夏風に吹かれて … 3
ローレリアン王子がお茶会の会場へ姿を現したのは、それから、ほんの少しあとのことである。
王宮の『夏風の間』は、窓を開放して木漏れ日があふれる庭と室内を一体化し、さわやかなローザニアの夏の風を楽しむための部屋だった。
風にそよぐ葉擦れの音が満ちた室内に、淡い色のドレスを着て群れてさざめき笑う貴婦人たちの姿は、とても涼しげで美しく見えた。なにしろ女性たちは、エレーナ姫とヴィダリア侯爵令嬢がすわるソファーを中心に、床にすわったり、後ろからのぞきこんだりといった、思い思いの姿で集まっていたのだから。
「これはこれは、みなさん」
王子は『夏風の間』に入室してくるなり、感心した様子で言った。
「いや、どうぞ、お立ちにならないでください。どうぞ、そのままで」
王子殿下がいらしたというので、あわてて立ちあがって王族への礼を取ろうとした貴婦人たちを、王子はしぐさでおしとどめる。
「美しいみなさんが笑みを浮かべて集う姿は、まるで一幅の絵のようですよ。
いましばらく、わたしにも、その様子を楽しませてください」
侯爵令嬢のまわりに集まっていた女性たちは、老いも若きもいっせいに頬をそめた。この場の雰囲気を楽しんでいる様子の笑顔をみせた国一番の貴公子から、「美しい」とほめられて、嬉しくならない女性はいない。
王子はそのまま彼女たちのもとまでやってきて、一人一人と、ひとことずつ挨拶をかわした。
女性たちは、うっとりと、王子殿下を見あげた。
ローレリアン王子は、今日も飾り気のない黒い法衣姿である。そのすっきりとした衣装のせいで、王子の若さと美貌は、際立って見える。
それに、王子の三歩後ろに、つねに控えている若い将校が、また麗しいのである。
かっちりとした濃緑色の近衛士官の装束に身を包み、無愛想な顔をした強そうな青年。
立派な体格ではあるけれど、彼はいわゆるむくつけき男ではない。それに、しなやかですらりとした彼の立ち姿の背後から立ちのぼるピリッとした気配は、女性たちの心を、ひどく騒がせるのだ。
王子との挨拶がすむまで、貴婦人たちは興奮したままだった。全員がほほを赤らめている様子は、まるで『夏風の間』の気温が、急激に上がったかのようであった。
挨拶をすませた王子は、侯爵令嬢のななめ前に席をしめ、お茶を一杯飲むあいだ、女性たちの話をおもしろそうに聞いていた。
貴婦人たちはすっかり、ヴィダリア侯爵令嬢に夢中だったのだ。
節度をもって着飾り、世界の流行をリードしていくことも、ローザニアの貴族に生まれた女性にとっては、国のための大切な仕事ですという侯爵令嬢の主張は、貴婦人たちのプライドを心地よく刺激したのだ。
すでに全員が、ファッションに関することなら、どんなことでも相談に乗りますよという約束を、侯爵令嬢に与えていた。
その約束を受けて、大喜びの侯爵令嬢は、つぎつぎに質問をくりだすのだ。
「柔らかい羊毛のフェルトで、なにか気の利いた小物を作るアイデアはありませんか?」などと。
質問に対して、答えはいくつも返ってくる。
お茶会に集まった貴婦人たちは、エレーナ姫の思惑通り、ヴィダリア侯爵令嬢のよきアドバイザーと化していた。
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お茶を一杯飲んだあと、ローレリアン王子はヴィダリア侯爵令嬢を誘って、『夏風の間』の外につくられた、森の木立を模した植え込みがみごとな庭へむかった。
もちろん、お茶会の招待客の手前、二人だけで姿を消してしまうわけにはいかないので、王子と侯爵令嬢は部屋から見える場所にとどまっている。
腕こそ組んではいないが、仲良くよりそっているように見える二人の姿を遠目に拝見して、貴婦人たちは、こっそり言いあった。
エレーナ姫のお茶会で噂話はご法度だけれども、こういう噂ならよいではないかと。
「なんておにあいの、お二人なのでしょうね」
「賢くて行動力もあるモナシェイラさまのことは、王子殿下も憎からず思っておいでになるように見受けられますし」
「実際、お二人は恋仲ですの?」
たずねられたエレーナ姫は、あいまいに笑った。
ローレリアン王子は、自分には結婚など必要ないと、何度も公言している。今の王子の立場を思えば、その選択も確かにありかと、理解もできるのだ。
けれど、たった一人の息子には、愛のある結婚をして幸せな家庭を築いてもらいたいと思うのも、親心である。
エレーナ姫は、ため息を押し殺しながら、おだやかに言った。
「わたくしにも、あの二人のことは、よくわからないんですの。
でも、これからもモナシェイラ嬢のお手伝いをする茶会は、時々開きたいと思いますわ。
みなさん、その時はまたいらして、彼女を助けてあげてくださいましね」
「ええ、それはもちろんですわ」
「わたくしたちも微力ながら、ローザニアの経済発展には、つくしたいと思いますもの」
「モナシェイラさまが、わたくしたち女にもできることがあると、その方法を示してくださるのだとしたら、とてもありがたいですわ」
貴婦人たちは口々に、そう答えたのだった。