笑みなどなかった。


 その後ろにしたがう桂冠騎士の横顔は、もっと硬質で冷たい。『氷鉄のアレン』とあだ名され、王子に絶対の忠誠を誓う廉正剛直れんせいごうちょくな性質が、そのまま表れた横顔である。


 青ざめたエレーナ姫が、ローレリアンのあとを廊下まで追ってきた。人目のないところで、彼女は真実を知ろうとしたのだ。つまらない噂の種を、無責任な貴族たちの間に、ばらまきたくなかったので。


「ローレリアン、モナシェイラ嬢と喧嘩でもなさったの?

 彼女は、わたくしに暇乞いとまごいをするとき、涙ぐんでいましたよ」


 母親らしく問いかけながら息子に追いすがろうとしたエレーナ姫は、行く手をアレンにはばまれた。


「どうか、エレーナさま。

 我が王国の未来を担う、王子殿下の苦しい御胸中を、お察しください」


「ローレリアン!」


 その場に立ちすくみ、廊下に一人取り残されたエレーナ姫は、悲しげに息子を呼んだ。


 あわれな息子を不憫がる響きを母の声から感じとったローレリアンは、感情を押し殺すために拳を固くにぎり、王子の義務をはたしにもどるべく、さらに歩く速度を速めた。


 王子の親友でもある護衛隊長は、黙ってそのあとに従った。



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