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ローザニアの聖王子  作者: 小夜
第一章
1/78

建国節の祝賀 … 1

 内海の東岸を支配する大国ローザニアの春は、建国節と呼ばれる祭りの季節である。


 豊かな平原がいくつもの小国にわかれ土地を奪い合った乱世の時代に終止符を打ち、現在のローザニア王国の礎を築いた聖王パルシバルが、王都プレブナンに宮廷を開き建国を宣言したのが、この季節とされているからだ。


 王都の春は4月中ごろから本格化する。


 風が南からの暖かいものに変わると、そこかしこに咲き誇る花の種類が急激に増え、繁殖期に入った鳥は、にぎやかに歌い始める。それに気づいた人間も、訪れた春に心を浮き立たせるのである。


 しかし、祭りのムードに心を弾ませているのは、庶民だけであった。


 この季節、プレブナンの王宮には、国中から集まった貴族たちがあふれかえる。


 表向き彼らは、忠誠を誓う国王へ、建国節の祝いをのべるために集まったことになっている。


 だが、実際のところ貴族にとっての建国節の祝賀会とは、秋の収穫の決算をすませ、毎年、国王へ領地経営の報告書を提出するための集まりなのだ。その季節の忙しさと負担感の重さは、国の要職につく大貴族にとっても、下っ端の貧乏貴族にとっても、大変なものである。


 もっとも、表向きは、あくまでも祭り。


 貴族が集まる王宮では、連日、なにがしかの催し物がおこなわれる。


 夫や父親につきしたがって領地から王都へやってきた女性たちにとっては、この催し物は最高の娯楽だった。


 着飾って舞踏会や音楽会へでかけていくのも楽しいし、この国のファッションリーダーである大貴族の奥方や令嬢の今年のドレスを拝見するのも楽しい。


 役人に書類の不備をつかれたり、国家事業への出資を求められたりして、連日脂汗をかいている夫や父親の苦労など、彼女達には理解できない。


 女子供に仕事の愚痴を吐かないのは、高貴なる男たちの矜持に類すること。


 自分の妻や娘は、蝶よ花よと、甘やかす。


 それが、国王陛下から領地を預かる誇り高き貴族の男の、しかるべき態度というものなのである。


 春らしいおだやかな晴天に恵まれた今日も、王宮には大勢の人が集まっていた。


 人々が集っていたのは、広大な王宮の南面に位置する芝の広場である。いま、その広場には臨時の観戦席がしつらえられ、三方向から見下ろす芝の舞台の中央では剣術の試合が行われている。


 年に一度の、御前試合。国中から集まった腕自慢の男たちが、その年の一番の勇者の地位を競う、恒例の祭りだった。


 例年、この試合は、かなりの盛りあがりを見せる。


 国王陛下の軍隊に仕官している者なら、たとえ平民であろうとも、この試合には出られる決まりになっているからだ。御前試合で優勝して桂冠騎士の称号を得ることは、この国の軍隊において、平民が出世の足がかりを得られる唯一の機会であった。


 だから、試合に参加する男たちの意気込みは、半端なものではない。試合自体は寸止めのルールで進行するが、毎年怪我人が続出するのも、仕方がないことだと思われていた。


 しかし、今年の試合は、どこか空気が違っていた。


 圧倒的な強さで決勝まで勝ち進んできた第6師団の怪物ルース・フイルスが、相手に容赦のない一撃を放っては、大量の血を流していたのである。


 もともとルースは好戦的な男だった。


 まるで熊のように筋骨たくましい体と、国境の小競り合いを日常とする第6師団で実戦をくりかえしてきたせいで潰れた鼻。そして、眼窩の骨折のために瞼が動かなくなり、眠そうな半眼となってしまった右目と、逆に右目の視界の悪さを補うために、爛々と輝くようになった左目を持つ。まさに怪物というあだ名にふさわしい、外見をした男なのである。


 決勝戦を前にして、彼は鼻息荒い。


 待機所でおとなしく座ってはいられないようで、さきほどから試合場の芝の上を、抜身の剣を手にして歩きまわっている。


 観客席の客も、興奮しきっていた。


 とにかく誰もが、近年まれにみる大勝負を観戦できる幸運に感謝し、浮かれているのである。


 決勝戦で怪物ルースと対決するのは、18歳の士官候補生だった。


 彼は、王都に新設された士官学校の第一期生である。噂によると俊敏な剣の使い手で、勉励をいとわない努力家。そのうえ人望もある、第一期生の星と呼ばれる存在だという。


 しかも彼は少年時代に、伝説の名剣士として名高いアストゥール・ハウエル卿のもとで、見習いを務めていたという経歴を持つ。


 アストゥール・ハウエル卿は自身も若いころ、5年連続で、この御前試合に優勝した経歴の持ち主なのだ。人々が、因縁を感じないわけがなかった。


 現在、アストゥール・ハウエル卿は、近衛連隊の顧問官である。


 本来なら連隊長でも務まるほどの人物であるが、彼はみずから望んで、その地位についた。彼が『我が王子』と呼んで敬愛するローザニア王国の第二王子、ローレリアンの側仕えをするためである。


 いまでは彼は、『王子殿下の影』と呼ばれている。王子殿下がいるところには、必ず彼もいるからである。


 才気あふれる若者として父王から愛され、その優れた頭脳で深く考えたすえに生み出す立言の数々を重用されてきたローレリアン王子には、敵も多かった。赤子のころに死んだものとされていた王子が中央政界へふたたび姿をあらわした時、「なんでいまさら?」と笑った者たちは、やがて既得権を失う予感におびえ、激しい恐怖を覚えるようになったのである。


 その結果、数えきれないほどの刺客が、アストゥール・ハウエル卿の手によって、血の海に沈むこととなった。


 王子に害をなそうとする者は、王子に近づくことすらできずに終わる。


 伝説の名剣士の名声は、いや増すばかりである。


 その伝説の名剣士『王子殿下の影』は、西側の試合待機所で管をまいていた。


 待機所で決勝戦の開始を待つ、士官候補生をからかっているのである。


「どうだ、アレン。勝ち目はありそうか?

 あの化け物、なにか薬でもやってるんじゃないだろうな?

 見てみろ。あいつ、興奮しきって、いまにも涎を垂らしそうじゃないか。まるで、狂犬病にかかった闘犬だな。危なくてしょうがない。

 あんなの、どこかへ鎖でつないでおけってんだ」


 士官候補生のアレン・デュカレットは、うさん臭そうな目で、昔の上司を見た。


 アストゥールは3年前と、ちっとも変っていなかった。


 戦いで失った右目は皮の眼帯の下。

 気障な形に整えられた口髭。

 その髭の下には、皮肉が大好きな口がある。


 どうも、王子殿下に直接お仕えして、世の中の嫌なものをいっぱい見てきたせいで、彼の皮肉好きには、さらなる磨きがかかったようである。


 いまの態度だって、とても可愛がっていた昔の部下を、励ましているようには見えなかった。


 柵にもたれて、ほれほれほれと、アレンが座っている椅子を蹴ってくる。


 その傍若無人ぶりは、アレンに付き添っていた士官学校の教官が、あきれて注意するほどである。


「どうか静かにしてください、ハウエル卿。

 そうにぎやかにされては、デュカレット候補生は、精神統一ができません」


 アストゥールは、アレンを取り巻く大人達を、ぐるりと見まわした。


 みんな、一様に、青い顔をしている。


 ここまできたなら、アレンに勝ってもらいたいと思うのは当然だろう。彼が御前試合に勝てば、士官学校で教育を受けた者は優秀であると、世間に証明できる。


 しかし、その思いでアレンの肩に期待という名の重荷を乗せるほうが、よほど彼の集中力をそぐのだがなあと思う、アストゥールである。


 ところがだ。


 問題の士官候補生、アレンは笑っていた。


「あいかわらずですねえ、アストゥールさまは。

 俺のことなら、ご心配なく。

 あとは、無心で頑張るだけです。

 それより、いいんですか? 王子殿下のそばから、離れたりして」


 アストゥールも笑って答えた。


「大丈夫だ。

 いま、殿下の側には国王陛下の護衛がいる。

 俺は、がんばれよと伝えて来いと、使いを命じられたのだ」


「それは、どうも。殿下に、お礼を申し上げておいてください。それに……」


 アレンは元上司の耳元へ唇をよせる。


「約束は、忘れないでくださいよ?」


「ふん」と、アストゥールは鼻で笑う。


「王立士官学校第一期生、アレン・デュカレット候補生! 時間です! 中央へお進みください!」


 呼び出しの大声が、二人の会話をとめる。


「では、いってきます」


 呼ばれた候補生は、剣を手にして周囲へ軽く会釈をし、堂々と試合場へ出ていった。


 アストゥールは、まぶしげに隻眼を細めた。


 アレンの後ろ姿に、3年前の面影はない。


 3年前と同じだと言い切れるのは、癖のある茶色い髪くらいのものだ。


 背はすらりと高くなり、肩はがっちりとした大人の肩になった。胸板もずいぶん厚くなっている。


 それに、なにより、雰囲気が変わった。


 にぎやかなおしゃべり好きの子供っぽさは、欠片もなくなってしまったのだ。いまの彼は士官学校の同級生や後輩たちから『氷鉄ひょうてつのアレン』と呼ばれているらしい。彼の冷静な表情が動くことは、めったにないので。


 アレンが無表情になったのには、アストゥールにも多少の責任があった。


 士官学校の一期生には、大貴族の子弟が大勢いたのである。初めての入学資格審査試験が行われる際、士官学校の設立メンバーの名簿に箔をつけたがった馬鹿どもが、本人のやる気や才能をまったく無視して、貴族の子弟ばかりを優先的に合格させてしまったからだ。


 自分の出身家庭が立派であることを自信のよりどころにしている大貴族の息子たちにしてみれば、貧乏豪族の三男坊であるアレンが、同級生の中でもっとも成績優秀で武芸にも秀でているという状況は、我慢ならないものだった。


 しかも、アレン・デュカレットは、伝説の名剣士アストゥール・ハウエル卿のもとで見習いを務めていたという、ねたましいまでに恵まれた過去を持つ男なのである。


 自尊心ばかりが肥大した大貴族の息子たちは、おのれの努力が足らないのを棚に上げ、自分だって幼少時代に有名な剣士の弟子になれていたら、もっと周囲から認められているはずだと考える。


 おかげでアレンは、ことあるごとに大貴族の息子たちからいじめられた。


 しかし、アレンは、そのいじめを、ことごとく実力ではねのけた。


 寝る間も惜しんで勉強をするから、試験の結果は、いつでも主席。剣術や馬術、はては射撃訓練まで、他の連中の二倍の練習をして、一番を貫いた。


 アレンにとっては、同級生からのいじめなど、どうでもいい問題だったのだ。


 彼の目標は、ただ一つしかなかった。


 これから始まる御前試合の決勝戦に勝てば、その長年の望みは、いよいよかなうはずなのだ。


 試合場の中央で、アレンは怪物ルースと正面から向き合った。


 ルースは興奮しきっており、アレンのところまで荒い呼吸のせいで動く、空気の気配が伝わってくる。


 その気配を、アレンは静かに無視した。


 3年間、ずっと願ってきたことに意識を集中する。


 負ける気はしなかった。


 アレンは、この日のためだけに、3年もの月日を精進に費やしてきたのだ。


 剣を鞘から抜き、鞘は介添え役に預ける。


 なまめかしいほど滑らかな、刃の光をながめて愛でる。


 この剣は、士官学校の一年目が終了した時に、アストゥールからもらった名剣だ。


 そのころにはすでに、アレンの成績がきわめて優秀だということが、あらゆる場所で噂にのぼりはじめていた。アレンを見い出して素養を磨いたことになるアストゥールにしてみれは、かなり嬉しかったのだろう。


 この剣をもらったときに、アレンはアストゥールと約束を交わした。士官学校卒業時の御前試合に勝ったら、『王子殿下の影』と呼ばれる役目は、アレンに譲ってやると。


 握りしめた剣に、気を注ぐ。


 猛獣の咆哮ほうこうのごとき雄叫びとともに、ルースは切りかかってきた。


 試合の判定役が、鼻白んでいる。


 ルースの切り込みは、試合開始の合図より、わずかに早かった。


 勝つためなら手段を選ばない。


 そういう男らしい、この怪物は。


 一合、二合と、剣を切り結ぶ。


 アレンの剣は、士官学校仕込みの正統派だ。


 しかも、基本は名剣士アストゥール・ハウエルからの仕込み。力だけで押してくる怪物の粗雑な剣を、真っ向から受け止めたりはしない。相手の豪剣の勢いを利用して、右に左に剣を払うしぐさは軽やかで、美しくさえある。


 戦場において、士官は馬上で剣をふるうことが多い。馬を御しながら片手で剣をふるうためには、相手の攻撃までも利用する華麗な技が必要なのだ。


 3年間、ひたすら精進にはげんだアレンの剣筋は、まるで熟達した舞い手の踊りのようだった。


 そして、相手の剣がわずかに泳いだすきを利用して、すれちがいざまに、わきを狙う。


 観客が、いっせいにどよめいた。


 ルースはかろうじて逃げたが、アレンの剣は彼の脇腹を、確実にかすっていた。


 第6師団の赤い制服の切れ端が、まるで血のように風に舞う。


 今日初めて怪物ルースは、一撃を浴びた。


 怪物の顔に、血がのぼる。


 アレンは思った。


 怒りに醜くゆがんだ赤い顔は、人間を悪事へ誘う魔王オプスティネにそっくりだ。


 子供のころ村の祭りで、よく人形劇を見た。


 赤い顔のオプスティネは、正義と公平の神ロトに必ず倒される。


 自分がロトだとは言わない。


 ただ、ルースには負けたくなかった。


 ここで彼に勝ちを譲ることになれば、彼にはそれなりの地位が与えられる。


 こんなやつが人の上に立って、理不尽に権力をふるったりしたら、それこそ無数の不幸を量産してしまう。


 たいした努力もせずに威張り散らす貴族達にも、上官にも、もううんざりだ。


 ルースは技を極めただけ、そんな連中よりはましかもしれないな。


 そう思いながら、もう一度彼の豪剣を受け流したら、ルースは激しいののしり声をあげた。


「この、卑怯者め!

 ちょこまかと逃げを決め、人の隙ばかりを狙いおる!

 それが、士官学校仕込みの剣か!

 臆病者の、小童め!」


 まともな剣の技をさして、卑怯とは笑わせる。


 そもそも、卑怯なのはお前のほうだろう。


 相手を恫喝して心理的な揺さぶりをかけようとすることをさして、小賢しいというのではないのか?


 まあ、戦場では、それが正しいやり方なんだろう。


 どんな方法を使ったって、勝ったほうが正義になるのが戦だ。


 だが、俺はだてに、鉄だの氷だのと呼ばれているわけではない。


 つまらない挑発には、のらない。


 ここは王都で、いまは剣術試合のまっ最中。


 あくまでも、相手のすきをついてこその、勝つ剣だ。


 意識を、剣のみに集めろ。


 雑念を捨てろ。


 そら、よろめいた、その足元。


 ひとつ突いて返す手で切りつければ、一方的に押しまくるチャンスが、こちらにやって来る。


 激烈な勢いで三歩踏み込むあいだに、剣が二度鳴った。


「そこまでっ! そこまで!」


 判定役の士官が、両手をふりあげ死闘を止めた。


 最後の二合には、二人の剣士の本気がこもっていたのだ。制止が、あと一瞬遅れたら、間違いなく多量の血が流れていただろう。


 ルースが地面に膝をつき、咆哮する。


 観客が、大喜びの声をあげている。


 自分の呼吸の音が、やけに耳に響いた。


 これで本当に、3年の苦労が報われたのか。


 士官学校の同級生や後輩たちが、試合場へ駆けこんできた。


 彼らは口々にアレンの名を叫び、肩を抱く。


 もみくちゃだ。


 いつも陽気なアンドサーダが、おどけた口調で号令をかけた。


「みな、帽を取れ!」


「いやあっ!」


 掛け声とともに、士官候補生たちの帽子が、一斉に空へと舞った。


 現金なものだ。


 最初のころは身分の低い同級生をいじめていた連中も、いまではアレンを、自慢の仲間あつかいする。


「勝者は、前へ出よ!」


 観客席の中央から、呼び声がかかった。


 大騒ぎしていた士官候補生たちは、たちまち黙った。


 アレンを呼んだのは、ローザニア王国の宰相カルミゲン公爵である。現国王バリオス3世の舅として長年権勢をふるってきた大公爵の声は、多少しゃがれてはいたものの、重々しい威厳に満ちていた。



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