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無気力宰相と契約結婚した元営業女子、転生特典タブレットで世界を救う。  作者: 卯崎瑛珠
第二章 無気力宰相と、契約結婚

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第8話 婚前契約成立


「プレゼン?」

「あっ、ええと……聴衆の前で、自分の計画や提案を発表することですわ」


 リオネルは訝しげな顔をしたまま、「その必要はありません」とエルヴィナの動きを牽制した。


「でも、こちらの魔導具が気になる、と」

「魔導具の説明に、そのプレゼンとやらが必要とは思えませんが」

「台風の後の王国の状況を聞いてくださるのではないのですか」

 

 リオネルは、はあと大きな溜息を吐いてから、わざとらしくメガネのブリッジ部分を人差し指で押し上げた。


「エルヴィナ嬢。以前子爵令嬢を侮る、などと言われましたので、誤解なきよう聞いていただきたいのですが。あなたに、宰相へ意見できるような権限はありません」

「っ……そう、ですわね……」


 リオネルの言うことは、尤もだった。

 たちまちしゅんと肩を落としたエルヴィナを見て、さすがに良心が咎めたのか、リオネルの責めるような声音はトーンダウンする。


「私は、この国への竜神様のご加護を信じている身です。あなたは、その魔導具を神殿で拾ったと言っていたと耳にしました。ですから、興味があるのです」

「そういうことでしたか」


 エルヴィナとしては、プレゼンを断られたことはショックではあるものの、こうして理性的に話をしてくれるのはありがたかった。

 営業をしに行っても、門前払いされることの方がほとんどだったりする。その経験からも、少しでも興味のあるものを自分が持っていると分かっただけで、よしとしよう――まずは、仲良くならなければ。そう切り替えることができた。


「では、ご説明させていただきたいのですが、その前に」

「……まだ、何かあるのですか」

「はい。こちらの魔導具は、わたくしの財産です。たとえ夫となる方であっても、譲りたくありません」

「そんなことは」

「しない、と口ではいくらでも言えますわよね」

「っ……そう、ですね」


 形勢逆転の気配に、エルヴィナの背後に立っているバドとメグからは、若干ワクワク感が漏れ出している。一方、秘書官のフロランはいよいよ緊張のあまり、倒れそうになっている。


「では早速ですが、こちらをご覧くださいませ」


 エルヴィナは、メグに持たせていた書類ばさみから、用意していた婚前契約書を取り出した――


   $$$

 

 婚前契約書へ目を通すリオネルを前に、エルヴィナはソファに腰掛け紅茶を嗜んでいた。少し冷めてしまい、茶葉はあまり香らない。


「思ったより、あっさりと同意されましたのね」

 

 エルヴィナが話しかけると、リオネル・ジリー侯爵は、相変わらず顔を上げもせずに応じる。

 

「婚前契約には、賛成です。価値観や認識の違いで争うことは、避けたいですから」

「平和主義なのですね」

「面倒なだけです」

「閣下がなぜ今までご結婚なさらなかったのか。なぜわたくしだったのか。少し分かった気がしますわ」

「……不幸なことに、選択肢がなかっただけです」


 毒にも薬にもならないやりとりをしながら、リオネルは契約書を確認していく。

 そこには『双方の独立した交友関係を尊重すること』『財産分与』など、恋愛要素を排した取り決めが並んでいた。


「ふふ。まさか閣下が『寝室は別』を追記されるとは。執念とも言える念の入り用が面白いですわ」

「当然です。私は他人と寝ると、安眠できません」

「わたくしは枕が変わると寝られないので、ちょうど良いですわ」


 エルヴィナはくすりと笑った。リオネルは少し眉をひそめたが、特に言い返さない。


「それに……契約は一年更新ですの?」


 現代日本では一般的だが、結婚の意思確認を一年ごとにするようなものであるからして、エルヴィナにはなんだかかえって煩わしいと感じた。

 

「台風被害の復興にそれほど時間がかかるとは思えませんので」

「なるほど。即時結婚契約を解消できるようにとのご意志ですね」

「その通りです」


 静かに、しかし明確に突き放すその声に、エルヴィナはわずかに目を細めた。

 離婚された貴族女性がその後どうなるのか。リオネルは全くの無配慮である。つまりこの男にとって自分は今、それぐらいの価値しかないのだ――現時点での査定を終えてから、エルヴィナは下腹部に力を入れ、飲み終えた紅茶のソーサーをテーブルへ置いた。それから、膝と目線をリオネルへ向ける。


「解約は、こちらとしても望むところではあります。ですが、一度離縁された貴族女性がどうなるか。その辺りのご配慮もすべきではと、進言させていただきますわ。もしわたくしを、人として尊重してくださるのなら、ですが」


 リオネルが、ハッと息を呑んでから顔を上げた。

 

「そう、ですね……私としたことが……配慮が欠けていました。離縁後の支援についても、追記しましょう」

「ありがとう存じます」

 

 再び書類へ目を戻し、難しい顔をしながらさらにペンを走らせるリオネルの頭頂へ向かって、エルヴィナはなるべく明るい声で言葉を投げかけた。


「そうそう。結婚式については、わたくしに任せてくださると助かりますの」

「結婚式……」

「はい。演出、進行、来賓……ご多忙な閣下のお手を煩わせるわけにはまいりませんわ」

「やはり、やらなければ、なりませんか」


 初めて、リオネルの声音に感情が乗った気がする。エルヴィナは少しだけ驚きつつも、冷静を装って言葉を続けた。


「わたくしたちの結婚は、陛下の御命令。王国民の気持ちを少しでも明るくすべく、とお聞きいたしましたが」

「別に、式など、しなくても」

「華やかな雰囲気を王都に振り撒くのも、御命令のうちと理解していましたが……なるほど、閣下は衆前にお出になるのが、お得意ではない?」

「っ、正直、目立つのが、どうにも」


(なるほど! もしかして、ものすごく、人見知り⁉︎)


 大発見をしたような気分になったが、エルヴィナは務めて態度を変えないよう、慎重に言葉選びをする。


「でしたら、式は身内だけでもよろしいかと。行った事実さえ流布すれば良いでしょう。反対に、形だけでも行わなければモーリア卿が納得いたしませんわ。仮にも娘を嫁に出すのですから」


 前世も含めて人生で初めての結婚に『形だけ』『仮』というワードチョイスをせざるを得ない自分に、エルヴィナはこっそり心の中で泣いているが、それもまた自分の運命だと無理やりに割り切る。

 

「それは、そうですね」

「それから、陛下のご要望。つまり、お祝いの雰囲気を民へお伝えしなければについてですが」


 ピタリ、とリオネルのペンの動きが止まった。

 しばらく執務室にシンとした空気が流れる中、バドがサバトン(鉄靴)の爪先でトントンと床を叩く音、それからメグのフスーフスーという少々荒い鼻息が聞こえる。フロランに至っては、何を言うのかハラハラしすぎて立つのも難しいのか、背中を書棚にもたせかけている。

 

「持ち帰って検討させてくださいませ。()()()


 皮肉を込めた声音で告げると、リオネルはペンを置き、真正面から彼女を見据えた。

 相変わらず冷たいその眼差しは、どこかエルヴィナへ挑むようでもあった。


「……いいでしょう。三日後の同じ時間、こちらで案をお聞きし、そのまま陛下への謁見に行きましょう。ただし」


(陛下との、謁見! 予定、決まったのね。なら別の角度からのプレゼンを考えてから、臨むことにしましょう)

 

「ただし?」


 膝の上で組んだ手に力を入れるエルヴィナへ、リオネルはまるで最後通牒のようなトーンで言い渡す。


「私の納得がいかない案であれば、即時却下。身内だけの小規模な式だけとします」

「承知いたしました」


(このお方、きちんとお話をすれば、意見を汲んでくださる余地はある。もう少し物言いを柔らかくすれば、誤解されないのに)


 エルヴィナが心中でリオネルの印象を上書きしていると、リオネルは書き終えた契約書類を持ち上げ、無言でフロランへ差し出す。

 だが、息も絶え絶えのフロランが役に立たないと見るや一瞬で諦め、自ら立ち上がって書類を応接テーブルの上に載せると、再び机へと戻る。無駄のないキビキビとした動きに、エルヴィナはしばし見惚れた。


「不足があるようならば、遠慮なく」


 動きが緩慢になったエルヴィナは、リオネルの声で、ハッと正気に戻る。書類を持ち上げると、念のためはじめから目を通し、特に追記の部分を精読し、内容に齟齬も不備もないことを確認する。


「……まあ。『離縁後の生活支援金』について、こんなに細かく――」


 思わず、声が漏れた。そこには、必要に応じた住居提供、社会的信用の保証といった文言まで添えられていた。よくある形式的な慰謝料の一行ではなく、宰相としての経験に裏打ちされた、確かな気遣いがあるように感じられた。


(気遣い屋さん、なのかしら……)


 その瞬間、リオネルの背筋を伸ばして座る姿が、やや違って見えた。

 感情を排して淡々と振る舞う彼の中に、確かに「誰かを傷つけたくない」と思う人間らしさが宿っている。その繊細さを、彼自身は見せようとはせず、むしろ必死に隠しているように感じられた。


「閣下。細部にまで至るご配慮に、感謝いたしますわ」

「……義務ですから」


 エルヴィナがサインを、と手を挙げたのを見て、フロランがペンを渡そうとするが、壊れたロボットのようにギクシャクしていて、うまくいかない。

 リオネルが深い溜息と共に再び立ち上がり、自分が使っていたものを「どうぞ」と差し出した。


「ありがたく存じますわ。あら、書きやすい!」


 さすが宰相のペンである。質の良さに感嘆の声を上げたエルヴィナを、リオネルは目を細めて見ていた。

 

 はたして二人の名前の下に、二人分のサインが並ぶ。


 丁寧に折り畳まれ、赤い封蝋が押された瞬間。この結婚についての婚前契約が正式なものとなった。


 ――恋の予感もなければ、甘さもない。

 

 けれどもこの一枚の紙が、未来の変革の扉になるかもしれない。そう自分を鼓舞しながら、エルヴィナは執務室を後にした。

 

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