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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第三章
14/78

夏風に吹かれて … 2

 国王陛下の寵妃エレーナ姫の茶会は、いまではローザニア王国で、一番格式の高い女性たちの集まりだった。


 本来ならば王妃不在のいま、国の跡継ぎである王太子の妻の妃殿下が開催されるお茶会が一番格式の高いお茶会ということになるのだが、王太子妃は最近、病気を理由にあまり人前へは出ようとしない。


 王太子と妃の間には、まもなく5歳になる姫がいたが、皇太子妃はこの姫をたいしてかわいがりもせず、一人で部屋にこもっていることが多いという。


 貴族たちの間に広まっている噂によると、王太子妃は夫と容姿が似通っている幼い姫をうとんじており、養育係には、そばに近づけるなとまでいっているのだという。


 また、この姫が大変な癇癪持ちで、何か気に入らないことがあると火がついたかのように泣きわめき、手が付けられなくなるという噂だった。


 口さがない者たちは、姫が普通の子供でないのは、父親からの遺伝に違いないと言いあっていた。


 その噂がまた王太子妃を苦しめるのだろうと、無責任な者たちは、さらに噂しあうのである。


 エレーナ姫は、そうした無責任な噂が大嫌いだった。


 そもそも彼女は、ローレリアン王子を身ごもったとき、王宮に出入りする貴族たちの噂にさんざん苦しめられた過去を持つ。何度も不審な事故にあったり、食べ物に虫の死骸や汚物を入れられたりしたのも辛かったが、なによりも精神的に彼女を追い詰めたのは、無責任な噂だったのだ。


 そうした過去の経験から、エレーナ姫は自分のお茶会で、貴婦人たちが他人の噂話をすることを禁じてしまった。


 女性の口から出る他人の噂を封じるのは困難だと思われがちだが、意外にもそれは簡単であった。


 エレーナ姫は「どこそこの子爵が、また使用人の女に子供を産ませて捨てた」などといった無責任な噂話を始めた名門伯爵家の夫人にむかって、ほんの少しだけ怒った顔で「わたくし、人の噂は、あまり信じないようにしているのです。けれども、今のお話は聞き流せませんわ。その子爵が捨てたという、何人もの女性や子供の、不幸を思いますとね。噂が真実かどうかを調べてほしいと、息子に頼んでみることにいたします。ですから、いま、その噂の内容について、わたくしに返答を求めないでくださいましね」と、言ったのだ。


 言われた伯爵夫人は震えあがった。


 エレーナ姫の息子、つまりローレリアン王子殿下に、自分のことを無責任な噂話に興じる愚か者だなどと報告されては大変だ。


 その伯爵夫人は、お茶会のあいだじゅう、どうか噂の出どころが自分だと王子殿下には言わないでほしいと、エレーナ姫に懇願しつづけた。しまいには哀れになるほど、憔悴しきっていたという。


 以来、エレーナ姫のお茶会では、他人の噂話はご法度となっている。変な噂などを話題にすれば、すべてローレリアン王子へ報告がいってしまうと、招待客たちは思っているのである。


 だから、エレーナ姫のお茶会は、とても優雅な雰囲気で進行する。詩の朗読があったり、新作歌劇の感想を論じあったり、流行のファッションについて語りあったり。


 まさに、国一番の格式を誇る女性の集まりにふさわしい格調の高さである。


 そんな高貴な雰囲気のなかで、今日のお茶会の話題を一手にさらったのは、内務省長官ヴィダリア侯爵の令嬢モナシェイラだった。


 彼女はローレリアン王子の妃筆頭候補として、いままさに噂の渦中の人である。


 しかし、エレーナ姫のお茶会で、噂話は禁じられている。そのルールのなかで、モナが本日のお茶会の主役になれたのは、やはり彼女が普通の貴族の令嬢ではなかったからだった。


 まず、お茶会に招待されていた貴婦人たちはみな、モナのファッションに驚いた。


 夏の午後のお茶会には淡い色のドレスを着て参加するのが貴婦人たちのあいだの暗黙の了解だというのに、彼女は紫がかった紺色の乗馬服を着ていたのだ。さすがに上着の下にはズボンではなく、スカートをあわせていたが。


 ヴィダリア侯爵令嬢モナシェイラは、そんな目立つスタイルでお茶会の会場になっている『夏風の間』へ入室してくると、あっけにとられている招待客の前を颯爽と通りすぎ、エレーナ姫のまえで優雅にひざを折って、あいさつの口上をのべた。


「このような姿で御前にうかがいましたご無礼を、どうぞお許しくださいませ。

 わたくし、診療所の建物を建てている現場へ、毎日馬で通っているんですの。下町の狭い道には、馬車では入れないのです」


 侯爵令嬢とエレーナ姫の様子をうかがっていた貴婦人たちは、驚きのあまり言葉を失った。


 国王陛下の御寵妃さまからの招待を受けておきながら、この令嬢は出先から直行で、王宮へ上がったというのだ。自分たちは、朝から支度に、かかりっきりだったというのに。


 しかもエレーナ姫は、王家を軽んじているともとられかねない侯爵令嬢の行動のことなど、まったく気に留めていらっしゃらならない様子で、にこやかに笑っておいでになる。


「ええ、お噂は、息子から聞いておりますよ。いよいよ下町に、診療所を開かれますのね」


「はい。ようやく、開設のめどが立ちました。これからもいろいろと問題はあるでしょうけれど、なんとか頑張ってやっていくつもりです。

 エレーナさまには、クリームを凍らせる機械へ勅許状がいただけますよう、国王陛下へのお口添えをちょうだいしまして、心より感謝申し上げます」


「そのくらい、お安いご用ですわ。

 崇高な目的のためですもの。

 おいしいお菓子をおつくりになって、お店を繁盛させてくださいね」


「はい、ありがとうございます」


「わたくしも、直接お手伝いができたらいいのにと、思いますわ」


 国王の寵妃と侯爵令嬢は、手を取り合い、微笑みをかわした。


 貧しい人々の暮らしを、二人はよく知っている。そっと握りあった手から、エレーナ姫とモナは、おたがいに相通じるものを感じ取ったのだ。


 エレーナ姫は侯爵令嬢の手を握ったまま、お茶会の客に宣言した。


「みなさま、モナシェイラ嬢は、プレブナンの下町に住む貧しい人々と共に働き、助けの手をさしのべようとなさっておいでです。

 その素晴らしい行動に対して、いらぬ批判は、ご無用に願いますよ。

 人の上に立つべく生まれついた者には、高貴なる義務がございます。何をおいても、まず臣民を守らなければなりません。そのことについては、皆様も同意してくださいますわね?

 ときどき、思い出したように孤児院への慰問をおこなったり、こまっている人にやさしい言葉をかけてあげたりするだけでは、その義務は果たされませんのよ」


 その場にいあわせた者たちはみな、深く首を垂れて、エレーナ姫のお言葉を拝聴した。


 そして、ヴィダリア侯爵令嬢は、やはりローレリアン王子殿下の妃筆頭候補だったのかと、心の中でうなずいたのだった。






     **   **   **






 そんなわけで、エレーナ姫のとなりという最上の席に案内されたモナは、お茶会がはじまるやいなや、お客の全員から本日の主役あつかいをうけることになったのだ。


 実際、彼女は主役にふさわしい目立ち方をしていた。


 女同士の集まりで美しい衣装を見せあうのは、貴族の女性たちにとっては最高の楽しみだ。今日も、それぞれの夫人や令嬢たちは、自慢の衣装を身にまとっていた。


 けれど、夏用の淡い色のドレスは、どんなに工夫を凝らしても、どれも同じような印象におちいりがちだ。そのなかで、きっぱりとした濃い色の乗馬服を着ているモナは、誰よりも目立ったのだ。


 しかも、モナが着ていた乗馬服は、一風変わったデザインだった。


 上着の丈は短く、前のボタンをすべて開けて、上着の下に着たブラウスの美しさを、わざと出して見せるようになっている。スカートの布の断ち方を工夫して、すっきりとした形につくりあげてあるのも、もちろんブラウスの柔らかさを見せつけるための演出だ。


 問題のブラウスには、12段にもおよぶレースの前立てが重ねて縫い付けてあった。実用本位の上着とスカートの味気なさを、その華やかなレースのブラウスが、帳消しにしてしまうほどの美しさだ。


 すみれ色の瞳に黒髪というモナの個性的な容貌を、紺色のドレスと純白のブラウスは、これ以上ない組み合わせで引き立てているのである。


 エレーナ姫に満足していただける無難な話題を求めていた貴族の女性たちが、この美しい衣装のことを話題にしないわけがなかった。


「まあ、モナシェイラさま! なんて素敵な御衣裳なんでしょう!」


 甘え上手そうなどこかの御令嬢が、真っ先にそう誉めそやすと、ご婦人方はいっせいに衣装の話題へ飛びついた。


「その上着のデザインは、やはりブラウスを見せたいがためのものですの?」


「ブラウスが美しすぎますわ」


「贅沢なレース使いですこと。さすがはヴィダリア侯爵家。ご令嬢の御衣裳に、物惜しみはなさいませんのね」


 モナは、にっこりと笑って答えた。


「このレースは、機械で編んだものですから、それほど高価ではありませんのよ。

 いろいろ試作品を作ってみて楽しかったものですから、だれかに見てもらいたくなってしまって、このブラウスを作ってみましたの」


「機械で、ですって?」


「よく見せていただいて、よろしいかしら?」


「まあっ、12段のレースすべてが、ちがう花の意匠だわ! 近くによらなければ、わかりませんでしたけれど」


 夢中になったご婦人方は、とうとう自分の席を離れて、モナのまわりに集まった。


 モナは、何食わぬ顔で説明をつづけた。


「12の月の誕生花を、図案化してみましたの。わたくしが考えた図案を、技師たちが機械編みのパターンに起こしますのよ。

 機械の性能を考えながら、花の模様をデザインするのは、とても面白いですわ。

 たとえば――」


 30分後には、ご婦人方はたっぷりと美しいレースについての情報を仕入れ終わり、ご満悦だった。


 この国でもっとも権威のある女性の集まりとされるエレーナ姫のお茶会に招待され、話題の人物であるヴィダリア侯爵令嬢と親しく話せただけでなく、最新流行のファッションの話題をいち早く聞けたなんて、なんと幸運だったのだろうかと。


 社交界のだれよりも早く、あの美しいレースを自分のスタイルに取り入れれば、さぞかし注目を浴びることになるだろう。


 ご婦人方の顔には、そんなはやる気持ちが、露骨に表れていた。


 招待客の話を微笑みながら聞いていたエレーナ姫は、ゆったりとあおぐ扇の影で、安堵の笑みをもらしていた。


 このお茶会が、こういう雰囲気になるように計算して、おしゃれ好きで有名な夫人や令嬢たちばかりを選んで集めたのは、じつはエレーナ姫の計略だった。


 息子からヴィダリア侯爵令嬢は面白いお姫様なのだという話を聞いていた彼女は、自分も侯爵令嬢の壮大な計画に、協力してやりたくなっていたのである。


 人を集めて、その場で駆け引きをするなど、本当は、あまり得意ではないエレーナ姫だ。


 けれど、ヴィダリア侯爵令嬢のことを話しているときの息子は、とても楽しそうに見えた。彼女は、とにかく息子のために、何かをしてやりたかったのだ。


 愛するひとに抱きしめてもらう幸せに溺れて、エレーナ姫は国王バリオス3世へ、求められるまま、その身を任せてしまった。


 男と女が愛し合えば、いつかはその愛の結晶が新しい命となって芽生えることなど、若すぎる深窓の姫君だったエレーナ姫には、想像すらできなかったのだ。


 自分は、あまりにも重すぎる宿命を背負わせて、息子をこの世に産み落としてしまった。


 彼女がその事実に気付いた時には、すべてが後の祭りだった。


 いまでも、まざまざと思い出せる。


 愛しくてならない幼いわが子が、みずから流した血の海のなかに虫の息の状態で転がっているのを、見つけたときの恐怖。


 わが身を切り裂かれるよりひどい痛みを感じて、エレーナ姫は絶叫した。


 世界のすべてが終わってしまう絶望を、彼女は、そのとき、まざまざと感じたのだ。


 あの恐ろしい事件と気が遠くなるほど長い別離の時をへて、ローレリアン王子との再会を果たした瞬間には、よくぞ無事に育ってくれたと喜びもしたけれど。


 いままた、エレーナ姫は、得体のしれない不安にとらわれている。


 親の愛を知らずに育った息子は、身の内に、なにか空虚な思いを抱えているようなのだ。


 彼は、その空虚さを埋めるためとでもいうかのように、国を背負う王子としての責務に、のめりこんでいく。


 人々は口をそろえて、ローレリアン王子はこの国の将来をまかせるに足る、立派な王子であるという。


 その期待を裏切ることなく、次々に成すべきことを成していく息子を見ていると、エレーナ姫は悲壮感のようなものを感じてしまうのだ。


「エレーナさま、エレーナさま」


 そっと腕をゆすられて、エレーナ姫は我にかえった。


 彼女のすぐそばには、ヴィダリア侯爵令嬢の心配そうな顔があった。


「お疲れなのでは? このところ、午後になると暑いですから」


 令嬢の瞳には、心からエレーナ姫を心配してくれている、思いやりに満ちた人柄がうつしだされている。


 不思議な色の、瞳だった。


 ローザニアの大地に、春を告げる花の色。


 陽だまりに群れて咲く、すみれの花と同じ色の瞳だ。


「大丈夫よ。ごめんなさいね。ちょっとだけ、ぼうっとしてしまったの」


「あまり、お洋服の話は、面白くなかったのですね」


「そんなことは、ありませんよ。皆さんが満足してくだされば、お茶会を主催したわたくしも、嬉しいのですから」


「毎回、どんな話題で進むお茶会にするのか、気を使っておいでになるのですね。

 御苦労は大変なものだと思います」


「わたくしが、国王陛下やお国のためにできることなど、本当に限られておりますからね。微力とはわかっておりますけれど、出来ることは精一杯やらなければ」


 令嬢は、真摯な瞳でエレーナ姫を見ている。


「ご立派ですわ。わたしも、見習わなければ」


 思わずエレーナ姫は、令嬢の手を握ってしまった。


「見習うだなんて。あなたは、あなたにしかできないことを、もうすでに一生懸命やっておいでになるじゃありませんか」


 愛する人といっしょにいたいと、それだけしか考えていなかった若いころの自分の姿を振り返れば、エレーナ姫には令嬢がたのもしくさえ見えるのだ。


 じっとエレーナ姫に見つめられた令嬢は、恥ずかしそうに答えた。


「そんな、たいそうなことではないんです。

 わたしは、いつも思いつきで行動を起こすものですから、周囲の者達は振り回されて、こまってばかりです」


「きっと、そのくらいの勢いで、よいのだと思いますよ。この国で女性がなにか行動を起こそうとすると、考えこんだら最後、身動きがとれなくなりますからね」


「そういってくださるのは、エレーナさまだけですわ。父や兄たちからは、しょっちゅう怒られます。もう少し、おとなしくしていられないのかと」


 エレーナ姫は笑った。ちょっとすねた表情になった令嬢は、とても可愛らしかったもので。


「おとなしいモナシェイラさまなんて、想像もできませんわ。建国節の舞踏会で、空に舞い上がってしまいそうな勢いで楽しそうに踊っていらしたあなたが、本来のあなたなのでしょう?」


 席を離れて令嬢のまわりに集まっていたご婦人方が、どっと笑った。


 そして、口々に、また美しいドレスのことについての話をはじめ、お茶会の話題は最高の盛りあがりを見せたのだった。



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