王子殿下とお茶を … 4
――きっと今の自分の瞳には、鋭い光が宿ってしまっている。だから、この男とは、目をあわせるわけにはいかない。
心のうちで、そう考えながら、なにくわぬ顔で視線をそらしたアレンは、自分の部下の配置を確かめた。
カウンターに二人。
掃きだし窓の外のテーブルに二人。
その二人を介して、すぐに連絡が取れて現場にかけつけられる位置には、最新型のライフル銃をもって完全武装している騎馬兵を、さらに二人ずつ二ヵ所に配置してある。
つまらなそうに、アレンは下をむく。
いまのアレンの役どころは、裕福な会社経営者であるリアンの父親のもとへ、修行としょうして預けられた地方の商人の息子だ。有名な『ふくろう亭』へつれていってやるといわれてリアンについてきたものの、王都の青年たちの話題にはとてもついていけなくて、退屈しきっている田舎者。
この場にいる連中は、アレンがあたりの空気に神経を張り巡らせていることになど、まったく気づいていない。
じょじょに、筋肉へ緊張をためる。
相手に気づかれないよう、極力静かに。
もし、近づいてくる男がローレリアンに何か害をなすようなら、アレンは迷いなく腋の下のホルダーから短銃を抜いて、撃つ覚悟だった。
「声が大きいよ、諸君」
痩せた男は苦笑しながら、ローレリアンと友人たちをたしなめた。
「これはどうも、失礼しました。リュミネさん」
仲間たちのうちで一番声が大きかった青年が、丁寧に謝る。
他の者達も、同意の意思表示として軽く目礼する。どうやら、このリュミネという男は、このカフェでは尊敬される立場にいる人間らしい。
リュミネは、いいんだと手で示しながら、落ち着いた口調で言った。
「きみたちの心配もわかるがね。さっきのような話は、公共の場所で、おっぴらにやるべきではない。万が一のことがあれば、我々に交流の場所を提供してくれている『ふくろう亭』の主人にも、迷惑がかかりかねないのだから」
「そのとおりですね」
「配慮がたりませんでした。おわびいたします」
口々に仲間が謝るのを聞きながら、ローレリアンがアレンに言う。
「クローネくん。こちらは有名なサンエット紙の論説委員、ジャン・リュミネ氏だよ。リュミネ氏がお書きになった社説には、いくつも有名な名文がある」
なんてやつだと、アレンは思った。
ローレリアンの演技力は、どんな名優も真っ青になるほどのものすごさだ。
いまの彼は、どこから見ても、有名新聞の論説委員を知り合いとして田舎者の取引先の息子に紹介できて、大喜びしている社長のバカ息子である。ほほがかすかに赤くなっており、さぞや彼の小さなプライドは、満足で満たされているのだろうなという風に見える。
リュミネの表情にも、苦いものが浮かぶ。
彼は人間を、尊敬できる人物と、そうでない人物とで、分類するタイプであるようだ。
「はじめまして、ローリィ・クローネと申します。高名なリュミネ氏にお目にかかれて光栄です」
おそらくリュミネの記憶には、自分の偽名は欠片も残るまいなと思いながら、アレンは握手を交わした。
ちなみに、ローリィ・クローネとは、古語で『月桂樹の冠』という意味の言葉である。桂冠騎士の称号をもじっただけの、じつにくだらない偽名だ。
アレンの予測は正しく、握手の手を離した瞬間にはもう、リュミネはアレンへの興味を失っていた。
そして、ローレリアンに話しかける。
「ところで、リアンくん。
大きな声だったから聞こえてしまったが、ラカンへ行っていたんだって? むこうは、どうだったかね」
嬉々としたローレリアンは、尊敬する文筆家に、ご報告だ。
「なにをお知りになりたいですか? なんなりと、おたずねください」
「うーん、そうだね。
ラカン公爵が鉄の増産をためらわない理由について、なにか知っていることはないかね。普通、物を作るときには、需要と供給のバランスを考えて生産量を決めるものだろう。
きみのお父上も、ラカンはまだまだ石炭を買うと判断されているようだし。
建国節の直前に、国王の密命をおびて、ローレリアン王子がラカンヘ行幸しただろう。あのあとラカン公爵は、王子へ急接近したように見受けられるし。
なにか、国家としての介入があったのではないかと、識者はみんな思っている」
「国家としての、介入ですか?」
「たとえばその……」
リュミネは声をひそめた。
「どこかの国と、戦争とか」
ローレリアンは、眼を見開く。
「まさか! この大国ローザニアに、戦争をしかける国が、どこにあるというのです?」
「声が大きいよ、リアンくん」
「すみません、リュミネさん。
あんまり、びっくりしたもので。
でも、それはありませんから、安心なさってください。
王子はね、ラカン公爵の馬がいらない鋼鉄の荷車を、国中に走らせたいという構想を、おもちなんですよ。
ラカンの技師たちは、鉄道とか、いっていましたが。
技術的には、もう十分、実用可能なのだそうです。あとは、資金と、国中にレールを敷いていく仕事を推進する、なにがしかの強力な意志さえあればいい。
王子はその『意志』とは、国の『意志』であるべきだと、考えているらしいですよ。10年、20年先の国の在り方を考えるのが、国政ということでしょうか。
国中に計画的に鉄道を建設すれば、建設のおかげで経済も潤うし、国民に仕事も与えられる。できあがった鉄道は、物資の流通の速度と量を劇的に変えるでしょうね。
そうなれば、ますますローザニアの経済は発展し、国際競争力も増すでしょう。国民の仕事も増える。仕事が増えれば、限りある人的な資源の奪い合いが起こりますから、国民の生活も今より良くなるはずですよね」
おおと、ローレリアンの友人たちが、うなり声をあげた。
「そうか!」
「我がローザニアには、まだローレリアン王子がいたのか」
「いまに、あの若い王子が、この国を導くようになるのか?」
「ローザニアの聖王子が」
「ラカン公爵が8歳の娘を、王子の妃にしたがった理由がわかったぞ」
口角から泡を飛ばす勢いでしゃべる青年たちの姿を見ながら、アレンは震撼した。
店の表側に集まっていた知識人たちは、それとなく、こちらの話を聞いている様子だ。
きっと、今日のこの話は『さるすじからの情報によれば――』などといった表現で、新聞の記事になったりするのだろう。
――貧富の差が爆発的に拡大し、貧しい国民の苦悩が澱となって世間によどんでいるいまのローザニアにおいて、国民の不満を他にそらすためには、もう他国へ戦争をしかけるしかあるまい。
そういう決断を、国王が下すのではないかと、識者の間では危惧されていたのだ。
ローザニア王国はローレリアンが言うとおり、大国である。今の段階では、他国から戦争をしかけられることはまずない。あるとしたら、戦争によって他国を植民地化し、その富によって現在の苦境から脱出しようとする、大国ローザニア側からの身勝手な宣戦布告だけだろう。
しかし、ローレリアン王子は、そんな人として恥ずかしい方法で問題解決をするつもりはないのだ。
しかも、大方の予想とはまったく違った展望で国の未来を思い描き、その方向性を国民に示そうとしている。
――俺は、なんて男に、仕えることになったのだろうか……!
アレンは、ぼうせんと、にこやかに笑うローレリアンを見つめてしまった。
文筆家のリュミネは、また苦々しい顔をして、興奮する青年たちを見ている。
「諸君は、甘いよ」
高まった熱気を、いっきに醒めさせる一言を、リュミネは発する。
「たった一人の英雄の力にたよるようになったら、その国の命運はもう終わりだ。
その英雄がどんなに優れた人間でも、人間であることには変わりがない。
判断を誤ることだってあるだろうし、病気で倒れたり、事故にあったりすることだってあるだろう。
現代の国家が、たった一人の人間の意志によって動くなんてことは、あってはならないことなんだ」
ローレリアンは、おっとりと言う。
「そうですねえ。これから、この国がどういう方向に進むにしても、議会の制度は改革されるべきですよねえ」
むっとしたリュミネは、ローレリアンをにらんだ。
「きみ、それがどれだけ大変なことか、わかっていて言っているのか」
「あはは、すみません。我々にも選挙権をよこせというのは、ローザニア王国の国民の宿願ですよね」
青年の一人が、口をはさむ。
「ちょっとすみません。
ローレリアン王子は、第二王子として王都へもどった直後から、いずれは貴族ばかりが優遇されている税制度や議会制度を改革するべきだと明言していたと聞きます。
そのせいで、彼は『王子殿下の影』としょうされる、すご腕の護衛騎士を、片時もそばから離せない生活を強いられるはめになった。公式な発表はないが、彼に襲いかかった刺客の数は、片手じゃたりないという噂ですよ」
アレンは心の中でつぶやいた。
片手で足りないどころではない。両手両足でも足りねえよと。
青年たちは言いつのる。
「それでも信念を曲げない王子に、いくばくかの期待をかけてしまうのは、われわれの甘えでしょうか?」
「王子を指導者として仰ぎながら、国民もともに頑張るという姿勢では、ダメなのでしょうか」
リュミネは一瞬鼻白んだあと、皮肉っぽい笑みを唇に浮かべた。
「人間というのは、楽なほうへ、楽なほうへと、流されたがる生き物だな。
いまのローザニア王国が、荒療治ぬきに、まともな方向へ進めるとは思えない。
王子も、ただの人の子だ。
彼自身も、それを認めている。
そうだ、おもしろいものがあるから、諸君に進呈しよう」
懐から小さな冊子を出すと、リュミネはそれを青年たちのテーブルの上に投げ置いた。
なんだなんだと青年たちが冊子を見ると、それは出版元すらわからない、パンフレットと呼ばれる庶民向けの読み物だった。街角でパンフレット売りが、ひとつ20カペくらいで売り歩いているものだ。内容はきわめて低俗で、社会風刺や艶聞が多く、小銭を払って手にした客が、浮世の憂さをはらすための読み物である。
10ページほどのパンフレットには、銅版印刷のイラストが、いっぱい入っていた。パンフレットを買うような客は、読み書きがやっと程度の教養レベルであることが多いので、絵が多いほうが喜ばれるのだ。
パンフレットを手に取った青年が、タイトルを読みあげる。
「『踊る神官』? これは、ローレリアン王子のことだろうか?」
アレンは、頭が痛むような気がした。
そのパンフレットには、建国節の最後におこなわれた舞踏会での、ローレリアン王子とヴィダリア侯爵令嬢のダンスの様子が、おもしろおかしく書かれていたのだ。
愛らしい白いドレスの令嬢をうばいあう王太子と第二王子。
神官の法衣姿で、大胆なダンスを披露するローレリアン王子。
初めて王子殿下のダンスを拝見して、失神しまくる貴族の令嬢と奥方。
最後に王子と侯爵令嬢は、接吻をかわして別れを惜しんだことになっている。
事実が三割、勝手にくっつけた大げさなエピソードが七割といった内容だ。
それを読んだ青年たちは、声をあげて笑った。ご婦人方の連続失神の様子など、まるっきり喜劇そのものだったのだ。
――やっべー、ローレリアンが怒りだしたら、王子殿下の正体がばれちまう!
あわてたアレンは、パンフレットから目をはなして、ローレリアンを見た。
しかし、当のローレリアンは、かくしきれなかった厳しい色を少しだけ宿した目で、カフェの出口のほうを見ていた。
視線の先には、ジャン・リュミネの後ろ姿がある。
その後ろ姿は、すぐにカフェの外の通りの喧騒にまぎれて、見えなくなってしまった。